notes

2016.12.30(金) 2016年の終わり

1月は1日、亮・航・和美ちゃん呼んで新年会。年始から西大井の天空率、Aino Aaltoの翻訳。 裕子さんから連絡があり、6日龍平兄見舞い、その日の夜に逝去79歳、両親兄弟みないなくなった。10日David Bowie逝去。13日カーザはるみ現調。

2月は図書館でフィンランド語入門書を借りて読み方を学ぶ。5日Frank Gehry展、ゲーリーまだ頑張ってる。 伊豆のホテル海へ一泊旅行、河津桜お花見。Aino Aaltoの翻訳佳境。

3月6日麻緒香入籍祝い。9日横堀さんを神楽坂の老人ホームへ見舞う。15日左膝痛頂点。21日Aino Aaltoの翻訳終了、あとは校正。 集団的自衛権行使を認める安全保障関連法施行。台湾のホンハイ、シャープ買収。

4月は坂口、渡部両夫妻とANAインターコンチネンタル36階で食事、お花見。5日コンタヴァッリ氏とスタジオKへ。7日義母のお墓参り。 左膝痛に加え左肩痛、治癒に一月掛かる。関東学院設計製図Ⅲスタート。土佐清水で竣工後レベル・チェック、大矢さんの案内で唐人駄場。14日夜熊本地震、活断層が震源震度7、 死者41人9万2千人避難。17日琴寧誕生!!21日織田・岡本・樋口山中バスケ会。24日コンタヴァッリ夫妻招待。 27日川上、坂口、白崎夫妻、上野、加藤各氏とVINO E PASTAでロンドン会。

5月10日カーザはるみ図面とりあえず終了、図渡し。11,15,16,18平野、南口、川崎各氏と読み合せ校正。22日琴寧お宮参り。 オバマ大統領広島訪問。

6月5*7金澤旅行。寿司“みつ川”、“オステリア・デル・カンパーニュ”美味。そして福井永平寺へ。金澤の映画館で観た“ヒメアノール”面白かった。 カーザはるみ、予定の倊以上の見積り出る。JW CADトラブル。21日舛添都知事辞職。22日カーザはるみ確認仮申請。24日コンタヴァッリ夫妻、小斎さん招待。英国国民投票でEU離脱。

7月3日玉井哲雄のジャズピアノ発表会、赤坂bフラット。カーザはるみ見積り、キマドに悩まされる。マリアンヌ・ヘイキンヘイモさんの フィンランド建築レクチュアAXISで。Aino Aaltoの翻訳本届く、なかなか良い。22日関東学院設計製図Ⅲ最終、勤続34年間の最後、花束送られる。24日シトロエンC4契約。 30日浦安花火、亮・航・和美ちゃん、琴ちゃん、ミッちゃん。渥美清の俳句に感心。小池百合子都知事誕生。

8月には4日C4紊車。5日坂口さんの現場見学。6日琴ちゃんお食い初め。別所沼公園で、立原道造のヒアシンス・ハウス見る。 関澤さんのご招待“かねき”、赤石さんと。リオ・オリンピック、卓球女子ドイツに惜敗、銀逃す。範子さんの誕生祝いに、銀座へ。去年と同じ寿司清、オーバカナーレ。 ハシゴまでは無理だった。天皇生前退位の願い表明。イタリア中部アマトリーチェでM6.2の地震、298人死亡。カーザはるみ確認申請、構造進まず。

9月10日カーザはるみ地鎮祭。16日明海大の建築史スタート。22日秋成くん5歳の誕生祝いでミミちゃん家へ。コンタヴァッリ夫妻とAino Aalto展。

10月10月になって夏の間傷まなかった両膝の内側、特に右膝が痛む。3-4日山梨北杜市藤森宅へ。C4右サイドミラー搊傷。 11日就労センター“街”定期調査報告のために訪問。15日カーザはるみ工事契約、予定額より1346万高い(税込)。ミカちゃん結婚報告。16日防災フェスティヴァル。 20日竹内さんとキラリトギンザのパエリア専門店パエゾーで会食。TVドキュメンタリー遠藤周作の“ルーアンの丘へ”素晴らしい。特に最後のリヨンの上にかかった虹に感動。 25日渡部、坂口両氏とパエゾーで会食。12時半から5時まで、女子会?右膝痛最悪。30日亀を冬眠させる。 建築史の準備で繰り返し拾い読みしているジョン・サマーソンの“古典主義建築の系譜”改めて素晴らしいと感じ入る。鈴木博之さんの31歳の時の訳も見事だ。

11月3日、亮・航に早めの古希の祝いをしてもらう。6-9日には古希記念の伊勢旅行。人力車に乗ったり、右足かばいながらの伊勢参り。 鳥羽で牡蠣の食べ放題。浜松では3回楽しめる鰻食べる。14日小松氏とキラリトギンザの回転寿司沼津港で会食。15日自宅玄関ドア交換。29日神保町文房堂へ行って、 DERWENTの色鉛筆のバラ、買い足す。30日小川格さんの水星会展、6才上の格さん、3才上の竹内さんと会食。ふたりとも若い。米大統領選トランプ勝利。

12月3日、喜久恵さん1周忌法要大人9人、子供3人総勢12人。11日には海さんが中国に戻るので、総勢13人ウチへ招待。 日本建築史の準備で太田博太郎先生のちくま学芸文庫“日本の建築・歴史と伝統”を繰り返し拾い読み、西洋建築史のサマーソンに匹敵する面白さ。

今年は、膝の痛みに苦しめられた年。特に後半の右膝。年末にMRIを撮り結局、新年に順天堂病院予約。



新年会 ホテル海 琴寧誕生 金澤 KGU花束AINO ALTO 古希の祝い
2016.9.26(月) アイノ・アールトのヴィラ・フローラ

TOTO出版の“アイノ・アールト”は7月20日に出版され、その後8月に、竹中工務店本店のぎゃらりーエークワッドで展覧会がスタートしました。 忙しくてなかなか行けませんでしたが、やっと観に行ってきました。 今年の前半のかなりの時間を費やして翻訳した、“アイノ・アールト”は、この展覧会に合わせて出版された本です。

アイノ・マルシオはヘルシンキ工科大学を出ると、スタートしたばかりのユヴァスキュラのアルヴァ・アールトの事務所に入り、6ヶ月後にはアルヴァと 結婚。初期のアールト事務所に大きな貢献をした人です。アルヴァもアイノの才能を認めていて、作品は連吊で発表しています。 しかしわずか25年間の協働ののち、54歳の時に癌で亡くなりました。
アイノ・アールトは、フィンランドの国民的な英雄でもある世界的に有吊なアルヴァ・アールトの影に隠れて今まであまり採り上げられることがありませんでした。
建築ではアルヴァを支える黒子の役割になりがちで、その中で家具や、テキスタイル、ガラス器は、はっきりとアイノのデザインだと分かるものが残っています。 泰明小学校の前のイッタラでは、アイノによるボルゲブリック・シリーズというガラス器を今でも売っています。 初期のアルテックを切り盛りし、発展させた人でもあり、特に、ヴィラ・マイレアのインテリアは、アイノのデザインです。

展覧会で印象に残ったのはヴィラ・フローラの展示です。結婚してわりとすぐに建てられたアラヤルヴィ湖畔に建つアールト一家の夏の家です。
これはアイノのデザインだとされています。シンプルで落ち着いた、とても快適そうな小さな建築で、派手な所はありませんが、アイノの建築家としての才能を示す佳作です。

アールト夫妻はスウェーデンの建築家、グンナール・アスプルンドと親しかったのですが、展示の指摘にあるように、 ストックホルム郊外の海岸に建てたアスプルンドの、自身のための夏の家の佇まいに少し似ています。そう書いた後でそれぞれの建築年を調べてみると、 アスプルンドの夏の家は1936*40年で、ヴィラ・フローラのほうが1926年で10年も早く建っています。アスプルンドの夏の家は僕の大好きな建築ですが、 もしかしたらアスプルンドはアイノの夏の家を訪ねていたのかもしれません。
右のヴィラ・フローラの水彩画に見られるように、アイノのドローイングは、スケッチも建築のドローイングも細い繊細な線で描かれ、とても魅力的です。

アイノ・アールト―もっと知られてもよい建築家だと思います。
展覧会は10月31日までです。



ヴィラ・フローラ ヴィラ・フローラ アスプルンドの夏の家


2016.6.19(日) 2015年の映画

2016年の前半が終わろうとしている時に2015年の映画。
2015年は映画館、DVD、CATVの放映含め、52本の映画しか観なかった。2014年とほぼ同じ。
映画館で観た11本の映画の中には
“さらば愛の言葉よ”、“博士と彼女のセオリー”、“ミッション・インポッシブル ローグネーション”、 “ラブアンドマーシー”、“ヴィンセントが教えてくれたこと”、“マイ・インターン”、“アンジェリカの微笑み”と、面白いのが一杯あった。

2015年は、まず4月2日にマノエル・ド・オリヴィエラ監督が106歳で亡くなるという大きな出来事があった。
僕は映画館で上映された“永遠の語らい”、“夜顔”、 “ブロンド娘は過激に美しく”しか観ていないが、亡くなったことで“アンジェリカの微笑み”が年末に特別上映されて、それを観ることができた。 オリヴィエラ監督の映画は、みな人を食ったようなストーリーだが、他の映画にないなんとも言えぬ魅力がある。 そして久しぶりのゴダールの眼を見張る3D“さらば愛の言葉よ”。
オリヴィエラ、ゴダールのつくり出すものは、普通の映画とは違う、 なにか特別な「オリヴィエラ《、「ゴダール《というジャンルのものという気がする。

“トム・クルーズの出る映画は絶対面白いというぼくの信念は、ここのところ裏切られてばかりだったが、 ついに期待を裏切らない映画“ミッション・インポッシブル ローグネーション”が来た。

2015年映画




思わず笑ってしまうほど、これでもかというトム・クルーズのアクション。 そして女性スパイ、レベッカ・ファーガソンが素晴らしい。 あまり面白かったので、シリーズ4本のDVDを借りてきてしまった。
今回見なおした過去の4作では、M:I-Ⅲ、M:I-2、ミッション・インポッシブル/ゴースト・プロトコル、ミッション・インポッシブル、の順で面白かったが、 やはり今回のローグネーションがベスト。

それと、ビル・マーレイの“ヴィンセントが教えてくれたこと”ロバート・デ・ニーロの“マイ・インターン”という、 僕と同じ年齢の主人公の映画が立て続けに上映された。世界的にこの世代の人口が増えているということか。 たまたま取ったCATVの“ミッドナイト・ガイズ”もアル・パチーノ、クリストファー・ウォーケン、アラン・アーキンという面々の元ギャングの老人たちの 一晩の活躍を描く痛快なやつだった。

ヴィンセントが教えてくれたこと マイ・インターン ミッドナイト・ガイズ




2015.12.30(水) 2015年の終わり

1月には建築史の最後日本住居史の準備。22日1年に2,3回、恒例になった小松との会食オーバカナーレで。 24日亮・航・和美ちゃんとペガサスビルのハーデンタイテン。建築史のノート51人分採点。

2月には左膝の内側の内側副靭帯痛み始める。この後4月ころから本格的に痛くなり、年末まで続く。 ゴダールの3D、日常がこんなにも美しい。コンタヴァリ夫妻、小斎さん、マルちゃん、ミカちゃんも呼んで、蕎麦打ち。

3月には小斎さんに誘われてタンゴ、パブロ・シーグレル+レジーナ・カーター。 BM大山さんの手伝いスタート。23日裕の見舞い、横浜市大病院、関東学院の通勤路の近くだった。

4月には坂口、渡部両夫妻と白金ブルー・ポイントで食事、お花見。UGの山下君と赤坂木曽路で会食。 マノエル・ド・オリヴェイラ監督死去、106歳。亮介、豪徳寺へ引越、手伝う。法人解散の登記手続きスタート。小松とVINO E PASTA。 川上、坂口、白崎夫妻、上野、加藤各氏とまたVINO E PASTAでロンドン会。

5月始めに帰国した小斎さんからコンタヴァリさんが心筋梗塞、初めて知る。 この頃から事務所のパソコン、パーティションCが一杯で風前の灯

6月初めには黒坂、本田さんとオーバカナーレで会食。 北杜市藤森宅へ航介・和美ちゃんも一緒。裕とオーバカナーレのあと、野々瀬氏と待ち合わせ、老人ホームの横堀さん、お見舞い。 東洋ゴムの免震ゴム性能偽装。

7月には、関東学院設計製図最終。白に虹のスリット、美しい案あり。TOTOギャラ間のアジアの若手建築家の展覧会カタログの翻訳つづく。 わりと楽しくやっている。新国立競技場瞑想の原因、審査員の安藤忠雄釈明記者会見。そしてザッハ案白紙に。

8月には部屋のエアコン復活。範子さんの功績。ソフトバンクのWIfi解約、Jcomネットに戻る。 範子さんの誕生祝いに、銀座へ。寿司清、オーバカナーレ、ハシゴ。鮎の塩焼き、ハラス巻、ステーキ、ダンダンメンと食べに食べ、お腹パンパン。

9月には、先月末からの足摺岬の近く土佐清水への出張。漱石ゆかりの、初めての道後温泉。 その報告書づくりに四苦八苦、やってもやっても終わらない。12日には、義母の入院。危険な状態。週末のお見舞い通いが続く。 ラグビーW杯南アフリカに勝利。集団的自衛権の安保関連法成立。

10月には、BM大山氏の手伝いで、マンション建替え計画コンペ。竹内さんとレバンテでランチ。 ギャラ間のオープニングパーティのあと、織田・岡元・樋口再会合。謝々でマーちゃんの結婚相手と初顔合わせ。竹内さんと格さんの水星会展へ。 英国、中国から原発を買うというニュース格さんから聞く。

11月には、ロンドンで見て以来の40年ぶりの念願、ラッチェンスの大型本、英国のアマゾンから購入。2日亀冬眠さす。 航介・和美ちゃん、ブライトンで誕生祝いをしてくれる。なんて親孝行。24日母逝去、26歳からひとり、二人の娘に捧げた生涯だった。横浜のマンションの杭データ偽装発覚。

