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2011.12.31(土) 2011年の終わり 1月にはスタジオKの各社見積りが上がり、減額案、建築主とのの調整、最終決定、 出光美術館「酒井抱一生誕250年 琳派芸術ー光悦・宗達から江戸琳派《展の宗達スクールに驚嘆し、 2月には映画「キック・アス《が面白かったので、原作コミック、そしてBDバンド・デシネの「アランの戦争《と「アンカル《も購入、 「アランの戦争《面白い。そして長澤蘆雪晩年の作「月夜山水図《にはっとさせられ、またニュージーランド地震、大きな被害、 3月には4日にクリント・イーストウッドの「ヒアアフター《を観てリアルな津波の映像に震撼した丁度1週間後に、 それが現実となった東日本大震災。浦安も液状化でマンションのライフラインの仮復旧に自治会長として関わり、 4月には福島原発事故は「レベル7《チェルノブイリ級に、新聞、テレビの報道に怪しくもどかしい違和感、 5月には連休を大町で過ごし、 6月には「高齢者環境デザイン研究会《発足、自分たちも含まれつつある高齢者、自分が住んでもいいと思えるような施設、果たしてあるのか? 7月3日には黒坂くんの創生会の特養「青葉《を手始めに見学し、 7月には、サッカー女子日本代表、ギリギリで追いつきPK戦でアメリカ下し、ワールドカップ頂点に感動、 8月には、ロンドン暴動、全国に飛び火。野田氏、海江田氏破り、民主党代表に、今にしてこんなにひどいとは。 浦安花火復活 9月には去年果たせなかったお墓参り。台風12号の豪雨被害、ノリコさん深センへ、後半二人で再度深センへ。 10月には高級ホテル最上階レストランにてノリコさん中国人シェフを率いて特別料理、中野k邸の確認、構造で引っかかり、ヤキモキ、 そしてタイでは水害で国土の3分の1が水没。 11月には深センプロジェクト、そしていよいよ義母の老人ホーム入りを検討、 12月には金正日総書記死去、しばらくは上気味な朝鮮半島。ここに来て風を引いてしまいました。 何と言っても東日本大震災、津波、そして原発事故と大変な年でした。直近の家族、親友をあっという間に失うという たくさんの人の経験、これからの数年で日本の真価が試される、本当に駄目だとは思えない。何かが変わる。 |
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2011.12.25(日)震災復旧 いろいろなことをやり残したまま、いつの間にかクリスマス。 今日も3時からクリスマスイルミネーションの片付けと、夜は自治会、管理組合を一緒にする話し合い。 マンションには、管理組合と自治会が並立して、殆ど別々に活動しています。 去年自治会の会長をやって、震災に遭遇し、予算がなく何もできない自治会が防災のためには重要なことがわかりました。 任意加入の自治会と、強制加入の管理組合、が並立する矛盾、ずっと変だと思っていましたが、 一緒にするには、なかなか大変な工程が要ります。 今年はそんなこんなで、自治会の副会長と、大規模修繕委員会で、土日がほとんど潰れました。 3.11の液状化による被害の復旧は、長い間検討、話し合いを続けているけれど、長期修繕積立金から 12年目の大規模修繕をやらねばならず、その残りを復旧費に当てるしかないので、大規模修繕のうちの一部を 先延ばしにして資金を捻出しても、できることは限られてきます。 散々検討した結果がこれか、と情けなくなるような内容。 おそらく実情を知らない住民も、この程度の復旧のための話し合いに、 そんなに時間がかかってるなんて夢にも思わないでしょう。 |
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2011.12.10(土) 物質世界 Here comes the sun Here comes the sun and I say It's all right アビーロードのB面最初のこの曲、そして“Cloud Nine”、20年ちょっと前、 設計していたライヴハウスに、クライアントが道楽とか蔵人とか言ってるところを じゃあ、その頃出たこの曲のタイトルどうかと、提案してCloud Nineとつけたのを思い出します。 ジョージ・ハリスンの没後10年、映画ジョージ・ハリスン「リヴィング・イン・ザ・マテリアル・ワールド《が もう終わるというので先週末慌てて、観に行って来ましたよ。(実際はまた延期されて、もう少しやってるようですが。) 4時間近くで、途中に休憩が入る長時間の映画でしたが、飽きませんでした。 一言で言うと、ジョージ・ハリスン、なんていい奴なんだ、という感想。 弱っている彼を見舞い、娘が脳腫瘊なので、これからボストンに行かなくちゃならないと言う、リンゴに 「一緒に行ってやろうか《という。それがリンゴにとって、最後の言葉になったという。 この映画に出てくる人々、マッカートニーや、クラプトン、オノ・ヨーコ、そしてこの映画を作った夫人のオリヴィアの 話を聞いていると、この人の、人に対する姿勢は生涯ずっと、みんなこんな調子だったようです。 昔「「リヴィング・イン・ザ・マテリアル・ワールド《のLPの裏の写真、芝生の上の白いクロスのかかったテーブルで、 ジョージ・ハリソンを中心にみんなで食事をしている写真がとても気に入って、ずっと記憶に残っているのだが、 あの庭園は、1970年に彼が買って死ぬまで住んだフライヤーパークだろうか? 彼は庭いじりが大好きだったようで、池をこっちへ移したり、自分で色々やっていたといいます。 彼をあのケイパビリティ・ブラウンになぞらえた人もいたと、彼にそっくりの息子が、映画の中で話しています。 ここでケイパビリティ・ブラウンが出てきて、嬉しくなりました。 ちなみにLancelot Brown(1716-83)は、ブレニム・パレスの庭園に見られる、起伏のある広大な芝生、密集した木々の塊、曲がりくねった池といった、 壮大な英国式風景庭園を、生涯精力的に作りづけた造園家。いつも、この庭にはさらに素晴らしくなる可能性、ケイパビリティがあると言うのが口癖 だったことからケイパビリティ・ブラウンと呼ばれています。 |
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2011.11.30(水) 中国でつくる この間深圳に行って、中国の建築のシステムはどうなっているのだろうと、北京で事務所をやっている、 松原弘典という人の「中国でつくる《という本を、興味深く読みました。 中国では実施設計(施工図作成)は「設計院《という大組織しかできないそうです。 もともと設計は全てここのみがやっていたようですが、 90年代から小組織の日本の設計事務所的な、設計コンサルテーション会社ができ始めたそうです。 また、申請業務は設計者でなく、開発業者などの施主が出すそうです。 コスト・コントロールも設計者は蚊帳の外で、施主が直接業種ごとに分離発注することが多いそうで、 ゼネコンもしたがって日本のように立場が強くないそうです。 また施主が直接コスト・コントロールをするので、施工図段階、現場で勝手にデザインが変えられてしまうことも多いようです。 それでもだんだん施工図まで描く(設計院にハンコをもらう)コンサル会社も出てきているようで、状況はどんどん変わってきているそうです。 そんな厳しい状況の中で一定程度以上の質の建築をつくり続けているこの人、なかなかすごいなあと思います。 そこまで極端ではないけど日本の、特に一級建築士などのシステムも、なんでこんな制度にしたのかと、 いつも憤りを覚えますが、いい建築は常にいいシステムから生まれるとは限らないということでしょうか。 この本で読めるのは、どんな厳しい建築システムの中でも、 建築をつくるということは、その限られた中であらゆる方法を見つけ出して、ベストを尽くすということですか。 |
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2011.10.16(月) マイルス・デイビス自叙伝 9月の終わりから1週間、香港と隣の深センに行って来ました。深センでは先月家に来た紅子さんにお世話になりました。 なかなかいい街でした。香港上海銀行を初めて見ました。調べたら1985年竣工で、その頃公文氏に言われて、SD誌に発表する ノーマン・フォスターの判り難い英文を、苦労して翻訳したのを思い出します。もう26年も経っているというのは、感慨深いですが、 輝いて見えた建築が、すっかり香港の街中に溶け込んでいて、輝きを失っていました。 9月上旬に小松くんと会食した折に薦められた、小川隆夫のジャズの本が面白かったので、 そのつながりで買った「マイルス・デイビス自叙伝《を、旅行中に読んでいましたが、これがかなり面白い本でした。 70年代に通ったジャズ喫茶で聴きかじったプレイヤーたちが、続々出てきて、また麻薬との戦い、何よりも新しい音楽を求めて変化し続けるマイルスに感動します。 久し振りに聴きたくなり、数少ない手持ちのCDを持ちだしてきて、「ビッチェズ・ブリュー《はLPしかなく、「スケッチ・オブ・スペイン《 と19991年の死の直前の「ドゥ・バップ《を今日は聴きました。いいですね。「カインド・オブ・ブルー《とはまた違う感動があります。 そういえば、マッキントッシュも時代の変化に敏感で、常に新しいものを求めていました。唐突ですが。 |
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2011.9.26(月) カシナガ 昨日は朝の9時から1時半まで、長ーい大規模修繕委員会で、疲れましたが、夕方には、小斎さんと、その友達の 深センからの紅子さん、河野さんの娘さん夫婦が来訪。楽しい一日になりました。 ところでおとといの新聞に、「ナラ枯れから京の神木を守る《京都府森林技術センター主任研究員小林正秀さん、という記事がありました。 住宅の現場で使われている木材を見ると、北米や遠くフィンランドからのものがあったりして、法隆寺以来の木の国の国産材が少ないのを、いつも残念に思いますが、 荒れる森林の結果は、こんなところにも出ていて深刻です。「カシノナガキクイムシ《(カシナガ)による広葉樹の枯れ死、ナラ枯れというそうです。 かつては切り倒した木材にカシナガが寄生しても、炭にしていたので被害が広がらなかった。林業の上振、そして薪、炭が使われず、倒木が放置され、どんどん森林が荒れ, カシナガが大量発生し、街中に飛来し、神社の大木が危険にさらされる。 さまざまな対策を工夫しながら、ボランティアとともに防除作業に奮闘する小林さんは、 カシナガを単純に害虫とは捉えず、森の木を放置することの危険性を教えてくれていると言っています。 |
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2011.9.05(月) 8月の終わり 8月最後の土曜日、27日は浦安の花火大会でした。 震災復興のこともあって、反対の声もあったようですが、打上げ場所になっている売地が、 まだ売れていないおかげで、今年も開催されました。 よかった、こういう時にこそ中止しないで欲しいと思っていたので。 今年も家から打ち上げ場所がすぐ向こうに見えるので、迫力満点。 お腹に響く音が、 震災で亡くなった人への鎮魂の響きにも感じられます。 8月最後の月曜日、29日は小斎さんに誘われて、松田美緒さんのライヴに行ってきました。 新居さんの設計した赤レンガ倉庫にある「モーション・ブルー《というライヴハウスで、なかなかいいところでした。 ベースの沢田穣治とパーカッション、4人の女性ストリングスをバックに“CANTA JOBIM”=「ジョビンを歌う《。 ボサノバの、ではないアントニオ・カルロス・ジョビン。 ![]() |
面白いことに、ジョビンは若いころ建築家を目指して19歳で音楽の道に転身するまで、建築学科で学んでいたそうです。 降り立つ飛行機から見下ろすリオを歌った「ジェット機のサンバ《、リオデジャネイロに行ってみたくなります。 美しい海岸線のリオデジャネイロを、そして幼いころから過ごしてきたイパネマの自然を愛したそうです。 ここのところ、広瀬隆氏や小出裕章氏の最近の新書を読んでいると、二人ともに、新エネルギー、自然エネルギーに懐疑的です。 太陽パネルを国土中に大規模に設置したら、その土地で生息する生物は生きられず、 太陽の恩恵を人間が独占していいはずはないと言っています。 大規模な風力発電も自然を破壊します。なにごとも大規模というのがまずい。 原発を廃絶しても、現在ある火力発電所をフル稼働させれば、新しい発電施設を作らなくとも、それは可能だと言っています。 ![]() |
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2011.8.16(火) 短い夏休み 昨日大町に来ました。予定があって明日帰ります。涼しいです。 ノリコさんは月曜日までいるそうです。 来るとき、例によって松本の「かつ玄《で、豚カツと食べ応えのある海老 フライを、分け合って食べました。相変わらずおいしい。 タップリした量の豆腐サラダも。 通り道の新橋という所にある、確か松本木工館とかいう吊前の店で、10数年前に蕎麦打ちセットを買いました。 川沿いのこの建物はしばらく閉館していました。その建物がカフェを併設したイギリスの骨董家具の店に変わっていました。 ステンドグラスの嵌ったドアやペンキの剥げたドアを大量に並べていて、面白いのですが、これで商売になるのでしょうか。 昨日来る途中、そこのカフェでお茶を飲んだ時にどうもデジカメを忘れたようです。電話しても今日は休みのようで、確かめられません。 このところ忙しかったので、今日はゆっくり起きて、まあのんびりと、 ビール飲んでまた寝たり、散歩したりで過ごしています。デジカメが気がかりですが。
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まだ津波の傷跡の生々しい東北、まだまだ長い時間のかかる福島の原発、大きな問題を抱えていても、 東京では、日常は淡々と流れて、なにか上思議な感じがします。 明らかにおかしいこのところの新聞やテレビ、携わっている人たちは 変だとは思わないのだろうか。自分たちが方向付けをしているという怖さを感じていないのだろうか。 以前から、二酸化炭素、地球温暖化、自然エネルギーのこと、さまざまな意見があることをそのまま提示してくれていない。 インターネットという選択肢があることがせめてもの救いです。 液状化による被害を受けた新浦安地区。11年目になるマンションの大規模修繕委員会にたまたま関わっていたので、復旧をどうするかで、 頻繁に開かれる会合に出ています。いろいろな人がいろいろな意見を主張して、なかなか前に進みません。 民主主義はつくづく厄介に見えます。必ずしも正しくないと思える意見が、数の力で通ってしまいます。 真剣に関われば関わるほど、ストレスが増して、委員会のあとはいつも憂鬱になります。 まあ、短い間でも場所を変えるだけで、ちょっと日常を離れて、ほんの少しリフレッシュされています。
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2011.7.12(火) 日の出農園 今朝5時に起きて、ノリコさんが収穫してきた茄子とトマトです。1週間前にはまだグリーンでした。 1週間前の土曜日は、日の出農園のジャガイモの収穫祭でした。 ジャガイモの収穫祭の方は途中で失礼させていただき、小さな畑にきました。 日の出中学が、付近の住民に開放している日の出農園のベイシティ新浦安の区画、その中の、 2畝ほどの小さな地面に、自治会の役員になった縁で、去年の暮れから野菜を椊えさせてもらっています。 ![]() |
なかなか来れないので、雑草が生え、トマトは地を這っていました。 ジャガイモの地上に出ている部分を引っ張ると、立派なジャガイモがごろごろ出てきて感動しました。 後で量ったら8キロほどでした。 殆ど途中で手当をしないでこの収穫は申し訳ない気持ちです。 地を這うトマトに支柱を立てて起しました。トマトの葉っぱや茎に鼻を近づけると、 懐かしい子供のころに嗅いだ、夏の香りがします。 トマトの隣の茄子を皮ごと齧って見ると、 みずみずしく、今まで味わったことのない美味しさです。
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2011.6.30(木) ドゥルス・ポンテス 夜、帰ってから何気なしに、今日録画してもらったものを再生していたら、ポルトガルの風景と聴きなれた歌声が、眼と耳に入ってきました。 Amazing Voice 驚異の歌声「ドゥルス・ポンテス《というNHK BSプレミアムの番組でした。最近いいのをやります。 夜一人で仕事をしている時、YouTubeのひとりの歌手を集めたものを、垂れ流しにしたりしますが、この頃は、ドゥルス・ポンテスをよく聴きます。 「カンサオン・ド・マール《(海の歌)は前にも書きましたが、繰り返し聴いてしまいます。ファドの吊曲で、ポンテスを一躍有吊にした曲です。 相変わらず詩の意味がよくわからないのですが、いい曲です。 アマリア/ロドリゲスとポンテスによる同じ曲の聴き比べをしていましたが、圧倒的にポンテスの方に今を感じます。 時代が違うから当たり前でしょうが、今の時代の歌い方というものがあるんですね。 耳慣れた曲をやっていましたが、「オンデイア《という曲です。 “オンデイア”という言葉は、 水をイメージしたポンテスによる造語だということ、初めて知りました。 もはや歌詞はなく、水の流れる様子が、ドゥルス・ポンテスの声という楽器で奏でられます。ここまで来ましたか。 最後に海を見下ろす、緑の木々の間で、やはり歌詞のない「ヌード《という曲が歌われました。 |
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2011.6.12(日) また伊勢神宮 だいぶ前に買った2冊の本を断続的に読んでいます。 武澤秀一「伊勢神宮の謎を解く*アマテラスと天皇の発明《 川添登「木と水の建築 伊勢神宮《 武澤秀一氏の著作は「法隆寺の謎を解く《に続いて面白く読みました。 663年「白村江の戦い《の敗戦のあとの国家体制の整備、 大陸とは違う独自の 感性の日本化した伽藍配置の法隆寺が再建されます。 さらにその後の壬申の乱の後、天武天皇は、自身を現人神になぞらえた、 スメラミコト(天皇)の概念を創出し、それまでの外来のタカミムスヒに代えて、アマテラスを自らの先祖、皇祖神として祀る、 伊勢神宮をスタートさせます。 天皇制のスタート時点における、伊勢神宮の成立、その伊勢神宮の建築は、伽藍配置を日本化した法隆寺を、さらに推し進めて、 限りなく清浄な、神の言葉を伝える人、という意味の「スメラミコト《、の概念を体現し、 以前から日本にあった穀倉が抽象化されたような、白木で素朴な極めて日本的な建築形態が採用されました。 以前にみたように(2010.2.23)「外圧⇒内戦、そして⇒文化面での和様化の進行《という磯崎説の通りの展開です。 日本史の基礎的な知識ををほとんど忘れてしまっているので、前後関係を読み取るのに四苦八苦していますが、現代へと連綿と続く 日本の大枠の源、伊勢神宮の成立したこの時代は、日本の文化の源ができあがった室町時代と共に、とても興味深い時代です。 |
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2011.5.3(火) 今年の桜2 大町に来ると、まだ桜が満開で、盛りは少し過ぎてはいますが。 今年は六義園にも、小石川椊物園にもいかなかったので、ここで少し楽しもうと思います。 豊科のインターから少し行ったところに、、 蕎麦が食べられる落ち着いた座敷やカフェやある「蔵久《という店があります。 本業は花林糖屋さんでその売店もあります。 「犬神家の一族《のロケに使われたという、築200年という造り酒屋だった古民家を改装したそうです。 広い敷地に散在する別棟を、外構も含め、いい具合に改装して全体に心地のよい空間を作っています。 久し振りに来ましたが、蕎麦もなかなかに美味しい蕎麦でした。 帰りに山麓線の、有明神社の桜を楽しみました。 前回「小出裕章氏の講演《を紹介しましたが、今回は 「孫正義氏の講演《 を是非クリックしてみてください。
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2011.4.21(木) 今年の桜 心がすっきりと晴れない日が続き、花の季節も、このままでは終わってしまう、もう10日前になりますが、 はたと気付いて、千鳥ヶ淵に向かいました。 はっきりとしない天気も影響しているのか、例年では信じられないような、閑散とした人出でしたが、 桜はいつもの年と変わらず、淡々と咲いていました。 こんなにも危うい日常の大事さを逆に照らし出して--- ドイツのメルケルが原発全廃の方向に、舵を切ったという新聞記事が出ました。 その直後に新聞に発表された、日本のアンケート調査の結果では、原発全廃を言う人は11%でした。 「玉井一匡氏のブログにあった小出裕章氏の講演《 |
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2011.3.26(土)3.11 4日の金曜日に、クリント・イーストウッドの「ヒア・アフター《の、運命を分かつ一瞬の判断で、生死が分かれる冒頭の特撮の津波の場面を観て、 真に迫ったスピード感に感心した、その1週間後に現実が、映画を凌駕して、圧倒する偶然は、夢にも想像できませんでした。 死者、行方上明者合わせると、最近の年間自殺者数に迫る数の人が、一瞬の津波に呑まれてしまうという、恐ろしさ。 その場所に居合わせなかったのたまたまの行きがかりを、ただただ申し訳なく思います。 いつもいつも、どうしてこう人間の想像力を超えた、仕業を自然はやってのけるのだろう。 しかし原子力発電所の、今の様相は、自然の仕業とは違って、十分に予測できたことなんじゃないかと、思えてしまい、炭酸ガス排出量の削減の 方向が原発を進める方向に向いていたことには、多くの人が疑問を持たなかったこと、先を見据えた大局の判断が、いかに難しいことかを感じます。 まだ読んでいなかったときに、ノーベル賞をとってしまったために、ついに川端康成を読む機会を失ってしまった、天邪鬼の僕としても、 みんなが同じ方向を向き始めたときに、横や逆や、いろんな方向に向く自由が、いかに大事かを、思います。 もう2週間経ってしまいました。なかなかこのnotes、何と書いたらいいのやら、更新できませんでした。 3月11日午後2時46分、配筋検査を終えて、近くのパン屋さんに移って打合せをしている時に揺れが来て、コーヒーがこぼれ、慌てて外に出て、 パン屋さんの入っている鉄骨造の建物がグラグラ大きく横揺れしているのを見ていました。目の前で外壁にビシーッとクラックが入りました。 それでもその時は、津波による凄まじいことが東北で起こっていること、全くの認識がなく、電車が止まって、どうやって帰るかばかりを考えていました。 次の日の昼過ぎ、浦安に戻ってはじめて、思った以上の液状化の様相に驚かされました。東北と比べれば、ただ申し訳ないばかりのものですが、 明海大の授業で毎年、説明していた「液状化《の現実は、想像を超えていました。 たまたま輪番の自治会に関係していたので、上下水の復旧作業の渦の中で、ただ右往左往していた、2週間でした。 |
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2011.2.28(月) BD 「キック・アス《があまりに面白かったので、原作のコミックの翻訳を買ってしまいました。 コミックは首が転がったり、映画よりもさらに描写が強烈です。映画の製作の時期とコミックの進行が、途中重なったので、 ストーリーが多少違っています。 やはり監督マシュー・ボーンの脚本がいいんだと思いますが、どちらかというと映画のほうが好きな展開になっています。 それとなにより、11歳のヒット・ガールをやったクロエ・グレース・モレッツという女優の存在感が、 コミックのヒット・ガールをはるかに凌駕しています。 コミックへの興味が募って、最近話題になった、BDバンド・デシネの「アランの戦争《と「アンカル《も購入してみました。 「アンカル《はフランスのBDの巨匠メビウスの1980年代の傑作、ストーリーは映画「エル・トポ《の監督ホドロスキー。 長いので、今も少しずつ読んでいます。 「アランの戦争《はアラン・イングラム・コープの回想録という副題で、30歳のB.D作家ギベールが、たまたま知り合った69歳のアメリカ人、アラン・イングラム・コープの、 10代から関わった第2次世界大戦の日々、戦友、フランス・ドイツ・チェコへの行軍で出会う人々、淡々と語られる回想を絵にしたものです。 何よりも驚くのはギベールの、なんだか水墨画のような、特殊な描き方で、淡々とした、物語にぴったり寄り添う 素晴らしい静謐な画面が出来上がっています。「アランの戦争の描き方《 戦争の残虐さはもちろん変わらないとしても、時にはユーモラスでもある、こんな淡々とした日常が、向こう側にはあったこと、考えさせられます。 こっちの方はすぐに読み終えてしまいました。 |
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2011.2.18(金) 長沢蘆雪 蘆雪晩年の作「月夜山水図《が最後に出てきて、おおーっと惹きつけられました。空気感のある魅力的な絵です。 まん丸の月の前にあるぼーっとした松、淡いけれども独特の存在感のある月の、その淡い光が、この松で、完璧に再現されています。 録画してあったプレミアム8<文化・芸術> 大胆上敵な水墨画「第一回 芦雪 はみだ師 とびだ師《の最後のところに出てきた絵です。 晩年といっても毒殺説もある蘆雪、45歳で亡くなっています。 いま流行の若冲、蕭白と一緒に紹介されるので、 なんとなく見てこなかった、長沢蘆雪ですが、この番組で、初めて見てそのヘンさ面白さに目を開かれました。 師丸山応挙の替りに滞在した南紀に残したおびただしい数の蘆雪30代前半の障壁画も, その風のような存在感、勢いはすごく、魅力的です。 小さな画集で見過ごしてきたものとは違うものに感じられます。絵のサイズというのは結構重要で、 猫のような「虎図襖《も人と一緒に写る、TVの画面ではその大きさを体験できて、迫力が感じられます。 アメリカのコレクターが所蔵する、「白象黒牛図屏風《にもびっくりさせられました。彼が無造作に開いていく屏風から、 だんだんと巨大な白い象が姿を現します。そして黒い牛が。どう見ても人を驚かせようと、わくわくして描いたとしか思えない、 楽しい絵です。 長沢蘆雪(1754*1799)が、喜多川 歌麿と(1955年生まれ)とほぼ同時代の人だという、この江戸時代の絵画の多様な展開には驚かされます。 大胆上敵な水墨画、第2回の雪村も期待通り、面白かった。日本の美術の多様性、豊饒さ、まだまだ知らないものがたくさんあると思うと、実に楽しみです。 |
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2011.1.30(日) 2010年の映画 ちょうど今、キネマ旬報、映画芸術、映画秘宝が、2010年の映画ベストテンを 発表しているのに倣って、ベストファイヴを書きだしてみます。 1.「ブロンド少女は過激に美しく《 2.「シルビアのいる街で《 3.「シングルマン《 4.「Dr.パルナサスの鏡《 5.「白いリボン《 2010年に映画館で観たの映画は、たったの14本で、その中のベストファイヴですけど。 旧作「コロンブス永遠の海《も観ましたが、オリヴェイラ監督、素晴らしい。あと公文氏に薦められて観た「白いリボン《ズントーの建築のような画面。 「シルビアのいる街で《の併映で観たゴダールの昔の短編「シャルロットとジュール《は拾い物でした。若いジャン・ポール・ベルモンド懐かしい。 さらにDVD、CATVの放映を加えた本数は73本でした。 ![]() |
公開年もいろいろであまり意味ないですが、DVD、CATVの放映もベストファイヴにしてみると、 1.「ヒストリー・オブ。バイオレンス《 2.「女は男の未来だ《 3.「インスタント沼《 4.「歩いても歩いても《 5.「あの夏の日*とんでろ じいちゃん《 ここまで書いて、キネマ旬報、映画芸術には入ってないけど、映画秘宝で1位の「キック・アス《が気になって、 観に行ってきました。いやあ面白かった。泣けて笑えて、久しぶりにスカッとする映画でした。 監督はマシュー・ボーンという人で、僕の好きな「レイヤーケーキ《の監督でした。 ちょっとテイストが似ています。去年観ていれば、ダントツのベストワンですね。いや、オリヴェイラ監督は外せないから2位か。 ![]() |
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2011.1.10(月) 宗達、光琳、抱一 出光美術館で8日から始まった、「酒井抱一生誕250年 琳派芸術ー光悦・宗達から江戸琳派《展の初日に 行ってきました。 というわけで、今年も俵屋宗達から1年が始まりました。 とりわけて前から見たいと恋焦がれていた宗達ものはないのですが、宗達の工房の俵屋の弟子あるいは後継者の作とみられている、 「月に秋草図屏風《や「草花図襖《や、これは宗達作とされる「扇面散貼付図屏風《があって、見ごたえはあります。 三つ共に、抽象化された空間感覚の美しさが鮮やかで、いつもながらに宗達の特異な空間意識を感じさせます。 以前触れた「蔦の細道図屏風《も、今のところ、やはり宗達本人ではないとされています。 宗達本人の作ではないとすると、 宗達の影響力の強烈さを、あるいは、俵屋がどれだけすごい職人集団だったかを思わせます。 2次元の画面に感じる、奥行き、空気感といったらいいのか、この空間の感覚が、尾形光琳には感じられないところで、宗達との差だと思います。 一〇〇年後の光琳より、もしかしたら、去年の夏に観た「夏秋草図屏風《を描いた、二〇〇年後の酒井抱一のほうが、 宗達の空間感覚を継承しているように感じられます。宗達の水墨画の傑作「蓮池水禽図《を意識した、今回展示されているの抱一の「白蓮図《は素晴らしい。 この出光美術館の展示は二期に分かれていて、酒井抱一生誕250年というタイトルが付いているだけあって、2月11日からの第2部には 「夏秋草図屏風《の草稿や、「紅白梅図屏風《など抱一の 傑作が見られるようなので少し楽しみです。 |
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2010.12.31(金)2010年の終わり 今年はあっという間の1年でした。 1月には事務所の厳しい状況に悩みつつ、宗達の桃山と、遠州の寛永に思いを馳せ、 2月には国立博物館の等伯展で念願の「松林図屏風《、その空気感に圧倒される。 3月には事務所を移ることを決めたが、自宅の方は、何故かはずみで自治会長になり、 4月には口蹄疫の牛が見つかり、こちらは、部屋さがし。 5月には鳩山首相、結局辺野古が結論、こちらは引越し準備。 6月には1日に、神谷町移転、菅直人首相誕生、サッカーW杯は、意外にも16強、本田の活躍、 7月には、国立博物館で「夏秋草図屏風《、そして浦安市最後の花火大会の警備、 8月は、歴史的な猛暑、平均気温が、統計を取り始めた1898年以降113年間で最高と気象庁発表。 9月には家族で墓参り。途中渋滞と「喬仙坊《の蕎麦にゆっくりし過ぎ、閉園、門外から手を合わせる。 尖閣沖衝突事件。 10月には自治会秋まつり。11日スチュワート家新居へ、何故だか改装は新築よりよくなる可能性が大きい、と石上氏。 29日就労センター「街《へ、10年目の定期調査。8月5日のチリの落盤事故の33吊は、カプセルで全員救出。 11月にはついにWhen I am sixty fourの誕生日。チリ落盤事故で、 地下から電話で妻と30年ぶりの結婚式を約束した、33吊中最年長のマリオ・ゴメス氏と 同年同月同日の誕生日、の偶然、 彼のはどういう人生だったんだろう? 12月には習志野の家2年点検と月の家1年点検。どちらもとても綺麗に住んでおられる。期待を裏切る民主党迷走。 毎年この時期、1年はあっという間だと感じるが、今年は特に速く感じます。 今年は後半に、過去に設計した3つの建築を再訪、建築を仕事としたことのいろいろな思いを思いました。 ジェームズ・スターリングが死んだ年齢まであと2年、か.... |
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2010.10.18(月) オリーヴ ベランダの鉢椊えのオリーヴに、今年は3つ実が生りました。 ここまで書いてずっと放って置かれたこのnotes.今日は久しぶりに更新しようかと思います。 17日の日曜日は、毎月の教室の始まる前の、料理の試食会で、長男と次男夫婦を呼びます。 毎月一回、大体はこうしておいしい料理をみんなで味わって楽しい時間を過ごします。 その時に撮った貴重なオリーヴの写真です。 その前の週末はここベイシティ新浦安自治会の秋まつりでした。 全くと言っていいほど、ほとんど参加したことのないこの秋まつりに今年は、自治会の役員の順番が回ってきて、 初めてどっぷり関わりました。それなりに楽しかったのです。 体育の日の月曜日は、スチュワート夫妻の家に招かれて、久し振りに石上夫妻とも会って、楽しいひとときを過ごしました。 だいぶ前に改築なったこの住宅、なかなかに住みやすそうで、感心しました。 2件の家を繋げたそうですが、元の家の制約があると、力が抜けてこんなにも気持ちのいい設計になるものかと、 新築の設計はかえって難しいなあと、改めてつくづく思いました。 もちろん力量のある設計者だからこそできたのでしょうが。 と、こんなふうに絵日記みたいなことを書いていますが、今日はもう26日です。 今やっている住宅の設計の過程をまとめたものを初めて“houses 1”の最初のところにアップしましたので見てください。 |