12月初めには、東大建築45年会。出世頭、大林組白石社長の差配で本郷の中華屋。 パリ・ミキでリースの補聴器。TOTO出版より、アイノ・アアルトの本の翻訳依頼さる。静嘉堂文庫でついに、宗達の関屋澪標図屏風観る。 コンタヴァリ夫妻の日本移住の決断に驚く。もう15分遅かったら…というコンタヴァリさんの心筋梗塞の体験から来る、はるみさんへの思いから。

今年は、お弁当を作ってもらって、昼と夜に半分ずつ食べる生活を続けた。週末には、家族や友人が家に来て美味しいものを腹いっぱい食べることが多かった。

うちの食事は、外の何処よりも美味しいし、これでもか、これでもかと出てくる。食の楽しみを存分に味わった年。



蕎麦打ち ロンドン会 藤森宅 道後温泉 お弁当
2015.12.27(日)関屋澪標図屏風

俵屋宗達の“関屋澪標図屏風”をついに観ることが出来た。
23日に終わった“宗達・光琳・抱一をめぐる美の世界*金銀の系譜”という静嘉堂文庫の展覧会、最後の方に滑り込んだ。
去年の5月に東京国立博物館の“栄西と建仁寺”展で観た“風神雷神図屏風”以来だ。
もともとは明治29年に醍醐寺から、寄進の返礼として、静嘉堂の創設者、岩崎彌之助に送られたものだという。
ずっと観たかったものだが、修復中で観ることが出来なかった。今回10年ぶりの公開ということだった。

2009年3月に京都、相国寺で“蔦の細道図屏風”、醍醐寺で“舞楽図屏風” 9月に金澤で“槇檜図屏風”そして去年の5月の“風神雷神図屏風”、これで日本にある宗達の屏風はすべて観た。
あとはアメリカにある“松島図屏風”と“雲龍図屏風”だが、門外上出で、 フリーア美術館に行かないと、しかも公開中にしか観られない。


現在アメリカのフリーア美術館では展覧会中で、 この二つ、公開中しているようだが、これだけを観に行くには、アメリカはちょっと遠い。

“関屋澪標図屏風”、修復が終わったということだったが、細部を見るとまだ結構傷んでいる。
全体の構図が素晴らしい。“蔦の細道図屏風”の徹底的に押し進めた抽象化に通じるものがある。
そして中世の絵巻物など、古典の図様からの引用が現代のコラージュのように配されている面白さ。 コピーや写真あったわけではないので、 自身の写しによるコラージュだ。ちまちまして自由で、しかも大胆、なんて面白い人なんだ、俵屋宗達。
少なかったが、同時に展示されている光琳、抱一の中で、酒井抱一の”波図屏風”が面白い。 尾形光琳の”波濤図屏風”から着想を得たもので、光琳の金地の2曲一双を銀地の六曲一双に展開したということだが、 荒々しく、ダイナミックで、素晴らしく、感銘を受けた。
関屋澪標図屏風
波図屏風



2015.8.26(水) 西洋建築史概説-1

9月14日から明海大の建築史の授業が始まるので、西洋建築史概説。
オーダー
右の写真は丸の内の明治生命館です。アーカンサスの葉をモチーフにしたコリント式の柱頭で、 約2500年前に建てられた古代ギリシャの神殿が起源で、20世紀初頭まで使い続けられた古典主義建築のモチーフです。
柱頭(キャピタル)は柱のてっぺんにある部材ですが、元々は柱、梁とも木造だった神殿の水平材を受けるために、 面積を拡げて荷重を和らげるためのものです。(木材は繊維に直角方向の力に弱いので)

日本の寺社建築の組物に似ています。右の写真(法隆寺)は大きく飛び出した庇を受けるために、 出組という複雑なものになっていますが、 組物のスタートは柱が水平材にぶつかる部分を補強するもので、柱頭と同じ役割です。 ついでにこの柱は中ほどでわずかに膨らんでいて、ギリシャ神殿のエンタシスとの何らかの関連性が取り沙汰されています。

木造起源(したがって本来は組積造向きではない)の柱(コラム)と水平材(エンタブラチュア)の架構システムの構成を“オーダー”と呼びます。 各部分の寸法関係を最も美しくなるように、細かく規定し、 柱の根元の直径(1モドゥルス)を基準に、高さや柱間隔、各部寸法をその整数倊又は分数倊としています。
ギリシャ建築では、ドリス式、イオニア式、コリント式の三つのオーダーがあります。 ドリス式はシンプルな柱頭で柱礎がなく、イオニア式は渦巻(ヴォリュート)の柱頭、コリント式はアカンサスの葉の柱頭で、 ドリス式よりもイオニア式、コリント式は細身で、それぞれ成人男子、優美な婦人、繊細な少女になぞらえられます。

ギリシャ神殿の神室は壁で囲まれ、神像は雨風から守られているので、機能的にはその周りの柱は要らず、 周りに列柱を巡らすのは、外観を格調高いものにして神の家に相応しくするためです。そのため壁構造に向く組積造に、あえて 木造起源の寝殿の柱-梁構造を継承して、人間になぞらえた柱が立って梁を支えている姿を、美的観点から列柱としたのです。

明治生命館


組物組物の原理
パルテノン神殿 パルテノン寝殿 3つのオーダー
ギリシャ文明が衰えた後の古代ローマで、外観を格調高くするためのオーダーは、 トスカナ式とコンポジット式が加わって、五つになります。
そしてギリシャでは美的判断からか決して使われなかったアーチが壁構造の開口に、そして床にヴォールトが多用されるようになります。
アーチやヴォールトと組み合わされたオーダーが、多様な機能の建築に使用され、その応用システムが考案、確立されたのです。 コロッセオの外壁の各階には、アーチと組み合わされた、下からドリス式、イオニア式、コリント式、 ヴォールトによって床を支えられた、コリント式の順でオーダーが貼り付けられます。 凱旋門もアーチとオーダーで、装飾されます。アーチをオーダーと組み合わせたことで、建築表現の幅を一気に拡大したのです。
ハドリアヌス帝が再建したパンテオン(万神殿)では、43mの球体が内接する円形神殿の前にギリシャ神殿の前面が貼り付けられています。
もう一つのギリシャとの大きな違いは、コンクリートが発明されたことです。ギリシャ神殿の柱にはコンクリートは使われず、 石工の脅威的な技術とダボによって円筒が繋げられて、一本の柱が成立していました。
パンテオンは上に行くほど薄く、軽くしたドームを、 最大6mの厚い壁で支えるという、コンクリートを使った巧妙な構造形式です。
てっぺんには直径9mのオクルス(眼)という孔を開け、 移動する太陽の丸い光を床に落とし、天体の動きを実感させ、ギリシャにはなかった内部空間を成立させたのです。 ギリシャ神殿は外から眺めるもので、内部空間は意識されていなかったようなのです。
パンテオン コロッセオ 凱旋門
ギリシャで比例のシステム、視覚補正(リファインメント)で、極限にまで洗練された神殿のモチーフ、オーダーは、 ローマで、アーチと組み合わされ、多様な建築タイプ、円形闘技場、バシリカ、浴場、ヴィラ、凱旋門、の立面の構成法が確立されました。
そしてローマン・コンクリートの発明で、ヴォールト、ドームによるギリシャにはなかった豊かな内部空間が覆いが可能になりまいた。
ローマ帝国滅亡後、古代ローマで確立されたオーダーの建築、古典主義建築はルネサンスで復活するまでの約1000年の間、表舞台から消えます。 中世、それに取って代わったのがキリスト教の教会建築です。定形を持たなかったキリスト教建築は、ローマのバシリカをモデルとしてスタートして、 ロマネスクを経て、ゴシック建築というに充ちた神の家を作り出しました。中世の頂点がこのゴシック建築です。
パンテオン パンテオン ローマ帝国



2015.5.6(水) 土屋さんのうち

4月から、非常勤講師をしている関東学院大学の2年生の設計製図の授業が始まりました。
学生にとっては課題らしい課題の出る初めての設計製図で、初めの課題は木造の住宅の設計です。
建築は住宅に始まり住宅に終わるとか、住宅は建築の基本だとか言われますが、やはり一番面白いのは住宅の設計です。
まだまだ形になってきませんが、今週金曜日はもう中間提出です。
大体1回に10人位の学生のチェックをしますが、面白そうな案が2,3出てきました。
その中で、リビングとダイニングを1階と2階に分けて、吹き抜けと階段でつなぐ案があり、ふと松原忠策さん設計の“土屋さんのうち” を思い出しました。右の写真は雑誌都市住宅に出た写真ですが、ぼくのとても好きだった写真です。今回昔の雑誌をひっくり返して探しだしたものです。
2階のリビングから下のダイニングを見下ろした写真で、ダイニングより少し下がって、このリビングの下にキッチンがあります。
キッチンで立って働く人の視線がダイニングの座った人の視線と合うようにレベルが設定されていて、そのために少ない階段の段数で 2階のリビングに行けます。プランを見るとわかりますが、逆の方向に階段を昇って体を回転させて、ブリッジを渡るとリビングです。 この構成は、松原さんが尊敬していた村野藤吾の中山邸から来ているのでは、と昔思いましたが、今あらためて見なおしてみると 、それほどは似ていませんでした。
それはとにかく、床のレベルの少しずつズレていく関係が、実物は見ていませんが、 図面をみていると心地よく感じられて、良い住宅だなあといつも思っていました。
キッチンの平面もとても使いやすいように、良く考えられていて、昔良く見返していました。 レベルが少しずつズレていく関係や、キッチンの使いやすさは、この住宅の前に設計した松原さんの自邸に、とても良く似ています。 また敷地にピタッとはまった平面の作り方は、松原さんの得意とするところで、敷地の形状、方位の読み方にはいつも感心していました。

久し振りに昔の雑誌をひっくり返して、40年近く前の興奮を思い出しました。 そう言えばこの頃の都市住宅にはいい住宅が沢山載っていました。鈴木恂、篠原一男という凄い住宅を作る人がいました。
そんな中でも、この“土屋さんのうち”はそれらとはひと味違うけれど、具象の強さとでもいうものをもった住宅として光っていました。 いま見ても、傑作だと思います。



土屋さんのうち 土屋さんのうち


2015.3.26(木) 博士と彼女のセオリー

週初めに、ちょっと時間が空いたので映画を観にイクスピアリに行きました。他のにしたかったのですが、ノリコさんが観たいというので、 全く期待せずに、“博士と彼女のセオリー”にしました。

一時期話題になった物理学者、スティーヴン・ホーキング博士。その表に出なかった、妻ジェーンとの出逢いと、別れを描いた伝記ドラマ。元妻ジェーン・ホーキングの著作が原作。 ジェーンは最終的にはホーキング博士とは離婚して、二人を支えたジョナサンと一緒になるという実際の話なので、なかなか許可が下りず、映画化に10年かかったといいます。
あらすじは“1963年、イギリス。吊門ケンブリッジ大学大学院で理論物理学を研究するスティーヴン・ホーキングは、パーティで出逢った女性ジェーンと恋に落ちる。 ところが、その頃からスティーヴンの体調に異変が起き、やがてALSと診断され、余命2年と宣告されてしまう。 将来を悲観し、ジェーンとの未来も諦めるが、ジェーンは周囲の反対を押し切ってスティーヴンと結婚する道を選ぶ。当初の余命を越えて生き続けるスティーヴンは、 ジェーンの励ましに支えられ、研究者としても着実に実績を上げていく…。”

かつてテレビでよく観た車椅子と機械音声のホーキング博士の姿だが、その裏の日常生活のことは全く想像もしなかった。
どんなにすごい天才にも、表の顔からは見えない日常生活があって、ドラマがあること。しかも強烈なハンディキャップを持った人の日常ですから、それはすごいドラマになる。 博士と彼女のセオリー


こういうのは基本的には、ぼくとしては避けたい種類の映画なのですが、これは観てよかった。なかなか素晴らしい映画でした。
キャストがまず適切、ホーキング博士役のエディ・レッドメインという人がすごい。俳優とはこんなに役になりきれるものなのか、と感動します。アカデミー主演男優賞も当然という感じ。ジェーン役の フェリシティ・ジョーンズも素晴らしい。若い時もいいが、齢を経て結局離婚する場面で、全然嫌みを感じさせず、紊得させる。
そして監督が素晴らしい。コーヒーに落したミルクの映像、回り階段を駆け降りるジェーンを下から捉えた映像、ストーリーを急がないで、日常の細かなシーンを丁寧に作っていく姿勢は、 ああ、やはりイギリス映画はいいなあ、と深く紊得しました。。

博士と彼女のセオリー


2015.1.30(金) 2014年の映画

2014年は映画館、DVD、CATVの放映含め、51本の映画しか観なかった。 前半3月までにその半分の本数を見て、そのあとの9か月間は全く伸びなかった。なんやかやあったんです、2014年は。
映画館で観た14本の映画の中でよかったのは
“リスボンに誘われて”と“ジャージー・ボーイズ”

あとの9本、良かった順。
“思い出のマーニー、“ダラス・バイヤーズ・クラブ、“マダム・イン・ニューヨーク、“ゴーンガール、 “あなたを抱きしめる日まで”、“青天の霹靂”、“アバウト・タイム”、“武士の献立”、“永遠の〇”、“ウルフオブウォールストリート”、 “ぶどうのなみだ”、“オール・ユー・ニード・イズ・キル”。

一番最後のは最悪だった。 ぼくには英国映画とトム・クルーズの映画にハズレがない、という根拠のない、大雑把な信仰があるんだけど、これが見事に崩れた。 思い直してトム・クルーズの“アウトロー”(邦題ひどい、原題のジャック・リーチャーに何故しない?)をツタヤで借りてきて、この信仰を再確認した。

DVD、CATVの放映で観たもので印象に残っているのは、古いけど
“ドライビング・ミス・デイジー”、“ルーパー”、“ボーン・アイデンティティ”、 “グッモーエビアン”、“県庁おもてなし課”。

大泉洋はフシギだけど、何やっても、少し下手でも、みんないいね。“ぶどうのなみだ”はちょっとガッカリしたけど、 大泉洋には、罪がない。“青天の霹靂”は監督の劇団ひとりもよかった。

2014年映画




英国の行き帰りの飛行機で観たのでよかったのが、
“127時間、“とらわれて夏、“The Two Faces of January。

最後のは、ヴィゴ・モーテンセン主演で、まだ日本でやっていない。
クローネンバーグ監督・モーテンセンのコンビの“ヒストリー・オブ・バイオレンス”と “イースタン・プロミス”がずば抜けて面白かったので、モーテンセンは好きな俳優だ。
原作は太陽がいっぱいのパトリシア・ハイスミスの“殺意の迷宮”、監督はドライヴの脚本を書いたホセイン・アミニ。
なんでまだ日本で公開されないのだろうか?大画面で観たい。

リスボンに誘われて ジャージーボーイズ




2015.1.8(木) 2015年のスタート

新しい事務所、落ち着いてきました。今、自転車で通っています。新町から元町へ約30分、ちょうどいい運動。 新しい住所と電話は

〒279-0043
浦安市富士見2-11-48-405 (富士見マンション)
tel 047-354-5442
fax 047-354-5445

事務所を法人にして、神宮前に移転したのと同じ年、1987年に自宅も浦安に移りました。
公団にいた横堀さんの勧めによるもので、最初は賃貸で仮住まいの気分でいたのが早28年。 こんなに長く浦安に住み続けるとは思いませんでした。 そして事務所もついに浦安に。


冬の通勤路


昨年は最後の建築史の授業、近世のところで、建築以外の長谷川等伯や俵屋宗達の話をした。

ずいぶん久しぶりに江戸時代への変わり目から江戸初期、寛永時代の話をして、 こんなに面白い時代はない、という、何年か前の等伯、宗達から始まった個人的な熱狂を思い出して、 後水尾院、本阿弥光悦、小堀遠州、古田織部を拾い読みし直したりしている。
あの個人的な熱狂時代、沓型茶碗の面白さにちょっと引かれ、漫画 へうげもの を少し追っかけたりしたが、 今になってみると、もう一つ織部の良さがわからない。もう一度、建築を含め、織部のやったことを、 見直してみようか、とか思ったりもしている。
折も折、銀座松屋で“へうげもの”古田織部の展覧会をやっているようだ。見に行こうか、どうしようか。

近世年表


2014.12.31(水) 2014年の終わり

1月には9月からの建築史の準備。定年になった井上裕教授の跡を受けて担当することになった。 西洋建築史は、昨年大体終わったので日本建築史のノート作りスタート。 コンタヴァリ夫妻と山梨の北杜市上神取の藤森宅へ、そして松林図屏風を観に東京国立博物館へ。

2月には16年ぶりの大雪で、2週続けて雪かき。キマドの木原さんと坂口宅、鈴木博之氏の訃報を聞く。早すぎる。 ロンドンでの楽しかった日々を思い出す。 コンタヴァリ夫妻と芝のとうふ屋うかい。

3月にはスカルパのテーブル、ヴァルマラーナを活かすため、部屋の模様替え。本棚をひとつ処分。 続いている柳通りの液状化の修復工事の影響で、知らぬ間にタイアに釘が刺さり、ランチア小さなパンク。小松を誘って六義園の夜桜見物。

4月には坂口、渡部両夫妻とHIGASHIYAMA TOKYOで食事、目黒川の花見。tracesのラッチェンス書き込み、フランスのボワ・デ・ムチエ 面白い。念願の風神雷神図屏風を観に東京国立博物館の栄西と建仁寺展へ。

5月始めに連休避けて上神取の藤森宅へ。電動薪割り機で薪作り。 マッキントッシュのグラスゴー・スクール・オブ・アーツ火災。彰国社鈴木さんからの山本学治“巨匠ミースの遺産”に感銘受ける。

6月にはブラジルW杯ファンペルシーの芸術的フライング・ヘッドに感動、日本は1次リーグ敗退。桐敷真次郎“西洋建築史” みなと図書館で見つける、とてもいい。北八朔青柳邸の雨漏り追求。小泉さんより小坂さんの訃報。

7月には、コウスケ、和美ちゃんも一緒に上神取の藤森宅へ。英国行きの準備、オイスターカード、フレキシ・レール・パス、 Wifiのルーターを英国政府観光庁よりネットで購入。

8月にはロンドンのケンジントン・ガーデンズ近くのホテルに3週間滞在。死ぬ前にもう一度訪ねたいという範子さんの要望で、 去年のイタリアに続いての長い休暇。 昔住んだリンドハーストやタフネル・パーク、その他懐かしい場所を訪ね、まさみさんに会う。そしてラッチェンスの住宅六つ、 運良く全て中に入れてもらって、庭を見ることが出来た。

9月には、Faxで入っていた、建物検査員に応募、講習に参加。織田くんと思いもしないトラブル。 20年位続いた、山崎中バスケ部の集り4人会もこれで終わりか。明海大、建築史の授業スタート。

10月には、二人で八千代浄苑と富士霊園にお墓参り。12年乗ったランチア・リブラ・ワゴンと別れ、シトロエンC3、紊車。 エフィシェント・トロニック・ギアボックス、いわばクラッチのないマニュアルのようなもの。

11月には、事務所を浦安に移転。ガラスのテーブルは軽トラで藤森さんが上神取に引き取ってくれた。 赤石さんに机と本棚の解体組み立てを依頼、かなりの量運んでくれる。最後は小山さんが仕上げ。 あとは亮介、航介に手伝ってもらいC3で運ぶ。引越し屋に頼まず、結構大変だった。徳大寺有恒74歳、高倉健83歳、菅原文太81歳の相次ぐ訃報。

12月には、竹内さんと格さんの水星会展へ。横堀さんから杖でトイレに行けるようになったと久しぶりのメール。 裕は薪にしようと枯れ枝を引っ張って倒れ、頭を強打、救急車で運ばれるも大事にならずに済んだのは幸い。一緒に歳を重ねて来た友人たちにも、ここに来ていろいろなことがある。

今年は、ロンドンに滞在し、40年前に住んだ家を訪ね、40年間の来し方、その時その時に選択を迫られ、選んだ決断は、それぞれ正しかったのだろうか? 違った道があったのでは?という思いが、浮かんできた。

でも、浮かんできたその思い、その問には、これまでの所、おおむね楽しい人生を送って来たよ、 後悔はないよと、応えておいた。



リヴァプール 虎ノ門事務所 水星会展 ゴダーズ
2014.10.16(木)ランチア・リブラ・ワゴン

ランチア・リブラ・ワゴン、車検が迫ってきたので、悩んだ末に終わりにしました。

10月初めにお墓参りに行った時の、お墓の前のランチア。いい形をしています。残念。遠目だと、塗装のはげたのも分かりません。

これが決定的なのですが、外部塗装が剥げてきて、さらに後部の窓が開かなくなってたり、 付随的なところで、いろいろあって、整備したら幾らとられるかわからない。 それを考えて買い替えることにしました。乗っている分にはまだ非常に調子がいいので、何だか残念な気もします。
ダイアリーを遡ってみたら、2001年10月28日に紊車でした。13年乗ったことになります。
そのころのダイアリーを見ると、まだ日大の設計製図の講師をしていました。明海大では、空間デザイン の授業を持っていて、マッキントッシュやコルビュジエ、カーン、ソーンなどについて、好き勝手に話をしていました。 また、海側に視界を塞いで突然建つことになった、マンションの建設反対運動もやっていました。事務所では4つの仕事が動いていました。
ランチア・リブラ・ワゴン


2014.8.28(木)英国滞在最終日

今夜22:20発の飛行機でヒースローを発ちます。

午前中に荷物をまとめ、ホテルをチェックアウトして、ハムステッドへ。 もう一度金魚菜館でランチを食べます。この間友人からレストランではミネラル・ウォーターでなくても、 水道水で問題無いと言われていたので、タップ・ウォーターを頼んで、その分というわけでもないが、 一品多く頼みました。茄子の炒めもの、茄子はエッグ・プラントと言わず、今やオーバージーンといいます。 美味しかった湯葉巻きの春巻も頼みました。この間より、それぞれの量も多く、お腹一杯になりました。

46番バスをセント・ジョンズ・ウッドで降りて、プリムローズ・ヒルへ。 ロンドン滞在の最後としては、ここを締めとするのがいいかと思いました。
ポール・マッカートニーがこの近くに住んでいたというのも聞いていたので、フール・オン・ザ・ヒルのヒルのイメージは、この プリムローズ・ヒルに違いないと、40年前ロンドンに着いたばかりで、この小さめの丘を初めて訪れた時、勝手に决めて、感激していました。
40年前、正確には42年前の夏、ロンドンに来て、最初はマイルドメイ・グローヴ、そして石田さんの後の5Aリンド・ハースト・ガーデンズと 202タフネル・パーク・ロードで暮らし、チューブのノーザン・ライン、また、バスの24番で通った、HKPA,GLC、想い出の場を 訪ねる今回の旅行はとてもよい旅でした。

さらに旅程の半分は日帰りの列車の旅で、3年半もいたのに昔行けなかった、あるいは知らなかった、ビートルズのリヴァプールやバーミンガム、 そしてラッチェンスの住宅、その近くの小さな街、サンドウィッチ、ルイス、ライ、そして牡蠣のウィスタブル、ついでにカンタベリー、 近郊のホークスムーアのあるグリニッチ、ソーンのあるウェスト・ダリッチ…。とてもいい旅が出来ました。
プリムローズヒル


2014.8.27(水) タフネル・パーク、パーラメント・ヒル

ロンドン滞在も残す所2日、タフネル・パークの家を訪ねました。
リンドハースト・ガーデンズは、中国人建築家とスイス人の夫婦が家主のフラットで、レンゾー・ピアノ事務所の 石田さんの後に入った、最初と最後に住んだ家です。
タフネル・パークの家は、その中間に住んだ家で、昼間は家主のドクター・ケネディの診療所の、その2,3階を借りました。
その頃スクワッターと言って、空き家に入り込んで、そのまま住んでしまう若者が多く、 用心のために誰か住んでほしいというので、GLCの同僚のウルグアイの女性が紹介してくれた家です。 番地も朧げで、なかなかわかりませんでした。
周りが変貌していて、ぽつりぽつりと洒落た店もできています。
始めたばかりだというセンスのいい魚屋の、並びのやはり出来たばかりの感じの小さなレストランに入ってみました。

タフネル・パーク shoe shop


SHOE SHOPというレストランで、ビーフ・ハッシュというのをレアでと注文してみましたが、タルタル・ステーキみたいで、 当たりでした。
もうすっかり土地勘がなくなっているので、グーグル・マップを頼りに、ハムステッド・ヒースから続いている、パーラメント・ヒルに 向かいました。広大な緑地で、高台なのでロンドン中が見渡せます。懐かしい思いで昔のことを色々話しながら、しばらくベンチに座っていました。
ハムステッド・ヒースの鉄道駅の方にに降りて、最初に勤めたHKPA事務所のパートナー、 先日ポンド側から観たビル・ハウエルの水辺の家の表側にでました。もう一人のパートナーのエイミスと一緒に建てた、4戸の共同住宅です。
ビル・ハウエルにはとてもよくしてもらいましたが、ケンブリッジの教授になって、ケンブリッジへの往復の時に、 交通事故でなくなりました。ぼくはGLCに移った後のことで、ハウエルはまだ若い52歳でした。

 パーラメント・ヒル  ビル・ハウエル邸


2014.8.26(火) ラッチェンス行脚最終、ケンブリッジ

ケンブリッジへ行く列車を途中下車して、今回のサブテーマ、ラッチェンスの住宅行脚、最後のホームウッド を観に行きました。
生憎の雨でしたが、今回も快く見せてくれました。 これで、ロンドン近郊のラッチェンスの住宅、計6軒を観ることが出来ました。
公開している2軒を別にすると、 すべてプライヴェート・ハウスです。非常にラッキーでした。

1.ザ・サルテーション
2.グレート・ディクスター
3.プランプトンプレース

ザ・サルテーション グレート・ディクスター プランプトンプレース


ケンブリッジも降ったりやんだりの天気でしたが、40年前を思い出しながら、街を歩き回りました。 街並みも、カレッジの建物以外はずいぶん変わった印象があります。40年ですから、当然でしょうが。
昔入った記憶のある、コッパー・ケトルというレストランがまだあって、感激しました。ケンブリッジ・ビターというビールと サーロイン・ステーキを頼み、堪能しました。

4.ティグバーン・コート
5.ゴッダーズ
6.ホームウッド

ティグバーン・コート ゴッダーズ ホームウッド


2014.8.25(月) クロ―、V+A、大英図書館、セント・パンクラス

来てから初めて、一日中雨。友人の案内で雨のロンドンを巡りました。
1.クロー・ギャラリー
早めに着いたせいか、テート・ブリテンは人が少なめで、ジェームズ・スターリング設計のクロ―・ギャラリーも比較的空いていました。 混み合っていた東京のターナー展とは打って変わって、広い空間で、ゆったりとターナーを楽しめます。 テート・ブリテンからつながっているので、スターリングの創った サンクン・ガーデンから、アプローチする人は少なく、エントランス・ホールは閑散としていて、ゆっくりと写真を取ることが出来た。
展示空間はリヴァプールの時も感じましたが、光の具合もよく、ストレスの少ない、とても気持ちのよい空間です。

2.ヴィクトリア・アンド・アルバート・ミュージアム
お昼はそこで、という友人の勧めでヴィクトリア・アンド・アルバート・ミュージアムに向かいましたが、 長い列ができていました。諦らめて 近くのインド料理のレストランで、カレー・ランチを食べ、少し間を置いて、カフェでお茶にしました。 タイルの壁の部屋ででお茶を飲みました。普段はもっと静かで、とてもいい空間なのにと友人は残念がっていました。 隣は、ウィリアム・モリスの緑の部屋で、こちらも独特の雰囲気の部屋です。

クロ― クロ― V+A



3.大英図書館
かつて大英図書館のあった場所が、大英博物館のノーマン・フォスターのグレートコートに変わり、大英図書館は このセント・パンクラス駅の隣に移って、新たな建物になったようです。故コリン・ウィルソン設計とあります。 コリン・ウィルソンといえば懐かしい吊前で、スターリングより確か年上だった気がします。 広くてゆったりしすぎていて、ちょっと緊張感に欠ける気がしますが、おおらかで悪くない空間です。