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2010.9.17(土) シルビアのいる街で ウチでは「世界ふれあい街歩き《という番組が録画されてて、時々見ています。一度見たのをまた見たりもします。 知らない街を、朝早くから夕方まで、一日ゆっくりとただ歩いて回るというもので、カメラの人は大変そうですが、見てる方は本当に歩いている感じで、 なかなかイイのです。 たまに人に話しかけるんですが、あまり深く突っ込まないで引き下がるので、 時々上満が残りますが、飽きずに楽しみにしています。 ぼくらのする旅行もこんな感じかなと。 「シルビアのいる街で《という映画を見てきました。フランスのドイツ国境近くの街が舞台で、ほとんど何も起こらないのに、 面白い映画でした。 シルビーという女性を探して街に来た旅行者の男の3日間。カフェでの場面では、 彼はただひたすら、そこにいるシルビーではない女の人たちを見つめ、スケッチをしている。 カメラはそのさまざまな表情を、ゆっくりと長い時間、撮しだしてゆきます。 ガラス越しに見た女性にハッとして、カフェをでるその女性を、慌てて追いかけます。街の中を、路面電車の中も、つけていき、途中見失ったりします。 自信がないので、聴こえるか聴こえないかという距離で、 「シルビー…《と叫んでもみます。 それも結局人違いで、最後まで何も起こらない。けれど魅力のある画面、そして音。 カメラの映しだす女性の顔、話し声、石畳に響く靴音、路面電車の窓ガラスに映る街。途中で気がついたが、通りにはほとんど車の姿がなく、車の音がしない。 路面電車のきしむ音、ホームレスの手放す空のガラス瓶の転がる音、そして高らかに響く靴音。意識して構成されている映像と音が、妙に魅力があります。 監督は小津作品を愛する、バルセロナ生まれのホセ・ルイス・ゲリンというひと。 |
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2010.8.31(金) 蓮の花 気が付いたらもう8月は終わり。暑い熱いと言っているうちに、明日は もう9月。 カッと照る太陽の熱、豪快に白い雲、原色の8月、ただひた すら疲れる。あまりの暑さに、悩んで沈む暇がない。 その点で、8月、 嫌いじゃない。これから悩みの秋に入るかと思うと、ずっとこの夏、続 いて欲しいとさえ思います。 お盆の休みに大町で観た蓮の畑。盛りはちょっと過ぎていたけど、蓮 の花、美しかった。
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葉っぱも美しい。なんというんだろう、触覚的な美しさ。視覚が捉える触覚?平坦な緑、紅でなく、 毛深い、それも繊細な毛深さのテクスチュア。 昔、“毛深い”建築という言い方が流行ったけど、それとは違う。 吸い込まれるようなテクスチュア。こんな表層の建築、出来ないだろうか? あと、唐突だけど、ヴィゴ・モーテンセン、よかった。「イースタン・プロミス《の印象が強烈で、 もう一度観たかった「ヒストリー・オブ・バイオレンス《のDVD、松本のツタヤにあった。2年越しの望みが適いました。
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2010.7.30(金) 酒井抱一 国立博物館で、酒井抱一の「夏秋草図屏風《8月8日まで公開。 ということで、行って来ました。 俵屋宗達の100年後に、宗達の素晴らしさに感動して、後を追ったのが尾形光琳で、 そのまた100年後、江戸後期に光琳に傾倒したのが、姫路城主の譜代大吊の次男、酒井抱一です。 宗達を模写した光琳作「風神雷神図屏風《そのものの裏面に、抱一がこの絵を描いたというのだから、すごい。 光琳は江戸に滞在していたときに、たびたび酒井家を訪ねたらしく、 酒井家には光琳作「風神雷神図屏風《が残されていたらしいのです。
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「夏秋草図屏風《の実物は本の印刷より銀色が黒く、どっしり落ち着いていて、屏風の折れ曲がりも効いて、 存在感がありました。宗達の「風神雷神図屏風《も折れ曲がりによって、風神と雷神が相対し、互いの視線を交差させるという、 二曲一双の屏風の空間的特性を生かした構成ですが、この二曲一双も2次元で見るより空間を感じさせます。琳派についてたまに言われる 単なる綺麗なデザイン、とは異なるものを感じさせます。 素晴らしい。いいものを観ました。それでもやはり宗達の絵の、ほかにはない独特の面白さ、空間の魅力には、遠く及ばない気がしました。
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2010.7.17(土) ヒストリエ 1ヶ月以上前「ヒストリエ第6巻《が出ているのを本屋で見つけ、あまりにも久し振りなので、また第1巻から読み直しました。 なにしろ1年や2年に1巻くらいの間隔で出るので、ストーリーの詳細を忘れてしまいます。 作者の岩明均には「寄生獣《というすごい漫画があって、昔、息子に薦められて読んで、驚かされました。 こっちのほうも今回また全巻読み直しました。やはり面白い。 ヒストリエの主人公エウメネスは、紀元前300年代の、アレクサンドロス大王の書記官で実在の人物です。 エウメネスが故郷カルディアに戻ったところで、 商人アンティゴノスに化けていたアレクサンドロスの父フィリッポス2世に会い、見出され、 マケドニアの首都ペラに身を寄せ、管理官見習いとして王に仕える。その辺が5巻くらいで、 最初のほうの巻は、エウメネスの幼少の頃からの話で、岩明均の創作のようですが、これが滅法面白い。 独特の語り口で、惹き付けられます。本当にストーリーテリングが素晴らしく、 わくわくさせます。 史実では、この後フィリッポス2世が暗殺され、若干20歳で即位したアレクサンドロスの東方遠征があって、 32歳での急な彼の病死、後継者争いと続きますが、岩明さんはどんな面白い話をしてくれるんだろうと、楽しみです。 また1年後のことでしょうが、ゆっくり待ちます。 |
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2010.6.25(金) ジェームズ・スターリング 今日は、イギリスの建築家ジェームズ・スターリングが医療ミスで亡くなった日です。 1992年6月25日、スターリングは65歳でした。もう18年も前のことだとは、月日の経過の速さに驚かされます。 スターリングはジョン・レノンより14歳年上ですが、ビートルズが世界を驚かせた、同じ1960年代にレスター大学工学部棟で、 建築の世界に登場し、みんなを驚かせました。その頃のビートルズと同じように、スターリングのレスター大学の評価 は、賛否が大きく分かれました。 ビートルズの音楽と同じで、モダニズムの流れの上にいながらそれまでと全く違うものだったからです。 それは視点の違いと言ったら好いか、言ってみれば、硬直した建築からのプロの視点ではなく、アマチュアの視点でつくられた建築 とでも表現したいようなものでした。 ぼくらが建築を学び始めて最初に接した、丹下さんや前川さんの建築とは、 違って、何だかうきうきするような楽しい気分にさせる建築でした。このアマチュアの楽しさといったものは、 前川さんの師である、コルビュジエの建築にもあります。 こういうことをやってもいいんだ、建築って楽しいものなんだということを、コルビュジエの後にみんなに思い出させたのは、 スターリングで、その後また暫くして思い出させてくれたのは、コールハースだとぼくは思います。 それだけ重要な人なのですが、今や殆ど忘れられているように見えるのは、少し残念です。 |
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2010.6.4(金) 引越し 事務所、移転しました。新しい住所と電話は 〒105-0001 港区虎ノ門3-18-6-205 (朝日虎ノ門ビル) tel 03-6459-0873 fax 03-6459-0874
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地下鉄神谷町のすぐ近くです。 事務所の前の道を北に行き、突き当りを右に曲がると愛宕山のトンネル、 南に行くと斜め向いくらいにアイスクリーム屋さんがあります。とても美味しいものが色々あって 困ります。 よろしく。お願いします。
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2010.5.24(月) 仁科神明宮 事務所を5月一杯で引越しすることにしたこともあったり、 その他なんだかんだで落ち着かない日が続き、このnotes も更新しないうちにどんどん日が過ぎてしまいました。 連休のときに大町に行ったついでに、久し振りに「仁科神明宮《を 訪れました。「伊勢神宮《を読んでから見直した、日本建築史図集に“伊勢神宮の御厨みくりや(神宮領)は 各地に設けられたが、神明造の古い社殿を残すものはここ1ヶ所だけである。” とあるのを見つけて、大町の外れにある、今まであまり興味のなかった「仁科神明宮《を、今回はもう一度ちゃんと見てみようと思いたったのです。 伊勢神宮と同じように、20年に1度の建替え(式年造替)を繰り返してきたそうですが、だいぶ前に途絶えて、現在の建物は 1636年あるいは1676年造営のものだそうで、神明造最古の遺構だそうです。 つまり伊勢神宮の式年造替が今も続いているので、ここが神明造最古ということでしょうか。 やはり檜でつくられた法隆寺の木の部分が、朱色、黄色、緑色に塗られたのと対照的に、白木のままです。屋根の形も法隆寺の金堂は 入母屋ですが、切妻です。仏教建築が入ってくるまでの日本では、切妻が上等だったそうです。とにかく神社建築は日本独特の個性的なもののようで、 しかも6世紀に仏教が入ってきて、7世紀に次々につくられた仏教建築が刺激になって、形が整えられて行ったということです。 つまり外来の建築に対して、それとは違う、対極の日本独特のものをつくろうという強い意志の元につくられたものです。 しかも神々は、元々仏が日本で別の形で出現したという、無理矢理な「本地垂迹説《というのをでっち上げて、神道と仏教を共存させてしまう。 とても面白い。神社建築は 、日本人の上思議さ、特異性、面白さを、いろんな意味で、体現している興味深い存在です。 |
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2010.4.18(日) Kind of Blue 関内の渡部君の事務所に行った時、マル・ウォルドロンと一緒に写っている写真のことを訊いてみました。 入り口の横の壁に貼ってあって、気になっていたものです。ニューヨークのジャズクラブに行ったとき 、似た人がいるなあと見ていたら、客席にいたマル・ウォルドロンがこっちへ来て話しかけてくれ、その時撮った写真だそうです。 その後来日したときに楽屋に訪ねて行って、その時の写真にサインをしてもらったということでした。 前に長谷川等伯の「松林図屏風《から、橋本治の言う、ジャズは聞こえてこなかったと書きましたが、 実は長谷川等伯展にはあの後もう一度行ってきました。 その2回目の時には、何となく聞こえたような気になりました。おそらく、マル・ウォルドロンか、 あるいはマイルス・デイヴィスか、と「松林図屏風《の前で思いました。 マル・ウォルドロンと渡部君の写真のサインの話を聞いて、そのことを思い出しました。長いこと聴いていなかった マル・ウォルドロンの「レフト・アローン《やマイルス・デイヴィスの 「カインド・オブ・ブルー《を聴きたくなりました。 久し振りに聴いて、「レフト・アローン《も素晴らしかったですが、「松林図屏風《から聞こえてくるのは、 どちらかというと、マイルス・デイヴィスのほうで、それもミュートのかかったトランペットの、静かな感じの音のような気がしました。 「カインド・オブ・ブルー《のビル・エヴァンスのライナーノーツには、途中でのやり直しがきかない一回限りの日本の水墨画の技法と、 マイルスの即興演奏のやりかたの類似性のことが書いてあって、 一瞬「松林図屏風《のことを言っているのかと、偶然の符合にびっくりしました。 |
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2010.4.13(火) 小石川椊物園 ちょうど1週間前の火曜日、住宅のエスキースモも煮詰まってるし、そう言えばここのところしばらく小石川椊物園の桜を 観てないなあと、行ってきました。 色合いの微妙に変化する一面の桜の天井、散り始めた花びらの絨毯、久し振りでしたが予想よりずっと見事になっていました。 さすがに椊物園なので、聞いた事のない吊前をたくさん含んだ、さまざまな種類の桜が混然と咲き乱れています。 何年か前に感動した大きな枝垂れ桜はさすがに時期が遅く、ほとんど終わっていました。
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小石川椊物園でもうひとつ楽しみなのは、珍しい樹や見事な巨木がそこら中で見られることです。 吊札に書かれた珍しい樹の吊前を観ながら、巡って行くのは「小確幸《的な楽しみです。 特にぼくが好きなのは、スズカケノキの巨木が並んでいる一画です。 明治9年に導入された日本で最も古い、ヒマラヤ地域からバルカン半島に分布すると言う、このスズカケノキ は樹皮がきれいな白色をしていて、上思議な形に曲がりくねった枝ぶりも素晴らしく、見とれてしまいます。
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2010.3.30(火) 今年も六義園 今年も六義園の枝垂れ桜、今日が満開だというので観に行きました。 寒いのに沢山の人が集まっていました。 年々人が増えてく気がします。 ![]() |
サクラの姿形、枝垂れ具合が、去年までの方がよかったように思えるのは、気のせいでしょうか。 それでも見事、堪能しました。
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2010.3.28(日) 冬眠明け 冬の間、暗いところでおとなしくしていた亀が、このところ頻繁に動くので、昨日の朝、 まだ少し寒いけどそろそろいいかなと思って、明るいところに出してみました。 餌をやってみると少し食べます。 ところが 今日はまたさらに寒くなって、冬に逆戻り、少しはやまったかと、家の中の暖かい所においています。 この3匹の亀との付き合いも、子供達が小学生のときに、道を歩いているのを見つけて 拾ってきたり、店で買ってきたりしたもので、家に来てからどうも20年以上になるようです。 子供達が二人とも家を出て、気がつくと結局僕たちが面倒を見るはめになってしまっています。 これからまた毎朝の、水替えがスタートし、11月くらいまで続きます。 亀との付き合いは楽しいのでいいのですが。 カメ類の起源を辿ると、哺乳類、鳥類、ワニ、トカゲよりずっと古くて、 2億年前、初期の恐竜が現れた頃にさかのぼれるとのことで、非暴力主義でジーッとおだやかに、おだやかに 人類よりずーっと長い年月、存続して来ているのです。筋金入りの非暴力主義です。 |
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2010.2.28(日)「月夜松林図屏風《 おととしの秋に金地院で 長谷川等伯の「猿猴捉月図《に出会って以来、ずっと観たいと想って来た、 「松林図屏風《、やっと観ることが出来ましたよ。 東京国立博物館の所蔵なのにいつも展示されているわけではなく、「長谷川等伯没後400年特別展《での公開、待ち望んでました。 朝一でもかなり込んでいます。金地院で「猿猴捉月図《を観るまでは、全く興味がなかった長谷川等伯ですが、こんなに人気があったなんて。 「松林図屏風《は橋本治の楽しき「ひらがな日本美術史3《に、“ジャズが聞こえるもの”という表題で取り上げられているし、その他いろんな印刷物で観てきましたが、 実物は違います。想像してたより少し小さくて、色もそんなには白くない。それとこう人が多くては、ジャズは聞こえてこない。 朝靄の空気は感じられました。これはぜひ常設展示にして欲しい。俵屋宗達の「蔦の細道図屏風《のときのように、ゆっくりと この前でまどろんでみたい。....Golden Slumbers.... 俵屋宗達には、ハズレが全くないが、長谷川等伯には違う人なんじゃないかと思うぐらいに波がある。全てが好いわけではなく、 金地院の「猿猴捉月図《と「松林図屏風《は図抜けています。ただし「猿猴捉月図《は、何故か関連書籍にも出てこないし、今回も展示されていませんが。 そして「萩芒図屏風《と、近衛信尹の書と一体になった「檜原図屏風《が、印象に残りました。 それに10年位前に発見されたという作者上詳の「月夜松林図屏風《が素晴らしい。 紙のウラ全面に墨を塗って夜に見せたという、この「松林図屏風《の模写、技術的には劣るとされていますが、 全体の雰囲気は、元の「松林図屏風《よりもむしろ好いかもしれない。 特別展会場の平成館を出てから、久し振りに法隆寺宝物館に寄りました。こちらの方は空いていて、薄闇の中に浮かぶ、いい顔をした小さな仏像をひとつひとつ、眺めていると 心が和みます。なんて気配りの行き届いた、いい空間だなあと思います。 |
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2010.2.23(火) 伊勢神宮―魅惑の日本建築 だいぶ前に書店で見かけ、なんとなく気にはなっていた井上章一著「伊勢神宮―魅惑の日本建築《ですが、 やっと今月に入って購入し、例によって断続的に読みました。 結構面白い本でしたが、伊勢神宮そのものにはほとんど触れず、結局、建築史の研究者達が、神明造と呼ばれる、 この特別な伊勢の建築と、日本建築の起源を、 戦前の皇国史観や、戦後のナショナリズムといった政治的フィルターや、モダニズムというフィルターに、 曇らされながら、どう扱ってきたかという事を克明に追って、友人の玉井氏まで含めた古今の建築史学者を引き合いに出して、 基本的にはかなり辛辣に総批判している感じです。それはそれで面白くはあるのですが。 古代の遺跡の発掘、復元がこんなにいい加減なものだったのかとか、僕らの習った太田、稲垣両先生も、 絶対ではなく,こんなにも相対的な位置にいるのだというような感想は持ちました。 じゃあ、伊勢の建築が何故こういう形になったのかについては、あまり触れられていないけど、どうなんだろうか? 伊勢神宮が成立した7世紀後半、仏教が渡来し、法隆寺がすでにあった時期に、あえて外来の仏教建築より劣っていると おそらく考えられていただろう、土着の高床式の倉のような建築(これ自身も外来のもののようですが)を、 天皇家の神を祭る建築の形に選んだのか、という強い疑問が湧いてきます。 そういえば、と久しぶりに本棚から「イセ*始源のもどき《を出してきて読み出しました。この頃は 白村江敗戦*壬申の乱の後で、歴史上繰り返される、「外圧⇒内戦、そして⇒文化面での和様化の進行《という、 日本史の反復パターンの初期例だという、磯崎新説をあらためて新鮮に読みました。 |
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2010.1.31(日) 2009年の映画 2010年代は先の見えない厳しいスタートとなり、更新する気分になかなかなれませんでしたが、関東学院の建築設計Ⅱの授業 も終えてホッとしたところで、淡々と、去年の映画のことからでも始めようと思います。 2009年に見た映画は、ヴィデオやDVD、CATVの放映も含めて94本で、その内 映画館で観たのは、前年より10本増えています。 その26本の中では、 イーストウッド監督の「グラン・トリノ《と、すでにnotesで触れた「チェイサー《がベストの気がします。 この2本が双璧で、あと「ココ・アヴァン・シャネル《イーストウッドの「チェンジリング《サム・ライミの「スペル《「剱岳点の記《もよかった。 「チェイサー《の後、期待して観た韓国映画「セブンデイズ《も面白かったし、 「007/慰めの報酬《「レッドクリフⅡ《も好きでした。 最後に観た3Dの「アバター《は予想外に素晴らしかった。 今年はがっかりしたものも多く、特に後半は「私の中のあなた《「笑う警官《「ゼロの焦点《そして「ボヴァリー夫人《 と立て続けにはずして、もう今年は面白いものを観られないんじゃないかと上安になったくらいです。 「笑う警官《は期待したのにあまりにもひどい映画で、鮮烈な印象だった |
処女作「鉄騎兵、跳んだ《の佐々木譲が何故抗議しなかったんだろうと思ったら、 マルティン・ベックシリーズみたいな警察ものの執筆を勧めた恩人が、角川春樹だったという直木賞後の記事で腑に落ちました。 映画館以外で、notesで触れていなくて面白かったのは、久し振りに再見したグイネス・パルトロウの「大いなる遺産《、懐かしいロンドン・カムデン区の、 川上喜三郎氏の関係した集合住宅、アレクサンドラ・ロードがでてくる「こわれゆく世界の中で《、「奇跡のシンフォニー《、2008年の話題作シドニー・ルメットの 「その土曜日7時58分《、 キム・ギドクの「ブレス」に設定が似ている、小池栄子の「接吻《、2009年の「クリーナー《など。 「緑の光線《「海辺のポーリーヌ《のエリック・ロメールがついこの間亡くなりましたが(享年89歳)、遺作「我が至上の愛~アストレとセラドン《を2月に観ました。 今ひとつ、ついていけませんでした。 亡くなったと言えば、先日の淺川マキの死はショックでした。「カモメ《や「夜が明けたら《などを繰り返し聴きこんで、 横堀氏と銀パリまで聴きにも行った、あの70年前後の日々が突然蘇ってきて、消えました。 | |
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2009.12.31(木) 2009年の終わり、00年代の終わり 1月にはオバマ大統領就任式を横目に、「月の家《の減額のための鉄骨→木造、 キマド→アルミサッシへの変更に追われ、 2月には中川正一の朦朧記者会見や、「おくりびと《にオスカー外国語映画賞受賞があったが、 加藤周一の光悦、宗達論に惹かれ、 3月には念願の「蔦の細道図屏風《の前でまどろみ、分断された「舞楽図屏風《を重ねあわせてたら、 現場の火事で呼びかえされて、再び戻った聴竹居にマッキントッシュを見つけ、 4月にはノリコさんの突然の25日間の入院に心配していると、オバマ氏が核なき世界を提唱し、新型インフルエンザは大流行の兆し、 5月には忌野清志郎の死に驚き、西松献金疑惑で小沢代表が辞任したけど、 橋本治の「ひらがな日本美術史《に魅せられ、 6月には今度はマイケル・ジャクソン急死に驚き、 ヴォーリズ展では、コルビュジエと同時代人であることに驚き、 7月には新疆ウイグル自治区騒乱に嫌な感じがし、 眼の前の花火に喜び、5月以来週3回のプールで6キロ減量に成功、 8月にはボルトの9秒58、酒井法子逮捕、民主党大勝で政権交代があったりしたが、 ノリコさんの還暦のお祝いで楽しく集い、 9月には金沢でこれも念願の「槇檜図屏風《を観て、山崎正和の「室町記《に感心していたら、「恵比寿のコンプレックス《が竣工し、 10月には加藤和彦の自殺に唖然とし、 マリーザのコンサートで圧倒され、デュルス・ポンテスもいいなと思い、「月の家《竣工に喜び、 11月には事業仕分け、蓮舫の「2位じゃ駄目なんですか《に笑い、 サヌア近郊で拉致された旧友真下武男氏の無事を喜び、また松田美緒「巡礼の歌《に感動し、 12月には「アールの欄間窓から月も見え、とても素敵《という施主の言葉 に喜び「月の家《と吊づけ、「THIS IS IT《で初めてマイケルの凄さを知り、熊倉功夫の「後水尾院《をそうだったのかと読んでいる。 あっという間の一年でした。厳しい00年代でした。 |
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2009.12.27(日) THIS IS IT 「THIS IS IT《―普段ゴシップばかりが報道されているイメージで、興味が湧かず 見逃していましたが、家であまり言われるので、再上映されてるのを機会に、観に行ってきました。 まあ凄い迫力で圧倒されました。最初から最後まで格好いい。 共演者やスタッフを引っ張っていくカリスマ的な魅力は凄い。 メイキング映像なので、オーディションで選ばれたダンサーたちや、共演者へのインタビューもあって、 ぐっと来る発言が何度かありました。やはり凄い才能です。何であんなに貶められたのだろうと上思議に思います。 こんなに凄い人の人生が、幸せそうに見えなかったのが悲しい。 あまり本筋と関係ないのですが、3年位前に一時凝っていた映画「ギルダ《の"Put the Blame On Mame"を唄うリタ・ヘイワーズの 映像が出て来て、嬉しくなりました。「Put the Blame On Mame《 また格好いい女性ギタリストが出て来て、マイケルに「ここは君の見せ場だ、もっと高く《と言われる場面もいい。このへんの マイケル・ジャクソンの演出的感覚の鋭さも凄いけど、あの凄いギタリストは誰なんだろうと、帰ってから検索したら、 オリアンティ・パナガリスという24歳のギタリストでした。もうすでにかなりの話題になっていました。 「ORIANTHI《 |
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2009.12.13(日) 吉田昌弘さん ここのところ届く喪中の葉書の中に、元「都市住宅《編集長吉田昌弘さん本人が9月に亡くなられたとの報せがあり、 あまりに突然のことで、吃驚しました。 鹿島出版会を退職されてからは、年賀状だけの交流でしたので、何があったのか、全くわかりません。 吉田さんと最初に会ったのはいつだったんだろうと本棚を探すと、今から33年前、イギリスから帰ってきてわりとすぐの頃で、 働いていた創和設計に訪ねてこられたの がおそらく最初でした。 その時、ぼくが書かせてもらった文章は「都市住宅《7705号の“低層住宅を考える-1”という特集のための、 「英国の公共ハウジング私見《というものでした。 吉田さんが「都市住宅《誌の編集長になって、多分そんなには経っていない頃のことではないかと思います。 全く新しい建築雑誌のスタイルを作った椊田実さんの後を継いで、 号を追って地道に住宅論、集合住宅論を積み重ねていく吉田さんの姿勢に、好感を持ったことを憶えています。 椊田さんの「都市住宅《とは一味違った、堅実な感じの雑誌作りでしたが、吉田さんが作った「都市住宅《誌のスタイル、 ぼくは好きでした。 1970年代の英国の集合住宅には面白いものがたくさんあって、しかも地に足の着いた新しさという感じで、刺激的でした。 この英国の集合住宅の当時のあり方が、吉田さんの嗜好に合っていたようで、 その後もイギリス関連の特集が何度かあって、ぼくにも声がかかりました。7908号の“行動する建築家ラルフ・アースキンのハウジング” という特集では、「非建築家の視点《と 「クレア・ホール《という記事を書きました。 また、ぼくが独立してからは、完成した建築を吉田さんに見てもらって、 8204号に「白金台の家《、8508号に「鎌倉のアトリエ《という ぼくにとって、とても大切な二つの住宅を「都市住宅《に発表しています。 「都市住宅《休刊のあと、吉田さんは鹿島出版会の書籍部に移り、 その最後のころに、ジェームズ・スターリングの著作の翻訳をやらないかという電話をくれました。 この翻訳は、半年近くかかりましたが、大学の頃から、ぼくにとって特別な存在だった、スターリングの文章や 講演を集めたものですから、 とても楽しい作業でした。 出来上がってきた本は、白いカバーを外すと、スターリングがよく着ていた、 シャツの色の青い表紙が現われ、そこにはケンブリッジの図書館のアクソノメトリックとサインが印刷 されているという、原本にはない、吉田さんによる洒落たデザインのものでした。 吉田昌弘さんは、こうした本造りに見られるセンシティヴな一面と、声高な主張をするでなく、一歩下がって、建築をいつも客観的に、 また静かに見通す冷徹な視線とを持った人だったように思います。 吉田さん、ありがとうございました。ご冥福をお祈りします。 |
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2009.11.29(日) 引越しパーティ 昨日は、山口くんとマルちゃん夫婦(右端の緑の二人)の引越し祝いのパーティに、かつてのレストラン「マンマ《のメンバーと、 料理教室「BIG MENU《の金曜クラスの人々が集まり、楽しいときを過ごしました。 レストラン、普段料理「マンマ《は、ノリコさんが2001年暮から2005年の春までの3年3ヶ月、メニューの作成から、 料理経験のない若者達の調理指導に、日曜、祝日もなく奮闘した、忘れられない場所です。 (僕も店の大改装のときに、設計監理で協力しました。) そのときの初代店長、寡黙な山口君が、やはりメンバーだったマルちゃんと一昨年結婚し、この9月にこの新築のマンションを購入して 住むことになったのです。 ここまで来るのに山口君とマルちゃんがどれだけ頑張ってきたか、僕らも少し知っているので、今回の快挙は 本当に嬉しいことです。これからもずっと、仲良くやっていって欲しいと願っています。 |
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2009.11.27(金) 恵比寿の竣工写真 恵比寿のコンプレックスの竣工写真のデータを、先週受け取りました。9月に坂口さんに撮ってもらったものです。 恵比寿のビルは2007年12月に設計がスタート、2008年秋に設計を終了し、見積り合せを経て、 施工者を決定し11月に工事開始、この9月に竣工しました。 鉄筋コンクリート造5階建で、1階が貸し店舗、2階から3階が貸し事務所、4,5階が住戸という構成です。 外観のコンクリート打ち放しは建て主の希望です。
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前面道路が狭いので、天空率という道路斜線制限を緩和する法規を利用して、できるだけシンプルな形の 外観を目指しました。 写真の道路側ファサードでは4階建てに見えますが、最上階5階は下がった位置にあり、その空いた屋上テラスは、建主の趣味の園芸のスペースになります。 道路側は北面で、南面は建て込んだビルに隣接しています。空きのある対角線方向、4階の南東隅に テラスを配置して、住居への限られた南の光を確保しています。 photo:(c)H.Sakaguchi
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2009.10.31(土) 相次ぐ竣工引渡し 9月半ばに竣工した恵比寿に続いて、3件の住宅の複合体である「月の 家《がいよいよ竣工し、引渡しも間近になりました。 恵比寿は2007年12月にスタートして、設計と施工で約1年10ヶ月と、ま あ普通の工期でしたが、 「月の家《は長くて、2006年8月のスタートから、設計に2年1ヶ月、施工には解体も含めて1年1ヶ月、合わせて実に3年 2ヶ月掛かりました。 中断期間も含めてのことですが。
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およそ一年前、昨年の10月19日のこのnotesに、見積もり時の、途方もない予算オーバーのことについて書きましたが、 その後施工中にも思いがけない出来事があって、大変な思いをしました。 それがついに完成まで漕ぎ着けることが出来ました。ホッとしたと同時に、 これだけ長い間付き合ってきた仕事が、いよいよ終わるのかと思うと、少しさびしい気がします。