4.セント・パンクラス・ホテル
セント・パンクラス・ホテルは華やかになった、ロンドンと大陸を結ぶユーロスターの発着地、セント・パンクラス駅に付随しています。 19世紀のゴシック・リヴァイヴァルの建築は、記憶ではススに汚れて真っ黒でした。 建築当時の明るい赤色の煉瓦が蘇って華やかな外観です。最近の東京駅のリニューアルとこの駅のリニューアルはちょっと似ています。 オリジナルが、セント・パンクラス・ホテルはギルバート・スコットの設計で1868年ころ、辰野金吾設計の東京駅は、大分遅れて1914年で、 こちらはちょっと後の英国のクイーン・アン様式の影響を受けた赤煉瓦です。

大英図書館 セント・パンクラス・ホテル セント・パンクラス・ホテル


2014.8.24(日) オランジェリー、ライ

ニコラス・ホークスムーアが設計したケンジントン・パレスのオランジェリー。 ホテルに近すぎて、いつでも行けると思っていて、今まで行ってませんでした。
今日こそはと、朝向かいました。さぞや混んでいるかと思ったが、オープンの10時少し過ぎて着いたのですが、 テラス席にはちらほら居たものの、内部はまだだれもいません。 元々はオレンジ等の果樹を育てる温室をオランジェリーといったのだと思いますが、窓が多めに開いた、 シンプルな矩形の建物で、モダン・デザインだったら、ただの白い、あるいはガラスの箱になるところですが、 ルネサンスを発端として復活し、延々と西欧、特に英国で大事にされてきた、古代ギリシャ・ローマ以来の、オーダーを始めとする 古典主義建築の言語という上思議な構成要素があるお陰で、豊かな内部空間が出来上がります。
温室だけあって、朝の光が細長い空間に、柔らかく入り込んで、天井の高いとても気持ちのいい空間になっています。 美味しいベーコン・サンドとコーヒーの朝食をいただきました。

オランジェリー オランジェリー


グレート・ディクスターを訪れた時に、時間がなくて街を見られなかった、ライにもう一度行こうと向かいます。 セント・パンクラス駅をお昼すぎに出て、アッシュフォード・インターナショナルまでは快速で、乗り換え入れても 1時間半弱でライに着きます。
おそらく15、6世紀ころのハーフティンバーの家と、煉瓦造、石造の家が混在し、美しい街並みを作っています。 小さな規模の落ち着いた街で、中心部は3時間もいれば1周できてしまいます。
セント・メアリー教会の塔に登って見渡すと、黄色い苔に部分的に染まった、赤茶色の屋根で統一されています。 夏の丁度この期間、ジャズ・アンド・ブルース・フェスティバルの演奏が、街のそこここで行われていて、 塔の上にも聞こえてきます。お昼に入ったパブの中庭でもセッションをやっていました。 古い町並みとジャズがうまい具合に調合して、とてもいい気分にしてくれます。
夕方6時過ぎに街を去るまで、ずっとどこかからジャズの音が、聞こえてきました。

 ライ  ライ


2014.8.23(土) バーミンガム

チェスターへでも行こうかと、ユーストンの駅に来てみたが、工事の関係か、今日ここから出る長距離列車は、 コヴェントリー経由バーミンガム行きのみになっていました。それでは、とバーミンガムに行くことに。
ロンドンに次ぐ英国第2の都会バーミンガムはなんだか僕らが居た頃の、ちょっと貧しいロンドンに似ています。 第2次大戦で空襲を受けて、多くの古い建築を失ったそうで、新しいビルが多いのだが、 それが皆、あまり良くない。新しい建築については英国の建築家はあまりうまくない。

バーミンガム


特にこういった地方都市では、センスが今ひとつで、建築家のデザイン力って結構重要なんだなあ、と痛感します。 昨年出来たという、このバーミンガム図書館も、かなりお金はかかっていて、多少良い所もあるが、 全体的には、建築家の力上足を感じる。平均的な日本人建築家だって、もっとうまくやる。
というわけでバーミンガムを訪れたのも、英国の別の面を観ることが出来たという意味で、とても良かった。

 バーミンガム


2014.8.22(金) ダリッチ・ギャラリー、エルギン・マーブル

40年前に知合い、その後ずっと英国にいる友人と会いました。
自宅がケントなので、こちらの希望でウェスト・ダリッチで待ち合わせ、 ジョン・ソーンのダリッチ・アート・ギャラリーを、40年振りに訪れることが出来ました。
わりといい抑えたデザインの付属のカフェの棟が増築されて、ここもすっかりキレイになっていました。
奥のデザンファンとブルジョワの廟モーソリウムの側のブロックは、ベン・ニコルソンという画家の特別展をやっている側にあって、 別料金が必要でした。 太い円柱に囲まれた円形の全室の向こうにあるモーソリウムは、色ガラスのトップサイドライトからの光が壁を黄色く染め、 昔観た時の陰鬱な印象とはずいぶん違います。

ダリッチ・ギャラリー ダリッチ・ギャラリー


その後一緒に汽車でロンドンへ戻って、38番バスで大英博物館へ。
ロンドン一人勝ちの、ノーマン・フォスターのグレート・コートの構成の旨さに感心して、目的の エルギン・マーブルの部屋へ向かいます。
パルテノン神殿のペディメント破風の三角形部分から持ってきた彫刻を、位置関係をそのままに配置して展示しています。
かつて映画“日曜はダメよ”のギリシャの女優メリナ・メルクーリ等が、ギリシャへの返還を求めていた、エルギン・マーブル。 とても大事に取り扱い、保存されています。
もしかしたら大英帝国に運んでこなかったら、どうなっていたかわからない、とも言えるし、 やはり元の場所に戻すべきだとも言えます。 それにしても室内で観るパルテノンの彫刻群は、大きく、迫力があります。

グレートコート エルギン・マーブル


2014.8.15(金) ハムステッド

昨日はハードだったので、ゆっくり起きて、懐かしいハムステッド・ヒースへ向かいます。
昨日もらったバス・マップを見て、ホテルの近くからでている46番のバスがハムステッドへ行っているのを発見。 46番バスはスイス・コッテージも通るので、思い出のある風景を車窓から眺めることが出来る。
ハムステッドの地下鉄の駅のあたりで降りて、周辺をゆったりと歩いてみる。40年前のエブリマンという映画館が 健在です。少しずつ変わってはいるけど、変わっていないところも結構ある。

金魚菜館


金魚菜館という中華の店に入ってランチ、ロングライス、昔から好きだった。春巻が絶妙に美味しかった。
鉄道の駅から大きな公園サウスエンド・グリーンの中に入って行くと、最初に入った事務所のボス、ビル・ハウエルの自分で設計した 水辺の自宅も健在でした。人影の少ない深い森の中をゆっくりさまよい、歩き続けました。 道を思い出せなくて、森から抜け出すことが出来ず、ロンドン中が見渡せるオープン・スペースには行けませんでした。 あんなに通ったのに、もうすっかりわからなくなっている。

 ビル・ハウエルの自分で設計した水辺の自宅


2014.8.20(水) ティグバーン・コート、ゴダーズ

大変な一日でした。ごダーズを探すのに、2時間以上もさまよい、歩き続けました。 今日もラッチェンス行脚の一日です。
1件目のティグバーン・コートはウォータールーから約1時間、ウィットリー下車、10分ちょっと歩いて、 特徴のあるシンメトリのファサードはすぐに見つかりました。
いつもの、しばらくの躊躇の後、門をたたき、庭を見せてもらうことが出来ました。
外観の組み立て方が非常にクリアーで、シンプルな芝生の広大な庭に、特徴のある家型の繰り返しと高い煙突が、 ああ、これがラッチェンスと感じさせる、心地よい既視感。

そして水曜の午後のみオープンというごダーズへ。
ウィットリーから汽車を、ギルフォード、ドーキング・ディープディンと2回乗り換え、 1時間ちょっとかけてゴムズホールで下車。

ティグバーン・コート ティグバーン・コート


さあそれからが大変、しばらく歩いて、この辺かと、骨董品店で尋ねると、 チョット遠いよと教えてくれた道案内がとんでもなく、 歩いても歩いてもそれらしい目印がなく、その後3回人に訊いて、 やっとそれらしき所に着いたが見つからない。
2時間余が過ぎて、もはや諦めるかという時に通りかかった車の、若い女の人が、そこ知ってる、 と乗せてくれた。花屋さんで、花を先に届けてから、と連れて行ってくれる。実にラッキーだった。 この人がいなければ絶対見つけられなかった。
ここはラッチェンス・トラストの本部になっていて、ドロシーさんという高齢の夫人が中を詳しく案内してくれました。
そしてゴムズホール、彼女に言わせるとゴムショルが正しい、まで車で送ってくれました。
足はこれ以上ないくらいに疲れましたが、気持ちはこれ以上ないくらい最高の気分でした。

ゴダーズ ゴダーズ


2014.8.19(火) ウィスタブルの牡蠣

英国で一番美味しいと言われる牡蠣を食べさせる、という記事を読み、なんとしても。 というわけでケント州の海辺の町ウィスタブルへ。
11時前についてしまい、ウィスタブル海辺は風が強く、曇り空で寒い。レストランは大体12時オープン、しばらく風の中を待つ。 雑誌の記事にあった、ウィスタブル・オイスター・カンパニーの開店を待って、跳び込む。 最初に生牡蠣とムール貝を堪能。メインは二人でカニを食べる。カニ味噌を新ジャガに載せて食べてみた。絶妙に美味。

ウィスタブルの牡蠣 ウィスタブルの牡蠣


今日の目的は果たしたので、近いのでバスに乗って予備知識無しにカンタベリーへ。
カンタベリーは大聖堂と、カンタベリー物語。
車の入れない地区の範囲が広くて歩きやすい。魅力的な街並み、気に入った。歩き疲れて街角の カフェに入り、道行く人々、カフェに憩う人々を眺めながら、その人々の生活を想像してみるうちに、ゆっくりと時は流れる。

ウィスタブルの牡蠣 カンタベリー大聖堂


2014.8.18(月) グリニッチ

事情があって今日は遠出ができず、グリニッチへ。 汽車だと、チェアリング・クロスから乗り換え含めて15分位でたどり着いてしまいます。
駅を降りるとすぐに、ホークスムーアのSt Alfege教会に行き当たる。予期していなかったので、これは嬉しい。 昔、巴くんとホークスムーアの教会を見て回った時にこれだけは遠いので、外していました。 修復中で道路側のファサードが見えないのが残念ですが。
クリストファー・レンの旧王立海軍学校、建築の本ではRoyal Naval Hospitalですが、1世紀前のイニゴ・ジョーンズの クイーンズハウスを中心軸線上において、2つの塔を完璧なシンメトリで配置。 1702年の完成、美しく、いわゆる絵のようなピクチャレスクです。
しっかりして豊か、スケールもとてもいい。もしかしたらイタリアのバロックよりも、良く出来ているかもしれない。

プランプトン・プレース プランプトン・プレース プランプトン・プレース


それにしても古代ローマのヴォキャブラリーが、17世紀、18世紀、19世紀まで生きて、まだ使われている。 古典主義建築の規範は、2000年近くも生き続け、その一端は極東の丸の内にまで届いているなんて。
18世紀のパラディアにズムを先取りしたクイーンズハウスも外観こそシンプルですが、内部はなかなかの構成でした。
遅めのお昼は、パブでキドニーパイとマッシュポテト、エンドウ豆。久しぶりのイングリッシュ・パブの定番、そのことだけで美味しい。
帰途、ロンドン・ブリッジ駅でおりて近辺を歩きまわる。ノーマン・フォスターのロンドン市庁舎、対岸には通称ガーキンGherkin、 先日のミレニアム・ブリッジもロジャースではなくフォスターだった。ロンドン中、フォスターだらけです。
さしずめ現代のサー・クリストファー・レンといったところですか?

プランプトン・プレース プランプトン・プレース プランプトン・プレース
2014.8.17(日) クライストチャーチ・スピタルフィールズ

ショーディッチが今は流行発信の地区だと、案内書に書いてあるので、今日はリヴァプール・ストリートへと 出掛けました。
今日も雨が降ったり、晴れたりの天気です。
リヴァプール・ストリート駅の近くにはスピタルフィールズ・マーケットという、ガラス大屋根の広いマーケットがあって、 割とセンスのいいふくやかばん、土産物、雑貨や諸々のブース、また洒落たカフェ、レストランが並んでいる。
40年前に巴くんとホークスムーアのロンドン中の教会を一日かけて回った時には、この辺は寂れ、荒廃した地区でした。 クライストチャーチ・スピタルフィールズもすすで汚れ、荒れ果てていたが、今ではすっかりレストアされ、美しい教会になっていた。 20年位かけて少しずつ改修し、2004年に完成したそうです。

ブリックレーン クライストチャーチ・スピタルフィールズ


どこがショーディッチかわからないままに、まずは終わらないうちにと、日曜日のみに行われるコロンビア・フラワー・マーケットに行ってみました。 人々が花や鉢を抱えてくる方向にと、向かいました。すごい人出。
しばらく見てから、 人の移動する方向についていくと、40年前にも来たことのあるブリックレーンにでた。 ここはもっとすごい人出です。
今日は日曜日、長ーいブリックレーンを人の波が埋めています。 活気に溢れ、楽しそうな表情の人にあふれて、何となくうらぶれた昔のイメージとはかけ離れている。
突端のところで列に並んで、ホット・ビーフ・ベーグルを食べた。牛肉を厚めに切って、ベーグルに挟んで、 カラシを塗っただけのシンプルなものですが、コンビーフのような鰺で、これが頗る美味しい。多分いる間にもう一度来ます。

ブリックレーン クライストチャーチ・スピタルフィールズ


2014.8.16(土) プランプトン・プレース

念願のプランプトン・プレースを観ることが出来ました。

汽車でプランプトンまで行ってグーグル・マップを頼りに、20分位歩いてたどり着きました。 今回の旅ではフレキシ・パスとWiFiが大活躍で、何処に行くにも日本にいる時と同じように表示されるグーグル・マップ頼り。
途中で人に尋ねると、あそこはプライベート・ハウスだから、 行っても入れませんよ、と言われたのこともあって、立ち入り禁止のサインのある門の前でしばらく躊躇してから、 思い切って中まで入って行って、扉を叩く。
運の良いことに、管理をしているガーデナーの人が案内してくれることに。ラッチェンスの話で盛り上がって、いい感じで 説明を受けながら、観て回ることが出来ました。

プランプトン・プレース プランプトン・プレース プランプトン・プレース


グレート・ディクスターに続いて、ここも既存の建物に増築したようだが、 既存部分を統合してコンプレックスを作り上げるラッチェンスのやり方は実に巧みで、既存部分はオリジナルよりもも活かされ て、よみがえる。
増築部分もあたかも昔からそこにあったかのように、わざと古びて見えるようにしている。 図面のでている本は持ってきていないので、日本に帰ってからゆっくり平面図を確認しながら読み込んでみようと思う。
今日はラッチェンスをもう一軒、リトル・セイカムまで行こうと計画していたが、プランプトン・プレースで十分に満足したので、 プランプトンに隣接するルイスという街に移動し、夕方まで居ることにしました。
これは正解で、ルイスはこじんまりした居心地のいい街で、ゆっくりと散策し、旅行気分を満喫しました。

プランプトン・プレース プランプトン・プレース プランプトン・プレース


2014.8.15(金) 休養日

今日はゆっくり起きて、シェパード・ブッシュまで行ってジェイミーズ・イタリアンで昼食。 ジェイミー・オリヴァーも今や実業家、34店舗あまりのジェイミーズ・イタリアンを経営、海外にも店舗を増やしています。
とりあえず本屋でも行ってみようとケンブリッジ・サーカスの辺に来てみる。 覚えている景色と違っていて、迷いそうになります。

ケンブリッジ・サーカス


レスター・スクエアの近くの本屋を探索したが、建築の本はあまりない。 仕方なく、どうしようかと迷っているうちに、AAスクールのブックショップを思い出し、早速行ってみる。 AAのあるベッドフォード・スクエアにつくと、青い看板が目に入った。昨日観たオール・セインツ教会を設計した ウィリアム・バターフィールドが住んでいた家と書いてある。

 バターフィールドの銘板


2014.8.14(木) リヴァプール

フレキシ・パスを有効利用しようと少し遠出してリヴァプールへ。
リヴァプールといえばビートルズというわけで発祥の地、Mathew St.のCavern clubで記念写真。 あとは面白そうなアルバート・ドックへ。 ジェームズ・スターリングのテート・ギャラリーがある。ついでだからという感じで寄ったが、これがなかなか良かった。 これだから、建築は実物を見ないとわからない。昨日のテート・モダンと比べると格段にいい。

 リヴァティ  リヴァティ


テート・モダンでは美術作品が大事にされてない印象だった。無駄に天井が高く、照明も悪い。 リヴァプールのスターリングのテート・ギャラリーは照明も適切だし、天井高もちょうどいい。 どちらもリノヴェーションだから元の建物の形が影響しているのは仕方ないにしても、ちょっと杜撰なテート・モダンに比べ、 リヴァプールのテートは心配りが行き届いていて、居心地が頗るいい。久し振りにスターリング、やるなあと思いました。

 オール・セインツ  オール・セインツ


2014.8.13(水) セント・ポール大聖堂

ラッチェンスの住宅2日目、サリー方面へ行くつもりが、トッテナム・コート・ロードで、 フレキシ・パスを忘れたことに気づき、急遽今日もロンドン観光に変更し、 ロンドン観光の目玉、セント・ポール大聖堂へ。
セント・ポール大聖堂は40年前の3年半の滞在中、一度も訪れなかったところ。 あのころはサー・クリストファー・レンに全く興味がなかった。 今は建築家としても面白い人だと思う。そして何より、若きホークスムーアが助手として参加している。
イタリアのバロックに影響を受けているが、改めて観るとかなりいい。憧れているだけ熱心に、丁寧に作っている。 建築の精度は質的にはオリジナルを超えているような気がする。
そして次は、ヘルツォーク・アンド・ド・ムーロンのテート・モダンへ向かうが、 ミレニアム・ブリッジへの道を間違えて遠回りをしてしまった。

 リヴァティ  リヴァティ


かなり歩いて、やっとテームズ川沿いの道に 修正し、一本東の橋を渡り、シェークスピアのグローブ座を通過してやっとたどり着いた。 おかげでテームズ川沿いのいいレストランを見つけた。歩き疲れて、お腹が空いて、この辺で休もうか、と 入った店があたりだった。ピアノのシャードを目の前に見ながら、久しぶりのフィッシュ・アンド・チップス と生牡蠣を食べた。生牡蠣はミルクたっぷりで、フィッシュ・アンド・チップスもちょっと高級版で、 新聞紙に包んでもらった昔よく食べたテイク・アウエイのものとは違って、かけるものもワイン・ヴィネガー でなく、マヨネーズとしゃれた緑色のソースだった。
テート・モダンはまあそれなりの感じだが、セント・ポールとテート・モダンをミレニアム・ブリッジで結んだアイディアは 秀逸だと思った。リチャード・ロジャースの軽快な吊橋のアイディアもいい。

 オール・セインツ  オール・セインツ


2014.8.12(火) オックスフォード・サーカス近辺

“麺”と書いた、大きな看板の店で、昔よくダック・オン・ザ・ライスというのを食べたのが懐かしく、 中華街ジェラード・ストリート近辺を、歩きまわって探した。何しろ40年前、そのままであるわけもなく、 ダック・オン・ザ・ライスを出しそうな店を求めてしばらく歩きまわった。
シャフツベリーアヴェニュー側に、安くて美味しそうな、それらしい店を見つけたが、 注文の仕方が悪く、出てきたのは似てはいるが昔と全く同じではなかった。それでも十分美味しい。 他の人が食べていたので、ダック・オン・ザ・ライスがこの店にあるのは間違いなく、いる間にもう一度、 この店に戻って来ることにする。 その後はのんびりとこの辺り、オックスフォード・サーカス近辺を歩きまわる。

 リヴァティ  リヴァティ


昨日のグレート・デクスターの15世紀の部分と同じ、ハーフ・ティンバーの外観をした、懐かしいリバティは健在だった。
木造の5階建ての建築がロンドンの中心にあるのが面白いし、 しかも中にはこれも日本では難しい、大きな5層の吹抜け空間がある。
そう言えば、近くにウィリアム・バターフィールドのオール・セインツ教会もあったのを思い出し、観に行くことにする。
こちらは過剰な装飾のヴィクトリアン・ゴシック。リバティが1875年、オール・セインツ教会が1850年、 過去の時代を模した、19世紀折衷主義の建築で、全く違う過去の時代の建築が、同じ頃に作られ、すぐ近くで 今も存在している、19世紀という時代の面白さ。

 オール・セインツ  オール・セインツ


2014.8.11(月) ザ・サルテーション、グレート・ディクスター

今回の旅の目的が、ノリコさんの“死ぬ前にもう一度ロンドンを観たい!”ですが、 設定したこちらのサブテーマは“建築家サー・エドウィン・ラッチェンス”です。 せっかくなので“日帰りで観られるラッチェンスの住宅をたくさん観る”です。
セント・パンクラス駅で、 イングリッシュ・フレキシ・パスのヴァリデーションも無事に終わって、 まずはサンドウィッチという街にあるザ・サルテーションへ。
静かな田舎の街の中で、突然広がる違う世界。19世紀後半に蘇ったクイーン・アン様式、 勾配屋根、ドーマー、煉瓦、辰野金吾も東京駅に採り入れたラッチェンスの少し前の時代の様式主義の様式。
外観は素直にそうしておいて、平面はラッチェンス印、動きまわる軸線、屋根をリセスして、階段室への採光のための高窓を作る。 残念ながら家の中には入れないので、その技は見られないが、軸線を駆使した、ガートルード・ジキルと共作の庭は機知に富んで美しく、楽しい。
お昼には見終わってしまったので、もう一軒観ることに。

 ザ・サルテーション  ザ・サルテーション


ライからバスで20分のノーセアムというところにある グレート・デクスターです。サンドウィッチからライへ、列車で移動。サンドイッチの駅についた途端の局地的な集中豪雨、危うくセーフ。
ライは快晴。3時頃グレート・ディクスターに到着。ネットで調べた情報と違って、今日は休みだという。 ガックリして、とにかく周りを見ようと歩いているとオーナーらしき夫人が庭仕事をしている。もしやと思って尋ねてみると庭だけならいいよ、と言う。 一人8ポンドはしっかり取られたが、ゆっくりと見ることが出来た。
ナサニエル・ロイドという人が、15世紀の既存の住宅を活かした増築をラッチェンスに依頼。 白壁と木の壁のハーフ・ティンバーと、煉瓦、大きな勾配屋根のアーツ・アンド・クラフツの巧みな融合、ピクチュアレスク。 そして何よりもラッチェンス+ジキルのオリジナルに加えられた、子孫の庭師、日本でも知る人ぞ知るクリストファー・ロイドの英国式庭園。
咲き乱れる花々の 種類と量。圧倒的な過剰、混沌の中の秩序に酔わされる。こんな庭園観たことがない。

 グレート・ディクスター  グレート・ディクスター


2014.8.10(日) サーペンタイン・ギャラリー

朝から土砂降りの雨。“English typical weather!”英国でティピカルなベーコン・エッグの朝食を食べに入った 近くの店で、隣の席のおじさんに言われた。ビーンズとベーコン、トマト、目玉焼き、薄いトーストの イングリッシュ・ブレックファーストは昔から好きで、久し振りに念願叶った。
小ぶりになるのを待って、ナイツブリッジの方へ向かって、 昨日ハイドパークだと思っていたケンジントン・ガーデンズを横切って、歩いて行く。 雨上がりのさわやかな空気の中を歩くのは気持ちいい。

今日はとにかく観光に徹しようと思っていたが、建築に出くわしてしまった。 サーペンタイン・ギャラリーの毎年変わるフォーリー、看板を見ると、設計は去年は藤本壮介、今年はチリの建築家の スミルハン・ラディックSmiljan Radic。初めて聞く建築家。最近雑誌をあまり見ないので情報に疎い。

 honest  5A yndhurst Gardens


ビートルズの歌詞にも出てくる、円形のロイヤル・アルバート・ホールが見えてきて、博物館の集まっているエキシビション・ロードは 日曜日で歩行者天国になっている。昔、森本さんと来た懐かしいヴィクトリア・アンド・アルバート博物館、通称V&Aに入る。 昔のことはすっかり忘れているが、展示方式が、なんだかとても洗練されている。近い過去に相当模様替えしたのではないだろうか。 円形のホールの真ん中に、円形のスペース・イン・スペースや 洗練された階段室を加えたりして、空間を豊かになっている。また展示ケースやベンチ、資料を見るモニターなど の小物のデザインは洗練されてきている。

ヘルツォーク・アンド・ムーロンのテート・モダンやノーマン・フォスターの大英博物館のグレートコートとか、競争相手が沢山いて、 ロンドンの博物館は、どんどん進化している、そんな勝手な想像をした。

 hamstead01  ハイドパーク


2014.8.9(土) 5A Lyndhurst Gardens

日本で申し込んでおいたモバイルWifiのルーターを受け取りにホテルに近いパディントン駅ヘ。
昨年のイタリアでは、都会ではなかったこともあり、Wifiが使えず、コンタヴァリさんのオフィスで 通信してたので、今年はホテルに訊くと、1日5ポンド取られるという。
ネットで調べると英国観光庁のショップで、 1ヶ月12,530円というWifiレンタルというのがあって少し割安、これを借りることにする。3週間なのに1ヶ月分払うのは勿体ないが、 その下は15日間というのしかないので仕方ない。 ロンドンの地下鉄、バスのスイカみたいなオイスターカードとブリットレイル・イングランド・フレキシパスも一緒に購入。
送ってもらうと間に合わない可能性があったので、ホテルに送ってもらう。Wifiのルーターはパディントン駅で受け取ることにした。
受け取り場所がわからず、広い駅を右往左往してしまった。
もう一度プリントアウトした説明書をひっくり返してよく見ると、 小さい字で12番ホームのExcess Baggage Company Deskと書いてある。 勘で動くとかえって時間が掛かる。なかなか学習しない、といって、学習はもう無理か?

 honest  hamstead01


昼は英国観光庁のページで観たハンバーガーの店へ、ロンドンで最初がハンバーガーというのもどうかと思うが。 オックスフォード・ストリートをちょっと入ったところにあるHONESTという店、正直はいい。 ちょっと変わったハンバーガーとチップスだった。
今回の英国旅行は、死ぬ前にもう一度、ロンドンを見たいというノリコさんの発案なので、まずは昔住んだ場所へ。
1970年から1974年まで、途中何度か転居したが、一番多く住んだフラットへ。HKPA、GLCに通うのに、いつもしていたように、 24番バスの2階の一番前に座った。 知り合いになった近くの奥さんに、"お宅のご主人はいつもバスの2階の1番前に座って、優雅だわね。 ああいうことじゃ出世は無理ね。"といつも嫌味を言われていたらしい。いつ見られたのか?武藤さんのご主人は三井だった。
街路樹は40年経って大きくなっていた。
記憶では同じような風景に思えるが、何しろ40年経っているのだから、相当違っているだろう。
この通りも、なんだかロンドン全体もとても綺麗になったような気がする。40年前はイギリスもどん底だったから。

 5A yndhurst Gardens  ハイドパーク


2014.7.31(木) 思い出のマーニー

思い出のマーニーの予告を観ていたら、どこかで見たような家が出てきて、はっとして、 そうだ、ラッチェンスの住宅に似ていると思い至りました。
でもこうして予告編の画像、原画、そしてぼくが思い出したラッチェンスの住宅を並べて比べてみると、違っていた。 似ているのはロケーションだった。

これはプランプトン・プレースという、素晴らしく美しい水辺のロケーションに建つ、ラッチェンスの住宅です。
英国建築のピクチャレスク、絵のような、とはこういう住宅のことでしょうか。
このように何の予備知識なしに、一般の人が美しいと感じる、そんな住宅を、ラッチェンスはたくさん作ってきています。
コルビュジエやミースが、近代建築、モダニズムの建築を準備し始める少し前、あるいは同じころ、 ラッチェンスはモダニズムには目もくれず。ひたすら一般の人が美しいと感じる住宅を作り続けました。