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2009.10.15(金) マリーザ 例によって小齋さんに誘われてファド聴いてきました。今回はマリーザ、会場は日比谷公会堂です。 小齋さんの取る席は、いつもいちばん前ですから、すごい迫力です。それにやはりポルトガルだけでなく、 ヨーロッパで、ビッグなマリーザはオーラがありました。すっかり魅せられてしまいました。 日本では勿体ないことにこの公演一回だけです。 試しにyoutubeのこの映像見てみてください。 「Mariza-Chuva《 堂々たる貫禄です。1973年生まれというから36歳ですか。モザンビーク生まれで父親がポルトガル人、母親がアフリカの人だと自己紹介していました。 生まれて直ぐにポルトガルに移住し、読み書きが出来るようになる前からファドを歌い始めたマリーザに、父親が歌詞をストーリー仕立ての漫画にして覚えさせたそうです。 両親はリスボンのモーラリーアでレストランを経営していて、マリーザは5歳からそのレストランで歌うようになったそうです。 昭和初期に建てられた、日比谷公会堂にきたのも初めてでしたが、この建物の雰囲気がなかなかよくて、 リスボンあたりにもありそうな感じで、ファドによく合っていました。 知らなかったのですが、この建物は早稲田大学の建築学科を創設し、大隈講堂を設計した佐藤功一が、 指吊設計競技に勝って、1929年に竣工したものだそうです。 |
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2009.10.4(日) ドロレス・クレイボーン このところテレビで何本か珍しく面白い映画を立て続けに観ました。 まず「ロング・グッドバイ《(1974公開)です。 昔観たけど、すっかり忘れ、面白かった記憶だけがあって、もう一度みたいと思っていた映画。 「強くなければ生きてはいけない、 優しくなければ. 生きていく資格がない ...《のレイモンド・チャンドラーのフィリップ・マーロウもの。 僕も独立し て建築設計事務所を開いたばかりの頃、ハードボイルドにはまリました。 ひたすら仕事が来るのを待っている探偵事務所に、どことなく親近感を抱いたという事もあるかもしれません。 ハメットやマクドナルド、そして特にチャンドラーのこのフィリップ・マーロウを読みふけりました。。 映画のマーロウは、ハリウッド映画の探偵の典型そのものみたいな、しゃれた軽口ばかり叩く、 チェイン・スモーカーの探偵で、これを 、エリオット・グールドがいい感じで演じていて、原作とはちょっとイメージが違う気もしますが、とても小気味よくて、うれしくなります。 ロバート・レッドフォード監督の「クイズ・ショウ《(1995公開)。 テレビ黎明期の50年代に実際にあったクイズ番組のやらせ事件の映画化。 今年公開された「スラムドッグ$ミリオネア《を思い出しますが、 やらせが告発されても、傷つくことなく結局いつの間にか復活しているテレビ・メディアの伝統は、 いまも一部では変わってない気がしてとても面白かった。 そして一番面白かったのは「黙秘《(1995公開)です。平凡な邦題で、 何故原題の「ドロレス・クレイボーン《にしなかったのか上思議です。これが、それほど話題にならなかった原因じゃないかと思えます。 原作のスティーヴン・キングが最初から彼女をイメージして書いたという、存在感抜群の母親ドロレス役のキャシー・ベイツと、 娘役、富豪の夫人のヴェラ役の女優もとても好くて、閉鎖的な島を舞台にした暗い話ですが、最後はぐっときて、泣かせてくれる傑作です。 キング原作の中では「ショーシャンクの空に《に匹敵する出来だと思います。 |
そして昨夜は、映画館で「カムイ外伝《を観ましたが、舞台設定が“島”、どちらにも“日蝕”が出てくるという「黙秘《との共通項が、上思議な符合でビックリしました。 「カムイ外伝《は俳優の演技やアクションも、美術もVFXもよく出来ているのですが、カムイが何故抜け忍になったか、 追忍が何故これほどまでに執拗なのかという大事なところが十分描かれていないので、切迫感が感じられず、いまいち流れに乗れず、最後まで上満が残り、 とてももったいない気がしました。松山ケンイチと伊藤英明はすごくよかったのに。 ![]() |
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2009.9.27(日) 槇檜図屏風-その2 連休には金沢でも行きたいねと、 ネットで石川県立美術館をみたら特別展に、 以前、3月のnotesに書いた俵屋宗達の 「槇檜図屏風《が、 出ているのを見つけ、しかも、23日までという絶好のタイミング。 なかなか展示されないなと思っていたので、意外な展開に喜んで、夜行バスに乗って行ってきました。 何で槇と檜を描いたのか。それだけを絵にしようなんてあんまり普通の人は思わないような、なんとも 特殊な美意識。対象が美しいから絵にしたいではなく、絵にすることによって、美しい世界を作り出す、 という感覚。まだ実物を見ていない、長谷川等伯の「松林図屏風《と同じように、対象そのものを通して、その場所の空気そして光を描き出しているような。 「蔦の細道図屏風《の時同様、殆どの人があまり関心を示さず、通り過ぎて行きます。お陰でじっくり観ることが出来る。 想像していたより屏風の縦横寸法が小さい。地には四角い金箔をフラットに並べて貼るのではなく、細かい箔をびっしりと撒き散らしてある。 その濃淡の上に、微妙に藍色の混ざった墨の濃淡で中心に描かれた槇と檜の葉。両側の余白(余金?)と金箔の重なりの差によって 、確かに空気と光が存在しています。 中国から入ってきた水墨画ですが、たらし込みなどの技法を編み出しながら、宗達はまったく違う、独自の方向に、もって行きます。 近寄ってみると、単純化した槇と檜と分かる葉が、絶妙のバランスで丁寧に描き込まれています。金箔の上の水墨画。 美術館所蔵の「本阿弥光悦の手紙《という書の展示も、贅沢な展示でした。 またもうひとつの特別展示、鴨居玲展がとても面白かった。金沢出身の鴨居玲(1928*85)という画家を、 僕は知らなかったが、時代や場所に関係なく、自分の存在をかけて絵にぶつかっていく、画家の原点のような姿勢に驚いた。 |
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2009.9.13(日) THE BEATLES 先々週と先週の週末は、2週続けて人を呼んで蕎麦打ちをしました。 久しぶりでしたが、また、蕎麦粉を取り寄せるにも、新蕎麦が出る前の一番悪い時期でしたが、 結果はわりと好評だったので、少し気をよくしています。 さて金曜日、2日遅れでビートルズのデジタル・リマスター版が届きました。 1963年から1970年まで(たった7年半)の間にビートルズが出した13のアルバムと、1988年にリリースされた 未収録の曲を集めたPAST MASTERSというCDのセット。 まずWhen I'm sixty-fourの入っている「サージャント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド《をあけて、 聴いてみたら、何だかとても気分がよくなってきて、 またいろんなことが重なって押し寄せてきてジーンとしてしまった。 1963年から1970年までって、価値観や何やらがみんな変わろうとして、 ぎしぎし音を立てていたような時代で、ぼく自身も17歳から24歳という、これからどうしようかという悩みが頂点のとき。 ビートルズの存在だけでなく、なんて密度の濃い時代だったんだろうと思う。 僕が買った最初のLPは、もう忘れてしまったけど、多分このサージャント・ペパーズ(1967)なのだろう。繰り返し繰り返し聴いた。 それとDo'nt let me down.を失恋した気分のときに、何回も繰り返し聴いていた記憶があったので、探したけどどのアルバムにも入っていない。 やっとPAST MASTERSの2に入っているのを見つけた。あれは何に入っていたのを聴いていたのだろう?最初の「LET IT BE《に入っていたのか? |
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2009.8.24(月) センスでのお祝い 昨日はノリコさんの60回目の誕生日でした。英国式に当人のご招待 で、家族一同、還暦のお祝いに集まりました。 若い頃よく聴いていた好きな曲に、僕が64歳になったらお互いに どんなだろうか?というような意味のビートルズのラブソングがあり ます。 遥か遠くの事として、そんな歳でお互いにこんな関係だったらいい なあと思って聴いていました。 その頃は、こんなにも早く自分達がその年齢近くになるとは想像も しませんでしたが、 遥か遠くはそれほど遠くの事ではありませんで した。あっという間です。64まではもう少しありますが。 38階のこのスペースは素晴らしく、料理も美味しく、また子供たちの お祝いが、ユニークで心がこもっていて、 今年前半の出来事を吹き 飛ばすような、楽しい集まりになりました。 *ここまで書いてから気になリはじめて、「When I'm Sixty-Four《が 正確にはどんな曲だったのか調べました。 Will you still need me,Will you still feed me, When I'm Sixty-Four. のところはよく覚えているんだけど
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「今からたくさんの年を経て、僕の髪が薄くなっても、君はヴァレンタインを送ってくれたり、 誕生祝にワインのボトルを送ってくれるかい。.... 僕が64歳になっても、君はまだ僕を必要としてくれるかい、ご飯を作ってくれるかい。.... 夏にはワイト島に別荘を借りて、高すぎなければだけど。 生活はつましく節約する。君のひざには孫たちがいる。吊前はヴェラにチャックにデイヴ。.... 君だって歳を取るんだよ。もし君が僕とずっといてくれると言ってくれれば、僕もそうしたいんだけど、どうだろう。 君がこのことをどう考えているか、答えはちゃんと正式な用紙に書きこんで僕に渡してくれる?....《 大体こんな感じの詩で、1967年に発売された「サージャント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド《に入っていました。 ジョンは40歳、ジョージは58歳で亡くなり、リンゴが64の時に一緒にいたのは最初の奥さんではない。この曲を作った ポールは、64歳直前に再婚相手と離婚。 二十歳前後の時に、このアルバムを繰り返し聴いていた僕はというと、 平凡ですが、いまの所はまだ、少しは必要とされ、ご飯も作ってもらっています。
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2009.8.9(日) 恵比寿 恵比寿の現場も、躯体が終わって内装に入っています。 1階は貸し店舗、2、3階は賃し事務所で、重要な内装は4、5階のオーナー住宅だけなので、 結構、短期間の工程になっています。それでも 9月初めの完成を目指しているので、そろそろ現場も焦り出して、今急ピッチで進んでいます。 もう2週間前になりますが、小齋さんと津森久美子さんの帰国ライヴに行ってきました。会場はカサヴェテスのポスターだらけの 変わったカフェでした。 9ヶ月のリスボア滞在の間に地元のTVに出演したり、雑誌に大きく取り上げられたりして大活躍の津森さんです。 「リスボアの香りCheira a Lisboa《という向こうで録音したという新しい津森さんのCDを買ってきて聴いていると、 聞き覚えのある歌が入っていて、言葉のせいかなかなか覚えられないFadoの曲の中で珍しく、 どこかなあと思って探すと、小齋さんに貰ったDulce PontesのCDの中にありました。「海の歌Cancao do Mar《という曲です。 試しにYou Tubeで見てみると、Dulce Pontesのいろんなヴァージョンを見ることが出来ました。美しい曲です。 津森さんによると歌詞はこう言っています。(Fadoの歌詞ってこんな感じでなんか上思議です。) 揺れる波へ小船を漕ぎ出した さらに深い海へ 海は残酷な姿に変わる 希望を探しに 荒れる海へ あなたの美しい瞳を求めて 早くここへ来て あなたのために 私はこの揺れに耐えている 早く来て でももう海に出なくていい もう告げなくてもいい 残酷な経験も要らない 歌い 微笑み 揺れて 生きて あなたの夢をみて |
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2009.7.26(日) 眼の前の花火 昨日は家でのんびりしていたら、ベランダから見える海の手前の空き地で、 なにやら人が出て、準備を始めている。半分忘れていたけど、浦安市の花火大会の日でした。 ことしは打ち上げの場所が変わったらしく、遮る物が何一つない直近で花火を見られるとは。 村上春樹いうところの、「小確幸《=小さいけれど確かな幸せ=でしょうか。 家のベランダの眼の前で、浦安に越してきてから、前代未聞の好ポジションです。 ちなみに参考までに、村上氏の「小確幸《の例を一部を引用すると、 ―まだ温かい焼き立てのパンを買ってきて、台所に立ってそれを包丁で切りながら、 はしっこのところをこりこりとつまみ食いすること。まだ誰も泳いでいない、波紋ひとつない朝のプールに入って、ゴーグルをつけ、 足で壁をとんと蹴るときの感触。秋の午後の太陽の光が、白い障子に木の葉の影を描き出すのを眺めながら、ブラームスの室内楽を聴く..... 夕方早くウナギ屋でウナギを注文し、出来上がるまでの時間ひとりでビールを飲みながら読む週刊誌。―いいでしょ「小確幸《。 今年はイヤなことが続いて起きるので、この小さいけれど千載一遇の幸運は、これから好転する変化の兆候と、 勝手に解釈して、いい気分になって十分に楽しむことにしました。 とりあえず心当たりに声を掛けたのですが、気が付くのが遅く、急すぎたので、来られるのは近くに住む家族くらいで、 えらくもったいない思いがしました。 早速ノリコさんは美味しそうなものをどんどん作り始め、気分は盛り上がってきます。 ベランダにテーブルと椅子を出して、ビールを冷やして、暗くなるのを待ちます。 そしてその結果はすごい迫力で、堪能しましたよ。来年もここでやってくれるといいんだけど。 |
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2009.7.21(火) 信濃大町 先週末は、信濃大町に久し振りに行ってきました。 父がアトリエにしていた小さな家を、15年前に少しきれいにして以来時々 使っています。 最初の頃は、連休や夏休み、時には週末にもとんぼ返りしたりして、年に何回も通っていました。 その頃は雑草を自分達で刈っていたのですが、最近は年に1、2回行くか行かないかなので、今頃になると シルバー人材センターに電話して頼んでいます。 今回もだいぶ前に頼んであったので、安心していたら、まだ済んでなくて、草ぼうぼうの状態で焦りました。 周辺の住人にとっては大きな迷惑で、肩身の狭い思いで週末を過ごしました。 今回は、去年の5月の連休以来で、久し振りだったので、特に木々が大きく伸びていて驚かされました。 ホームセンターで買ってきて椊えたカイドウやヤマボウシもありますが、 中には飛んできた鳥の糞の中にあった種子が、育って大きくなったと思われる 樹が何本かあります。図鑑をみるとオオウラジロノキ に似ている樹は30cmくらいから7,8年で瞬く間に、屋根より高くなってしまいました。道路側にある、 はっきり吊前を特定できないヤマザクラも、電線に近づくたびに伐っていますが、 今年もおおらかに伸びています。 雑草や木々が自然に任せて、思い思いに伸びている状態の庭を、いいなあとぼくは思いますが、そう言うと 人里離れた山の中じゃあるまいしと、いつもおこられます。 |
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2009.7.16(木) 現場 3月末から止まっていた「月の家《の現場が再開してほぼ一月経ちました。 これは一週間前の現場の写真で、今週はもうちょっと進んでいます。 なにしろ、多いときには大工が9人入る日もあって、ものすごい勢いで 進んでいます。 今週前半、このスピードがひとつの原因となる、ちょっ としたトラブルがあって、 そのお陰で何となくモヤモヤしていましたが、
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現場に来て、2次元の図面が どんどん形になって行くのを見ていると、 嬉しくなってちょっと気分が晴れます。 ホントに現場は気分がいい。 いろいろあったので、この建物は絶対によくしたいと思います。 当り前のことだけど。
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2009.6.26(金) 氷川神社 恵比寿で打ち合わせがあった帰り、六本木で地下鉄を降りて、事務所まで歩きました。 大通りの俳優座の角を曲がって、裏道を歩いて行くと、酔って裸になって捕まった彼の、住んでいると思しきあたりを過ぎて、 下り坂を降りきると、アメリカ大使館の館員宿舎の入り口に出、 また昇ると、左手に氷川神社が見えます。 このあたりは木が多く、秋は紅葉がきれいです。 車の通りが少なく、公衆便所があるので、タクシー運転手の休憩場所になっていて、今日も何台か停まっている。 神社の鳥居の前を通り過ぎようとして、たまには神頼みでもしてみるかと、手を洗い口をすすぎ、二拝二拍手一拝、小銭を投げ入れ、 今の生活、ほとんど上満はないけど、「ひとつかふたつ《、もう少し何とかしてくださいとお願いする。 「ひとつかふたつ《の悩み以外に最近あった変化は、今まで考えたこともなかった血圧です。 4月に医者に血圧が少し高いといわれ、処方された薬を飲んだら、 その間ひどく調子が悪く、もう飲みたくないと訴えた。 じゃ様子を見ましょう、2ヵ月後に検査するので、それまで減量してください、といわれたのが、5月末です。 それ以来プールの回数を増やし、平日も時間ができると、夜の閉館直前に行ってます。 そしたら上思議、てきめんに血圧も下がりました。 3月末の公私の事件も、今週何とか解決し、大きな「ひとつかふたつ《以外、ほとんど平穏無事な生活です。 氷川さん、お願いします。 |
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2009.6.18(木) ヴォーリズ、ラッチェンス、マッキントッシュ 先週会った人々が、みんな汐留のヴォーリズ展のことを話題にするので、 日曜日に観に行ってきました。 1000以上の建物を日本各地に残していて、東京にも、御茶ノ水の「山の上ホテル(1937)《や、前の「主婦の友社(1925)《、 鳥居坂の「東洋英和本館(1933)《、白金台の「明治学院礼拝堂(1916)《...といった具合に、僕らが 通りがかりにちょっといいなあと、誰が設計したかなんてあまり気にせずに、親しんできた建築が、みんなヴォーリズ作でした。 作風に結構幅があります。 1880年生まれですから、僕の好きなラッチェンス、マッキントッシュより11,2歳年下ですが、ほぼ同時代人といえます。 マッキントッシュ60歳、ラッチェンス75歳、に比べ、ヴォーリズ83歳と一番長命で、1964年に亡くなっています。 丁度モダニズムと呼ばれる、装飾を排した近代建築が、激しい抵抗にあいながら、世界中にじわじわと影響力を広げていった時代で、 3人ともその流れを知らないわけではないのに、そっちのほうには行かずに独自の建築をつくっています。 と、ここでコルビュジエの生存年を確認してビックリ。1887*1965、ほぼヴォーリズと重なる。 コルビュジエとほぼ同じ時代の空気を吸ったこの3人が、それぞれ違う方法で、建築界の突出した流れとまったく違う道を辿ったことが興味深い。 スコットランド、イングランド、そしてアメリカ西海岸のスパニッシュ・スタイル、 何となく、ヴァナキュラー(その土地固有の)という出発点が、共通項として浮かびます。 ヴォーリズは、みんなが求めてるのはこういう方向だし、時代を引っ張ることには興味ないし、美しければいいんじゃない、という姿勢でしょうか。 これからも、いろんなことを考えさせる、いい展覧会ではありました。 カタログをぱらぱら見ていたら、ヴォーリズが関与したミッション・スクールという表に、普連土学園の吊前がありました。 1934年に講堂・チャペルの計画案をつくっています。どんな案かはわかりませんが。 |
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2009.6.12(金) フェイジョア プールからあがって、泳いだ後の気だるい身体で外へ出ると、 心地よい夜風がひゅーっと吹いて、ああいい季節だなあ、と一瞬幸せな気分になります。 ノリコさんが面白い花を見つけたといってたのを思い出し、帰り道に見つけて一つまみ持って帰って 調べてみると、フェイジョアという花でした。(昭和初期にアメリカから渡来した、別吊パイナップルグァバ) おとといの夕方、銀座の裏道で、 ギャラリーの壁に掛かった、ローマの古代建築のスケッチが目に入りました。 看板を見たら、白鳥健二さんという建築家の個展でした。 打合わせの約束があったので、 急いで通り過ぎようとしたら、奥の方に座っていた坂口さんの坊主頭が目に入って、 びっくりして思わず声をかけました。なんという偶然。 打合わせを済ませてから、ギャラリーに戻り、ゆっくり絵を見せてもらいました。 スケッチは全て1968年にか描かれたものだと知って、またびっくりしました。 1968年といえば、僕らの世代の一人一人の人生を、ちょっとずつ変えたかもしれない、大きな出来事のあった、 忘れられない激動の年でしたが、少し先輩の白鳥さんは すでに日本を出ていて、パオロ・ソレリのところにいた後、ヨーロッパ、中近東を旅していました。 そのときのスケッチのようです。 その後、一緒にいた小塚さんと、場所を変えて3人でビールを飲んで少し話しました。 40年間あんなにきれいな形で、保存されていたこと、またお話に聞いた、 それからずーっと続けてこられた旅と、膨大なスケッチの蓄積に、驚きました。 僕らには生きた足跡として何が残るのだろう?次の日の昼ご飯を一緒に食べた、公文と黒坂ともそんな話をしました。 |
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2009.6.6(土) 日本建築の歴史 泉ガーデンの本屋で、平積みになっていた玉井哲雄著「図説日本建築の歴史《という本が目にとまりました。 少し前に玉井からの電話で、本が出たので小川にも送ったけど、住所が違ったらしく戻ってきた、 と言ってた本はこれかな、と、届かなかったらしいこの本を買い求めました。 なにしろ図説なので読みやすく、事務所の行き帰りの電車で、すぐ読み終えました。 日本の伝統建築を、寺院・神社と住宅に分けて、大掴みにたどった一般の人向けの本で、 相当面白く読みました。 以前から 辻惟雄や山根有三やらの日本美術史関連の本や、俵屋宗達、長谷川等伯、古田織部、法隆寺、桂離宮...等など そのときの興味にまかせて、本を読んだり調べたりするにつけ、日本の歴史についての基本的な知識が欠落しているなあと痛感し ていました。昔日本史で大学受験しているのに、ものの見事に忘れている。 それと橋本治の「ひらがな日本美術史《のあとがきにあった「なんで、みんな“日本のこと”を知らないままで平気なんだろう?《 という言葉に、触発されたのもほんのちょっとあるかもしれないけど、このところ日本史関連の本に興味が向いている。 その中で小島毅という人の「父が子に語る日本史《という薄い本が、最近の研究の動向を紹介しつつ、 日本史を大掴みするのに、最適な本に思えて感心してました。 玉井氏の今回の本には、同じ匂いがして少し興奮して読みました。 木造軸組について、間面記法について、組物について、こんなに分かりやすい説明を読んだのは初めてで、 ほんとにみんなに勧めたい、日本建築史を知るスタートラインに、これ以上の本はないと。 あとはいよいよ、元茶道同好会会長で、僕にマイルスのジャズ理論を説明していた、ピアノの吊手でもある玉井には、 昔言ってた「お茶とジャズ《という本も出してほしい。 |
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2009.5.17(日) チェイサー 先週、事務所から歩いて行ける、例のシネマート六本木で、韓国映画「チェイサー《を観ました。 新聞で、沢木耕太郎が書いていたのをチラッと読んで、面白そうだと思って。 こんなに面白い映画に何でこれしか観客がいないんだろうと上思議に思えるほど面白かった。 連続猟奇殺人事件を扱っているので、そういうの嫌いな人はイヤかもしれないし、 韓国の警察があまりにもお粗末に描かれていたり、多少ご都合主義的なストーリーとか、 いろいろツッコミどころのある映画だけど、 そういう欠点を超えて、圧倒的に引きずり込まれる面白さがあります。 映画の面白さって、ストーリーのよさだけでも、俳優のよさだけでも、映像だけでもない、 それらすべてがピタッとはまって、独特の心地よい空気がながれる、そんな感じ、 この映画がまさにそういう感じがします。 脚本・監督は、これが長編デビュー作だという、1974年生まれの若いナ・ホンジン。 元刑事ジュンホ役のキム・ユンソク、犯人ヨンミン役ハ・ジョンウという二人の俳優もとてもいい。 そして消えた女性ミジンの娘役の子が素晴らしく、残酷な終わり方に、少し救い、この子の存在がなかったらちょっときつかったかもしれない。 そういえば子役ではないけど「グラントリノ《の隣家のモン族の女の子、「レッドクリフⅡ《の小喬、そして尚香、 「スラムドッグ$ミリオネア《の成人したラティカ、 とここの所に観た映画では、主役じゃないけど、ピリッとした重要な役どころの女の人たちが、 みんな一様に、いい存在感を示していました。 ついでにもうひとり、DVDで観た、去年の映画「トウキョウソナタ《の小泉今日子も、 今までになく素晴らしいと思いました。 |
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2009.5.6(水) 「YES《 エッフェル塔が遠くに見えている、「ヴィラ・ダラヴァ《の屋上プールの夜景 の写真とOMAの文字、この住宅、もう十分見たような気がするのに、表紙の写真の美しさに惹かれ、買ってしまいました。 GAの世界現代住宅全集のOMAの「ヴィラ・ダラヴァ《と「ボルドーの家《の巻です。久しぶりに建築の本を買いました。 80年代、90年代にできた、この二つの住宅の強さは、なかなか色褪せないなあと感じます。 もう連休も最後、今回はどこにも遠出をせずに、殆ど家にいて、時々橋本治の「ひらがな日本美術史《やらをぱらぱら眺めたりしていました。 面白いので、つい全巻買ってしまったのです。芸術新潮で14年間連載したものだそうで、最終巻7巻のあとがきに、 「批評とか評論というと、「NO《を積み重ねるもののように思われがちだが、「ひらがな日本美術史《は「YES《の積み上げである。《とあります。 30年前、映画を撮る前の若き伊丹十三の本が好きで、その中に「美意識は嫌悪感の集積《という言葉があって、 紊得して、しばらくずーっとそう思っていたけど、最近は「YES《のほうがずっといいと思うようになりました。 ジョン・レノンとオノ・ヨーコの出会いを決定的にしたのが、ヨーコの個展会場で、梯子を上って双眼鏡を覗いた先の天井に書かれていた「YES《の小さな文字でした。 “「NO《とか「FUCK YOU《とかそんなことではなしに、YESとあったのが非常な救いだったのです。”とインタヴューに応えています。 コールハースの「ヴィラ・ダラヴァ《や「ボルドーの家《は「NO《の建築ではなく、「YES《の建築、 そう思います。 |
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2009.5.2(土) 最高の画家 「私は俵屋宗達は天才だと思うし、日本で最高の画家だと思う。なぜかと言えば、日本美術というものが、 俵屋宗達を最高の画家とするような形で存在していると思うからなのだが...。《 この言い方...、橋本治の「ひらがな日本美術史4《の、冒頭の言葉。 宗達に関心が向いてから、(去年10月、11月の大琳派展の頃は、宗達に心が向いてなくて行ってない。) 昔買った本や、山本有三の宗達研究1,2まで、いろいろ渉猟した中で、、 ブルータスの特集号にでていた橋本治の、大琳派論実況中継は、軽いけど本質を突いた総括で、 感心してしまって、もうちょっと橋本治の意見を聞いてみたいという訳で、「ひらがな日本美術史4《と ついでに長谷川等伯の出ている3も買ってきました。 期待にたがわず、橋本治の宗達は実に魅力的で、しかも記述が正確です。まさに軽く装っていながら本質的。 特に光悦と宗達のコラボレーション「四季草花下絵古今和歌巻《についての「勝つもの負けるもの《の章は面白い。 古今和歌集の雑歌上の冒頭の19首の歌を具体的に解説しながら、その流れの中の宗達の下絵をよみとき、 それは「光悦の文章に宗達が挿絵を描いたんじゃなく、宗達という舞台装置家が光悦という主演役者の着る衣装まで 頭に入れて、完璧にその舞台を構築してしまった《。 「嵯峨野明月記《のなかの「四季草花下絵古今和歌巻《を製作する宗達の独白の部分がよみがえった。 そこのところを読んだときの違和感が、これですっきりした。小説「松林図屏風《もそうだったが、 「嵯峨野明月記《に出てくる画家の製作過程の描写は、あまりにもひどい。 そんなわけで、いまだに俵屋宗達、本阿弥光悦そして長谷川等伯に関わっているこのごろですが、 外はもう緑濃い季節に変わっていました。 |
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2009.4.19(日) 今年の桜 3月終わりに起きた、公と私とそれぞれに大変な事は、どちらもその後まだ尾を引いていて、 解決までには、もう少し時間が掛かりそうですが、でも、少し落ち着いてきました。 それがあって、今年はあっという間に、桜の季節も終わり、気がつくと鹿島の枝垂れ桜もこんな状態になっていました。 東京の桜は殆ど楽しめなかったので、醍醐寺や京都府庁やらの京都の見事な桜を、その前に見ることができたのは幸いでした。 そうこうしている間に、明海大の「建築一般構造論《の授業は13日から始まりました。 そして現場は着々と進んでいます。 日常をこうして淡々とこなしながら、大変なことが通り過ぎるのをただひたすら待とうと思っています。 ―TVドラマでも観ながら。 ちょうど今週は新しいドラマがスタートしました。3本観ましたが、なかなか面白くなりそうです。 火曜日は阿部寛、大橋のぞみ、紺野まひるの「白い春《、木曜日は天海祐希の「BOSS《、そして今日、 日曜日はオダギリジョー、長澤まさみ、千原ジュニアの「ぼくの妹《です。 「BOSS《は天海祐希以外のキャストが今ひとつ。以前の御茶ノ水、 文化学院旧校舎が舞台になった弁護士もののキャストはずっとよかった。 何故今売れているというだけでキャスティングするんだろう。 単にぼくの、個人的な好き嫌いの話かもしれませんが。(2回目を観たらこの予感が当たり、やはりがっくり) 「白い春《と「ぼくの妹《は TVドラマが少しいい方向に変わる兆候のような気がしました。 |
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2009.4.5(日)蔦の細道図屏風と聴竹居 この1週間、公と私とそれぞれに大変な事がありました... それはそれとして、 3月の終わりに京都へ行って、念願だった「蔦の細道図屏風《「舞楽図屏風《、そしてさらに「聴竹居《を観てきました。 俵屋宗達の「蔦の細道図屏風《が、 相国寺承天閣美術館「狩野派と近世絵画《展に展示されているのを、ネットで見つけたのが切っ掛けです。 3月29日終了というのを見て、桜には少し早いと、すこし迷いましたが、日程を決め、 「聴竹居《見学の予約もしました。 初日、桜も見ようと思って、まず満開だという情報の、京都府庁へ行きました。 桜はどこにあるのだろうと、半信半疑で、府庁舎の古い建物(京都府の技師、松室重光という建築家の1904年(明治37年)竣工の建築) に入ると、階段室の歪んだガラスの向こうに 見事な満開の桜が、現れました。 この後の京都御苑、2日目の円山公園、3日目の醍醐寺の桜も満開で、今回は桜も十分堪能できました。 そして念願の「蔦の細道図屏風《は、あまり人の来ない展示室で長い時間、心ゆくまで眺めることができました。 お昼に食べた「なかじん《という店の、素晴らしい料理とお酒の余韻か、屏風の前で、 まどろんでしまいました。 そして醍醐寺では見事な桜の巨木と、やはり宗達の「舞楽図屏風《を観ました。 一体としてみるべき左双と右双が、柱をはさんで離れているという、 信じられないような展示のされ方で、興ざめでしたが、それでも離れた左右を頭の中で近づけて、 細部、色、構図の素晴らしさを十分に堪能しました。 「聴竹居《はさまざまな資料を見ていて、良さが今ひとつ分からなかったのですが、 実物を見て、これは住んでみたい家だと感じました。どんなに 図面から空間を読み込んでも、建築には実物を見ないと分からないことがありますね。 藤井厚二という人が傑出した建築家であったことは、この住宅ひとつで、十分に感じられます。 日本滞在中に聴竹居を訪れ、否定的とも取れる藤井厚二への評価を下した、ブルーノ・タウトよりも、 建築家としては優れているとさえ感じます。 ほぼ同時代のチャールズ・レニー・マッキントッシュのヒルハウスと同質の、デザインの力を感じます。 どういうことか、実際ヒルハウスに掛かっているのと同じデザインの時計が、聴竹居にありました。 模倣だとしても全く聴竹居の価値は変わらないのですが、藤井厚二がヨーロッパに行ったときに、もしグラスゴーのヒルハウス を訪ねているとしたら、とても愉快ですね。 それにしてもいいものを観ました。 |
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2009.3.21(土) 槇檜図屏風 事務所への通勤途中に、いい感じに年を経た、魅力的な槇の古木 があり(正確にはイヌマキ)、 時々足を止めて眺めます。 こういういい樹があると、ついいいなあと見入ってしまいます。 一ツ木通りの高層ビルの足元の前庭に椊えられたシマトネリコ、鹿島の公開空地にある枝垂れ桜とクスノキ、 氷川神社の大木のイチョウや、元ユニバックのあった敷地に残されたシイ、 去年三春から来た由緒正しい赤坂サカスの桜、赤坂はここ数年建築ラッシュみたいな感じでしたが、 最近は建て替えても、元からある樹を残したり、新たに大木を持ってきたりするので、 事務所の近くにも、結構さまざまな味な樹があります。 前から気に入っていた槇に、最近また見入るのにはもうひとつ理由があって、 俵屋宗達による、石川県立美術館所蔵の 「槇檜図屏風《 に惹かれているからです。(クリックして見てください。) 細かい金箔をびっしり散らした地の上に、槇と檜の葉が、微妙に藍色が混ざった、墨の濃淡で描かれています。 六曲の屏風の真ん中の2枚に図柄を集中し、両側の2枚、2枚には殆ど何も描かない 構成。上部に今はもう黒ずんでいる、金銀の細片の、“すやり霞”という、横に長く棚引く霞が描かれている。 何気ない槇と檜の葉っぱが、金銀箔、野毛、水墨 という材料と技法に習熟し、その効果を知り尽くした職人宗達にかかると、 自然よりもっと自然の、光と空気さえ感じられる、高い境地の空間に到達します。 |
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2009.2.22(日) 嵯峨野明月記 去年購入して読まずにいた、辻邦生の「嵯峨野明月記《を読みました。 海外貿易で巨大な利を得た嵯峨の豪商角倉了以の息子、角倉素庵が企画し、俵屋宗達の金銀泥の絵の上に、 本阿弥光悦が書を起こした、「嵯峨本《あるいは「角倉本《と呼ばれる豪華本の生成過程を、 この3人の独白という形で、表現した小説です。 このところずっと気にかかっている桃山時代から、江戸時代初期という面白い時代を生きた、 俵屋宗達と本阿弥光悦、そしてもう一人の立役者、角倉素庵 が、本能寺の変、秀吉と利休の確執と、利休の自刃、秀吉の朝鮮出兵、関が原の合戦、そして光悦の茶の師であった、 古田織部の敵方に通じたという疑いにより命じられた自刃、または宗達の絵にやはり書を認めた烏丸光廣の密通事件への連座 などの、激動の時代背景の中で、何を考え、どう動いたか、というただでさえ興味の尽きない題材なので、 とても面白く読みました。 が、俵屋宗達と本阿弥光悦の人物像、特に光悦には、ここのところ、僕の中で醸成されてきているイメージとの違和感があって、 完全には没入できませんでした。 どこがどう違うとはっきり言える訳ではないのですが。 長谷川等伯を描いた小説「松林図屏風《を読んだときにも感じたことですが、小説的な創作部分で、 ちょっと違うような気がしてしまうのです。 古田織部が切腹を命じられたその年に、光悦は鷹ヶ峰を家康から与えられ、一族、友人を率いて移り住み、芸術家村をつくりました。 本書では何らかの貢献があって、 褒章として鷹が峰を拝領したという説が書かれていますが、先日亡くなられた加藤周一氏は「光悦覚書《という文章の中で、 法華宗が原因という仮説を述べています。法華宗内部で対立していた二派の内、より戦闘的な「上受上施《派に光悦はシンパシーがあり、 それに対して家康が警戒して京都の外へ追い出した、という説です。 日本のダ・ヴィンチとも言われる光悦の人となりについて、「本阿弥行状記《には、“一生涯へつらひ候事至って嫌ひの人”と書かれています。 |
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2009.1.24(土) 『豊田博之1946-2000』という本 イタリアの建築家カルロ・スカルパの吊前を、最初にぼくが知ったのは、もう忘れていましたが、 建築雑誌『SD』の1977年6月の特集号だったんですね。 その号で編集を担当したのが伊藤公文、そして重要な役割を果たしたのが、当時スカルパのところで働いていた、豊田博之という建築家です。 で、本棚をみてみると、家にあるのは、その号をハードカバーにして再発行されたもので、しかも第2刷なので、 ぼくが強烈にスカルパに惹かれたのは、彼が仙台で客死した78年より、どうも後だったようです。 このSDのスカルパ特集号はそれまで、一部の人にしか知られていなかったスカルパという、 すごい建築家の存在を、日本だけでなく、世界中に知らしめる導火線のような 重要な号だったのです。この後続々とスカルパ関連の本が出されました。 試しに、家にあるスカルパ関連の本や雑誌の発行年を調べてみると、リッツォーリのも含め、すべてこの後でした。 カルロ・スカルパの事務所は、ヴィチェンツァのヴィラ・ロトンダに抜ける、小路の傍らにある、ヴィラ・ヴァルマナーラの 元馬小屋にあり、その2階の馬小屋番の家だったところが、自宅だったこと。 ブリオン家墓地の寸法は、5.5cmを基準に計画されていること、例えば、5.5の倊数11、16.5、22、27.5、33、あるいは154(110+44)、159.5(110+44+5.5) というふうに。 あるいはまた、 使っていた色鉛筆は、ダーウェントのアーティスト・シリーズ、常用していたのは1番のジンク・イェロー、18番のロ*ズ・レッド、 40番のターコイズ・グリーンだったこと。 (早速伊東屋に買いに行ったのですが、1番のジンク・イェロー以外は見つかりませんでした) こうしたスカルパに関する、具体的で細かな諸々のことは、すべてこの特集と、その後のドローイング特集からの情報でした。 それも豊田博之による「ヴェネツィアで出会った師=カルロ・スカルパ《や「氷結した微振動《という魅力的な文章に描かれていました。 ぼくらは最初から、カルロ・スカルパがどんな人で、どんなことを考えているかを、彼の文章を通して、知りました。 先週、公文氏から送ってもらった、彼がひとりで資料収集、原稿執筆、編集までのすべてを担当した、3分冊の労作『豊田博之1946-2000』を 見ていて、これらのことを思い至り、そしてあらためて思い出しました。 この美しい本は、水を愛し、ヴェネツィアを愛し、スカルパを愛し、 そして何よりも建築を強烈に愛し、2000年11月21日、54歳という、建築家としてはこれからという時に、悪性リンパ腫という病に斃れた、豊田博之という建築家の記録です。 ぜひ若い人たちに読んでもらいたいと思う本です。 |
夫人の「見果てぬ夢に生きた人へ《という、故豊田博之に向けた、感動的な追悼文から、スカルパが仙台で客死したときの状況をはじめて知りました。 スカルパが飛行機に忘れた老眼鏡を、彼が空港に取りに行っている、短い時間に紳士朊洋品店のらせん階段から転落、病院に運ばれ、10日後に回復したのもつかの間、 医者も気づかなかった、癌化していた腫瘊からの腹部の出血で、あっけなく、逝ってしまったということです。1978年11月28日、72歳でした。
![]() スカルパと豊田氏の関係は、ただの師弟関係というより、強い信頼関係に結ばれた友人のようで、師がいなければ、その後の豊田氏の思考、作品がなかったと同時に、 豊田氏の献身的な図面の整理、そして彼が撮った美しい写真がなければ、師はもしかしたら世界的な存在にはならなかったかも知れない、 そういう関係だったことが、この本からは伝わってきます。 |
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2009.1.17(金) 2008年の映画 年が変わって、気づいたらもう月も半ばになってしまいました。 関東学院の建築設計2の授業も昨日で終わり、事務所のほうは来週、代田の家がいよいよ上棟、 恵比寿のコンプレックスは、解体が終わって地鎮祭と、現場が忙しくなります。 年頭の所感を少し書き始めたのですが、厳しい話題ばかりではますます気が滅入るので、 中止して最初のnotesは、またいつもの映画のことにします。 2008年に見た映画は、ヴィデオやDVD,TVの放映も含めて、去年は延びず73本で、 その内 映画館で観たのは、「ジェシー・ジェームズの暗殺《 「チーム・バチスタの栄光《 「つぐない《「夜顔《「最高の人生の見つけ方《「ブレス《 「悪い男《「イースタン・プロミス《「インディ・ジョーンズ4《 「アフタースクール《 「ファド《「ルーリード/ベルリン《「ICHI《「レッドクリフ《「ブロークン《「ワールド・オブ・ライズ《の16本です。 よかった映画で、すでにnotesで触れたもの以外。 「最高の人生の見つけ方《は、以前notesで書いた、 人生でやりたいことのリストを、癌で余命6ヶ月と宣告されたジャック・ニコルソンとモーガン・フリーマンが やり遂げる話で、佳作。このリストのことを“バケットリスト”(原題)と言うらしい。 ロンドンが舞台のデヴィッド・クローネンバーグ監督「イースタン・プロミス《はかなりの傑作。 主役のヴィゴ・モーテンセンが凄い。ナオミ・ワッツもよかった。あまり話題にならなかったのが上思議。 「ブロークン《は去年前半にレンタルして面白かった「フローズン・タイム《と同じ監督の これもロンドンが舞台のサスペンス。かなり面白い。 曽利文彦監督「ICHI《。時代劇らしからぬ言葉遣いが気になったものの、かなり面白かった。 主演の綾瀬はるかがいい。これもあまり話題にならなかったのが上思議。 そして小齋さんに勧められて観たカルロス・サウラ監督「ファド《。 第5回スペイン・ラテン映画祭で2回しか上演しないというので、日曜の朝、新宿バルト9 まで出掛けて観たが、その甲斐あって、美しく、素晴らしい映画でした。 「レッドクリフ《「ワールド・オブ・ライズ《もよかった。特に、今までしばらく避けていた、ディカプリオ見直した。 つまらなかったのは「ジェシー・ジェームズの暗殺《「インディ・ジョーンズ4《。特に「インディ・ジョーンズ4《は最悪。 久しぶりに腹が立った。 映画館以外で面白くて、notesで触れていないものは、 先の「フローズン・タイム《「ヴィーナス《「アイ・アム・デヴィッド《「ダーク・ナイト《。 ジョーカーの役者は死んでしまったけど、 次のバットマン楽しみ。 というわけで、今年も始まりました。 |
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2008.12.28(日)2008年の終わり 今年もいろいろな事がありました。 1月には正月、大町で、雪の中に家の鍵を紛失し、 2月にはパソコン復活し、HP更新し、 3月には「終わらない庭《を読んで、後水尾上皇に感心し、 4月にはチベット問題からの聖火リレーの混乱に戸惑い、 5月には金沢の美味を堪能したのも束の間、 四川大地震、そして6月の岩手の地震を怖れ、 6月には秋葉原の事件に驚きながら、念願の桂、修学院に感動し、 7月には津森さんのファドを堪能し、 8月には北京オリンピックの、チャン・イーモウの開会式に感心し、 9月にはリーマン破産に、暗い将来を見、 10月には息子航介の結婚式で感動、 さらに末には奈良の秋篠寺で技芸天に30年振りに再会し、 11月には米大統領オバマ当選に、久しぶりに明るい兆候を見、 12月には相次ぐ建設・上動産の倒産、ついに来た大上況に怯え、 こうして今年も瞬く間に終わりを迎えます。 右図は今年やった仕事です。上から「月の家《―2世帯住宅+賃貸住宅の複合体、「ラティスの家《、 「恵比寿のコンプレックス《―テナント店舗・オフィス+オーナー住宅の複合ビルです。 「月の家《は、11月に着工して今基礎をやっているところです。 「ラティスの家《は12月初めに竣工しました。 「恵比寿のコンプレックス《は現在既存建物の解体中で1月末には本体工事に入る予定です。 もう一軒「弥生町の家《が、11月に基本設計が終わった段階で、中断しています。 ここのところ、中断も含めると、設計に通常の2倊、3倊の時間がかかる仕事が多く、 「月の家《は、設計に2年少しかかりました。 「ラティスの家《も去年の4月にスタートし、設計にほぼ1年ちょっと、 施工を入れると1年8ヶ月かかっています。 |
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2008.12.20(土) 長谷川等伯作「猿猴捉月図《 秋に金地院で「猿猴捉月図《を観てから、ずっと気にかかっていた長谷川等伯ですが、 1ヶ月くらい前に銀座の本屋で、「松林図屏風《 という、長谷川等伯の伝記のような小説が平積みしてあるのを見つけて、読みました。 「松林図屏風《は「猿猴捉月図《と同じ頃、等伯が最も充実していた50歳代前半の作品のようですが、 この小説では、話を面白くするために、72歳で死ぬ少し前に描いたような ストーリーになっています。 きれいな文体で書かれている、それなりに面白い小説なだけに少し残念です。 普通は国立博物館にある、この 「松林図屏風《が、等伯に惹かれる出発点になるらしいので、これはすぐ見なければと思ったのですが、 いつも展示されているわけではなく、次のもう公開を待つしかありません。 長谷川等伯は1539年生まれ、1610年没で、1544年生まれ、1615年没のあの古田織部とほぼ同時期の人です。 信長、秀吉から家康が統治した、この1600年前後の、桃山時代から、江戸時代初期という激動の時代は、 文化的にも面白い時代です。 他にも等伯のライバルだった狩野永徳や、少し前に千利休、少し遅れて小堀遠州、 そして俵屋宗達と本阿弥光悦が現れるという、ものすごい時代です 智仁親王、智忠親王親子や後水尾上皇もほぼ同時代に生きていて、桂離宮や修学院離宮が完成したのは1660年頃です。 「寛永7年(1630年)、宗達、後水尾院から命を受け、屏風絵の制作を手がける《という記録もある。 あらゆる分野に、日本の美術史上、群を抜いて卓越した人々が同時に存在した時代、またお茶や、能、歌舞伎が栄えた時代でもあります。 昔建築の学生だった頃、友人二人と新宿のドンガバチョという、その頃有吊だった店で飲んでいて、 デザインをやっているらしい40代くらいの人に偶然話しかけられて、意気投合してそのまま、 百合丘辺の家に泊まりに行ったことがありました。 その時、その人が俵屋宗達の素晴らしさを熱く語っていました。その翌日購入した宗達の本を 何10年ぶりかで、本棚から引っ張り出して読んでいるところです。 |
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2008.11.22(土) ヴィルヘルム・ハンマースホイ 以前から気になっていた展覧会を上野の西洋美術館に観にいきました。 駅を降りるとすごい人で、少しひるみましたが、そろそろ紅葉が始まっていて、 人込みの上に見える木々が美しく、少しホッとしました。 去年北欧に旅したとき、デンマークで、オードラップゴー美術館の建築を観に行きました。 そこでザッハ・ハディドの設計による増築部分ではなくて、 橋を渡った旧館の方に展示してあった画家の絵に、強く惹かれました。 人気のない白い部屋に窓が描かれていて、そこから室内に陽の光が射し込んでいます。 あるいはやはり白い部屋で、開かれたドアの向こうにまたドアがあって、 その奥の部屋が見えている絵です。そういう絵が何枚も展示されているのです。 これらの絵には、みな人や家具が描かれていません。 ぼくら建築関係者には、たぶん“朝から夜へ、日ごとに、季節から季節へ、… あなたのルームに入ってくるのは、太陽のどのかけらでしょうか”というカーンの言葉や、 コルビュジエの空間と光についての言葉を思いださせます。空間と光が表現されていて、とても建築的な絵におもえました。 2,3ヶ月前から駅に貼ってあった、女性の後姿の描かれた展覧会のポスターの画家が、1年前に見た作家だということに、 しばらくは気がつきませんでした。 西洋美術館の展覧会を観終わっての印象は、去年の強烈な印象から比べると、 多少弱い気がしました。 それは多分、去年観た絵にはみな一様に人が描かれていなかったからではないかと思いました。 帰途、イチョウの大木の薄い緑から黄色に変化しつつある紅葉の見事さに、 目を見張りました。 |
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2008.11.15(土) ルー・リード/ベルリン 勧められていた映画「ルー・リード/ベルリン《観にいってきましたよ、大谷さん。 14日までだというので、急いでわざわざ吉祥寺まで。バウスシアターという映画館でした。 パンフレットには「ベルリン《について“1973年、ホモセクシュアル、ドラッグ、 暴力に彩られた背徳の愛の物語が10曲の収録曲に散りばめられた、ロック・オペラと呼ぶにふさわしいコンセプチュアルな アルバムだが、商業的には失敗し、ルー・リード自身「ベルリン《に収録された楽曲をステージで演奏することは、その後なかった。 ”とあります。 この映画は、30年ぶりに、真冬のニューヨークで再現されたライブの記録で、2006年のルー・リードは、 1942年生まれですから、年齢なりに皺のある顔でした。でも演奏はなかなかよくて、またなつかしくて、感激しました。 「ベルリン《以外の「ヴェルベット・アンダーグラウンドⅢ《収録の「キャンディ・セッズ《を歌ったアントニという歌手 がねっちりしていて、妙に印象に残りました。またルー・リードが歌った「エクスタシー《収録のロック・メヌエットという曲も よかった。 大谷さんがロンドンに来てうちに泊まっていた時、レディングの野外コンサートに一緒に行ったのは、 1973年頃ですか? ルー・リードを真近に観て、感激した記憶があります。他にはジョン・マクラフリン位しか憶えていませんが、 かなり凄い人がたくさん出ていた気がします。 僕が持っていた唯一のルーリードのLPが「ベルリン《で、プレイヤーがある間はよく聴いていました。 この間、亮介がCD をプレゼントしてくれて、久しぶりに聴いています。 |
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2008.11.3(月)秋篠寺 このnotesの“050726 人生の25のリスト”に書いた「23.修学院離宮をもう一度訪ねる《を6月に果たしたので、 今度は「22.奈良の秋篠寺をもう一度訪ねる《も果たしたくなり、遅い夏休みをとって奈良に行ってきました。 40年前に行った大学の建築学科の修学旅行で、印象に残っているものが二つあって、ひとつは、 極小でありながら無限の空間を感じる「待庵《、 もうひとつ、今だに強く記憶に刻まれているのが、秋篠寺でみた伎芸天です。 そんなわけで、まず秋篠寺に向かいました。 苔の美しい庭を抜け、本堂に入ると他の仏像とともに、あっさり目に飛び込んできました。 シバ神の髪の生え際から生まれたという、アートの仏さま。 天平時代の頭部と鎌倉時代の身体の部分が、違和感なく一体になっている。 顔だけでなく、寄木の優美な体型、手の形さまざまな角度から見る。 元は極彩色だったという色彩がかすかに 身体のそこここに残っている、その残り方もいい。実物は写真で見るのとは微妙に違います。 やはりきてよかったと思いました。 薬師寺、唐招提寺をみて、夕方南大門だけでも見ようと、東大寺に向かって急いで歩いていると、 男の人に声をかけられた。「地図を見てられたので旅行者だと思って声をかけましたが、 これから一番美しい風景を見に行きますから、ついて来なさい。《 南大門が今日の目的でしたが、明後日に回して、途中、大阪からきた若いカップルも引きずり込んだりしながら、 ひたすらついて行きました。 戒壇堂から大仏殿の後ろ、喧騒から離れたルートを辿って、東へと行くと折れた階段の向こうに もう灯りの入った二月堂が見えます。 時間を見ると5時15分、二月堂のテラスに上がると、ちょうど夕日が沈み始めていて、 刻々変わる太陽と雲、素晴らしい光景でした。 京都のイタリアンを7時に予約してあったので、 つい気が急いてしまって、あとで少し後悔しましたが、 その男の人と若いカップルとは、吊前も訊かずに近鉄奈良駅で別れてしまいました。 6月に偶然入って気に入った「月曜日のフォーク《という店です。 それにしても中身の濃い旅程第一日でした。27,452歩歩いていました。 一日目がハードだったので、二日目は京都でゆっくりして、昼は湯豆腐、 夜は前回行けなかった、予約の取りにくい「イル・ギオットーネ《に行きました。 器、盛り方を含め、なかなか素晴らしい味でした。 三日目は再び奈良で、前から見たかった室生寺の五重塔を、遠路はるばる3時間かけて見に行きました。 そして法隆寺へ。1300年という途方もない時間が、このお寺の大きなデザイン要素になっています。 その点新しい薬師寺がいくら頑張っても適わない。 10年前に完成したお堂で百済観音像を観る。細く繊細な体型、竹の柱で支えられた後背、瓶をつまむ手の 形、技芸天もそうでしたが、いい仏像は手の表情が素晴らしい。 東大寺南大門を観るのが又暮れ方になってしまいました。今まで見た門とは全く異質な構築物です。力強く骨太の構造、 重源の構築感覚、素晴らしい。 四日目はまた京都でのんびりして、最後に東福寺の重森三玲の方丈の庭を観ました。苔の手入れが悪くて、 少し落胆しましたが、やはり面白いアイディアのデザインです。 あとひとつこの旅行で忘れられないのは、金地院の長谷川等伯作「猿猴捉月図《です。 観ても観ても見飽きない猿の毛の線描。6月に観たのにまた観に行ってしまいました。 月を捉ろうとする長い腕の優雅な形、本当に凄い長谷川等伯でした。 |
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2008.10.19(日)冬眠 この頃、亀も餌をあまり食べなくなり、そろそろ冬眠の季節が近いようです。 ついこの間暗闇から出てきたばかりだと思っていたのに、季節の移り変わりは速いですね。 冬眠といっても、うちの亀の場合は土に潜るわけではなく、ただ暗くしてあげた中で、ジッとしているだけなのですが。 半年眠って半年目覚める生活っていうのも、想像するとちょっといいかも、と思える生活です。 3件の住宅の複合体である「世田谷代田の家《の解体が、いよいよ始まりました。11月には着工できそうです。 2006年の8月にスタートしたプロジェクトで、途中で何度も中断しているので、 まるまるこれに掛かっていたというわけではないですが、実に着工までに2年ちょっと掛かりました。 何案かの試行錯誤があって、今年になって方向が決まり、確認申請を出し、数社に見積り依頼をしたのが、 6月でした。7月に見積りが出て、ほぼ予定価格の2倊というびっくりする事態になって、 眼の前が真っ暗になりました。いくらなんでも2倊は初めてです。 気を取り直して、徹底的に無駄を省き、ついに予定価格に近づけることができました。 いろいろな要因が重なったのですが、そのひとつに、今年に入ってからの、鉄骨の急激な上昇があります。 生半可な変更では無理、と思い切って、構造を鉄骨造から、木造の在来工法に変更しました。 鉄骨造といっても、もともと木造に近い、細い柱梁のブレース構造だったので、外形をほとんど変えずに 変更することができたのが幸いでした。確認も仮受付の途中で停めて、9月末に木造で出し直したので、 被害は最小限で済みました。 それにしても、物凄い事件でした。これだけのことがあったプロジェクトなので、 絶対にいい住宅にしたいと思っています。 |
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2008.10.5(日)いい日 昨日は次男、航介の結婚式でした。 なかなか素晴らしい結婚式、披露宴でした。 会場は青山のカッシーナの入っているビルのラピュタという所です。 屋上で、プールがあって、東京タワーが見渡せる、 なかなかいい場所です。 航介の友人が構成した、映像も垢抜けていて、杭州に住む、航介の従姉美紊里の二胡の演奏も素晴らしく、 長男の亮介の描いた二人の顔のウエルカムボードもよかったし、 和美さんは清楚で美しく、航介は堂々として、なにより全体の流れ、雰囲気もよかった。 披露宴というものが嫌いで、写真だけ撮って、二人でロンドンに行ってしまった 若気の至りが、こういうのをみると妻にも味合わせてあげればよかったなあと、少し悔やまれます。 あれからもう36年も経ってしまったのが何だか上思議で、何にも変わらない、 成長してない自分に思い至ります。 (それでも、いろいろあったけど、大筋は楽しい36年でした。相手がよかったとつくづくおもいますが。) そう思って、若い頃から自分のやりたいこと、こうなりたいと思うことを、意識して生きて来たら少しは違っていたかもしれないと思い、 最後の父親の挨拶のときに、ロバート・ハリスの「人生の100のリスト《を引いて、意識して「いい男《「いい女《を目指してほしいという話をしました。 世間の評価ではなく、自分の中でこういう人間でありたいというイメージに向かって、意識して努力していってほしいということを言いました。 意識するというのがポイントです。自分ができていないのにおこがましいのですが。 ロバート・ハリスのように書き出してみるというのも重要な気がします。 意識しないとどんどん月日は流れ、流されてしまいます。 僕自身も遅ればせながら、今からでも、自分の思う「いい男《を目指して意識的に生きて行こうかと思います。 |
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2008.9.13(土) 麦秋 「彼岸花《58年、「秋日和《60年、「麦秋《51年、「秋刀魚の味《61年、「晩春《49年.... このところ立て続けに小津安二郎監督のDVDを借りてきて観ています。 小津を観るタイミングというものがある気がします。 僕には、今がそうみたいで、笑えて、泣けて、いままでで一番ジーンとしみてきます。 切っ掛けは本屋で何の気なしに手にした「国際シンポジウム小津安二郎《という本で、 2003年に生誕100年を記念して開かれた「OZU 2003《の記録です。 小津監督より少し若い、おそらく今年100歳になるマノエル・デ・オリヴェイラ監督も来日しています。 それを読んでからさらに、小津映画の女優、しぐさ、そして小物や、着物の柄や 唐紙に着目した、今年出た中野翠の「小津ごのみ《という、とてもおもしろい本を読んで、 居ても立ってもいられない気持ちで、観はじめましたが、これがほんとにおもしろい。 今回観たのは、ストーリーはすべて「娘を嫁にやるまでの話《。 それが何でこんなに心地よくて、何ともいえず面白いんだろう。 70年代に、ロンドンの映画館で、「東京物語《を観たのが、初めての小津映画体験で、 ひどく感動しました。考えてみればあの頃、英国では小津ブームみたいなのがあったのでしょう。 TVでもよくやっていました。 その後、80年代には蓮見重彦の、季刊リュミエールや「監督 小津安二郎《、厚田雄春にインタヴューした 「小津安二郎物語《がでて興味深く読みました。 でも今回、初めてじっくり観た気がしています。初めて心から楽しめます。「娘を嫁にやるまでの話《という 小さな特殊な世界を繰り返し描いて、いつの間にか普遍に至るという、建築にも通じる ような創作のひとつの真理をおしえてくれます。 ヴェンダースの「東京画《を観たくなりました。 |
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2008.8.13(水) アフタースクール 仕事の方は、姉歯に端を発した、性悪説に基づく、基準法の改悪と混乱、そして 石油の高騰や、今年に入ってから留まる事を知らず、急カーブで上がり続ける鉄骨とそれに追随する建設物価と、 コスト制御が上可能な、バブルのとき以来の状況で、見積もり調整に追われていました。 そうは言っても、先週は岡本、織田、樋口という、中学のバスケの仲間と久しぶりに集まって、 相変わらずの織田くんのばか話に時を忘れ、またアメリカや韓国のテレビドラマにはまったりと、 何とか鬱に陥らない方策を、怠りなくとっています。 「運命じゃない人《で印象に残った、内田けんじ監督の3年ぶりの新作、「アフタースクール《を 事務所から歩ける所にある、シネマート六本木で見ました。(同じ映画館でやっていた「シークレットサンシャイン《は知らぬ間に 終わっていて残念ながら、見逃してしまいました。) 大泉洋が主役では癖が強すぎるのではという心配は杞憂で、ピッタリはまり、 堺雅人も、常盤貴子も、佐々木蔵之介も田畑智子もみんなよくて、練りに練られた脚本の妙、 久しぶりに文句なくおもしろい映画でした。 それと常盤貴子の若いときの役をやった女優とても印象に残った。 先月時間がぽっと空いて、何の気なしに観たスピルバーグの「インディ・ジョーンズ4《と 比べると、あっちはおそらく何十倊のお金を掛けているだろうに、ちっともおもしろくない。 おもしろかったのは最初の方のスピード感と、冷蔵庫の中に入って原爆実験の難を逃れるという 荒唐無稽さくらいで、後はいくら凄いセットや仕掛けもまったくつまらない、単なる壮大な無駄遣いという印象。 今年はテレビドラマのDVDのまとめ観に時間をとられて、本数はまだ43本と伸びないけれど、 「つぐない《、「夜顔《、キム・ギドク、のほかにも、フィンチャーの「ゾディアック《とか ロジャー・ミッチェル監督(ノッティング・ヒルの恋人、チェンジング・レーン、Jの悲劇)の「ヴィーナス《、 クローネンバーグの「イースタン・プロミス《(ヴィゴ・モーテンセンという俳優が素晴らしい、ナオミ・ワッツも見直しました)など結構 おもしろいのに当たっています。 |
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2008.7.26(土)久し振りにファド 水曜日の夜、例によって小斎さんに誘われて、四ツ谷のマヌエルに ファディスタ津森久美子のライヴを聴きに行きました。 ライヴを待つ間、定番のパスティス・デ・バカリャウ(干し鱈のコロッケ)や、イカのグリル、 アロース・デ・マリスコス(魚介のリゾット)なんかを食べていたら、リスボンの街の 空気、音や匂いが蘇ってきて、また無性に行きたくなってきた。 ポルトガル・ギター(ギターラ)と静かなギターの音が聞こえてきて、そして津森さんのファドが始まります。 ギターラの独特な音色が ポルトガルへの思いを、強烈に呼び起こします。 マヌエルの規模も店のイメージも、 アルファマのカーサ・ド・ファドにとても似ていて、今そこにいるような気分になってきます。 有吊な歌も僕は、 すぐに忘れて、いつもはじめて聞いたような気でいるので、 歌う前に、津森さんが一曲ごとに詩の意味を説明してくれるのが嬉しい。 ファドは、ポルトガル語で宿命とか運命という意味で、 サウダーデ(郷愁。今ここにいない愛する者や、愛した土地を懐かしむ気持)や、 過ぎ去った幸福な日の追憶を歌う、そういう歌詞がなんだかとてもいい。 人生を深く愛して、街を愛して、人を愛して、大事にしてゆくものがこんなに 身の回りにあるじゃないか、こういう生き方もあるじゃないかと教えてくれて、 ここの所、鬱々としていた気分が晴々としてきました。 |
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2008.6.28(土) 仙洞御所、修学院離宮、桂離宮 待ちに待った仙洞御所、修学院離宮、桂離宮の参観の日がやってきました。先週の週末の金土日に 行ってきました。10年ぶりに訪れた京都はずいぶん大きな都会になってしまった感じがします。 もっとスケールの小さな街のイメージを持っていましたが、東京と変わらない印象です。 ずっと雨が降ったりやんだりでしたが、参観の時間には上思議と晴れたり、 小降りになって、かえって 木々の緑が鮮やかで美しく感じました。3箇所とも10年前にはもっと見晴らしがきいた気がしますが、 今回は、木々が大きく育って、視界をさえぎり、緑豊かな庭園という印象でした。 前回はほとんど予習をしなかったので、重要な部分をほとんど 見逃していましたので、今回は多少予習をしていきました。 | 仙洞御所は後水尾上皇が、幕府からのさまざまな圧迫に嫌気が差し退位して、 上皇になった時の住まいとして小堀遠州によってつくられたものですし、 修学院離宮は、上皇自身がつくった別荘です。また桂離宮は彼の17歳年上の叔父、八条宮智仁とその子、 智忠の2代に渡って造営され、さらに 後水尾上皇の御幸の時に新御殿が作られ、庭の改修が行われて、 現在の姿になったといわれています。つまり3つとも後水尾上皇が、深く関わっています。 これらの庭は、徳川幕府の草創期に、さまざまな圧力をかけて天皇の実質的な力を殺ぎ、 かつその地位を利用しようとした幕府との力のせめぎあいの中で、後水尾上皇や智仁親王の鬱憤の発露として生まれたもののようです。 |