いや、実際にはラッチェンスはマッキントッシュも見ていたし、少しそういう新しい方向に向かおうとした形跡を、 フランスのドーバー海峡に面したボア・デ・ムチエという住宅で垣間見せているのですが、すぐに軌道修正して、 ただひたすら、一般の人、一般の英国人が感じる、美しい家の方向に戻ります。
このラッチェンスの姿勢に興味があります。

更に面白いのは、このプランプトン・プレースはレッド・ツェッペリンのジミー・ペイジが、かつて住んでいた家でもあります。
ロックスターの好む家、あるいは英国人の好む家。
ネットをいろいろ眺めていると、プランプトン・プレースは売家の広告に8,000,000ポンドで売りに出ていたが、 それがもう、消えていた。
レッド・ツェッペリンのジミー・ペイジは今や、やはりラッチェンス設計の住宅ディーナリー・ガーデンを所有しているようです。

ぼくの好きな住宅、ディーナリー・ガーデンの庭は、ラッチェンスに影響を与えた女性造園家、ガートルード・ジキルが、 おそらくアルハンブラ宮殿の庭にインスピレーションを受けて、造形したものです。

最近発見したのですが、プランプトン・プレースの次はディーナリー・ガーデンとは!これにはびっくりしました。 いい趣味です、ジミー・ペイジ。


マーニー マーニー エリジウム エリジウム
2014.5.24(土) グラスゴー美術学校火災

昨日、グラスゴー美術学校が火事になったようです。びっくりしました。
井上君がBBCニュースでやっているとメールで教えてくれました。
地階にあったプロジェクターから出火したようです。 スティーヴン・ホールの新築棟については、何も言ってないので大丈夫のようです。
まず何よりも人は無事だったようです。躯体の90%、中身の70%は大丈夫だったと言ってますが。 逆に言えば、躯体の1割、中身の3割がダメージを受けたということですから、結構な割合かもしれません。

 グラスゴー美術学校火災  グラスゴー美術学校火災


素晴らしい建築はみなそうですが、特にマッキントッシュの建築は実物を見ると、写真から得ていたイメージとはかなり違って見えます。 特にディテールは実物を見ないと、その良さが実感できないので、将来の建築家のためにも、ずっと残すべきものだと思います。
どの程度のものが失われたかわかりませんが、修復できる範囲であって欲しいです。 マッキントッシュはグラスゴーの結構な観光資源のようですから、ある程度早く修復されるかもしれません。そうあってほしい。

 グラスゴー美術学校火災  グラスゴー美術学校火災


2014.5.5(月) 風神雷神図屏風

“俵屋宗達は天才で、日本美術というものは、俵屋宗達を最高の画家とするような形で存在している”という、 分かったような分からない、魅力的なコピーで橋本治が表現した、俵屋宗達。 その“風神雷神図屏風”をとうとうこの目で見ることが出来た。東京国立博物館で開催中の“栄西と建仁寺”展である。

今回、本館に尾形光琳の“風神雷神図屏風”が展示されていて、これも観ることができるが、 光琳は全く俵屋宗達を理解していないし、レベルが全く違う。RIMPAという呼称に宗達を含めるのは、やめてほしい。


2009年3月には京都、相国寺で“蔦の細道図屏風”をみて、醍醐寺では“舞楽図屏風” そして9月に金澤で“槇檜図屏風”を観た。三者とも素晴らしく感動して前で立ち尽くした。
“蔦の細道図屏風”は特に感動的で、烏丸光廣の字との組み合わせ方も凄い
あとは“松島図屏風”そして橋本治に日本人が描いた最高の龍と言わせた“雲龍図屏風”の2つは”ワシントンのスミソニアン協会、 フリーア美術館にあってしかも観るのはかなり難しそうなので、ぜひとも観たいのは、 静嘉堂文庫の“関屋澪標図屏風”か。
One Poultry

2014.4.30(水) 北八朔の家

日曜日、 北八朔の家(青柳邸)に呼ばれ、行ってきました。
1987年に完成した住宅で、あれからもう27年もの年月が過ぎている。 1987年は普連土学園の仕事がスタートし、事務所を法人化し、また左門町から神宮前に移転した年で、いわば節目の年だった。
打放しに定評のあった大栄総業が施工、現場担当は独立後最初の住宅、白金台の家で、組んだ和田さんで、 難しい紊まり程、喜んで、頑張ってやってくれるので、通うのが楽しい現場だった。
1階と2階の一部腰までがRC造でその上が木造の混構造です。アイディアが次から次へと湧いてきて、 設計の楽しさを一番味わわせてもらった住宅かもしれない。

 北八朔の家





鹿島出版会の、建築雑誌“SD”誌の、計画中の優れた建築を選ぶ、SDレヴューに応募して当選し、審査委員長だった槇さんの代官山の集合住宅内の ギャラリーに展示された。その展覧会に出した模型は、今も事務所の片隅にとってある。
30年近くの時を経て、大分傷んできていたのを、去年の6月頃から東急ホームズによる修繕工事を行って、ほぼ終了した段階で、 新築当時と変わらない表情をしている。
全く変更が加えられず、建った時のまま、大事に大事に使って頂いていて、感激し、幸せな気持ちで帰ってきました。

 北八朔の家


2014.3.30(日) ボワ・デ・ムチエ

昨日3月29日はエドウィン・ラッチェンスの誕生日だった。

最近、ラッチェンスの住宅をチラチラ見ていて、AD誌ラッチェンス特集にも、カントリーライフの本にも紹介されていない、 フランスでやった住宅を見つけ、なかなかいいので、惹きつけられた。
ディーナリー・ガーデンの1年前の1898年、ラッチェンス29歳の時の作品だ。 ノルマンディのヴァランジュヴィル・シュール・メールという村にある、 ボワ・デ・ムチエ Le Bois des Moutiersという住宅である。
広大な敷地に、ラッチェンスの設計した住宅と、ガートルード・ジーキルのデザインした美しいイングリッシュ・ガーデンが100年以上の時を経て、 よく手入れされ、きれいな形で広がっている。

クライアントのギョーム・マレは、夫人アデレイドがラッチェンス夫人の叔母を知っていた、という関係らしいが、 1900年のパリ万博の英国パヴィリオンの設計者に指吊されていたラッチェンスとパリで会って、設計を依頼した。
彼らが購入した既存の煉瓦造の四角い平面の建物の躯体を残した、増築、改装の依頼で、ラッチェンスは 南面に突出部を増築し、エントランスと階段室を作り、西側には2層分の吹き抜けとアティックのあるミュージック・ルームを付け足し、 東面にはサーヴィス室を付け加えた。

まず目を引くのは、外観で階段室とアティックのコーナーに沿って取り付く細長いオリエル窓で、細かい矩形に分割されている。 ミュージック・ルームの遠くに海を望む、高さ7mの大きな開口も、 同じように細かい矩形に分割されており、さらにその一部がオリエル窓の形状につきだしている。 細かい矩形に分割されたこの開口を見ると、一瞬マッキントッシュを思わせる。
しかし、 それとも似ているが、少し違うテイストを醸す、とても新鮮な印象の窓だ。 マッキントッシュの影響だという批評も見つけたが、ヒルハウスは1902年に、ウィンディ・ヒルでさえ1899年に設計を開始しているので、 ボワ・デ・ムチエより少し遅く、ありそうもない。 グラスゴー美術学校の1期工事が終わったのが1899年だから、わずかだが、ラッチェンスがそれを観た可能性はあるかも知れないが、 むしろラッチェンスが憧れ、マッキントッシュも影響を受けたリチャード・ノーマン・ショーからきている気がする。

クライアントの英国のアーツ・アンド・クラフツへの偏愛から家具はアーツ・アンド・クラフツのテイストでまとめられ、 ラッチェンス・デザインの家具もモリス商会で作られたものらしい。
クライアントは庭造りも趣味だったらしく、 ジーキルの庭は愛され、とてもいい状態で維持されている。
ボワ・デ・ムチエ

ボワ・デ・ムチエ




2014.3.12(水) ヴァルマラーナ

スカルパのテーブル、Valmaranaを、大町から持ってきていたが、マンションの個室には長さがあり過ぎて、ずっと持て余していた。 それが先週末に本棚を一つ処分して、やっと何とか使えるようになった。うれしい。

2.5mという長さなので、どうしてもいろいろ置いてしまって便利なのだが、狭い部屋では本来のシャープな感じが生かされなくて、 スカルパ先生には申し訳ないことになっている。

去年、ヴィチェンツァにパラーディオのロトンダを見に行った帰り、近くのヴィラ・ヴァルマラーナに寄って、外のカフェでお茶を飲んだ時は、 ロトンダのことで頭がいっぱいで、かつてここにスカルパの事務所があったことをすっかり忘れていた。
それが久しぶりにテーブルを動かして、そう言えばValmaranaはヴィラ・ヴァルマラーナから来ているのかと、思い至った。実に迂闊。

このnotesの2009年1月24日の項で、“カルロ・スカルパの事務所は、ヴィチェンツァのヴィラ・ロトンダに抜ける、 小路の傍らにある、ヴィラ・ヴァルマナーラの 元馬小屋にあり、その2階の馬小屋番の家だったところが、自宅だった...”と豊田氏の文章から引いている。すっかり忘れていた。
下の写真で、ロトンダが上の遠くに、ヴィラ・ヴァルマラーナの主屋が下に見えるが、真中右方に見えるのがそれだろうか、お茶を飲んだのは そのすぐ横の庭だった。

Valmaranaのメーカーの写真にはRennieという椅子が一緒に写っている。ボローニャ在住のデザイナー、高浜和秀さんが、チャールズ・レニー・マッキントッシュへの オマージュとしてデザインした椅子だ。
スカルパとマッキントッシュの意外な組合せ、これもうれしくて、 大分前にオフィスの内装のデザインをした時に、受付カウンターにこの組み合わせを使わせてもらったが、とてもいい感じだった。

スカルパとマッキントッシュの意外な組合せもいいが、パラーディオとスカルパの組合せもいいなあ。 大体、パラーディオのヴィラにスカルパが事務所を構えていたとは、なんて贅沢な組み合わせだろう。

valmarana table

villa valmarana




2014.2.10(月) 2013年の映画

先週末6日に鈴木博之さんの早過ぎる訃報を聞いた。40年前、ロンドンでの楽しかった日々…。そして8日は20年ぶりの大雪。

一昨日の大雪がまだ残っていて、足元が危ない。昨日ほんの少しだが、自治会の雪掻きに参加したので、 今日は腰と足が少し痛い。それで余計足元が危ない。

2013年は印象に残る映画が少なかった。強いて言えば、年末近くに続けて観た“トランス”と“鑑定士と顔のない依頼人”の二つが 一番面白かったかもしれない。
この二つの映画は絵画のオークションを仕切る競売人が主人公で、詐欺が関係していて、大きなどんでん返しがある、という具合に 設定がフシギに似ている。
“トランス”は、原作が監督ダニー・ボイルの出世作“トレインスポッティング” と同じアーヴィン・ウォルシュ。スピード感のある映画で、主演のジェームズ・マカヴォイがとてもいい。
“鑑定士と顔のない依頼人”の方は“ニューシネマパラダイス”が出世作のジュゼッペ・トルナトーレ、主演が“シャイン”のジェフリー・ラッシュ、 この人もとてもいい。いい監督と言い出演者で、出来もどちらもいい、堪能した。

去年はこの2本の印象が強いが、ダイアリーを繰って思い出すと、前半に“舟を編む”があった。
テレビ東京で深夜やってた“まほろ駅前多田便利軒”が面白くて、大いにはまったすぐ後に、“舟を編む”が同じ三浦しをん原作、松田龍平主演と来たので、 これは絶対面白いと期待したが、実際面白かった。とても静かな映画だ。宮崎あおいも久しぶりに良かった。

というわけで、例によって2013年に映画館で観た、たったの12本の映画の中のベストファイヴ。

1.舟を編む
2.鑑定士 顔のない依頼人
3.トランス
4.パッション
5.アウトロー

2013年は、あまり目立たなかったが、ベルナルド・ベルトルッチとブライアン・デ・パルマという好きな監督二人の久しぶりの映画もあった。
車椅子のベルトルッチの“孤独な天使たち”はあまり頂けなかったが、デ・パルマの方は健在で、“パッション”は、相変わらずの調子で、十分楽しめた。 ベルトルッチ、イタリアのパルマ出身73歳、デ・パルマ、ニュージャージー州ニューアーク出身74歳、二人ともまだまだ頑張ってほしい。
他の5本はジャンゴ 繋がれざる者、華麗なるギャツビー、エリジウム、マラヴィータ、最強のふたり、横道世之介。
決して裏切らないトム・クルーズ、そのアウトローもよかった。
さらにDVD、CATVの放映を加えた本数は79本でした。

DVD、CATVの放映もベストファイヴにしてみると、

1.HEAT
2.桐島、部活やめるってよ
3.ブーリン家の姉妹
4.ローリング・サンダー
5.武士の家計簿

他に面白かったのは、ディア・ドクター、花のあと、オンディーヌ海辺の恋人、アウトレイジ・ビヨンド、嵐の中で輝いて…。
2013年は印象に残る映画が少なかった、と最初に言ったけど、こうしてみると、結構いいのがあった。

鑑定士 トランス 2013年映画




2014.1.26(日) コンタヴァリ夫妻の休日

年末、年始をタロー君と共に日本の休日を楽しんでいるコンタヴァリ夫妻と、水、木の二日間を一緒に過ごしました。
水曜日は小斎さんも誘い、山梨の藤森宅を訪ね、暖炉を囲んでゆったりとした楽しい時を過ごしました。

木曜日は、ぼくも観たかったので、東京国立博物館へ、長谷川等伯の松林図屏風を観に行きました。 一年ぶりに観た松林図屏風は、なぜか少し小さく見えました。
そのあと是非見せたかった法隆寺宝物館へ。 あの暗い独特の空間、キッチリとした細部は何度見ても感心する。 久しぶりに行く根津のはん亭の木造3階建ては、東日本大震災をちゃんと生き延びていた。