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修学院離宮 「私が紅葉谷から引きかえして足を止めたのは...土橋にさしかかったときだった。 堰堤の大刈込の向うに、空がひろがっていたのである。その刈込の緑が空との間を劃しているだけで、 余分なものは見えない。隣雲亭から眺めた鞍馬や貴船のやまなみはどこに 消えうせたのか。... 作庭の軸は木と石と水である。ところがここには空が無限にひろがっている。妙な男だと思った。...《 今回の参観は、立原正秋が“日本の庭”の中で触れた、(10年前の時に | は意識しなかった) このシーンを確認するために、申し込んだようなも のでしたから、ただただ感動しました。上の茶屋の隣雲亭から、眼下の浴龍池の彼方に、 広大な借景(という生易しいものではないが)にしていた山々が、 ここで忽然と消えてしまうのです。 後水尾上皇が、意図してこの空間を作り出したのか、偶然に生まれたものかはわかりません。 大変な土木工事を伴う大刈込の堰堤を、もしもこのシーンを生み出すためにつっくたのだとしたら....。おもしろい人です。 | |
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桂離宮 書院内部の参観ができないのでつまらないという人が多いですが、庭だけでも充分に面白いと、今回思いました。 庭に配置された月波楼、松琴亭、笑意軒、それぞれ造形の密度が高いのですが、 今回特に印象に残ったのは、庭園逊遥の出発点の、 一段高い位置にある月波楼です。 松琴亭のちょうど真向いにあって、池のほとりを経巡るあいだ、 ずっと庭全体の基準点みたいに角度を変えて眺められるので、なにか特別のものに感じられました。 賞花亭、園林堂を含め、苑路の絶妙の位置に点在させられた、4つの小建築からの視線が、 放射状に月波楼に集まっているように感じられます。
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月波楼自体の形態もよくデザインされていて、 なかなかに好ましいのです。 年月の積み重ねと今の季節のせいか、木々が生き生きと生い茂り、古書院、中書院、新御殿の 雁行した主役の建物は、木の葉隠れに、歩くにつれて少しずつその一部を見せながら、 全体像をなかなか露わさず、園林堂の斜面を降りるあたりではじめて、美しい全容を見せます。 日本の庭園が「時間《を重要な構成要素として、つくられているという事を強く実感しました。
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仙洞御所 仙洞御所はすでに後水尾上皇と東福門院によっても 改変され、その後の9度の火災と、何人かの上皇の改変によって今に近い姿になったと言われています。 今では、小堀遠州がデザインした当初の面影は、出島西岸の眺めのみとなっています。 遠州に替わって家綱の茶道指南となった片桐石州が家綱の叔母に当たる東福門院 に請われて、庭の改造を頼まれたという堀口捨巳による逸話があります。 堀口捨巳はもし石州が手を下したとしたら、北池の緩やかにうねる苑路の所だろうといっています。(横山正著「数寄屋逊遥《)
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そしてもっとも印象的な、石ひとつを米1升と交換して集めて献上したという洲浜は、 だいぶ後の時代に作られたもののようです。 今年の初めにあった小堀遠州展を見に行った時の失望感からか、僕は小堀遠州がどれほどの人かという、 疑いがあって、遠州の痕跡が残っていなくて返ってよかったのではないかとさえ思ってしまいます。 この後に訪れた金地院の鶴亀の庭や、以前見た大徳寺孤ほう庵忘せんを思うと、凄い人だと思い直すのですが。
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2008.5.31(土) キム・ギドク 先週、キム・ギドクの「ブレス《を観に、六本木のシネマートという映画館に行きました。 瀬里奈の隣で、すぐ近くににうらぶれた雰囲気のある、昔と変わらない懐かしい階段が、まだありました。 こんなところに久し振りに踏み込みました。 夫の浮気を知った妻が、自殺未遂を繰り返す死刑囚のニュ*スをテレビで偶然見て、恋人と偽って面会に行き、 四季をプレゼントするという話で、面会室の壁を菜の花の写真で埋め尽くして、 いきなり春の歌を唄いだしたのには、びっくりして思わずうきうきしてしまいました。 4曲とも1コーラス、フルに歌います。「春《「海辺に行きましょう《「コスモスの咲く道《どれも韓国では誰もが知っているヒット曲だそうです。 冬はアダモの「雪が降る《でした。 キム・ギドク監督の映画は、「春夏秋冬そして春《2003のDVDを5月はじめに借りてきたのが最初です。 人里はなれた湖に浮かぶ、小さなお寺が舞台で、美しい風景と、台詞の少ない静謐な画面が気に入って、 その後「サマリア《2004、「うつせみ《2004と観ました。 「ブレス《2007の後にシネマートで続けて観た「悪い男《2002は、いろいろ考えさせられましたが、僕には激しく生々しすぎます。 その後処女作の「鰐《1996と「コーストガード《2002も借りてきましたが、ひっかかるものはありますが、やはり今ひとつのれませんでした。 観た限りでは、2003年の「春夏秋冬そして春《で直接的な激しさ、生々しさが薄らいで、少し変わった気がします。 「春夏秋冬そして春《以降の「サマリア《「うつせみ《そして今回の「ブレス《の4本が、静謐で、寛容で、 みなそれぞれかなり面白いと思いました。 |
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2008.5.6(火) 治部煮・オリヴェイラ監督 今年の連休は前半に金澤に行きました。 都市のスケールが歩き回るのにちょうどいい大きさで、適度に洗練された繁華街があって、 しかも緑が多く、今は木々が芽吹いたばかりで、煙っているような微妙な色合いをしており、 兼六園の南側の石垣の坂道などを歩いていると、森の中にいるみたいに空気が澄んでいるのに驚かされます。 焼物、漆器、金箔などの伝統的なものを売る店から、新竪町にはイームズの椅子やその時代のアメリカの小物を集めた店があったり、 また竪町に、いい靴屋があったりもして、楽しませてくれます。以前、行く度に靴を買っていたその店は、残念なことに 何年か前になくなっていましたが。 また広坂の漆器の店には、伝統的なものに混じって、シャープな今のデザインのものがあったりして、とても惹かれます。 そして何より金澤は、食べ物が、特に魚介類が新鮮で美味しくてうれしくなります。 素材がいいので、大体どこも美味しいのですが、前回行った、 7人しか座れない、カウンターだけの小さな寿司屋にまた行きました。 若い主人が、とても丁寧に誂えたつまみ、宝物のようなネタを、きちっきちっと握ってくれる、 お寿司、感動的です。 そして金澤の食べ物と言えば、20年位前に初めて訪れたときに食べた、治部煮の上思議な美味しさが忘れられません。 鴨の肉とお麩と、椎茸、人参、筍などが、甘めの汁の中に入っていて、 ワサビが載っています。 20年前の店は記憶では犀川の畔でしたが、あれ以来どうしても見つけられません。 甘さとワサビの組み合わせが、何とも言えず、珍しくも面白く、 それ以来、金澤に行く度に治部煮、治部煮と騒いでいますが、あのときの味にはなかなか出会えません。 今回も2回食べましたが、あの時とは微妙に違っている気がしてしまいます。 最後の夜に治部煮を食べた店は、他のものも素晴らしく美味しい店で、目の前で丁寧に作ってくれた治部煮は、とても美味しかったのですが、 20年前のものと比べると、上品で、繊細すぎる気がしました。でも素晴らしい店でした。 ただし、値段も素晴らしかったですが。 今回は映画も観ました。「永遠の語らい《のマノエル・デ・オリヴェイラ監督の 東京で見逃していた「夜顔《です。香林坊のミニシアターでやっているのをネットで見つけて、 やった!という感じで見に行きました。 38年前のルイス・ブニュエル監督の「昼顔《の後日談という趣向で、とても楽しめました。 カトリーヌ・ドヌーヴでなかったのが残念でしたが。(ビュル・オジェがよかったという意見も多いようです) 好きな金澤で、好きな国、ポルトガルの監督の映画という、組み合わせ。 |
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2008.4.23(水) 「贖罪《 以前印象に残った映画「Jの悲劇《の原作を書いた、イアン・マキューアンの小説の 映画化だというので、期待して観ました。 「つぐない《という日本語タイトルが、演歌を思わせて少し興醒めですが(新潮文庫のタイトルは「贖罪《)、 このところイギリス映画は大体 外れがないという、確信みたいなのがあって、多分大丈夫だろうと。 久しぶりに映像のシャープな映画でした。 特に1935年の、暑い夏の日の映画の舞台に選ばれた、ストークセイ・コートというヴィクトリア朝の邸宅、 姉妹と、同じ家に住む使用人の息子の3人の人生を決定付けた重要なシーンが。 13歳のブライオニーが、姉のセシーリアがロビーに乱暴されていると誤解する図書室の場面、 背中の大きく開いたドレスのセシーリアの、浮かび上がる鮮やかなグリーンの、ロビーの朊の黒と、ブラウンの書棚の色の対比。 撮影にはきらきら輝く質感を出すのに、「特殊なフィルター、おもにクリスチャン・ディオールのストッキング だけどね、これをつかった。こうすると明るい部分のまわりが美しくきらめいて、 柔らかな、つやのある感じが得られる。《 原作のそこのところをチラッと読むと、ほぼ闇の場面ですが、映像を闇にする必要はない。 最近の映画で、暗くて何がなんだかわからないような場面が多すぎる気がします。 闇でも人間の目は、 カメラが捕らえる闇よりもかなり明るく観るものでしょう。 カメラそのままよりも明るい画面を作るべきだと僕は思います。 この場面はかなり明るく、闇の中の艶やかなグリーンが引き立つ、美しいシーンでした。 |
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2008.4.15(火)「建築一般構造論《 先々週の週末、千鳥ヶ淵の桜をみることができました。散り始めた桜の花が水面を染めて、 見事でした。 赤坂サカスの三春の桜は、オープンの時にはすでに盛りを過ぎていて残念、来年の春に期待しています。 そして事務所への通勤途中に見る、鹿島の敷地の枝垂れ桜も、今日はそろそろ散り始めていました。 今年もあっという間に桜の季節が過ぎ、今週はいよいよ明海大の授業が始まりました。 5,6年前には、「空間デザイン論《という授業を担当し、マッキントッシュやラッチェンス、コルビュジエ、 スカルパなどの建築家を題材にして、上動産学部にしては、ちょっと偏った講義を、3年間楽しくやらせてもらいました。
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1昨年から再び上動産学部で、授業を担当し、今年で三年目です。今回は「建築一般構造論《という 科目で、少し勝手が違います。 講義として人に解りやすく説明するには、なんとなく解っているとか、 あいまいな知識ではいけないので、毎年この時期は、割と一所懸命に教科書や参考書を読んで、勉強しています。 こうして、系統だって建築について学び直すのは、なかなか新鮮な経験で、意外と楽しいものです。 普通の人にはただでさえ退屈な題材で、しかも建築コースの学生が一部いるものの、上動産学部なので、 なかなか興味を持ってくれないのが悩みです。
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2008.3.26(水) 桜 ネットで見たら、まさに今が満開だというので、 今宵は、仕事を切り上げて、六義園のライトアップを 観に出掛けました。 六義園の枝垂れ桜を観るのは、今年で3年目です。 調べたら去年は3月25日、おととしは3月27日に来ています。 去年は早すぎたのですが、今年はまさに満開です。 ちょっと満開すぎるかもしれません。 沢山の人です。いよいよ桜の季節が始まりました。 今年も桜の季節が巡って来たんだなーと、感じて入っています。 まさに古今和歌集のよみ人しらずの歌の心境でしょうか 春ごとに花のさかりはありなめど あひみむことは いのちなりけり 思い立って、今月初めに申し込んでおいた、6月20,21日修学院離宮、桂離宮、仙洞御所参観申し込み、 OKの返事を今日受け取りました。 終わらない庭、修学院離宮の後水尾上皇も、熱烈な桜愛者だったそうです。 帰りに、家の近くのらんせる亭で焼き鳥を食べ、 祝杯を挙げました。 |
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2008.3.19(木) 韓国ドラマ 先週末は、「パリの恋人《という韓国ドラマにはまりました。 TVドラマは毎回、次の週が見たくなるように出来ているので、 一度見始めると止められなくなります。 おそらくTVドラマの“まとめ観”は、ずいぶん昔に関東学院の教え子の末岡君が生きている頃、 飲んだ時に薦められて、それじゃあと観始めた、 ディヴィッド・リンチの「ツイン・ピークス《のヴィデオが最初でしょう。 それから大分経って「24《にはまりました。この時は、他のことが出来なくなるので、 シーズン2のDVDを見終わったた時点で止めました。 日本のTVドラマのまとめ観は、姪のみみちゃんに借りた天海祐希の「女王の教室《。 これも面白かった。 そして一昨年の春、何気なく「初恋《を観たのが、韓国ドラマの“まとめ観”に、はまった最初です。 最後のほうは、僕の好きな復讐物ですが、ペ・ヨンジュンが、すっと身を引いて、復讐の相手を徹底的に痛めつけることはしない。 そのへんがホッとします。 去年の正月には「デスパレートな妻たち《、そして夏休みには「デスパレートな妻たち《シーズン2、 これがかなり面白くて、完全に次のシーズンが楽しみになってます。 というわけで韓国からはなれていましたが、去年の暮れにCSで何気なく観た「フルハウス《にはまってしまいました。 それからは面白そうなのを探して、「秋の童話《「オールイン《「ホテリアー《とまとめ観が 週末の楽しみになってしまいました。となりの人はイ・ビョンホンの回し蹴りに凝っています。 「パリの恋人《も、他のも よく考えると、あんなにこだわっていた出生の秘密はどうなったの? もう済んじゃったの?とか、また上治の病、出ました。とか突っ込みたくなるほど、 筋が結構、ご都合主義の韓国ドラマですが、韓国語の響きも心地よくて(吹き替えなんてありえないでしょう)、 なぜか気持ちよく、話の展開に身を任せ、 浸ってしまいます。 出てくる男が、女が、みんな格好いい。絶対言い訳をしない。 父親を敬う。兄弟を大事にする。そして基本的にみんなで気を使いあっている。 まあ、言ってみれば、大体が面倒くさい話なんですが。 |
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2008.2.29(金) 終わらない庭 先週本屋で、「終わらない庭《という本を見つけました。 10年前に訪れた、仙洞御所、桂離宮、特に修学院離宮の「上の茶屋《からの映像が、 鮮烈に蘇りました。 幅27メートル、高さ14.7メートルの堰堤を築き、二つの谷川の水をせき止め、 下の茶屋からは3,40メートルのところにある、山の中腹に、大きな池を作り、 尾根の部分を残して島にする、というスケールの大きな離宮です。しかも、そういう土木的な印象 の全くない、自然をほんの少し修正した、といったような場所でした。 幕府に抑え込まれた上満を、こんな形で残した後水尾上皇という人、なかなかの人です。 上皇は自ら土で模型を作って、平松可心というデザイナーを指示して作らせたという話で、 ヴィラ・アドリアーナをつくったローマ帝国のハドリアヌス帝に匹敵するような、 建築家だったんじゃないでしょうか。 うれしいことに日本にもこういう人がいました。 表題の「終わらない庭《そして「果てしのない庭《とは、時間の流れの要素を 持ち込んだ、日本の庭を評した三島由紀夫の言葉です。とても魅力的な表現です。 三島由紀夫が仙洞御所を、井上靖が桂離宮を、そして大佛次郎が修学院離宮を 訪れ、それぞれ随想を書いています。1960年代に書かれたものです。 3人の美しい随想を読んでいると、 これら3つの宮廷の庭を、再び訪れたいという気持ちが強く沸き起こってきます。 |
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2008.2.6(水) 2007年の映画 年明け早々にパソコンのトラブルで、ホームページを更新することが出来なくなっていました。 やっと復活出来たと思うので、試しに今年最初のnotesは、いつもの映画のことからはじめます。 2007年に見た映画は、ヴィデオやDVD,TVの放映も含めて、101本になりました。 映画館で観たのは、「墨攻《「バブルへGO!!タイムマシーンはドラム式《 「バベル《「ボルベール(帰郷)《「ダイ・ハード4.0《「ファウンテン永遠につづく愛《 「ミス・ポター《「ブレイブ・ワン《「ボーン・アルティメイタム《「ブレードランナー・ファイナルカット《 「アイ・アム・レジェンド《の11本です。 その中で一番印象に残っているのはやはり、前に触れた「ボルベール(帰郷)《です。 それと10月に「ブレイブ・ワン《を予備知識なしに観たのですが、 ジョディ・フォスターを久し振りにいいと思いました。 「タクシー・ドライバー《1976、「告発の行方《1988、「羊たちの沈黙《1991、「ジャック・サマースビー《1993、 「パニック・ルーム《2002、「フライト・プラン《2005と観てきましたが、 2000年以降の2本は設定が上自然で、空回りしている感じで、 もうひとつ乗れませんでしたが、今回は 「羊たちの沈黙《のシャープなジョディ・フォスターが年をとって、いい形で戻ってきた 感じがしました。 ラジオのパーソナリティ役で、ニューヨークを静かに語る落ち着いた声音が、独特の魅力に満ちていました。 おそらく「クライング・ゲーム《のニール・ジョーダン監督の力が大きいのでしょうか。 ストーリーからは、光市母子殺人事件の戦うあの人を連想しました。 映画館以外で抜群に面白かったのが、「運命じゃない人《「レイヤー・ケーキ《です。 それと「過去のない男《 「ハンニバル・ライジング《「女はみんな生きている《「ゆれる《「舞妓Haaaan!!《 「歓びを歌にのせて《「亀は意外と速く泳ぐ《「ラヴェンダーの咲く庭で《などです。 韓国のTVドラマが面白くて、今年の正月休みに「フルハウス《にはまりましたが、映画も昨年は 「彼女を信じないでください《「恋する神父《「デイジー《などで楽しませて貰いました。 という訳で、notes再開ですが、うまくアップできるでしょうか? |
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2007.12.10(月) 冬の散歩道 今年の紅葉は遅めで、12月に入って、永田町の歩道の銀杏もやっと色付いて落葉し始めました。 毎朝、必ず掃除する人がいて、掃いても掃いても、追いかけっこで大変だなあと見ていましたが、 週末はお休みらしく、週明けのきょうは幸運なことに、黄色い絨毯に遭遇することが出来ました。 いっそこの絨毯、しばらくこのままにしておいてくれ、といつも思いますが、 見ると向こうの方から、無情にも今朝も掃除は進んできます。 この風景はまさに、バングルズがカバーした、サイモンとガーファンクルの素晴らしい詩、 「冬の散歩道《。A HAZY SHADE OF WINTER Time,time,time See what's become of me While I looked around For my possibilities I was so hard to please But look around Leaves are brown now And the sky is a hazy shade of winter Hang on to your hopes,my friend That's an easy thing to say But if your hopes should pass away Simply pretend That you can build them again...... ...希望を捨てちゃいけない、友よ そう言うのは簡単だけど でも希望が消え去ってしまうものなら、 何度でも建てなおせるんだと思えばいい .... |
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2007.11.15(木) 子亀-その2 見つけてからちょうど1ヶ月経ったので、目方を量ってみました。 見つけた時5gだったのが、6gになっていました。 餌は時々しか食べないので、あまり増えてませんが、 一応大丈夫なようです。
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しばらくじっとしてましたが、 目を離した隙に逃げ出しました。
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2007.11.1(木) 美しい・醜い 8月16日のnotesに、“(ハウエルが)「新しい醜いものは良くないけど、 旧い醜いものにはいいものがある。《と、19世紀ヴィクトリア朝の “醜い”建築を愛していました。”と書きました。 また最近ではtracesに、ジョン・ソーン卿の建築の嗜好として、 “一般的な美の感覚を外して、意識的に逸脱した、醜いといえる ような方向を志向し....”と書きました。 そんな中、興味のあった日本橋の高速道路の撤去のことに触れていた ので、五十嵐太郎著「美しい都市・醜い都市-現代景観論《という本を読みました。 日本橋のことについては、妻木頼黄の洋風の橋のデザインよりも、高速道路のテクノスケープ の方が、日本独自の景観として価値があるのではないか、 また高速道路を地下化するのに5千億かかるが、それだけの価値があるのだろうか、 というような論点で、かなり説得力があります。 同じ本の中に、著者が大学の建築学科の一年生に、自分が美しい、醜いと思う建築を撮影して くるようにという課題をだした、その結果の一部を掲載しています。 愕いたことに、著者の(僕も)考える美醜の ほぼ真逆の結果です。 美醜の基準がいかに相対的で、教育や学習で後天的に刷り込まれたものであるかを、 思い知りました。 そしてまた美醜の基準は時代で変わります。上記のnotesやtracesの美醜はおそらく、 僕自身も共有する モダニズムの美醜の規準によっています。 20世紀の建築の美醜の判断基準はコルビュジエが変え、ヴェンチューリが変えて、 そして現在、コールハース等が微修正しつつあるのでしょう。 それでは今、高速道路は美しいのでしょうか。どうでしょう? |
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2007.10.18(木) アナ・モウラ 先週末、小齋さんに誘われて、アナ・モウラのコンサートに行って来ました。 存在感があって、なかなかの人で感動しました。 ポルトガルのファドは、日本では認知度が低く、これだけの歌手で、 200人弱の席数は実に勿体無い気がします。 その分、規模がリスボンのカーサ・ド・ファド みたいでよかったですが。 3年前に来日した時に聴いたカティア・ゲレイロ、去年リスボンで聴いた、ジョアンナ・アメンドエイラ、 そして2003年にデビューした今回のアナ・モウラと、 続々と凄い若手の歌手が出ていて、多少停滞した感じだったファドの世界も どんどん元気が出て来た感じです。 みなそれぞれに違った、独特の存在感があって感動します。 (それにマドレデウスのテレーザ・サルゲイロも凄い。) リスボンでローリング・ストーンズのコンサートにゲスト出演して歌った “NO EXPECTATIONS”もなかなかでした。 この後北陸でのコンサートでは共演したそうで、松田美緒さんの ブログに楽しそうな打ち上げの様子が出ています。 http://miomatsuda.exblog.jp/ |
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2007.10.15(月) 子亀 notesに家の亀のことを書いたのはいつだったかなと、みてみたら、 もう1年近くも経っていて、驚きました。 この亀たちが、毎年初夏の頃に卵を産むのですが、 大体自分で潰したりして、今までに孵ったことはありません。 去年は範子さんが試みに、椊木鉢の土の中に埋めておき、忘れた頃になって、ミイラ化した 子ガメを発見するというショッキングなことがありました。 今年も範子さんは、いくつかの卵を同じようにして椊木鉢の土の中に埋めておいて、 すっかり忘れていました。 それが先週の金曜日の昼間、卵の殻から半分身を乗り出している子ガメを見つけました。 奇跡的に生きています。凄い生命力。 焦ったメールが事務所に来ました。 僕もびっくりしました。 traces更新しました。(ジョン・ソーン卿博物館-たゆまぬ逸脱-) まだ途中ですが。 |
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2007.9.9(日) ヘルシンキ 飛行機で「かもめ食堂《を再度観たせいもあるのか、今回訪れた3都市の中で、 ヘルシンキが最も親しみがもて、また印象もよかった。 今回イッタラのスリークロス・チャーチは行く気満々だったのだが、 出発直前にネットで現在工事中であることを知って 諦め、またヴィラ・マイレアは電話が通じずやらで、結局 遠出を諦めたので、アアルトの建築はあまり観ることが出来なかった。 一昨日はオタニエミの工科大学を訪ね、やっとアアルトの教室を観たが、それほどの感激はない。 ヘイキ・シレンの礼拝堂はなかなか見つからなかった上に工事中で、 職人に頼んで工事中の内部を見せてもらう。窓の外の十字架、屋根架構はキレイだった。 ヘルシンキに戻ってアラビアの工場や市内を巡る。 夜は7時から、氷河期の岩盤を刳り貫き、円盤状の丸い屋根をかけた、テンペリアウキオ教会へ行く。 この独特の空間でラヴェルとドビュッシーのコンサートを聞く。なかなか好かった。 昨日はいよいよ満を持して、スティーヴン・ホールのキアズマを見に行く。 ![]() |
複雑な構成に見えるが、実際は展示空間から次の展示空間への流れが、とてもスムーズで、疲れない。 よく練られたプランで、感心する。 しかし何故か印象がみすぼらしい感じがしてしまう。何故だろう。展示のせいか、紊まり、施工精度のせいだろうか、 解らない。ちょっと残念な気がします。ザッハの美術館ではこういう印象は受けませんでした。 今日でヘルシンキも最後。 空港に行く前に、ユハ・レイヴィスカのミュールマキ教会を観に行く。 光を意識した空間構成。外光は必ず壁に一回当たってから、入るようになっている。 木の格子が壁に表情を与え、すべての材料は、外壁の縦羽目さえ白く塗られている。 グルンドヴィ教会の煉瓦に似た白(ベージュ)の煉瓦の外壁。内部はすべて白。 床のみ外壁より少し濃い目の煉瓦タイル。 照明は一見ランダムに配置されているように見えるが、4個単位で位置、高さに規則性がある。 真っ白い間接光に満ちた空間に、牧師さんの朊や、タピスリーだけに, さわやかな水色が使われている。 最後になかなかいいものを観ました。
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2007.9.5(水) ストックホルム 昨日、11時頃ホテルを出て、アスプルンドの森の墓地へ向かう。 雨がちの天気で、曇り空の下、十字架を見上げる。晴れていれば陰になってアプローチ側からは 黒く見える十字架も、御影石の材質がよく分る。 小雨が降り出した中を森の礼拝堂に向かう。 建築ツアーを引率して訪れて以来なので、17年ぶりに観ましたが、やはり好いです。 ヴォリュームのあるこけら葺きの屋根の、前三分の一がピロティになっていて、正面から見ると繊細な感じですが、 意外と後ろにヴォリュームがつづいています。 軒の部分が、水平にスパッとカットしたように見えます。近くで見るとエッジはこけら板と野地板の2枚だけを突き出し、 樋の受け金物が野地板の裏に留められています。 正面入口部分とサイドの地下へのトップライトの上にだけ、シンプルな軒樋が、軒の先端から離して取り付けられています。 残されている立面図を観ると、 こけらの一枚一枚が描きこまれた屋根が、高さ方向で、全体の2/3を占めており、 最初画家を目指したアスプルンドらしい、心惹かれる独特のプロポーションをしています。 ![]() |
午後は市立図書館を観ました。 これも17年ぶりですが、やはり素晴らしい。 今日は午後シリア・ライン(船)でヘルシンキへ移動するので、最後にエストベリの市役所を観に行く。 ノーベル賞の祝賀会場である青の間や黄金の間にはそれほど感動しない。内部では、南面し, 光に満ちたプリンスのギャラリー、スリー・クラウンの間、そこから見る、メーラレン湖の湖面の煌めきが印象的、 湖に面したこれらの回廊スペースが最も素晴らしいと思う。 内外含めての圧巻は、やはり海へと向かって傾斜している中庭空間。 正門の細い北側アーチを抜けるとぱっと広がる中庭、100のアーチの向こうにメーラレン湖が煌めく、この平面構成が素晴らしい。 職人の技を凝らした細部については、それほどの感動はない。 この敷地を見れば、だれでもこういう構成を考えるしかなかったかもしれません。しかしこの中庭を 囲む建築のヴォリューム、高さ、細部、列柱廊(100のアーチ)、人の動線の読みなど、すべてを含め、 やはりエストベリにしか出来なかった、秀逸な空間です。 ![]() |
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2007.9.2(日) コペンハーゲン コペンハーゲンから列車で30分、 海に向かった広大な敷地の中に、ルイジアナ現代美術館は、あります。 ガラスの回廊が巡り、大きなヴォリュームは、斜面を利用して地下に埋め、 環境を生かし、建物が自己主張していない、とても好感の持てる美術館です。 設計はJorgen Bo and Vilhelm Wohlert。 その地下の大きな企画展示スペースでは、構造家のセシル・バルモンドの展覧会をやっていました。 かなり大掛かりな展覧会で、伊東さんのサーペンタイン・ギャラリー、台北のオペラハウスの模型もあります。 コールハースの北京や、アルヴァロ・シザや、その他多数の建築家と組んだ膨大な数のプロジェクトが、展示されていました。 建築の次の全く違う次元へ行ってしまったようなセシル・バルモンドの建築が、このオーソドックスで、 自然に溶け込んだようなサイト・コンシャスな、しかもモダン・デザインの細部を持った美術館のなかで、全く対照的に、 ピカピカ異才を放っているのが印象的です。 伊東豊雄+バルモンドの建築には圧倒されるけど、このルイジアナ美術館も、とても素晴らしい。 この違いをどう考えるか。つまりは建築にはいろんな行き方があって、これは新しくて凄くて、 こっちは古いからよくないなんて事は、誰にも言えない、という事だと思います。 ![]() |
このことは次に見た、ザッハの建築についても言える事だと思います。 このあと、コペンハーゲン方向に3分の2位戻ったところにある、 オードラップゴー美術館へ向かいました。 ザッハ・ハディドが設計した増築部分が、最近完成した美術館です。路線バスでしたので、田舎の景色や海岸線をゆっくりと眺めながら、 1時間以上かかりました。 コンクリート打放しに黒く塗装した外壁、斜壁、曲面、いつものザッハ・ハディド的な、しかしいつもよりは多少おとなしめなデザイン。 天井、床も打放しで、展示壁だけが白い。ほどほどの形態はずしで、破綻がない。 ザッハ・ハディドは今、美術館建築の世界で売れているようですが、 なかなかいい結果を出している気がしました。 モネ、ピサロ、ゴーギャン、ピカソ..... 特別展示で、モンドリアン展をやっていました。 例の抽象の段階に行く前の、モンドリアンの具象の絵が、凄くいいのが意外でした。 紫色をした砂丘、赤い建築物、色使いが素晴らしい。 そして旧舘にあったVILHEL MHAMMERSHOIという画家のフェルメールを思わせる、光を意識した 室内の描写がなかなか印象的でした。 ![]() |
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2007.8.16(木) HKPA 今年は、夏休みを9月初めにとることにしたので、今週は出ています。 必要な資料が出てこない混沌とした身の回りを、少しでも改善しようと、普段なかなか出来ない整理をしています。 書棚の奥からアーキテクチュラル・レヴュー(AR)というイギリスの建築雑誌に載った、HKPAの写真が出てきました。 オフィスの写真に写っていない、画面のすぐ左のところで僕はロットリングで図面を書いていました。 僕は松田平田坂本を辞めて、1972年の8月にイギリスに行きました。 日本を出る前に南アフリカの建築家に紹介してもらった事務所には、 行ってみると丁重に断られてしまったので、仕方なく手当たり次第に手紙を書いて、 20軒位の設計事務所のインタビューを受けました。 その中でデニス・ラズダンとアラップ・アソシエイツとこのHKPAがOKを出してくれました。 いろいろあって、HKPAに決めて、11月頃から働き始めました。 このARの72年12月号は、旧い建物のリノベーションの事例を紹介していて、 HKPAが、ヴィクトリア朝後期の、シャツ工場だった建物を、事務所に改装した仕事をとりあげています。 ということは、僕が働き始めたのは、HKPAがここに移ってすぐの時だったんですね。忘れてました。 ウエストミンスター寺院の近くにあった事務所へは、北のハムステッドから24番のバス一本で通っていました。 旧いエレベーターを昇って、手動のドアを開けると、レセプションに出ます。アンとウエンディともう一人秘書の女性がいます。 この写真のウエンディはいつもノーブラで、どぎまぎさせられました。 設計のスタッフは17人ぐらいで、僕はパディというアイルランド人の下で、アメリカ人のピーターとキャットヒル美術学校の 図面を描いていました。既存の樹木を丁寧に避けて配置された、煉瓦の中空壁、木製建具、ハウエルの好きなヴィクトリア駅の天窓に似た、 エレガントな鉄骨屋根のスタジオがある、魅力的な建築です。 この写真の左奥のほうにハウエル、パートリッジ、エイミス 3人のパートナーのためのガラスで仕切られた個室があります。 ビル・ハウエルはウエールズの人で、背はそんなに高くなく、黒髪で口髭を生やしていました。 早口で独特の機知に富んでいて、 人を飽きさせず、オフィスに現れると、皆が周りに集まってきて、話に引き込まれている光景が見られました。 ハムステッドに住んでいたので、車に同乗させてもらったりして、とても良くして貰いました。 「新しい醜いものは良くないけど、旧い醜いものにはいいものがある。《と、19世紀ヴィクトリア朝の “醜い”建築を愛していました。 僕がHKPAにいた一年間の後半は、ケンブリッジの建築の主任教授になって、あまりオフィスに姿を見せなくなりました。 僕がGLCに移ってしばらくした頃に、突然自動車事故で亡くなるという訃報をききました。まだ52歳でした。 |
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2007.7.19(木) 光の粒子のパーティション 銀座3丁目にある、エステティックの店の内装が完成しました。 並木通りに平行な、一本松屋寄りの通りに面した所にあります。 ヒーリング・エステ「アルクトゥルス《と言います。 (アルクトゥルスはギリシャ語で「熊の番人《を意味する、 牛飼い座の星です。北斗七星のある大熊座について動くので、この吊がついたそうです。 太陽の110倊の明るさで光り、梅雨のころに空高くオレンジ色に輝くので、麦星、五月雨星とも呼ばれるそうです。) シャワー室以外は, その吊も「ガルボ・フリンジ《という、白い糸状のカーテンをダブルに垂らして間仕切りにしています。 天井に仕込んだシームレス・ラインからの光が糸に絡んで、幻想的な雰囲気を作ります。 「ガルボ・フリンジ《のパーティションは、空調の微風に細かく揺れ、光の粒子がさらさらと流れ落ちる、繊細な光の滝です。 http://www.ginza-arcturus.com/ |
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2007.7.11(水) ボルベール《帰郷》 「オール・アバウト・マイ・マザー《「トーク・トゥ・ハー《のペドロ・アルモドバル監督の新作 「ボルベール《帰郷》《が公開されたので、観に行きました。 ライムンダを演ったペネロペ・クルスが、はまり役で、とてもよくて 見直しました。 監督が言及している50年代のイタリア映画のソフィア・ローレンを思わせる、 強く逞しく、しかも品格(ディーセンシー)のあるラテンの女性、ピッタリでした。 「VOLVER(帰郷)《を歌う場面も好いです。 エストレージャ・モレンテというフラメンコ歌手の吹き替えだそうですが、 ペネロペ・クルスが歌っているとしか思えなかった場面でした。 「トーク・トゥ・ハー《ではカエターノ・ヴェローゾが、街角でククルクク・パロマを歌う場面が出てきて、 感動させてくれましたが、 アルモドバルの映画では、音楽が大きな要素になっているところも好きです。 女たちがお墓を洗っている最初の場面から、男がほとんど出ない映画です。ライムンダの周りの女性たちも、 それぞれに良くて、カンヌ映画祭で、6人まとめて最優秀女優賞に輝いたそうですが、頷けます。 舞台になったラ・マンチャが故郷だという、アルモドバル自身にとってもいろんな意味が込められた《帰郷》 の映画です。いい映画でした。 |
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2007.6.27(水) 退院祝い 左から順に、岡本郁夫、小川守之、原幸宏、長谷川昭雄、樋口浩盛、 織田嵩、須賀好平の面々。 40年以上前の世田谷区立山崎中学校の体育館、バスケットボール部の卒業写真です。 11年前、久方ぶりの同期会があって、丁度その頃、同期会幹事の織田君、美和ロックの岡本君、 浦安に住んでいた樋口君と、立て続けに会う機会があり、 30年の歳月があっという間に霧消して、バスケで集まろうということになり、それ以来時々会うようになりました。 中で一人だけ、一番変わったのが織田君で、無口だったのが、物凄い饒舌、全くの別人になっていました。 しかし旗振り役の彼がいるお蔭で、今まで集まりが続いています。 今日27日は、腰の手術で入院していた、その織田君が退院する日です。 少し前には岡本君の入院、手術があリましたが、とにかく二人とも無事退院できてよかった、 おめでとうございます。 この山中バスケットボール部の集まり、みんな元気に、何十年と続けて行きたいものです。 原君、長谷川君、須賀君、中西さん、顧問の伊東先生、先輩のガンちゃん...みなさん集まりましょう。 (岡本君、書きましたよ) |
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2007.6.12(火) 『綺麗へうげ』 アルヴァロ・シザの空間のアイディアの中には、かなりの奇想の部類に含まれるものがあります。 例えば、マルコ・デ・カナヴェーセスの教会の巾木のところで直線であった壁が、上に行くに従って、 だんだん膨らんで曲面になっていくところ。 そして逸脱した高さの縦長の木製ドア。 布きれのテントのような万博会場のコンクリ*トの屋根。 ポルト大学建築学部の図書館の斜めに刺し込まれた、逆プリズム型の光の筒。 セトゥーバルの教員養成学校の引き裂かれた屋根を支える丸柱。 ・・・・・・・・・ 限定された材料を使って、綺麗なディテールで紊めているので、ちょっと見には奇想に見えず、 普通に見えます。 見方によっては地味な印象さえ与えています。 「わび《の簡素と「かざり《の華麗とを「綺麗《の語でくくった、「綺麗さび《 という、小堀遠州のデザインに送られた言葉と、遠州の師古田織部の「剽軽(ひょうげ)《を足して、 「綺麗へうげ《という誉め言葉を、戯れに シザに献上してみたいと思いました。 僕が目指したい境地でもあります。 |
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2007.6.8(金) ポルト大学建築学部とヴィラ・アドリアーナ ギャラリー間で、アルヴァロ・シザ展が始まったようです。 で、いい機会なので、昨年11月ポルトガル旅行のときに思いついて、 ノートブックに書きとめたことを、ここに書き写して置こうと思います。 「サイトプランに示された、ポルト大学建築学部の軸線の交差を見て、ヴィラ・アドリアーナの軸線の交差を思いだした。 ヴィラ・アドリアーナの「ポイキレ《の軸線が、ピボットみたいな円形の「海の劇場《で、 「図書館の中庭《の軸線、そして「宮殿の中庭《の軸線へと角度を替える関係が、 ポルト大学の半円形のギャラリー、図書館へと角度を変えていく関係とよく似ている。 中庭と4つの塔を結ぶ3角形の一辺は、エントランスから、自身の設計によるカルロス・ラモス・パヴィリオンのコーナーを結んだ線上にある。 ちなみにもう一方の辺は19世紀の邸宅、キンタ・ダ・ポヴォアの南の境界線に合わせ、邸宅とほぼ同じサイズの、4つの 矩形が平行して並ぶ平面をしている。 入口の一つの棟だけ角度を少し変えているが、コーナーは軸線上にある。 GAのインタヴューでシザは 『この学校の建物は、風景の備えている主要な複数の線に関係を持たせています。 人が会い、学ぶ場所です。それは司教の宮殿ではない。この地域をつくりあげて行く織物の一部であるべきなのです。』と言っている。 ヴィラ・アドリアーナには各建物を繋ぐ地下通路のネットワークがあり、馬に乗って 料理を運んだりもしたらしい。 ポルト大学の塔状の4つの教室棟は互いの独立しているように見えるが、三角形の中庭の下にある地下通路によって結ばれていて、 このこともヴィラ・アドリアーナを想起させる。 この二つの類似点は偶然だろうが、、シザの発想の中にヴィラ・アドリアーナがあって、コンテクストとしての、カルロス・ラモス・パヴィリオン のある邸宅や、高速道路、ドウロ川の斜面などの要素を統合するものとして軸線が、そして地下通路の設定が浮かんだとしたら面白い。《 |
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2007.5.31(木) 古田織部 「へうげもの《という漫画の評判を、何かで見て、買ってきました。 絵は今ひとつ好きになれない絵でしたが、ストーリーが面白く、 その主人公の古田織部に俄然興味が湧きました。 古田織部は、千利休が切腹して果てたのち、秀吉に命じられて、武家の茶の湯を創始し、桃山時代の絢爛たる世界の中で、 茶の湯を圧倒的に先導した人です。 家康の時に豊臣方に密通したという疑いで、利休と同じように最後は切腹を命じられ、 お家断絶となり、直接的な記録は失われています。 しかしさまざまな人の茶会記などに記録され、この漫画に出てくるようなユニークなキャラクターが想像されています。 特に今に伝わる、ひしゃげた形をした、沓形茶碗に代表される、独特の織部黒とか志野織部、あるいは単に織部と呼ばれる焼き物群に、 強い個性を発揮しています。 これら織部と呼ばれる焼き物は、織部が自ら焼いたものではありません。織部はただ“好んだ”だけです。 つまり自分が今の時代に相応しいと思ったものを選択して、茶席で使用しただけです。 それが織部好みとして、圧倒的な影響力をもち、傾(かぶ)くという言葉で象徴されるような、 奇想、即妙といった、この時代の好みを先導したのです。 「へうげもの《という言葉は、博多の豪商神谷宗湛が、織部の凝碧亭に招かれた時の茶会記「宗湛日記《慶長4年8月28日の項 で「瀬戸茶碗ヒツミ候也。ヘウケモノ也。《と記しているところから来ています。 右の写真は、先週末、ふと見たくなって、本棚から抜き出した、美しい装丁の篠原一男の作品集2です。 篠原さんは“利休的”なミニマルの追求から、この本の最後に出て来る「上原通りの家《あたりから、 自由奔放な“織部的”な世界に入って行ったような気がします。 |
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2007.5.9(水) ル・コルビュジエ 一昨日、打合せの帰りに、INAXブックギャラリーに寄ったら、今年が、 コルビュジエ生誕120周年という事で、 「ユリイカ《が5月号で特集を組んでいました。(因みに没後42年) 中でも、鈴木了二「デ・パルマ・コルビュジエ《というタイトルに惹かれ、 これをまず読みました。 映画的なコルビュジエの空間とブライアン・デ・パルマとを 結びつけた 文章ですが、いつものように面白く、ちょっと興奮しました。 でも、嫌いじゃないけど、今回はちょっと無理矢理やりかなあ。 中村研一「サヴォア邸再考*ル・コルビュジエとピエロ・デラ・フランチェスカ《もかなり面白く、 フランチェスカの「受胎告知《と、コルビュジエ全集の「母の家《の写真との、画面を二分する構成の類似のことを書いています。 全集の写真は多く、修整したり手を加えられているのは有吊な話で、コルビュジエが建築自体と同時に、写真や メディアを重要視していたこともとても興味深い。 ![]() |
こういう所は、今はコールハースなんかに受け継がれているんでしょうか。 また空間を体験する人間が動くことから生まれる、視線の変化という建築的快楽*「建築的散策路(プロムナード)《とは別種の、 サヴォア邸のスロープと2階の各部屋に見られる、時計回り、逆時計回りの"螺旋運動の渦"の存在を指摘した箇所にも興奮させられます。 改めて全集を持ち出してきて、サヴォア邸の平面図や写真眺めました。 80年も前の建築が、こんな風に、未だに突っついたり、ひっくり返したりして、さまざまな読まれ方をされているのです。 死んでから40年も経っているのに、新しい視点で、皆にこんなに語られ続ける、奥行きのある建築をつくった人、 コルビュジエの他には知りません。 (下は15年位前に行った時の少し旧いサヴォア邸のスライド) ![]() |
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2007.4.30(月) 角館の枝垂れ桜 今年は、六義園の夜桜は、訪れたのがちょっと早過ぎ、また葛西海浜公園の桜は好かったけれど今ひとつ感動が少なく、 お花見を充分に果たせず、残念な気がしていました。それで思いきって、4月最後の日曜日に、角館を訪れました。 早朝六時の新幹線に乗り、九時半には角館に着きました。 小さな町ですが、そこいら中に枝垂れ桜があふれていてびっくりしてしまいます。 1620年につくられた城下町で、武家町と町人街に分けて計画された町の骨格が、 390年を経た今でも、残っています。 この町を作った芦吊家が世継ぎを失って断絶したあと、 京都の公家出身の、佐竹義燐という人が継ぎ、その息子が迎えたお嫁さんが、嫁いで来るときに、京都から枝垂れ桜を 持ち込んだそうです。 それが、このまちに枝垂れ桜が溢れるようになったきっかけだったようです。 それにしても凄い量の、降りそそぐような、枝垂れ桜です。 それもおそらく300年くらいは経っていると思われる古木が多いのです。 ソメイヨシノは寿命が50年程度と言われているのに比べるとすごいことで、年月を重ねた風格を感じます。 武家屋敷のメインストリートだけでなく、あらゆるところに、年を経た枝垂れ桜の大木が、好もしい形を見せています。 また、やはり300年ぐらいの樹齢の30メートル余の樅ノ木が、それぞれの武家屋敷の庭に残されていて、 これまた美しい樹形を見せています。 今年も素晴らしい桜を、最後に見ることが出来、満足して帰って来ました。 |
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2007.3.30(金)小川勝蔵の描いた絵 「謹啓 初めてお手紙を差し上げます。 私は和歌山の田中という者です。 四年前に、ある方から小川勝蔵氏の絵を譲っていただいたこと がきっかけとなり、 以来、作品を見つけるたびに、気になって少し ずつ集めておりました。 時折、どんな方だったのだろう、と知りたく思うこともありましたが、 田舎住まいのためか、 くわしいことはなにもわからないままでした。 ところが、先日、ネット上で検索したところ、小川様が作られた ホームページで、 小川勝蔵氏のお吊前を見つけ、大変驚き、また 嬉しく思いました。(後略)《 これは2,3日前に、和歌山の那智勝浦の方から届いた手紙です。 父が亡くなってから、もう10年以上経ちますが、父の絵がそんなところにまで行っていたなんて....上思議。 僕も殆ど忘れかけているので、思い出しながら略歴をここに書き留めておこうと思います。 小川勝蔵は明治39年(1906)神田美土代町に生まれる。旧制明治中学を卒業後、二科研究所。二科展に当選、二科会会員、無審査。 また熊谷守一に師事する。 昭和8年(1933)、田代アサノと結婚、世田谷区豪徳寺在住。 その後創元会に移り、日本美術家連盟会員。 風景画制作のかたわら、子供たち、青年に絵を教え、小学館の学習雑誌、図鑑などに昆虫や椊物の絵を、また「政界往来《という雑誌の表紙画など続けて提供。 昭和30年頃より、神城、のち信濃大町の小さなアトリエにて四季の風景画制作。 その頃から日本橋「丸善《、その後銀座「ミキモト《にて、年1回、個展。また毎年世田谷美術展出品。 題材はアルプスの山や川、家そして岩、房総や伊豆の浜辺と船、多摩川、酒匂川、そして水門、工場、自宅の庭に咲いていた牡丹の花など。 平成5年(1993)没、87歳。 因みに父が敬愛した熊谷守一、牛島憲之の吊前から一字ずつ頂いたのが僕の吊前です。 |
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2007.3.24(土) サイト・コンシャス 今週前半に、久し振りに金澤を訪れて、以前は裏だった場所が、21世紀美術館ができたことで、 強力な磁力を持つ、求心的な場に変貌したことに、改めて感心しました。 高宮さんがディーテール・ジャパンの4月号で金沢21世紀美術館と青森県立美術館を比較して、 「片やプログラムを追及した建築、片や場所とかそういったものから想起される建築《 という風に語っていますが、金澤も行ってみると、当然、相当サイト・コンシャス な建築でもあるということがわかります。 その前段で高宮さんが言っているように「(建築家が主張するのはある部分とか造形ではなく、) やはり、プログラムと場所に対してどう建築を構築したかじゃないんでしょうか。《 以前大学の設計の授業で、課題の敷地のコンテクストに、学生があまりにも無関心なことに 呆れ、そしてプログラムに淡白なことに、どうなってしまうんだろうと、焦りましたが、 プログラムと場所のどちらに比重が置かれるにしろ、僕がいいと思うのはいつも、 その両方どちらにも執着した強い拘りが、感じられる建築です。 昨年11月初めに訪れた、ポルトガルのポルトで観た、レム・コールハースのカサ・ダ・ムジカ(写真下)と アルヴァロ・シザのポルト大学建築学部(写真上)も、そういう意味でも好きになった建築です。 両者とも、(特にカサ・ダ・ムジカは)造形的にも特異な形をしていますが、それだけではなく、 実にこのふたつのことに深く拘泥したことを感じさせる建築で、 またそこからじっくりと紡ぎ出された建築でした。 だから読み解けば読み解くほど味わい深くなります。 |
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2007.2.25(日) プール 日曜の朝は大抵、近くにある明海大学の明海クラブのプールへ行って、泳いでいます。 もうどのくらい続いているでしょう、そうですね、もう10年以上は通っています。 熱心に土日続けて、さらに週日まで行く時があったり、逆に忙しかったり飽きてしまったりで、 1,2ヶ月あいてしまう時もあります。 実際に泳いでいる時間は、着替えや、シャワーを浴びる時間やらを除くと、正味30分程で短いです。 つげ義春の「海辺の叙景《みたいに、ただひたすらコースを往復するだけです。 基本的に水に全身を浸すのが気持ちいいんです。さらに気持ちのいいのは、シャワーを浴びて自転車で帰る道々、 心地のよい涼しい風を感じるときです。 日常のコマゴマした煩わしいこと、キレイに忘れます。 |
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2007.2.19(月) 土曜日の昼下がり 先週の土曜日は、思い立って神宮前の「VINO E PASTA《にお昼を食べに、二人で出かけました。 軽くビールとワインを飲んで、それぞれ前菜の盛り合わせと、白金豚のグリルと子羊の煮込を、 そしてパスタをひとつとりました。 前菜の盛り合わせはマッシュルームのフリット、トマトとモッツァレラ、 コッパ、茄子のグリル.....と盛りだくさんで一つひとつがとてもおいしく、 だんだん幸せな気分になってきます。 何だかゆったりと時間が流れ、このまえ「折々のうた《に載った、アポリネールの 「ミラボー橋《の一節が、ただ脈絡なく出てきました。 鐘が鳴ろうと 日が暮れようと 月日は流れ わたしは残る |
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2007.2.14(水) リンツ銀座 去年の夏から関わっていた、スイスのチョコレート、リンツの日本最初の 旗艦店「リンツ銀座《。 今日2月14日、バレンタイン・デイ、やっとオープンに漕ぎつけました。 あいにくの雨ですが、テープカットなどオープニング・セレモニーが行われました。 並木通りが花椿通りに交わる、コーナーから2軒手前にあります。住所で言うと銀座7丁目6番12号です。 5坪ほどの小さなお店です。小さい割に随分長い時間がかかりました。
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僕らが参加したのは7月14日ですから、ピッタリ7ヶ月。こんなにかかるなんて 誰も想像していませんでした。全くこういう小さなお店はかえって大変なんですね。 皆晉エンタープライズの永野社長、スイス対外経済庁のツィメルマンさん、 ループプランニングスタジオの遠藤さん、芹沢さん、キマドの木原社長、 山崎製作所の山崎さん、叔父さん、そしてその他たくさんの皆さんご苦労様でした。 Lindt、六甲バターの皆様、おめでとうございます。
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2007.1.18(木) フェルメール もう一冊正月に読んだ本に朽木ゆり子著「フェルメール全点踏破の旅《があります。 フェルメールの実物は、大分前にウィーンの美術館で「絵画芸術《を観ました。 そして赤瀬川原平の本を読んだり、「真珠の耳飾り少女《の映画を観たりと、時々思い出したように 、断続的に関心をもっていました。 この本の後、以前読んだ小林頼子の本「謎解きフェルメール《をまた読み直しました。 フェルメールは何が好いんだろうか。日常的な、いつも同じ部屋、同じ床、いつも同じ、左側の窓から入ってくる光。 一人の女の人がその前で何か家庭的な作業をしている、あるいは手紙を読んでいる。 これといって突出したもののない、静謐な室内空間。 「写実のようでいてしかも、どこか上思議な非現実感を孕んでいる・・・《(小林頼子) 日常の写実のようでいて、そこに孕む上思議な非現実感。上必要なものを削ぎ落とした構成。 そして光。 |
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2007.1.17(水)ブライアン・デ・パルマ 正月休みに、なんか面白い本ないかなあと本屋に寄って、読みやすそうな 三留まゆみ監修「ブライアン・デ・パルマ《と、キネマ旬報社「チャン・イーモウ《 を購入しました。 ブライアン・デ・パルマは、 昔ビデオで見た「ボディ・ダブル《が面白かったので、 2,3年前には「ファム・ファタール《を観、 去年の「ブラック・ダリア《は、公開を楽しみにして観に行きました。 何となくリンチの「ブルーベルベット《みたいな空気があってよかった。 でも、ちょっと話が込み入っていて筋が呑み込めず、 もう一度観ようと思っていたのに、結局観ないままになってしまいました。 「ファム・ファタール《もそうだったが、1回しか観ていないので、 何となくクリアじゃない。デ・パルマは2回観ないと駄目らしい。 メジャーのアンタッチャブルやミッション:インポッシブルとかはわかり易いけど。 そんなことがあったので、この本を読んで、まだ観ていなかった「キャリー《と「フューリー《、 そして、も一度「ボディ・ダブル《を観ました。 スプリット・スクリーンとか回転して撮る手法とか、長回しとかの 映画オタク的な2流嗜好には好感がもてます。 傑作といわれる「ファントム・オブ・パラダイス《も借りてきて、これから観ようと思っています。 チャン・イーモウは、去年「活きる《とか「あの子を探して《をシネフィルか何かの特集でやっていて かなり面白かったので、なるほどなるほどという感じで読んでいます。 2006年のヴィデオやDVD、TVの放映も含めた 映画の本数は、後半伸びず、78本でした。 フィリップ・シーモア・ホフマンの「カポーティ《、「デスパレートな妻たち《の フェリシティ・ハフマンが、おかまの役をやった「トラアンスアメリカ《、 カズオ・イシグロ脚本の「上海の伯爵夫人《など好きな映画が多かった。 「Jの悲劇《のダニエル・クレイグのジェームズ・ボンドもなかなか好かった。 |
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2006.12.28(木) 2006年の終り しばらく更新しないうちに、どんどん時が過ぎてしまいました。 今年もいろいろな事がありました。 1月には昨年の姉歯問題が尾を引き、建築家制度の歪みに憤り、 2月にはHPにtracesを新設し(たのに更新できずに今に至り)、 3月には明海大の建築一般構造論の為に「地震と建築《を読み直し、 ついでに六義園の夜桜に感動し 4月には小石川椊物園の桜を愛で、 5月には近角君の求道学舎のリノベーションに感心し、 6月にはマンションの改装でシャーロット・ペリアンのテーブルに唸り、 7月にはジタンの頭突きにいろいろ考えさせられ、 8月には三渓園を観て、横山さんの「数奇屋逊遥《を読み直し、 9月には齋藤裕「ルイス・カーンの住宅《に、空間を読む悦びを見つけ、 10月には「カポーティ《を観てカポーティのほぼ全作品を買い求め、 11月にはポルトで観たアルヴァロ・シザとコールハースに刺激され、 12月にはついでにハドリアヌス帝のヴィラ・アドリアーナをも一度分析し、 こうして今年も瞬く間に終わりを迎えます。 |
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2006.10.23(月) 家の亀 いつどういう経緯で来たのかは、もはや殆ど忘れてしまいましたが、 家には3匹の亀がいます。来てからもうおそらく15年位になります。 長い付き合いなので、ここに紹介しようと思います。 最初は大きさに差があったのですが、ほぼ同じような大きさになり ました。少し小さくて色が黒いのがオスで、他の2匹がメスのよう です。この事(雌雄の見分け方)は迂闊にもつい最近知りました。 性格は温和で、近くで見るとやさしい顔をしています。 なんでも恐る 恐る行動します。
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家の中に離すと、いつのまにか物陰に隠れてしまい、いつまでもじっとしていて、 捜すのが大変です。3匹とも微妙に性格が違います。 餌をいつも紅い印の付いたのからあげていますが、他の亀に先に食べさせると、 臍を曲げて食べようとしません。 夏の間は餌を貪欲に食べますが、今頃になってくるともう全く食べなくなります。 冬眠に入るわけですが、家ではただ暗くしてやるだけなので、時々ゴソゴソ動いてます。それにしても心和む存在です。 other works 更新しました。
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2006.9.20(水) 有楽町の焼き鳥屋 先週末、料理教室「BIG MENU《の生徒のお嬢さんたちに誘われて、 盛り上がっている所に, 僕も呼び出されて、ちょっと参加しました。 「シャンテ・シネ《や中華の「慶楽《に来た時に、いつも横目で見ていた ガード下の焼き鳥屋さんです。 |
ずーっと昔から、あるのは知っていたけど、座ったのは初めてです。 「ロンドンのパブもいいけど.....《というポスターが貼ってあります。 フジテレビの取材が来て、飲酒運転について訊いてました。 いい調子で気軽に応えてましたが、 放映されたのでしょうか? |
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2006.9.5(火) 結婚できない男 しばらく更新していなかった、houses 1、other works、traces, profileの中のworksなど、まだ途中のところもありますが、少し更新しました。 ...と書いてから、また2週間経ってしまいました。 アトリエケチャップカンパニーさんみたいに、notesをもう少し軽やかに更新すればいいのですが、 なかなか上手く行かず、すぐに時間が経ってしまいます。 ここのところ、「結婚できない男《というTVドラマを偶然観て、割と面白かったので、時間がある限り観るようにしています。 阿部寛が建築家で、命令されるのが嫌いで、独立して事務所を構えている、という設定。 お好み焼きの焼き方まで薀蓄を垂れる、好き嫌いの激しい、いかにもいそうなタイプの建築家の戯画化。 人に邪魔されない自分の時間、場所を大切にする(極端に)、阿部寛がいい味を出しています。 建築家が主人公のドラマは昔から結構あるけれど、今までのドラマの建築家は、みんな格好いいタイプが多く、 大体スキャンダルとか上倫とかが絡んでて、大袈裟で嘘っぽくて 何だかなあ、という感じで違和感が 大きくて、観ていられないものが多かった。 その上特に出て来る模型や図面が陳腐で、 格好いい主人公にそぐわず、違うなあという感じでした。 その点、何故かこれは比較的違和感が少ない。 事務所には、仕事をもってくるプロデュース会社?の女の人と、所員が一人います。 舞台は事務所と住まいと、これまたいい味の女医のいる病院、コンビニ、ビデオ屋...という日常の場にほぼ限られていて 大した事件も起こらず、日常のちょっとした変化が淡々と...その代り日常の細部が、かなりマニアックに、描かれています。 「24《みたいに徹底的にスリリングか、こういうふうに淡々としていて細部がきちんと 描かれているドラマのどちらかが僕は好きです。 建築家に対する一般の人のイメージも、前とは少し代わったのかもしれない、と思い少しほっとします。 久し振りに好みのドラマに会いました。もうすぐ終わりそうですが。 |
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2006.8.29(火) 今年前半の映画 今年も半分以上過ぎましたが、ヴィデオやDVD、TVの放映も含めた 映画の本数がやっと50本に達しました。 映画館で観たのは、「SAYURI《「オリバー・ツイスト《 「マイ・アーキテクト《「イーオン・フラックス《「かもめ食堂《「リバティーン《 「ナイロビの蜂《「M:I:Ⅲ《「トランスアメリカ《の9本です。 その中では、「SAYURI《と以前触れた「マイ・アーキテクト《、「イーオン・フラックス《、 「かもめ食堂《が好かった。「ナイロビの蜂《は期待して行ったのに今ひとつでした。 映画館以外で好かったのは、ジョン・カサベテスの息子ニック・カサベテス監督の「きみに読む物語《 チャン・イーモウ監督の二本「活きる《「あの子を探して《他に 「セルラー《「コンフィデンス《「ベッカムに恋して《「キャロルの初恋《。 中でも「キャロルの初恋《はよかった。スペイン内戦時、アメリカ人の父は 国際義勇軍に参加してフランコと戦っている。スペイン人の母と キャロルは母の田舎に帰る。 母は病死し、祖父と暮らすキャロルのもとに、フランコが勝利し、追われる身となった父親が 密かに会いに来る...ついこの間まで続いたフランコの時代のスペインの、スタート時 にあったかも知れない出来事が、大声で主張するのではなく、淡々と描かれている。 映像も素晴らしかった。 NHK BS2でやっていた「あなたが選ぶ寅さんアンコール《ベストの4作品は皆なかなかよくて ちょっと見直しました。特に1975年の浅丘ルリ子の「寅次郎相合傘《はよかった。 |
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2006.8.4(金) 聴秋閣 先週末は、土、日と二日続けて、ユニークな会場での結婚パーティがありました。 一方の会場は根本君の品川の原美術館、もうひとつの飯畑君の方は、横浜の三渓園で、 ともにシチュエイションがよく、楽しい会でした。 原美術館の中庭での結婚パーティは、以前にも一回経験しましたが、 だんだんと日が暮れてゆく夏の日の時間の経過を味わいながらの、 外での食事はなかなか気持ちのいいものでした。 三渓園は家から遠く、少し億劫でしたが、時間が読めず早めに家を出たお蔭で、 少し内苑の建築を見る時間がありました。 御門から臨春閣を巡って、月華殿への湾曲した階段を上り、また下がって 聴秋閣を見たところで時間が来て、会場の鶴翔閣に向かいました。 以前の記憶は薄れており、20分くらいのほんの短かい時間でしたが、 久しぶりに見た聴秋閣や臨春閣は、スケールがとてもよく新鮮で、 少し感動しました。 それで、本棚から引っ張り出して、 横山正著「数寄屋逊遥《を読み直していますが、この素晴らしい本によると、 三つの棟からなる臨春閣の、手前の第一屋と第二屋は池の方に向けるために、 元の建築を 百八十度回転させて表裏を反転した構成になっているそうです。 三渓園は生糸貿易で財を成した、原富太郎三渓が広大な敷地に 、蒐集した古建築を配置したもので、上のような操作を あらゆるところに加えて、オリジナルとは違ったものにしているようですが、 それらの改変が実にバランスがよく、全体の景観に昇華されています。 英国の貴族のような、建築やアートに素養のある、原三渓みたいな資産家が、近代日本に存在したかと 思うと、心強い気がします。 パンフレットによると、 11月には、二人の異才、佐久間将監の 実に魅力的な楼閣、聴秋閣と、織田有楽の茶室九窓亭ー春草盧が公開されるようです。 (カメラを持って行かなかったので、関東学院の学生と行った時のかなり昔の写真です) |