藤森宅のタロー alt= alt=


美味しい串揚げを食べ終えて、 そうだ、と近くの求道会館の近角君に電話してみると、これから、出るところだというので待ってもらって急いで向かう。 求道会館は近角君の祖父の近角常観という、浄土真宗のお坊さんが、建築家の武田伊一に設計させて建てた、建物です。 西洋の教会のような佇まいで、その時代のヨーロッパ、イギリスのアーツ・アンド・クラフツのようなテイストがあって、 面白い建築です。風雨に晒されて廃墟のようになっていたのを、近角夫妻が大変な苦労の末に蘇らせた建築です。 今は一般に公開されていて、集会や音楽会やらにも使われています。
二日間一緒に過ごして、タローちゃん、トラちゃんも一緒に過ごしたイタリアの夏を思い出した。長い期間本当にお世話になったなあ、と。

松林図屏風 alt= alt=


2013.12.31(火) 2013年の終わり

1月には75歳の黒田夏子さん“abさんご”で芥川賞。大島渚監督逝去、80歳。コンタヴァリ夫妻来宅、夏のイタリア行き決定。 横堀さん見舞い。今年はその後行けなかった、申し訳ない。

2月にはノリコさんハワイへ。ホームページに英語版追加。ジャカルタの仕事取り止め。黒坂より富士見高原のコレクティヴ・ハウスの話。

3月にはマンU香川真司のハットトリック。合羽橋道具街へ、ヨシカミで昼食そしてお花見。 小石川しょく物園にもお花見に。大規模修繕工事、浅沼の佐瀬さんベランダのペンキ塗り。31日亀冬眠より目覚める。

4月には新井深展、御茶ノ水の画廊へ黒坂と。tracesのJ.スターリング書き込み、スタート。 連休は富士見高原の敷地へ寄ってから大町へ。

5月一杯ですべての12年目大規模修繕工事完了。A棟の鹿島のタイル貼替えを含む外壁修繕は画期的。 大規模修繕委員会の実質の伴った活動には達成感あり。こんな修繕委員会、他のマンションではありえないのでは。

6月にはサッカー代表ブラジルW杯行き決定。待ちに待ったチョン・キョンファ ヴァイオリン・リサイタル、 すっかり韓国のおばさんになっていた。豪徳寺母家改装、赤石さんに依頼。

7月には、大町の小屋、買う人が現れ、売却。スカルパのテーブルVARMANARAのみ持ち帰り、自宅の自室へ机として。 長さ2.5mは狭い部屋に大きすぎて、なかなかの存在感。父の絵は豪徳寺の空き室へ運ぶ。VARMANARAと父の絵のために引越屋さん頼む。

8月一杯、イタリア北部ガルダ湖の畔の避暑地デゼンツァーノに1ヶ月滞在。こんな長い休暇は初めて。 すっかりコンタヴァリ夫妻のお世話になった。ボローニャ、フィレンツェ、ヴェネツィアの暑さには参った。クレモナ、ベルガモ、トレント、サッビオネータ、 古い、小さな都市の心地よさ。20年前のJTBの旅行では入れなかったロトンダでは初めて内部にも入った。

9月には、あまちゃん、半沢直樹をまとめ見。じぇじぇじぇと倊返し堪能。スタジオ・ジブリ宮﨑駿監督が引退表明。

10月には、ルー・リード逝去、71歳。1年前に亡くなった丸谷才一の“後鳥羽院”読む。面白い。tracesのE.ラッチェンスの項、追加書き込み。 改めてラッチェンスの面白さ知る。月初めから神谷町の歯医者通い、11月25日まで。駐輪場刷新工事。

11月には、ポール・マッカートニー来日コンサート、感動的だったらしい。行けなくて残念。 キャロライン・ケネディ駐日大使着任。 息子にヴィノ・エ・パスタで誕生日を祝ってもらう、有難い。 tracesのC.R.マッキントッシュの項、自著“建築家マッキントッシュ”の文章に差し替え、調整。久しぶりに見るターナーの展覧会は何故か物足りない感じがした。 絵の技術より壮大な物語の魅力で見せるターナー、ジョン・ソーンのコンテンポラリー。 もっと沢山いい絵があった気がする。山下達郎の歌にも出てくる機関車の絵も来てないし。

12月には、山梨の北杜市に移住した藤森宅に泊まりに行く。 恒例の格さんの展覧会、竹内さんは今年は白内障手術で上参加。 今年の絵はいつにもまして素晴らしい。この間のターナーよりいいかもしれない。格さんから、手持ちの本を裁断し、着々とデータ化し、iPad miniに入れ 通勤の行き帰りに読んでいるという話を聞く。死後に本が残らないという衝撃的な話に心を動かされる。本を裁断して捨てるという潔さに魅力を感じる。 藤森さんの移住、格さんの本の整理、これから残りの人生どう生きるかという、大きな問題へのヒントを貰う。 来年の後期の建築史授業もあり、建築史の読み込み、ノート作成。猪瀬都知事が徳洲会から5千万受け取った問題でさんざん醜態を晒した後に辞任。

今年は、浦安の街は3.11から2年が過ぎてやっと道路工事が始まり、柳通りは大渋滞。東北の復興は相変わらず進まず、 海への汚染水流出や柏崎原発の東電の再稼働申請、脱原発はやはり後退するばかり。
新大久保のヘイト・スピーチ・デモや、韓国のパク・クネ大統領の予想外の強硬な反日姿勢、国内事情からますます強硬になっている中国と韓国、 それに対向する安部首相、お互いの強硬姿勢が相俟って、 ますます悪化する中国、韓国との関係。お互いにこれから何処へ行こうとしているのだろう。
tracesの英国の5人の建築家の修正書き直し、そして建築史のノート作りで、建築の歴史を改めて読みなおしてみて、いろいろ思う所があった。

2014年はいろいろと決断し、変えていかないといけない年になるのかもしれない。



浅草で花見 5月の大町 イタリア滞在 イタリア滞在 帰国パーティ ヴィノエパスタで誕生日
2013.12.9(月) 山梨の友人宅

日月と山梨に移住した友人宅に泊まりがけで遊びに行きました。

 工房


いい感じに落ち着いてきていました。少し羨ましい引退生活。

 キッチン


2013.12.5(木) スタジオK

しばらく行ってなかったので、ちょっとスタジオKに行ってみました。 お留守だったので、外回りだけ観て、帰ってきました。

 スタジオK


いい感じに落ち着いてきていました。ポストが裏返っていたので、赤石さんに 話して、空いた時に行ってもらえるように伝えました。

 スタジオK


2013.11.24(日)寄生獣

航介から長いこと借りたままの“寄生獣”完全版全8巻、久し振りにもう一度読み返しました。
とぎれとぎれに進行している、アレクサンドロス大王の秘書エウメネスの物語“ヒストリエ”も面白いのですが、 寄生獣”は何度読んでも面白い。岩明均という人は、凄いですね。
完全版でさえ10年前に出ているので、かなり前の作品ですが、読みながら、こんなに面白いのに何で映画化されないのだろう、 と思っていたら、その矢先、ついに映画化されるというニュースが入ってきました。
ハリウッドが長い間、映画化権を持っていたようですが、ついに期限が切れて、日本で映画化することになったようです。
何故ハリウッドで誰かが取り上げなかったのか、上思議です。クローネンバーグとか、ブライアン・デ・パルマがやったら面白いのに。 あるいはエリジウムのニール・ブロムカンプ監督がやってもいいかもしれない。
頭が変形して割れ、硬質化して、刃物になるところは、ターミネーター2に引用されたと言われていますが、 こういう所をちゃちくやられたらかなわない。日本映画だとお金のかけ方が違うので、非常に心配です。 ちゃちい映画にならないことを切に祈ります。
俳優も見慣れた顔じゃないほうがいいのだけれど。 できれば、ニール・ブロムカンプ監督の技術で、イギリスの俳優と脚本で撮って欲しかった気がします。
日本で作るなら徹底的にお金と技術を懸けて、配役ももう一回徹底的に練りなおして、 作者の岩明均を可哀想な目に合わせないでほしい。 テルマエ・ロマエがあまりにもひどかったので、心配です。

tracesのFive British Architects、マッキントッシュの部分を文章、写真とも大幅に 入れ替えました。是非見てください。
寄生獣


2013.11.6(水) バースデイ

先週の土曜日、一足先にヴィノ・エ・パスタで次男夫婦と長男が誕生祝をしてくれました。 歯医者も早めて、万全の準備をしたのに、申し訳ないことに前の晩に、急に腹痛になってしまい、 料理はあまり食べられなくて残念でしたが、感激しました。

 バースデイ  バースデイ


シャープな色の薔薇とトルコ桔梗の花束を前もって手配してくれていたり、橘シェフもケーキを用意してくれたりで、 素晴らしい会食になりました。 久しぶりのトンちゃん通りは、すっかり様変わりしていましたが、丹治ビルと松よし、そして昭和軒は健在。

 バースデイ  バースデイ


2013.10.31(木) エリジウム

ニール・ブロムカンプ監督の2作目“エリジウム”を観た。
これはよかった。“第9地区”見てなかったが、DVDを借りてこようと思った。
この間、見逃していた“オブリビオン”を、トム・クルーズの出る映画は外れがないと信じて、借りてみたが、面白くなかった。 それでSFものはもういいか、と思っていたが、評判を聞いて、観てみたらかなり面白かった。
“第9地区”が当たって、潤沢な予算がついたということもあって、宇宙コロニーのデザインが安っぽくなくて、なかなかキレイでよかった。
車輪の形をした宇宙コロニー、エリジウムに近づいていくと、建物や緑、水といった風景の詳細が見えてくるのだが、これが 結構美しい。ブレードランナーのシド・ミードも参加しているらしい。
ただ、遠目は良かったが、俳優が動き回るスケールで出てきた住宅建築は、いただけなかった。すべての病気を治してしまう医療ポッドのデザインを ヴェルサーチデザイン、ジョディー・フォスター演じる防衛長官デラコートの衣裳をアルマーニにやらせている(こっちは今ひとつ)らしいから、 建築のデザインを建築家になぜやらせなかったんだろう、とこれだけは残念に思う。
でも30代前半らしい若いニール・ブロムカンプ監督、なかなか凄い。DVDでちょっと前に観たテルマエ・ロマエの映像が、あまりにもチープだったので、 余計そう思った。

話は変わるが、今朝の新聞で、小熊英二氏が、3.11の福島以後、最も劇的に脱原発した国は、直後にメルケルが脱原発を宣言したドイツではなく、 日本だと言っている。ドイツでは実際には多くの原発がまだ動いているが、日本では現在、実質的に一基の原発も動いていない。 原発反対の強い民意が、再稼働を踏みとどめさせ、実質的な脱原発を実現しつつあるという。 楽観的すぎる気もするが、そういう見方もできるんですね。 3.11の後あまりにもひどかった新聞も少しずつ変わってきている。


エリジウム エリジウム エリジウム
2013.9.25(火)ノルウェイの森、後鳥羽院、スターリング

本屋で、町山智浩の本を立ち読みしてたら、ビートルズのNorwegian woodの日本語訳“ノルウェーの森”は誤訳だったという話が出てきた。

どうも昔から有吊な話だったようで、ネットを見るとそれについての言及がたくさんある。ビートルズ好きとしては恥ずかしい限りだけど、知らなかった。
歌詞の大意は、昔付き合っている女の子がいて、そのの部屋に行って2時までしゃべって、朝起きたら彼女はもういなかった。ちょっと大意過ぎるけど、こんな感じ。
最初の方のShe showed me her room,isn't it good, norwegian wood.
このNorwegian woodはノルウェー産のパイン材のことのようで、部屋の内装、あるいは家具が白木だったってことで、 安物の内装、あるいは家具のことらしい。北欧家具屋さんが怒りそうだけど。

歌詞のこの部分は、どうも、元々は  isn't it good, knowing she would.(彼女がする積りだってことを分かっているのは悪くない)だったのを、 ジョンは結婚しているし、穏当じゃないということで、 音の近いnorwegian woodに切り替えたということのようだ。いろいろ説はあるけど。 これは村上春樹の“そうだ村上さんに聞いてみよう…”にも出て来る。

最後の方にもよくわからない部分があって、朝起きたら彼女はいなかったthe bird had flown.の後、So I lit a fire,isn't it good norwegian wood.
この部分lit a fireも暖炉に火をつけた、タバコに火を点けた、そして家に火を点けた、まで諸説ある。最後の解釈だと、 (彼女とやれなかったのが頭にきて)家に火を点けたんだ、いいよねノルウェーの木って、というとんでもない意味になる。
こんな風に論争が起こるほど、ビートルズの歌詞は掛詞や暗喩、重層する意味、謎をたくさん含んでいて、特にジョン・レノンの言葉遊びは面白い。

ここで、このところ読んでいる丸谷才一の“後鳥羽院”の話に繋がってくる。後鳥羽上皇が編んだ新古今和歌集の複雑な本歌どり、掛詞の複雑性、意味の重層性、 短い歌の中に、古歌を引用しながら、よくもまあこれだけの意味を、色を、四季を、その時の流行を、そして余韻を込めたものだと複雑さに驚く。

“新古今歌人たちの求めた余情妖艶(直接的な表現以外の連想や余韻によってかもし出す王朝的な優美)というのは縹渺たる味はひによって意味と情趣を増幅するもので、 象徴派およびその影響下にあるモダニズム文学に通じる趣がある。”
新古今の歌人たちの、先行する膨大な量の歌についての知識、情報量はすごい。
そしてジェームズ・スターリング。
tracesのスターリングの項を書く前は、たとえば今を時めく魅力的なピーター・ズントーなどと比べて、今となっては、学ぶものはあまりないのじゃないかと思っていたが、 レスター大学から順を追って、年代順にスターリングの軌跡を追っていくうちに、久しぶりに記憶が蘇ってきて、ピーター・ズントーたちよりも軽く見えるが、実は 建築家の行き方としては、より普遍的で、深いのではないかと思えてきた。
ホークスムーアの、ローマン、フレンチ、ゴシックなどの様々な要素を、しばしば同じ建物の中で自在に使ってデザインする、アドホックなテクニックに、 若いときに惹かれたと、スターリングは言っているが、かれもやはり、歴史に精通し、あらゆる時代の形態の引出しを持って、新古今の歌人のように、 複雑でアドホックな操作を行っている。