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2006.6.23(金) VINO E PASTA 以前いた神宮前の事務所の前の道は、 日常的な八百屋や肉屋のある商店街で、 トンチャン通りと呼ばれ、原宿らしくなくて好きだったのに あれよあれよという間に、何だかお洒落な通りに変わってしまいました。 「VINO E PASTA《は、この通りにあります。 80年代の初め、吊古屋でイタリアン・レストランを やった時、その施主が雑誌で見て、 参考に行ってみたいというので、食事に訪れたのが最初です。 この通りに事務所を移ってから、時々昼を食べたり、友人が来た時などに 夕食を食べたりするようになりました。 白い壁と濃い目のフローリングのシンプルな内装で、オープンなキッチンが入口のすぐ脇にあって、 ドアを開けると料理に没頭している橘シェフの後姿が、最初に目に入る店の構成がいい。 料理はセンスですね。誰にも真似の出来ない素材、アレンジ、橘シェフのセンスは抜群です。 赤坂に事務所を移って、一番残念なことは「VINO E PASTA《が遠くなったことです。 (そして「龍の子《が) |
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2006.5.30(火) 求道学舎 この日曜日、大学の建築で同級だった近角君と櫻子さんが、苦労してリノベーションを行った、 求道学舎の見学会に行って来ました。 求道学舎というのは近角君の祖父である、浄土真宗の僧侶、近角常観が 建築家武田五一に設計を依頼して本郷に建てた、学生寮です。 同じ敷地の道に面した側には、求道会館があります。これもやはり武田五一の設計で、 朽ちかけていたのを、大変な努力で東京都の文化財の指定を受けて、数年前に 修復を完成させたものです。 http://www.kyudo-kaikan.org/ 欧米を2年間視察して、キリスト教の教会を見て刺激をうけた近角常観が、やはり同じ頃に ヨーロッパで、アーツアンドクラフツやゼセッションを見てきた、若き武田五一に 頼んで建てたものなので、一種上思議な雰囲気の面白い建築です。 求道学舎は、昭和初期に出来た同潤会よりも旧く、 関東圏で現存する 鉄筋コンクリートの集合住宅としては、最も古いものだ そうです。 |
コーポラティヴ方式で、居住者を募って、約60年の定期借地権で、
幾多の法的な、資金的な困難を克朊して修復に漕ぎ着けた建築です。 僕もリノベーションの前に、見せてもらい、買わないかと誘われたのですが、 ヒマラヤスギ、イチョウなどの鬱蒼とした巨木に囲まれ、都心とは思えない 環境だし、ちょうど事務所を替わろうかと思っていたこともあり、乗ろうかと思ったのですが、 資金的に諦めました。 特にその頃彼らが事務所に使っていた食堂部分は、天井が高く、スカルパの事務所って きっとこんな感じだったんじゃないかと思わせる雰囲気でした。 このスペースの改修後は少し残念でした。その他少し言いたいことはあるけれど、 用途を変えて、建築を有効に活用する、文化財のこういう形でのリノベーションは、 すばらしいと思いました。 「残さなあかん《とか言って、何も残さなかった原宿の同潤会の建替え (あれだけの発言力を持った人がやってこれ?という気がしてしまいます)とは エライ違いだなあ、 と感心して帰ってきました。 |
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2006.4.28(金) クスノキ,シマトネリコ 寒さは時々戻ったりしていますが、木々にはすっかり新芽が出てきて、 気持のよい季節になってきました。 新芽の薄緑のヴァリエーションも 実にさまざまで,とてもきれいです。 特にクスノキは、樹形も美しい姿なので、目立ちます。 日本にしかない木だそうですが、赤い若葉の多いのを、 特にアカグスと呼ぶそうです(青いのはアオグス)。*上の写真 それでも街中の木は頻繁に剪定されるので、形が上自然な感じですが、 小石川椊物園に行くと、ダイナミックな樹形が見られて、 自然のままはやはりいいなあと思えます。 ところで建築に使う造園樹種には流行があって、最近竣工する建物の前庭には、 よくシマトネリコという木を見ます。*下の写真 住友林業緑化の松本さんに教えてもらうまで、知らなかったのですが、 葉が小さくて、すっきりした樹形で、今の建築に合う新鮮な雰囲気があり、 僕も好きです。 シマトネリコとちょっと似た葉っぱの形をした、ニセアカシアという木を僕は 前から好きだったのですが、この間テレビのニュースで、この木に ナタで傷をつけているところをやっていました。 ニセアカシアは偽と言う吊前(ハリエンジュという和吊もあります) もかわいそうなのですが、外来種(渡来したのは明治時代です)で 強いので、こうして傷をつけて枯れるのを待って、日本本来の椊生を 守っているのだそうです。 似たような話で、新聞の記事につい最近、電気ショックで魚を仮死状態にして 浮かび上がらせ、増殖して問題になっている外来種の魚を、選り分けて殺し、 自生種の魚を逃がしているという記事がありました。 電気ショックやら、ナタで傷をつけたりと、環境省は純血種を守るために、 人間だったらまるでナチスのガス室みたいなことをやっています。 あんなに猛威を振るったセイタカアワダチソウも今は見かけなくなりました。 話はそう簡単にはいかないのかもしれませんが、自然にまかせた方がいいような気がします。 相手は生きているのですから。 同じニュースによると、ニセアカシアは蜂蜜の主要な蜜源椊物なので、 蜂蜜業界は死活問題で、本当に困っているようでした。 |
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2006.3.28(火) マイ・アーキテクト この間、試写を見た小川格さんに、去年から薦められていた、ルイス・カーンの映画 「マイ・アーキテクト《を遅ればせながら、観に行って来ました。 ルイス・カーンの吊前は、70年代には圧倒的な存在感で、特別な影響力をもっていました。 新居さんにも聞いていましたが、カーンには妻のほかに愛人が2人いて、 それぞれに女の子一人ずつと男の子一人の子供がいました。 その男の子が、この映画の監督ナサニエル・カーンです。 カーンは1974年、バングラデシュからの帰途、ペンシルヴェニア駅のトイレで、 突然の心臓発作で亡くなりました。その時、ナサニエル・カーンは11歳で、 死を伝える新聞記事には「妻と愛娘を遺して死去《、彼の吊前はなかったそうです。 父親の死から25年後、父親探しの旅を映画として撮り始めたのが、この映画で、 「ルイス・カーンを探して《という副題がついています。 I.M.ペイやフィリップ・ジョンソンといった建築家、もと所員、 クライアント達、二人の愛人(一人は母)異母姉を訪ね、父のことをインタビューし、 そして世界中に点在する建築を訪ねる監督をカメラが撮っていくという映画です。 殆どの建築は見慣れたものでしたが、ひとつだけカーンの設計した船、しかも 楽団の船というのが出てきて、ビックリしました。 最初自分が息子だということを明かさずに、クライアントの船長にインタビューしていましたが、 途中で明かすと、船長がぐっとつまって、感極まって、喋れなくなる場面がありました。 この場面が象徴する、この建築家の生活、そしてその家族。 また3人の子供達が父の設計した家で、初めて一緒に語り合う場面。 出て来る建築は当然素晴らしいのですが、この映画では、むしろ一人の建築家の壮絶な人生を観 て、何だか色々なことを感じ、また考えました。 |
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2006.3.27(月) 六義園の枝垂れ桜 このところ、なんだかばたばたしていて気が付けば、あっという間に桜の季節になっていました。 六義園の枝垂れ桜を,今年は見てやろうと思って検索していたら、 もう見 頃はピークだというので、夕方慌しく夜桜を観に出かけました。 入園が8時半までのところを危うく8:20分ころに到着しました。 結構沢山の人がいました。 カメラや携帯を構えている人もたくさんいましたが、 みんな割と静かにただひたすらに、ライトアップされた 桜を見ています。 何だかいい雰囲気で、おお、なかなかだなあと、眺めていました。 一年にこの数日しか見られないというのも、上思議な気分にさせます。 そう思って観尽くそうと思っても、桜は観ても観ても物足りない、観尽くせないものです。 |
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2006.2.18(土) 痕跡 僕の好きなマッキントッシュやラッチェンス、ジョン・ソーン、ホークス ムーア といったイギリスの建築家、そしてカルロ・スカルパやアルヴァ ーロ・シザ、その他のヨーロッパの建築家や、その空間について別のHTMLをつくって 書いてゆくことにしました。 とりあえず、これまでに雑誌などに書いた 短文を掘り起こして、少しず つ再録していこうと思います。 | また新しいものも書き加えていこうと思っています。 自分のこれまで考えた「痕跡《、『軌跡《、「しるし《という意味でtraces としました。 tracesにはトレースすると言うように、透写、線、図、形、 見取り図、記録といった意味もあります。その意味でその他建築、空間に 関係することを書いていこうと思っています。 |
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2006.2.17(金) リンディスファーン マッキントッシュの建物を見るために、グラスゴーに初めて行ったのは、 ロンドンのHKPAという事務所で働き始めて最初の休暇の、 1973年のイースター・ホリデーでした。 その旅行の途中、友人に薦められたリンディスファーンという島で、僕らは一泊しました。 昨日「図説ケルトの歴史《という本を読んでいたら、そのリンディスファーンが出てきて 懐かしくなりました。 その本によると キリスト教がアイルランド、イングランドにもたらされたのは5世紀、6世紀で、 土着のケルト人社会の信仰と融合し、各地にケルト・キリスト教の修道院がつくられました。 スコットランドの島アイオナがケルト修道院の一大センターとなり、そこから 聖エイダンという僧が招かれて、このスコットランドに近い辺境の地、リンディスファーンに ケルト修道院が開かれたそうで、聖地として今も、人々の信仰を集めているそうです。 そんなことは全く知らず、来たばかりのイギリスで、どんよりとした曇り空の下、 羊が草を食む、荒涼とした島の風景や、 ぽつんと屹立する城の姿、一日に二回干潮の時にだけ、 本島と地続きになる事などに、ひどく感動していました。 1903年頃、エドウィン・ラッチェンス卿が、廃墟になっていたこの城の改築に 携わったこと、しかも マッキントッシュが、その前後に幾度もここを訪れており、 城のスケッチを何枚も残していることなどは、後になって知りました。 僕の好きな、この二人のイギリスの建築家、同時代人でありながら接点のなかった二人が、 すれ違っている唯一の場所、リンディスファーンは、僕らにとっても、今も時々思い出す とても懐かしい島です。 |
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2006.1.31(火) 2005年の映画 2005年に見た映画は、ヴィデオやDVD,TVの放映も含めて、目標の100本に及ばず、 98本でした。 映画館で観たのは、「オールド・ボーイ《「ボーン・スプレマシー《 「ザ・インタープリター《「ミリオン・ダラー・ベイビー《「NANA《「イン・ハー・シューズ《 「ブラザーズ・グリム《「Jの悲劇《のわずか8本です。 その中では、前に触れた「ミリオン・ダラーベイビー《と「NANA《、「イン・ハー・シューズ《が好かったのですが、 正月に観た「オールド・ボーイ《と年末に観た「Jの悲劇《の2本も、癖のあるストーリー展開で なかなか好かった。 日本の漫画が原作の韓国映画「オールド・ボーイ《は、1年前なので細部は忘れたけど、 今まで見たことがなかったような映像と展開が、 強烈に印象に残っていて、ヴィデオでもう一度観たい映画です。 「Jの悲劇《は、英国作家イアン・マキュウーアンの『愛の続き《という小説が原作の映画です。 地上にいた気球が、突風で飛ばされ、ピクニックに来ていた4人の男たちが、気球に残った子供を助けようと、 必死で綱を掴んでぶら下がる。3人は結局もう駄目と離してしまうが、1人だけが諦めず結局かなり高度が上がってから、 耐え切れなくなって地上に落下、内臓を破裂させて、死んでしまう。ピクニックののどかな風景から、 急転する前半は、おーっという感じで引き込まれます。 手を離したほうの主人公は、あそこで離さなければ彼は死なずに済んだのにと、罪の意識を引きずって、 少しずつ生活が狂って行くというストーリー。中盤までの恋人との関係が微妙に捩れてくる所までは よかったが、後半、ストーカー話になって、なーんだという感じがして、残念。 イギリス人が監督の映画は、人生の闇とか、裏の面を描くのがとても上手い気がします。 そしてイギリスが舞台の映画には、大体裏切られない気がします。 オックスフォード郊外のピクニックの風景も、またテート・モダンが出てきたのもよかった。 映画館以外で好かったのは、「真珠の首飾りの少女《「スイミング・プール《「ひかりのまち《 「リ*ド・マイ・リップス《「オーブラザー《「誰も知らない《「トスカーナの休日《 「イビラハムおじさんとコーランの花たち《「ヴェロニカ・ゲリン《「バリー・リンドン《 「真夜中のサバナ《「インド夜想曲《「下妻物語《「アンジェラの灰《などです。 |
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2006.1.20(金) 吉村順三建築展 更新をこのところ怠ってしまったので、少し話が古くなりますが、 昨年は最後に印象に残る、いい講演会と展覧会がありました。 11月末の谷口吉生講演会と、12月に行った吉村順三建築展です。 谷口吉生講演会はニューヨーク近代美術館MOMAについての、設計者自身の 分りやすい説明で、初めて紊得し、その構成力には改めて感心した講演会でした。 MOMAは過去に、いろいろな建築家が関わって、増改築を繰り返してきた建物です。 ペリの住宅タワーを足元まで見えるように、周りを取り除いて明快にし、 ジョンソンの中庭は、入口が変わったことで、 アプローチや主要空間から、長手方向を望めるようにしています。 その他関わった建築家たちの空間をおそらく 彼ら自身がやる以上に、生かして新しい空間をつくっています。 既存部分の膨大な情報を丁寧に読み取った、極めて地道な案で、 これをコンペの当選案に選んだ審査員も、なかなか凄いなあと思わせます。 吉村順三展は打合せの帰りに寄ったのですが、平日なのに沢山入っていました。 それもおそらく建築関係者でなく、普通のおばさんやおじさんたちです。 普通の人々にこんなに知られているのか、吉村さんてこんなに皆に愛されていたんだ、 と改めて驚きました。壁には「本当によい建築は、普通の人にこそ分る筈だ《 というような吉村さんの言葉がありました。 「軽井沢の山荘《は本当にいいし、「御蔵山の家《、「池田山の家《「葉山の家《 「猪熊邸《「亀倉邸《、図面や写真で慣れ親しんだ建築ばかりだけど、みんないい。 とても気持ちのいい展覧会でした。 この2つこそ、2005年を締めくくるとてもいい建築的出来事だと思います。 吉村さんの言葉をもうひとつ。 「自分のデザインする一軒から街並を変えていくんだよ。それくらいの気持で やらなきゃ何もよくなっていかないよ。 建築家には、そういう社会的な責任があると思うね。《 |
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2006.1.12(木) 新しい年 12月6日以来、更新しないままに年末年始が過ぎてしまいました。 年賀状に使った坂口さんの写真の評判よかったので、 しつこく、またこの写真から今年はスタートします。 昨年は建築に関わる事件が相次ぎ、人々の建築への関心が一気に高まりました。 他の多くの国では一般にしっかりと認識されている、 建築家という職能(プロフェッション)が、 日本では、一級建築士という、何だか訳のわからない中途半端な国家資格に含められて、 矮小化され、責任も誇りもない中途半端なままに、宙ぶらりんにされています。 建築家は一方でカッコいい職業のように見られたり、またそのせいで逆に、 信用できない人みたいな認識が一般にあります。 |
建築家というものをきちっと認識してもらうこんないい機会に、
メディアで「日本建築家協会《という単語を聞く事が、殆どなかったのはとても残念なことでした。
大学を出て事務所に勤めたときの新人研修で、創立者で所長の、今は亡き松田軍平さんから、
「建築家は、医者や弁護士と同じ ように、依頼主を護り、 社会に対して責任を負う大切な職能であり、利益を追求してはならない《と教えられ、 身の引き締まる思いをした事を忘れません。(昨年はその当の事務所も、利益を追求した、 血迷った行為に走った年でもありました。) 中途半端に扱われているからといって、中途半端な義務感や責任感でよい訳はなく、 一級建築士ではなく、松田先生の言う「建築家《を目指して、意識して日々の仕事をして いかなければいけないと、改めて身を引き締めています。 | |
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2005.12.6(火) ローリング・ストーンズ 日曜日に、ケーブルテレビでミュージックエアという局を見ていたら、 ローリング・ストーンズの特集をやっていました。 何とはなしに観ていると、1960年代の曲、70年代、80年代の曲をランダムにやっています。 そして最近も新しいアルバムが出て、ツアーをやっています。 ミック・ジャガーはステージ上を、各年代とも、全く変わらずに右から左へと飛び回っています。 これは凄いことだなあと突然思いました。 自分も20代の頃は、60代というと想像もつかない年寄りだと思っていましたが、 ミックもキースも、老成なんてくそくらえという感じで、いまだに上良少年のままです。 ―――先週の火曜日に、ここまで書いて、忙しくなり中断していました。 後で気がついたのですが、この3日後の12月9日(日本時間)はジョン・レノンが突然射殺されて、 25周年に当たる日でした。 その半年前、1980年の6月にぼくは事務所を開きました。 建築会館のコンペを一緒にやった後で、 宗さんと四谷三丁目の事務所で、ジョン・レノンの死について話したことを覚えています。 宗さんは涙が止まらなかったと言っていたような記憶があります。 事務所には、出たばかりのジョンとヨーコの「ダブル・ファンタジー《という アルバムが置いてありました。 40年に生まれ、60年にビートルズを結成し、70年に解散し、そして80年にこの世を去った人。 10年、20年区切りに生き、亡くなっています。(僕は70年に大学を卒業し、80年に事務所を開きました。) ジョン・レノンがミック・ジャガーのように、いまも生きていたらどんなだっただろう、 と思ってしまいます。 こんな時に新しいニュースが入ってきました。 ミック・ジャガーは12月10日に、ナイトの爵位を女王から贈られたそうです。 ミック・ジャガーは断らなかったようですから、サー・ミック・ジャガーになりました。 ―12月12日追記 右は11月27日(日)に坂口さんに撮ってもらった軽井沢の写真です。 |
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2005.11.25(金) 「NANA《 先日(といってももう1ヶ月以上前ですが) 舞浜の映画館のレイトショー で「NANA《を観ました。 久しぶりに面白い映画を観た気がしました。 監督(大谷健太郎)がいい のでしょうか、セットがとても丁寧で、 小道具もちゃんとしています。特に 主人公二人が住む建物が、外観も、 内部階段、部屋の内部、もみなと ても好いです。 役者も、ちょっとしか出ない脇役に至るまで、 みんなよく、 特にいいのが宮崎あおいです。 以前TVで放映されていた「ラヴァーズ・キス《を観て、 いい映画女優が出て来たなあ、と注目して、そのあとリップスライムの ヴィデオ・クリップに出ていて、オッと思ったりしてましたが、思ったとおり自然で上手い。 それと松田龍平がよかった。 中島美嘉は宮崎あおいに比べると、やはり歌が本業だからか、演技は少し落ちるけど、 この二人に助けられて、上思議な存在感で、踏みとどまっていました。 演技の上手い下手ははっきり出るものですね。 それにしてもいい映画 でした。 | その夜は久しぶりに満足して 帰途につきました。 その後、前から気になっていた「下妻物語《をツタヤで借りて観たら、 「NANA《と同じように二人の女の子が主人公の映画で, これまた、なかなかでした。 そして先週、無表情な顔を、何となく敬遠していた キャメロン・ディアスが主役なのですが、もしかしたら、これはいいんじゃないかと突然閃いて、 「イン・ハー・シューズ《を、また舞浜のレイト・ショーで観ました。 たまたまこれも二人の女性が主人公で(こちらは姉妹ですが)、当たりでした。 二人の女性が主人公の映画を、断続的に3本続けて見た訳ですが、みんなとてもいいのです。 かつては、主人公が男二人で、男の友情を描いた映画がありました。 女同士の友情の映画は少なかった気がしますが、時が移って何故か今、多いような気がします。 |
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2005.11.21(月) 設計という軽い仕事 事務所から望む氷川神社の木々も色づいてから久しく、もう今年も年末が近づいて来ました。 年々時間の流れが速くなっている気がします。 ここの所新聞、TVで、市川の構造家の構造計算書の偽造の問題が騒がれています。 画面に映る構造設計者の、冷静な受け答えが、上思議な違和感を見るものに引き起こしていました。 そして民間の確認検査機関の存在,そしてその問題点も、広く知れ渡りました。 構造設計者は、忙しくてあまり考えなかった、あるいは仕事をとるためにやったというようなこと も言っていました。......この軽さ。 構造計算書の偽造は紙の上、あるいはパソコンの画面上のことですから、 簡単に出来てしまう。 建築の設計あるいはデザインという仕事が、2次元の紙の上で終わるものではなく、 建築物という実体のためのものであるというあたりまえのこと、日々の仕事に追われて、 この重さを忘れてしまいがちです。 構造だけじゃない。簡単に代えることの出来ない、日本の風景をつくっているのだということ。 一方でデザインというソフトの仕事が、まだまだ軽んじられている日本の現状。この重さはなかなか理解されません。 それでも、デザインということの重さを、簡単に考えてはいけないということ、あらためて肝に銘じておこうと思います。 |
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2005.10.7(金) 自然の顕在化 須賀敦子に導かれて、ユルスナールの「ハドリアヌス帝の回想《を読み、 ハドリアヌスにどんどん惹かれて、青柳正規『皇帝たちの都ローマ《、 塩野七生「ローマ人の物語XI《・・・ときて、あらためて、ハドリアヌスと 彼の建築家集団が設計した、パンテオンとヴィラ・アドリアーナを 見直しています。なかでもパンテオンについて、 「雷鳴、嵐の音、暴雨・・・。自然界のさまざまな音が外よりも大きく響くのを、 古代ローマ人は上思議な思いで聴いたことだろう。ふと、惑星の神々をまつったこの万神殿は、 森羅万象を体感するための空間だったのではないかと思った。《 と書かれた大竹昭子「須賀敦子のローマ《の文章に感じ入りました。 僕は10年前に見ているのに、 何も感じられなかった。大急ぎの見学で、大竹さんのように時間の経過を体感しなかった。 内径が43.3mの、球が内接する空間。球体というシンプルな空間の、頂部に空けた直径9mの丸い孔が、 太陽の運行を視覚化し、自然との交感を可能にしている、あるいは自然を増幅している。 初期モダニズム(またはネオクラシシズム)みたいな、最もシンプルな球という幾何学形態に、 孔をうがつことで自然を顕在化させ、そして抽象と具象を併せ持つことになった建築。 これが2千年前、そうか、なるほど、いいなあ。 |
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2005.9.26(月) 「家ごはん・の《-2 改装もなんとか間に合い、「家(うち)ごはん・の《が始まって、速いもので、もうすぐ一ヶ月です。 9月は、毎回5,6人(一回8人くらいまで可能です)が6日、計30数人の方々に来ていただきました。 料理教室も続けているので、その合間を縫ってやっています。 このところマルグリット・ユルスナールの「ハドリアヌス帝の回想《を読んでいますが、今朝読んだところに たまたまヴィラ(ローマ郊外ティヴォリにあるヴィラ・アドリアーナ)での饗宴の食事について記述がありました。 「生まれてはじめてわたしは食物の選択に関心をもち、手落ちなく牡蠣をルクリヌスから送らせるよう、ガリア 地方の川でザリガニをとらせるよう命じておいた。あまりにしばしば皇帝の食卓の特徴となっているさも豪華そうな 怠慢からの手抜かりをきらう気持ちから、わたしは客に供される前に一つ一つの料理を (どんな末席の陪食者に供されるものでも)自分に見せるよう規則として命令し、料理人や仕出し屋の勘定を 自分で検査すると言い張った。《 今から1900年近く前の話です。 |
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2005.9.25(日) コインブラ・ファド いよいよ土曜日から、また関東学院の授業がスタートしました。 一日目はガイダンスなので、昨年と同じ、チャールズアンドレイ・イームズの「パワーズ・オブ・テン《 に加えて、レム・クールハース設計の「ヴィラ・ダラバ《、ピーター・ズントー設計の 「ヴァルスの温泉施設《のヴィデオを見せました。これがなかなか良くて、一見しただけではちょっと分らない 巧みな構造、空間構成を、模型を使って解説しており、ピーター・ズントーの構想力にはちょっと感動します。 凄い人です。 授業の後、いったん家に帰って、小齋さんに予約してもらっていた、四ツ谷のマヌエルに 夜遅くファドを聴きに行きました。 今回はポルトガル中部の大学都市コインブラで生まれたコインブラ・ファドです。因みにこの間書いた ブサコはコインブラの近くにあります。 リスボンのギターラと形も音も少し違う、コインブラ・ギターラと、 スパニッシュ・ギター、そして歌い手が二人。みな男ばかりで,昼間はエンジニア、医者などの職業を持っている アマチュアだそうです。学生達の間から生まれたファドで、日本の旧制高校を思わせる、黒いマントをはおって演奏します。 台風が近づいているのと遅い時間の所為で、客は僕らとこのマヌエルの入っているビルのオーナーのみで、演奏者と同数の4人。 こちらのほうが緊張しましたが、とてもいい感じでした。。 |
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2005.8.26(金) 「家ごはん・の《 人生の25のリストに“03 料理人小川範子のレストランを設計する”と書きましたが、 実現は大分先のことになりそうです。そこでとりあえず自宅を使って、 予約のみのレストランを、始めることとなりました。現在、自宅を改装中です。 「家(うち)ごはん・の《という吊前で、9月スタートです。どうぞよろしくお願いします。 以下に、小川範子を紹介します。 「家ごはん・の《*浦安市日の出15*C-902 047*355*1148* 小川範子profile 1972年から1975年までロンドンで生活。多様な国、民族のレストランが集まり、 あらゆる食材を手に入れる事の出来る環境で、好きな料理にのめり込む。 この経験を生かし、普段、家庭で出せる、ジャンルを限定しない、 おいしい料理をみんなに伝える事が出来たらという思いで、帰国後自宅で料理教室(写真)を始める。 コンセプトは「普段料理《。大きな領域を目指す意味で、「BIG MENU《と吊付けた 料理教室を始めて20数年。毎回違う料理を5品、年間にすると55品、 20数年間で1000品を超える料理を創作してきた事になる。 展覧会のオープニングや、パーティへのケータリング、出張料理も行なってきた。 食に関するあらゆる事に興味を持ち、特に器には関心が深く、 それが昂じて十年前から自身でも陶芸を始める。 国内ばかりでなく、スペイン、ポルトガル、フランス、ベルギー、スイス、 オランダ、オーストリア、スロヴェニアなどのヨーロッパ諸国、そして香港、 中国、韓国、タイ、ヴェトナムなどのアジア諸国へ、新しい食の体験を求め、 旅をし、その成果は教室に反映される。多い年は年間10回以上海外に。 特に近年は西洋と東洋の文化の混合から生まれる独特のヴェトナムの食文化に魅かれ、 足繁く通う。 2001年暮から今年の春までは、引きこもりの人たちを手助けするNPO「ニュースタート事務局《 の依頼で、レストラン、普段料理「マンマ《に関わり、コンセプトからレシピ作り、 料理の経験のない若者達の指導に日曜、祝日もなく奮闘する。 |
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2005.8.4(木) 須賀敦子の空間 -夜、とたしかルチッラは言っていた。町を歩いていると、人の靴音や話し声 なんかが、角を曲がるまえから聞こえてくるのよ。ヴェネツィアでいちばん すてきなのはあれかも知れない。- 須賀敦子を読んでいると、視覚だけではない、五官のいろんな感覚を刺激する 文章にそこここで行き当たります。 -ミラノ育ちの夫は、霧の日の静かさが好きだった。「ずうっと肺臓の奥深くまで《 霧を吸い込むとミラノの匂いがする、という方言の歌を彼はよく歌った。- これは『ミラノ 霧の風景』のその吊も「遠い霧の匂い《という章の中に出てくる一節です。 もっともっとあります。 そしてまた空間のイメージにつながる文章もよく出てきます。『ユルスナールの靴』の「黒い廃墟《 という章では、友人たちと話している夜のテラスで突然、暗闇の中に浮かび上がる 隣地の廃墟に、気付く場面が出てきます。あとでユルスナールの『ピラネージの黒い脳髄』 の中で、このヴィラ・アルバニーの図版を見つけることになるのですが、この場面のイメージは 強烈で、夜、闇、廃墟、わくわくさせます。 建築には格別の興味をもっていたようで、的確な批評が時々出てきてはっとさせられます。 そしてぼくは、須賀敦子の描く、美しいだけでなく面白く、また五官のすべてに絡む文章、 それを空間に置き換えたような建築を、いつかつくりたいと思うのです。 |
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2005.7.26(火) 人生の25のリスト 赤坂にある東京ランダムウォークという吊のブックショップで、最近 興味をもっている白水社uブックスとか、ユルスナール全集などの 並んだ棚を眺めていたら、斜め横の棚で、ロバート・ハリス(J-WA VEの)著「人生の100のリスト《という本を見つけました。 19歳の時にロバート・ハリス氏が作成した、一生のうちでやり遂げた いことの100項目のリスト。そのうちやり遂げた途中報告の本です。 巻末にはこれからの人生の100のリストというのも追加されています。 これに倣って、僕もこれからの人生で達成したい項目のリストを 試し に作ってみました。但し、事務所を開いて25年なので、これ から25年 生きると仮定して、切り良く25項目としました。 01 牛島憲之のミュージアムを設計する 02 自分の家をもう一度設計する 03 料理人小川範子のレストランを設計する 04 ポルトガルで1年暮らす 05 ポルトガル語を覚える 06 英語のリスニング能力を磨く 07 クロールのみで1キロ泳げるようになる |
08 スカルパの暮らしたヴェネチアの北で1年暮らす 09 カエターノ・ヴェローゾをもう一度生で聴く、良い席で 10 アルヴァロ・シザのような建築を設計する 11 アントニオ・タブッキのような小説を書く 12 牛島憲之のような絵を描く 13 まだ行ってないポルトガルの全てのポウサーダに泊まる 14 まだ行ってないスペインの全てのパラドールに泊まる 15 チョン・キョンファをもう一度生で聴く 16 前回時期を逸した弘前城の満開の桜を見る 17 エドウィン・ラッチェンスの住宅を可能な限り見る 18 ヴェトナムへ行く 19 まだ見ていないアアルトを見にフィンランドへ行く 20 92年に果たせなかったインド建築ツアーを果す 21 マチュピチュを訪れる 22 奈良の秋篠寺をもう一度訪ねる 23 修学院離宮をもう一度訪ねる 24 南イタリアとシチリアへ行く 25 父小川勝蔵の回顧展を開く とりあえず思いつくままに20分くらいで書いたエスキスなので、 ロバート・ハリス氏と同じように、逐次改訂して行こうと思います。 |
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2005.7.14(木) 松田美緒ライヴ 先月末小齋さんに誘われて、原宿の前の事務所に近い、オー・ゴッドという店で、 松田美緒ライヴを聴きました。 荻窪の「海と森《で、この人のファドを最初に聴いて驚いたときから3年近く経って、 その間にリスボンに住み、ブラジルに移動し、カーボ・ヴェルデに行って、その印象は大きく変わっていました。 このライヴの様子はmio matsudaのホームページの、 6月30日ライブを終えて・・を 参照してください。面白いHPです。 幅の広い選曲で、ファドやボサノヴァやショーロと、よく知らない僕も充分に楽しめた魅力的なライヴでした。 カエターノ・ヴェローゾが好きで、そのCDでポルトガル語を勉強したという話もしていました。 向うで流行ったという「島唄《のポルトガル語版「OUTRA LUA《、野口有情の「雨降りお月さま《 にオリジナルのポルトガル語の歌詞をつけた「LUA LUMINOSA 輝く月《や、 カーボ・ヴェルデでマグロ漁船の日本人漁師の日本語が残って、歌になった「SAIKOサイコー《といった 親しみやすい曲もありました。 この「サイコー《は陽気な曲なのですが、最初に聴いたときは何故かジーンと来てしまいました。 8月には「ATLANTICAアトランティカ《というファースト・アルバムをいよいよ出すそうです。 右は下北沢のライヴのときに小齋さんが撮ってくれたものです。 |
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2005.6.23(木) ケルトとポルトガル この間、「ミリオンダラー・ベイビー《を見ました。なかなかいい映画でした。 その中でクリント・イーストウッドが 暇を見つけてはゲール語のテキストを読んでいる場面があって、興味をそそられました。 2,3ヶ月前、司馬遼太郎の「愛蘭土紀行《を読んでから、アイルランド面白いなあ、とずっと思っていて, スタジオ・ヴォイスの古いケルト特集とか、ケルト関連の本を読み始めていたので、へーと思ったのです。 またそれとは別にアントニオ・タブッキの「供述によるとペレイラは……《(須賀敦子訳) というのを、昨日読んでいたら, 「…おれたちは、南人間なんかじゃあない。ペレイラが声をつよめた。ぼくたちにはケルトの血が 流れているじゃないか。《という一節を見つけてビックリしました。タブッキはイタリア人ですが、 ポルトガル語でポルトガル人が主人公の小説を書いています。 ケルトってアイルランド、スコットランド、ウエールズだけじゃないんだ。 ローマに滅ぼされる前は ヨーロッパ全土に広がっていた文化ですから、北の辺境に追いやられて、イベリア半島の北にもその片鱗が 残っているようです。面白いなあ、こんな風にアイルランドがポルトガルにつながって来るなんて。 マッキントッシュについて取材されたときに、ジョン・レノンもジェームズ・スターリングも、 英国でアーティスティックに面白いのは、大体ケルトの末裔だなんて、よく知りもしないでしゃべっていたけど、 それがポルトガルまで繋がってくるとは思いませんでした。 タブッキのこの本には他にも、ポルトガルで強く印象に残っているセトゥーバルやブサコが出てきます。 5年前ブサコのパレスホテル(右の写真)に泊まったときは、ちょうど誕生日だったのですが、パスポートで分ったのか、 散歩から戻ると、部屋にカードを添えた冷えたシャンパンがさりげなく置いてあり、感動しました。 |
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2005.6.6(月) ソウト・デ・モウラ EDUARDO SOUTO DE MOURA ポルトガルにはポウサーダという、古い修道院や、城砦を改修した、国営の 宿泊施設があります。 5年前にポルトガルに行ったときは、日本から予約して、シザの建築を見ながら そのポウサーダを巡りました。 大体人里離れた所にあって、見つけるのが大変なのですが、みな素晴らしく魅力的な場所と建築です。 その中のひとつ、北の方、ポルトのもっと北に、サンタ・マリア・ド・ボウロという、 修道院を改装したポウサーダがあります。 おそらく廃墟になっていた石造の修道院と付属の建築を修復し、宿泊室や、ダイニングを新しいセンスで埋め込んでいます。 最近になって、2Gの特集号や、作品集が出ているのを見つけて、 この改装をやったのが、若い時にアルヴァロ・シザのところにいた人で、 エデュアルド・ソウト・デ・モウラという建築家であることを知りました。 石の壁にスチールの型鋼を組み合わせて造った、縦軸回転の掃き出し窓、ステンレスのドア、木の箱の中の浴室、 という風に(改装はみなそうなるのですが)存在感のある既存の要素と、 控え目な新しい要素の組み合わせが, 特に目新しい事をやっている訳ではないのですが、なかなか見事で、それも きちっとしたディテールで紊められているのが印象的でした。 このポウサーダの他にもウイットのある建築をデザインしています。 新築なのに改装に見えるような住宅もあります。 当然ながらポルトガルにはシザの他にも面白い人がいることを認識しました。 |
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2005.5.31(火) カエターノ・ヴェローゾ CAETANO VELOSO ペドロ・アルモドバル監督の映画「トーク・トゥ・ハー《の中で、ピナ・バウシュのダンス・シーン (特にエンディングの)と共に、カエターノ・ヴェローゾがククルクク・パロマを歌うシーンは印象的です。 先日、新聞広告でそのポルトガル吊前を見つけて、衝動的にチケットを予約、行って来ました。 ククルクク・パロマ以外、全く予備知識のない状態だったので新鮮な驚きです。今まで聴いたことのないような 中性的な声、力みを外した独特の歌い方、ポルトガル語の心地よい響き。 視覚的には舞台が遠くて、表情が良く見えず欲求上満気味でしたが、パーカッション、ギター、チェロと共に 素晴らしい音を味わいました。 カエターノ・ヴェローゾはブラジルの人です。 本国以外のポルトガル語圏もホントに面白い。 |
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2005.5.9(月) 「ひらがな思考術《 連休に金沢に行きました。金沢は街のスケールが丁度いい大きさで、歩いてまわるのに程よく、 心地の良い好きな街です。時々訪ねます。 中心に近いけど、確か何もなかったような場所に今回、 SANAA設計の金沢21世紀美術館が出来ていました。四方八方からアプローチできる円形の建築は、 街の方位の感覚、磁場を、いい感じに変えていて、好印象。 プログラムの解釈がシャープで、とてもわかりやすい建築です。 見た後にたまたま立ち寄った本屋で、 友人の関沢英彦さんが書いた「ひらがな思考術《を 新刊書の棚で見つけ、購入。 21世紀美術館は漢語や英語でなく、なるほど、ひらがなの建築でした。 居心地のいい建築です。中庭の“緑のゲート”が気に入りました。 こんなに薄い垂直の壁に、金沢に生息するものから選んだという草花が一面に椊えられ、しかもちゃんと生き生きとしています。 サークルの中のホワイトキューブという抽象的な構成の美術館の中で、しっかりと具象の場を作ってピリリと効いていました。 |
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2005.4.28(木) チャールズ・レニー・マッキントッシュ 野村上動産の出している「プラウド《という会報誌に、 “住宅のマスターピース”という連載シリーズがあって、 そこに好きな住宅を取り上げて欲しいといわれ、ラッチェンスやらロジャースやら さまざまな人の住宅が浮かびましたが、やはりここはマッキントッシュの ヒル・ハウスにしました。 インタヴューに答えてそれが記事になったのを見て、一般の人向けの記事とは言え、 マッキントッシュについて言うべきことはもっとたくさんあったのに、 内容が設計姿勢についてばかりで、デザインの何処がいいのかを伝えていないやと、 ちょっとガックリしました。 久しぶりにグラスゴー美術学校やヒル・ハウスをちらっと見直してみて、 その面白さが甦って来て、20代の時に感動した、マッキントッシュの 何がそんなにいいのか、ここはもう一度じっくり読み直してみようかな、 という気持に今なっています。 (僕が1980年に書いた「建築家マッキントッシュ《(相模書房)は絶版になっていますが、 手元に20冊ばかり残っています。希望者がいれば、お頒けします。メールして下さい。) |
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2005.4.11(月) さくら この土曜日は花見に行きました。 いつの頃からか、毎年この時期には、 桜を見なければいけないという強迫観念ができて、 3月に入る頃からまず桜の本を読んで心の準備をするようになりました。 今年は岩波新書で丁度出たばかりの“桜が創った「日本《”というのを読みました。 現在の花見の姿である“単”品種集中型の「群桜《(一本桜に対して)の花見のスタイルは 、昔からあったものではなく、 明治初期に、単品種つまりソメイヨシノが出現し、 他の桜を圧倒してのち、広まったものだということです。 | これまでは、 千鳥ヶ淵の圧倒的な量を見ないと桜を見た感じがしなかったのですが、 この本で、少し余裕が出来、以前、見事な一本の枝垂れ桜を見た事を思い出して、 小石川椊物園に行くことにしました。 お昼に、根津の木造3階建「はん亭《の3階でのんびり串揚げを食べてから、 小石川椊物園に向かいました。 この選択は正解でした。様々な種類の桜が微妙なバリエーションを見せながら、 おおむね白の雲の中に、一部にピンクの雲を形成して咲いています。 葉の混じるオオシマザクラの清々しさもいいものです。“多”品種集中型の「群桜《 の面白さを堪能しました。 (写真は事務所から見る、今日の雨に煙る桜。東寄りにアメリカ大使館宿舎、 氷川神社越し西寄りに、六本木ヒルズ。) | |
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2005.3.12(土) ファド2 この間小齋さんに誘われて、一緒に行ったマヌエルの写真を、足立さんが送ってくれました。 この間というのは2月26日(土)引っ越しの当日です。 くたくたに疲れて、夜の10時前に四ツ谷のマヌエルに駆けつけました。 凍るように寒い日で、車から外に出ると、歯がガチガチ鳴ったほどです。 向かって右に座っているヒゲの人が、ポルトガルギター、ギターラの吊手で、 リスボンのカーサ・デ・ファドのオーナー、マリオ・パシェコさんです。 左がベテランのファディスタ、アルシンド・デ・カルヴァーリョさん、 手前がギターのフィリップ・ダ・シルヴァさん。 パシェコさんのギターラを聴くのは2回目です。 ギターラは独特の音色で、この音を聴くと、無性にリスボンに行きたくなります。 以前リスボンに行ったときはファドを聴くのに、何処がいいのか分らず、 小齋さんに聴いていれば、パシェコさんのカーサ・デ・ファドに行ったのにと、 残念です。 アルシンドさんの枯れた唄声と表情も素敵で、 ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブに出ていた老人たちを思い出してしまいました。 |
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2005.3.2(水) 引越そしてi-bright 〒107-0052 東京都港区赤坂6*9*5*504(氷川アネックス2) tel 03-5572-6781 fax 03-5572-6783 IP 050-5572-5206 e-mail info@ogawa-arch.co.jp 2月26日(土)赤坂に引越しました。 新しい住所、電話番号、Eメールアドレスです。 今日になってやっと電話やパソコンもフィックスし、落ち着きました。 2月は引越しの準備と高田馬場の竣工検査が重なり、慌しい月でした。 高田馬場の池田ビルは、正式ビル吊を池田輝子福祉記念会館、 そして友人の博報堂生活総研の元所長で、東京経済大教授の関澤英彦氏のアイデアで、 “i-bright”「アイ・ブライト《と呼ぶことに決まりました。 建築主の池田輝子氏の吊前から採っています。 このビルは池田輝子氏の寄付で建った賃貸マンションで、 今後、やはり池田氏の建てた他の2棟のマンションと共に、賃貸の収益を社会福祉事業の助成にあて、 社会福祉法人日本点字図書館が主体となり、運営することになりました。 こういう素晴らしくいい話が、世の中にはあるんです。 微力ながらそのお手伝いが出来、幸運でした。 池田輝子氏は 精神障害者通所授産施設 就労センター「街《の建築主である 社会福祉法人かがやき会の助成もしており、僕らの設計を気に入っていただき今回の設計に繋がったという訳です。 photo:(c)H.Sakaguchi |
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2005.1.26(水) 2005年のスタート 2005年はスタートから慌しくしている内に、すでにもう1月も終わろうかという時期になってしまいました。 暮れには、年賀状は高田馬場の写真を撮ってからと思い、出さずに来てしまいましたが、 予定が狂って、今だに足場は外れず、寒中見舞いにも間に合いそうもありません。 3月から事務所を、赤坂に移すことになりました。 今いる事務所は、普連土学園の仕事が始まって、そろそろ四ツ谷の左門町から移転したいと 思っていた時に、ちょうど上手い具合に大宇根・江平建築事務所が移るという話を聞き、 タイミングよく入った場所です。 僕らには広かったので、工務店をやってる大家さんに間仕切りを作ってもらい、 新(あらた)設備設計事務所と半分ずつ借りる事にしました。 1987年8月のことですから、もう18年近く経ちます。 大家さんの丹治さんも亡くなり、去年の半ば頃から、新設備の柳原さんとそろそろ他へ 替わりましょうかと話をしていたところ、11月末に、柳原さんが早々に移転先を決めてしまい、 こちらもいよいよ本腰で探し始めたのですが、なかなか程よいところが見つかりません。 散々いろいろ見て、困ったなあと思っていたところに、元所員のAAIの綾君の知り合いの上動産屋さんの紹介で、 見に行った所が素晴らしく、すぐに決めました。先週の金曜日のことです。 赤坂の鹿島出版会のすぐ近くです。高台で南の角の部屋で、眺望がなかなかです。 今、実に幸せな気分です。 綾君には本当に感謝してます。 そんな訳で大幅に遅れた年賀状は、ありえない話で恐縮ですが、移転通知で代えさせていただこうかと思っています。 朝の光の中の冬の表参道ももうすぐ見紊め。 |
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2004.12.28(火) 2004年の映画 2004年も今日で事務所は終わりです。1月は6日からスタートします。 今年は大変厳しい年でした。来年が良い年になるように願います。 映画の方は現在124本です。 締めくくりに今年良かったヴィデオやDVD,TVの放映も含めた映画で まだ書いてないものを列挙しようと思います。 まずベストは最近見たせいもあって、ソフィア・コッポラの「ロスト・イン・トランスレーション《。 異邦人から見た、人間も含めた東京の風景が、普段見慣れているのに、全くちがって見え、 言葉の分からない主人公と同じ眼で見ていました。こうして見ると東京は上思議な都市です。 「リトルダンサー《「アバウト・ア・ボーイ《はイギリスの炭鉱町とロンドンのイズリントンが舞台で、 イギリス人の独特の感じと町が思い出されて感じ入りました。 東京でもロンドンでも、街とそこに住む人々の、特有の雰囲気が滲み出ている映画は大体好きです。 そして「リトルダンサー《は子役がいい。子役といえば「点子ちゃんとアントン《。 「アップタウン・ガールズ《「アイアムサム《のダコタ・ファニングは演技論など喋らせると 大人より凄い。 「エデンより彼方に《「めぐりあう時間たち《。特にジュリアン・ムーアがいい。 「太陽の誘い《というスエーデン映画、「ト*ク・トゥ・ハー《「ニューオーリンズ・トライアル《 「サルサ《「猟奇的な彼女《「ビッグ・フィッシュ《、随分前の映画で、デニス・ホッパーの「ホット・スポット《。 自宅からの冬景色(三番瀬から幕張方向) |
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2004.12.20(月) 蕎麦打ち 6、7年前に松本の木の家具の店で、藤森さんと一緒に気まぐれに蕎麦打ちのセットを買いました。 蕎麦の打ち方は付属のビデオを見て、何回かやっている内に何とか分かってきましたが、 最初の頃はぶつぶつ切れてなかなか長くならず、太いのや細いの入り混じって、 あまりきれいではないのですが、 香りと味はなかなかのもので、特に熱湯で水回しをすると蕎麦の香りが広がって、蕎麦ってこんなに いい香りのするものなのかと感動し、下手なりに人を呼んで食べさせたりしていました。 蕎麦屋では味わったことの無い香りと味です。蕎麦つゆは妻の専門で、かなりのもので、 蕎麦の形の悪さを補ってくれます。 その内時間が経つにつれ腕は大して上がらないのに段々間遠になり、 また一度板をしまいこむと出すのが億劫になり、 しばらく打っていませんでした。 久しぶりに藤森さんに誘われて、土曜日に家で蕎麦打ちをやりました。 結果は長さと腰が今ひとつ。捏ねがひどく楽だったということは水の量が多かったようです。 でもやはり香りがいいのは同じで、いい感じです。また始めようかなと思っています。。 |
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2004.12.16(水)造形実習Ⅲ「開空間の構成《 関東学院で20年近く持ってきた、2年生の「造形実習Ⅲ《という授業が今年の前期で終わりました。 その授業の第一課題でずっと、壁と柱と床スラブ、そして階段を構成要素として開いた空間を作れという 「開空間の構成《という課題を出してきました。 敷地条件、機能、用途などをネグってただ空間を作る, しかもいきなり模型から、というものです。 これは実は昔、僕自身が受けた東大の駒場での、建築設計のスタート時の最初の課題を少しアレンジしたものです。 広部達也、横山正という当時若かった二人の先生の出題で、 腰、目、背の位置などの異なった高さの「壁《が与えられ、 それを使って開空間を作れというもので、イメージとしてミースのバルセロナ・パヴィリオンの図面のコピーが 参考資料に渡されました。 建築の事をほとんど知らない僕らは、癖のある強烈な二人の先生に、皆ものすごい影響を受けました。 始めて習う建築というものが面白く、課題を考えるのが楽しくて、徹夜徹夜も苦にならない、 実に密度の濃い4、5ヶ月でした。 この開空間の課題の講評で、僕の案が「秀逸《という言葉で誉められたので、余計印象に残っているのです。 関東学院の20年近くの期間で,おそらく600人くらいの学生に同じ課題を出してきましたが、 一人として同じ模型を作ったものがいません。似かよった案もあまり記憶にありません。 当然のことのようですが、この多様性は凄いことのように思えます。いくつかの「秀逸《な作品がありました。 それらは学生の顔と一緒に思い出すことが出来ます。 今年の後期からは、増田奏先生と一緒の「モデリングワークショップ《という1年生の新しい授業が始まりました。 またしてもこの「開空間の構成《を第一課題にしていますが、第二課題には今回始めて「閉空間の構成《という のをスタートしました。これも駒場の頃の課題をアレンジしたものです。当時は油粘土で模型を作りましたが, 今回ダンボールを材料に選びました。なかなか扱いにくく、みな苦戦しているようですが、 とりあえず面白い作品も少し出てきています。 右の写真はその第一と第二課題の作品例です。 以前は必死で面白いのを作ろう、驚かせてやろうとしている感じ、熱気が伝わってきた学生が結構いましたが、 最近はノルマとして早く済ませようという感じの人が多くなっていて少し残念です。 |
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2004.11.25(木) 「コラテラル《と「血と骨《 映画の本数はここの所伸びて、昨日で116本,10、11月は劇場へも4回足を運びました。 どうしても行き易さから家の近くのシネマ・コンプレックスに行ってしまうので、観たのは 「コラテラル《「シークレット・ウィンドウ《「砂と霧の家《「血と骨《の4本。 「コラテラル《「血と骨《はかなり良かった。「コラテラル《はタクシーの運転手のジェイミー・フォックス が良くて、最初の方の乗客である女性検事との会話のシーンでぐっときて引き込まれました。 「ナイト・オン・ザ・プラネット《のタクシー運転手のウイノナ・ライダーと 映画のキャスティングをしている女性客との会話を思い出させる、生き方の姿勢みたいな会話で、 ちょっと雰囲気が似ている気がしました。 なぜか映画のタクシーの中では、そういう会話が交わされます。 最初のうち主役はこの運転手みたいでしたが、やはり殺し屋役のトム・クルーズは凄い。 今まで見たトム・クルーズの中で一番存在感があり格好いい。最後のシーンは燃え尽きた矢吹丈みたいでした。 やはりタクシーの運転手の映画「月はどっちにでている《のさい洋一監督が撮った「血と骨《の ビートたけしの存在感も凄く、トム・クルーズと同じに、やはり今まで観たビートたけしの中 で一番いい気がしました。 ところで今日は昼食の時事務所の小川光広が、最近見た「海猫《がいかに酷かったかを怒り心頭で話していました。 「家族ゲーム《が良かったので、最近の森田芳光はどうなっちゃっているんだということです。 どこかの雑誌に伊東美咲の演技が酷かったと書いてあったけど(観ていないで言うのは問題だけど、 伊東美咲にはもっと違う輝き方があるのでは)、監督だけの問題ではないのかもしれない。 ミスキャストは俳優にも気の毒。 「コラテラル《「血と骨《はトム・クルーズとビートたけしの映画で、ほかのキャスティングはありえない。 キャスティングは重要です。建築でも。 写真はトリュフォーが好きな小川君。 |
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2004.11.9(水) 千ヶ滝の別荘増築 軽井沢の、夏の工事自粛期間にかかって中断していた増築の現場が, 9月に再開して、やっと10月5日に引渡しすることが出来ました。 右の写真は11月1日に残工事のチェックに行ったときのものです。 去年完成した千ヶ滝の別荘にすぐ増築の話が持ち上がり、どういう形の増築にしようか考えました。 既存部分は十字形に交差したコンクリートのプラットフォームに鉄骨の壁・屋根がのった、完結した形 をしています。増築となると、異なる系の形態を付加するしかないと考えました。、 結果は自立した曲面の壁がテラスを抱き込んだ、三日月のようなものが既存の階段室に 突き刺さった形をしています。 平面は漫画の吹き出しのようなものが跳びだしたようにも見えます。 ![]() 既存を踏襲して、アプローチ側は黒い表情で、曲面が斜面に飛び出し、南東の斜面側は 一面のガラスで、遠くに山々を見渡せます。(下の2004.9.30(木) アルヴァーロ・シザの写真) この時期、ちょうどカラマツや、カエデの紅葉の盛りでした。 高台にあるので、この一面のガラス窓からの眺めは錦繍の世界です。 葉が緑のときにも、緑といってもこんなにも違った種類の緑があるのかと思って 感嘆して見ていましたが、 さらにこの紅葉の色合いのヴァリエーションには驚かされます。 |
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2004.10.13(水) オリヴェイラ監督 ヴィデオやDVD,TVの放映も含めて、年間100本映画を見ようと、少し前から 意識して本数をカウントし始めたのだけれど、2002年72本、2003年69本と なかなか100本には到達しません。ところが今年は早々と、この10日の日曜日に100本に達しました。 これには麻薬的なTVドラマ「24《のシーズンⅡまでのDVD23本が含まれているので、ちょっとずるいけど まあいいことにします。 映画館には8月までは平均月一回のペースで足を運んでいます。今年映画館で見たのは、 「ミスティック・リバー《「シービスケット《「ペイチェック《「コールド・マウンテン《「キルビル2《 「永遠の語らい《「スパイダーマン2《「ドリーマーズ《の8本です。 中では「永遠の語らいA Talking Picture《がベスト。 西洋文明をテーマに、母と娘がインドのボンベイにいるパイロットの父親に会うために、ポルトからマルセイユ、ポンペイの遺跡、 アテネのアクロポリス、イスタンブール、エジプトのピラミッドと地中海文明を辿る船旅をするストーリー。 9.11をきっかけに、ポルトガルのマノエル・ド・オリヴェイラ監督は西洋文明というテーマに向かったということです。 印象的なシーンは、国の違う3人の女性の乗客たちが船長をホストに、同じテーブルで人生や愛について語り合う場面。 母娘も加わって、それぞれの国の言葉、英語、フランス語、イタリア語、ギリシャ語、ポルトガル語を使っているのに、お互いに 自然に理解し合っている場面です。 ワーストはベルナルド・ベルトルッチの「ドリーマーズ《。「ラストエンペラー《や「シェルタリングスカイ《が好きだったので、 落胆は大きかった。63歳のベルトルッチがとても老いて見え、95歳のオリヴェイラ監督が若く思えました。 右の写真は高田馬場で現場が進行中の集合住宅、オフィス、店舗が入る13階建のコンプレックスです。来年の春に竣工します。 |
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2004.9.30(木) アルヴァーロ・シザ カティア・ゲレイロのコンサートに行きました。とてもいいコンサートでした。 ポルトガル・ギター、ギターラの独特な音を聴くだけでわくわくします。 カティア・ゲレイロは、手を背中で結んで歌います。 マドレデウスのテレーザ・サルゲイロにも、ステージで歌う時、静かに すっと前に出る動きにはっとさせられましたが、この独特のポーズは魅力的です。 ここの所、アルヴァーロ・シザはどうして好いんだろうかと、時々プランと写真を眺めて考えています。 使う材料の新奇さで勝負しない所や、中間領域の作り方の上手さや、独特のスケール感覚、白い空間の良さ、 魅力はいろいろあります。 コルビュジエが初期にやっていたようなことをやっている感じもします。 そしてシザの空間には必ず少しだけ、ズラシと言うか、変形があります。非常にオーディナリーなデザインの中に、 この変形があるために、空間が一躍シャープなものになります。ほんのちょっとしたズラシで、時には 気付くか気付かないかという程度のものですが、それがあるために空間が、突然シザ独特のものになります。 カティア・ゲレイロの歌うときのポーズもほんのちょっとしたズラシだけど、とても気になります。 個性とかそういう言い方で割り切れない、そうしか出来ない本質的なものがある気がします。 「千ヶ滝の別荘増築《は完成間近です。 少しレイアウトなど更新しました。 |
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2004.9.14(火) ファド 意外に早く登録でき、9月9日遂に公開することが出来ました。 小齋さんに誘われて土曜の夜、ファドを聴きに行きました。四ツ谷のマヌエルというレストランです。 ポルトガル・ギター、マリオ・パシェーコ、歌、シーラ・ギマラエンス。 一昨年やはり小斎さんに誘われて、荻窪の店で 松田美緒のライヴ(素晴らしかった)を聴いて以来で、 久しぶりにファドを聴きました。 最初はアルヴァロ・シザの建築に惹かれて1997年、 コルドバからグラナダのアルハンブラを経てリスボアまで、旅をしました。2回目は2000年です。 リスボアから出発して、東へ、北へ、ポウサーダに泊まりながらポルトの北まで行きました。ポウサーダは 修道院やお城を改装した国営のホテルで、全く素晴らしいところなのです。 アルヴァロ・シザの建築だけでなく人や風景、すっかりポルトガルが好きになりました。 その翌年、スナックでポスターを見て、何となく勘が働いて、そのときは吊前も知らず、ポルトガルというだけで、 マドレデウスのコンサートに行き、そこで足立さん、小齋さんと会いました。 土曜日は時間が短くて、あまり堪能できなかったので、小齋さんに教えてもらった、カティア・ゲレイロの コンサートに行こうかと思いました。でも25日は関東学院の授業が始まるので、どうしようか迷っているところです。 |
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2004.9.3(金) ドメイン登録 ドメインの取得に2週間くらいということで、公開するには今しばらく猶予が出来てしまいました。 今回、昔を振り返って資料を見ていたら、ロンドンに居る頃、故巴辰一君と一緒に出して、2等に入った 新建築の住宅設計コンペの発表時の文章に目が止まりました。引用してみます。 「一般解を、あるいは普遍的な住居を追求しようという設計態度は嫌いです。ぼくら自身がそこで生活したいか、 その中で楽しいか、そういう場所が果たして好きかどうか、そういった問いを常に発して、矮小ではあっても 自分自身から出発したいと思います。 借り物ではない、ぼくらの「形《というものを、ヘタクソでも出して行くことからやって行きたい。(中略) それはぼくら自身の、日常の一瞬一瞬を大事にしてゆくことだと思います。ここでいっている日常性は 、生活中心の便宜的機能主義を求める、という意味ではもちろんありません。できることならぼくらはジョン・ソーン の自邸のパラノイアにまで到達したいと思っているのです。この計画でぼくらが基本においたコンセプトは 次の6点です。 1.奥行きをもった棲み家をつくりたい。 2.個人の創造の場としての、ワークショップを持ちたい。 3.細い通路、小路を大切にしたい。 4.主婦の一日で、一番長く滞在する場所、キッチンの雰囲気、 他の部分との関係を大切にしたい。 5.性格の異なった外部空間をたくさんもちたい。 6.増殖する建築ではなく、内部のフレキシビリティ を可能にする「殻《*たとえばロンドンの街の テラスハウス群にみるような「殻《的な性格をもちたい。すなわちワークショップ上部のガラス屋根は 取り払われて、庭になりうるし、2軒分を一家族が所有するかもしれない、あるいは、隣の小家族の ベッドルームに大家族が侵食するといった、または住み換えの可能性をもったそういう殻をつくりたい。《 30年前の文章です。人間はつくづく変わらないなあと思いました。 GLCのハウジング部で故巴辰一君と二人で発表したときの写真が出てきたので差し替えました。(20041109) |
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2004.8.31(火) 第一日 遅ればせながら、ホームページを作りました。 事務所を立ち上げてから、速いもので、もう24年です。 今までにやってきた仕事を振り返って、1つずつコメントを付けていきました。 写真がないものなどあって、全てではありません。仕事全体からすれば半分程でしょうか。 いろんな仕事がありました。いろいろな出会いがありました。いろいろな細かい出来事がありました。 一つ一つの仕事に強い思い入れがあります。 やっている内に当然ながら、それぞれに共通点や、流れが、少し見えてきました。それらを分類整理して、 何かメッセージを導き出そうかとも思いましたが、それはこれからの事にして、今回はとりあえず、 そのままを提示することにしました。 5月19日に南風舎で、小川格さんとホームページの話をしてから 3ヶ月以上経ってしまいました。最初はプロにカッコいいのを 作って貰おうと思って、格さんにその話をすると、自分で作らなきゃ、 と言われ、こういう形になりました。もっと癖を出さないと、と言われそうですが、 それはおいおいという事で、とりあえず公開することにしました。 右の写真は今進行中の「千ヶ滝の別荘増築《の現場です。 |
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