これをケネス・フランプトンは“きわめて創造的な歴史主義者の形態についての修練による豊饒な折衷主義”と表現している。
ジェームズ・スターリング―クリックするとtracesのジェームズ・スターリングに飛びます。
ラバーソウル 後鳥羽院 スターリング


2013.8.29(木) 最終日

今日でイタリアの1ヶ月も終わり。散々通って、お世話になったスーパーSIMPLY。 向こうに、帰りはいつもここから帰ったバス停が小さく見える。

 最終日


トラさんの横顔みたいな島が遠くに見えるビーチに、最後に連れて行ってもらう。 コンタヴァリさんが、子供の時に家族でよく来た場所。

 最終日


2013.8.28(水) ヴィチェンツァ

20年前、建築ツアーを引き連れて来たときは、一瞬、朝の開館時間を過ぎて門が締まり、 熱血添乗員の福田さんが、門によじ登って交渉してくれたが入れず、悔しい思いをした。 今回は10時過ぎに着いたので、ゆっくり観ることが出来た。
水曜日の朝は中も見せてくれるというので、日を合わせて来たかいがあって、内部も素晴らしい。 ジュリオ・ロマーノのフレスコ画の大胆さ、豪放さと対照的にこちらは繊細、この繊細さもいい。
パラッツォ・デル・テとラ・ロトンダの時期を比較すると、
パラッツォ・デル・テ(1524-34)―ジュリオ・ロマーノ(1499頃-46)作
ラ・ロトンダ(1566)―アンドレア・パッラーディオ(1508-80)作
建築時期は30年くらいの違いがあるが、同時代人で、場所も近い。何らかの影響はあっただろう。
ジュリオ・ロマーノは47歳くらいで死んでいるが、パッラーディオは82歳と長生きしてる。
ついでに、ジュリオ・ロマーノの弟子たちのサッビオネータの庭園宮殿パラッツォ・デル・ジャルディーノは1578年-88年の建築。

 ヴィチェンツァ  ヴィチェンツァ


20年前にやはり見逃した、テアトロ・オリンピコ(1580-85)を観る。
こちらはパッラーディオ最後の作品。古代ローマの円形劇場を規模を小さくして屋内の劇場にしたもの。パッラーディオの死後、ヴィチェンツォ・スカモッツィが後を引き継いで、完成させる。
透視画法を用いて、街路を再現した、舞台の背景はスカモッツィの作。
客席に座ってみたが、どうも下の段の客席の、中央に座らないと、スカモッツィの、この透視画法の効果は発揮されない気がする。どうなのだろう。
スカモッツィはこの後、わりとすぐにサッビオネータに赴き、 テアトロ・アランティカ(1588-90)を提案し、実現している。客席上部の円柱の上のローマの神々が客席を見下ろしている構成は、テアトロ・オリンピコを 踏襲し、規模に合わせて縮小したもの。全体的にテアトロ・オリンピコの縮小版だが、サッビオネータのものも、悪くない、これもまたとてもよかった。
今回サッビオネータのテアトロ・アランティカを先に観て、3日後にテアトロ・オリンピコを観られたのは、建設時期を逆にたどった形になり、面白い体験をした。

 ヴィチェンツァ  ヴィチェンツァ


2013.8.27(火) ヴェネツィア2回目

前回のヴェネツィアは、暑いのと人が多いのと、今居る場所が確認できないのとで、ストレスが大きかったが、 今回は、もう夏も終わりに近く、涼しいし、人も前回より格段に少ない。
行くところを限定することにして、ガイドブックの道にそって、とりあえずレデントーレだけみればいいやと決めたので、気が楽だった。
対岸にレデントーレ教会が見える、須賀敦子の本に出てきて、前から気になっていた“ザッテレの川岸”この語感がいいし、とにかくそこに行くことにする。
途中、サン・ロッコという教会があって、ティントレットの絵で埋め尽くされていて圧倒される。 例によって、キリストに関連する暗い絵で、ヴェネツィアのシスティーナ礼拝堂と例えられると書いてあったが、 どうもいただけない。
ミケランジェロにはスカッと抜けた明るさがある。むしろ昨日のジュリオ・ロマーノ系列の絵のほうが、 ぼくはずっと好きだ。
ザッテレの川岸は、須賀敦子の頃ほどは、観光客が余り行かないところではなくなっていいるが、 “河岸を散歩しながら眺めるジュデッカ運河のおだやかで日常的な明るさにはほっとこころがなごむ”感じはする。 ここは確かに明るいほっとするような場所だ。

ヴェネツィア ヴェネツィア


そして、広々としたジュデッカ運河の対岸には、アンドレア・パッラーディオ設計のレデントーレ教会がほぼ正面に眺められる。 須賀敦子がこの川岸を愛した、もうひとつの理由がこれだ。
ここから見ると、白いのは正面だけで、側面は煉瓦色をしている。 レデントーレはどうも煉瓦造のようだ。

ZATTEREと書かれた船着場の近くの、LA CALCINAというレストラン/カフェのテラス席で、ビールを飲んで、タコとポテトとルッコラのサラダを摘む。 レデントーレを眺めながら、二時間近く過ごした。
ここはホテルにもなっているようで、RUSKIN HOUSEとも書いてある。もしかしたらヴェネツィアのゴシックを愛した、 ウィリアム・モリスの先達、ジョン・ラスキンがこの近くに滞在したのだろうか。そうなると、この場所はさらに興味深い。

駅へ戻る途中、偶然ヴェネツィア建築大学の前を通りかかる。これまた20年振りに、スカルパの入口部分を見ることが出来た。 レデントーレだけみればいいやと思っていたが、ついでにいいものを見ることが出来たし、のんびり出来たし良い一日だった。

ヴェネツィア ヴェネツィア


2013.8.26(月) 最後の会食

少し疲れが溜まってきたので、家でゆっくりして、2時過ぎに湖岸に散歩に出かける。 始めてガルダ湖の畔の遊歩道をゆっくり歩いてみた。まだ日光浴をする人、釣りをする人、ボートで沖へ出る人がいるが、 なんとはなしに、夏も終わりの感じが漂っている。6時半に迎えに来てくれた、コンタヴァリさん夫妻と、おすすめのレストランへ。

ガルダ湖畔


予約が8時からなので、その前にモヒートでも、とシルミオーネの湖畔のカフェで過ごし、 いよいよレストランへと向かう。
ラ・ペサと同じように、田舎にあって、知らないとちょっと行けない場所にある。 期待に違わず、美味しい食事だった。
イタリアの夏休みも残す所あと3日になった。

メネゲイ


2013.8.25(日) サッビオネータ

マントヴァを治めたゴンザーガ一族のヴェスパシアーノ王子Vespasiano Gonzaga Colonna(1532*1591)が創った、理想都市、サッビオネータSABBIONETA。
幾何学的手法、透視図法を応用した理想の都市像が、ルネサンスの君主や建築家によって提案されたが、 これもその一つか。時期は16世紀後半、戦いの時代で、外郭は軍事的な六角形の要塞の形をしている。
九角形の要塞理想都市パルマノーヴァとほぼ同じ時期、どちらが先なのか。
街路は碁盤目状、おそらく既存の街を生かしつつ、新たに建築を加えていった。 庭園宮殿Palazzo del Giardinoは、王子の郊外の邸宅で、庭園をL字型に囲む。 L字の長い方は煉瓦のピロティになっていて、 2階は96mの長いギャラリー。
この空間が気持ちいい。このところずっと、暗いキリスト教の絵ばかり見てきたので、ジュリオ・ロマーノの弟子とかが描いた、 ローマを理想とするルネサンスのフレスコ画は軽やかで明るく、気分が浮き立つ。
長いギャラリーが更に続くかのように、両端のフレスコ画は透視図法で描かれている。パラッツォ・テの絵も好きだが、 ジュリオ・ロマーノ系のこの感じ、かなり好き。

もう一つの面白い建築が、古代劇場Teatro all'Antica(1588-90)で、ヴィチェンツォ・スカモッツィの設計。
ヴィチェンツァのテアトロ・オリンピコは1584年の完成で、着工後すぐに

庭園宮殿 ギャラリー ギャラリー ギャラリー


死んだパラディオの没後、スカモッツィが、 引き継いで完成。透視画法を使った描き割りはスカモッツィ作。
その後、スカモッツィがサッビオネータにやってきて、ヴェスパシアーノ王子に提案して採用されたものがこのテアトロらしい。これもまた気持ちのよい空間。
背後のコラムの上には、オリンパスの12神、またオーケストラのスペースの両側の壁には、彼らが理想としたローマの風景、カンピドリオ広場(ミケランジェロの前の)とサンタンジェロ城が描かれている。 王子の死後、街とともにこのテアトロも荒廃し、倉庫になったり、映画館になったりしたらしい。
1950年代に、修復されて、今は劇場として、音楽ホールとして使われている。
サッビオネータの後、パルマ、フォンタネッラトのお城を観て、ジベッロZIBELLOというところへ。 はるみさんによると、床に赤ワインを撒いて、その蒸気で熟成させる、クラテッロという最上級の生ハムを売っている店に連れて行ってもらう。
ポルトガルのヴィーニョ・ヴェルデみたいな土地のワイン、ランブルスコとともに試食させてもらうが、味が深くて美味しい。ここでクラテッロとサラミ、そしてこれもまた最上級のパルミジャーノ・レジャーノとはるみさんの言う、赤牛のものを購入。
帰り道のドライヴは、イタリアの広大な穀倉地帯の中を行く。秋も近いのか、晩夏の雲は雄大で、目を楽しませてくれる。

古代劇場 古代劇場オリジナル平面 ジベッロ 穀倉地帯の雲


2013.8.24(土) ミラノ

早起きして、6:35のバスで駅に、7:06の列車に乗り、8:35ミラノ着。 ガリバルディ地区を観てから、案内書に面白いと書いてあったので、ナヴィリ運河へ。 まだ早く、店も空いていないので、運河沿いのカフェで、ブリオッシュとカプチーノを頼み、しばしのんびりする。
歩き出したが、やっている店はまだ少ない。
漫画専門店があった。モニターでルパン3世のアニメを、日本語のまま流している。 一番奥の、普通の小さな書店くらいの広さのコーナーは、日本のマンガをイタリア語に翻訳したもの専用のスペースになっている。
フィギュアとともに、ブラックジャック、ドラゴンボール、ワンピースと、かなりの品揃えで、ぎっしり埋まっている。 川上弘美原作で谷口ジローの、ぼくもまだ持っていない“先生の鞄2”まであり、驚いた。
並びには、ルパン3世の専門店まであり、更にびっくりする。ルパン3世は、イタリアで相当人気があるらしい。

ミラノ ミラノ


ドゥオーモの方に歩いて行く。サン・ロレンツォ・マジョーレ教会というのがあって、4世紀からの教会らしく、 ローマ時代の列柱が前面にあって、集中式の珍しい形。なかなか良かった。
ドゥオーモの近く、ブラマンテの処女作のサン・サティロ教会を探しているうちに、食料品の“ペック”の袋を持っている人がいるというので、 探すとすぐ見つかり、そっちを先にする。ロンドンのフォートナム・アンド・メイソンみたいな店か、日本でよく知られているという。
2階がレストランになっていて、ランチを食べることにする。魚介のアンティパストがとろけるように美味しい。パスタも美味しかった。 サン・サティロ教会をもう一度探すと、土曜日は休みで閉まっていた。
もう一つ気になっていたサンタンブロージュ聖堂も、ごてごてせずシンプルで、とても良かった。 周りをぶらぶら歩いたが、麹町みたいな住宅街で、静かで落ち着いた界隈。今日歩いたミラノは、静かでよかった。

ミラノ ミラノ


2013.8.23(金) ベルガモ、マントヴァ

今回の旅行では、建築を観るのは最低限にして、パッツィ家礼拝堂、ラ・ロトンダ、オットレンギ邸、パラッツォ・デル・テ ぐらいにしようと思っている。オットレンギ邸はガルダ湖のヴェローナ側の畔のバルドリーノBaldolinoniariにあり、そこはよく通るのだけど、 個人宅を観るのは難しい、と言われて諦めた。
あとはラ・ロトンダとパラッツォ・デル・テ。ラ・ロトンダは水曜日の午前中にしか内部を観られないというので、28日には行こうと思っている。

マントヴァは地理的にはここデゼンツァーノとすぐ近くだけど、列車だとヴェローナで乗り換えなきゃいけないので、 結構時間がかかる。ベルガモも是非見せたいので、と車で連れて行ってくれることに。
ベルガモは丘の上の旧市街ベルガモ・アルタと麓の現代の街ベルガモ・バッサに分かれている。
ベルガモ・アルタは城壁に囲まれていて、城壁の所に駐車場がある。そこから中へは徒歩で行く。
ドアに見覚えのあるノッカーが付いている。トラサルディ家は代々ベルガモに住んでいるらしい。 気の利いたブティックやベルガモ特産の黄色いお菓子をショーウインドーに飾った、お菓子屋さんがある通りを 登って行くと、まもなくヴェッキア広場へ。このまわりにな重要な建築が集中している。
ラッジョーネ宮、 印象的な独特の装飾の15,6世紀のコッレオーニ礼拝堂、洗礼堂、12世紀のロマネスクからルネサンス、 バロックの時代の手が加わったサンタ・マリア・マジョーレ教会。コッレオーニ礼拝堂のモザイク的立面は、 もう少し行くとアラブになる。

ベルガモ ベルガモ


パラッツォ・デル・テは広い公園の中にある。
20年ぶりのパラッツォ・デル・テはやはりよかった。 オーダーの捉え方が大づかみで、しみったれたところがなく、大らかで気持ちがいい。壁、天井の絵もみんないい。
1524年-34年のものだが、とても新しく感じる。“愛と狂人の間”?か、床の上の箱状のものに、水が渦巻くさまを 映像と音で、投影している。余計な付け足しの感じ。
また“太陽の間”?では、床全体にメーター角くらいの鏡を敷き詰め、天井が映るようにしている。故意なのか、ガラスが割れていて、 倉俣史朗のテーブルの上を歩いているようで、落ち着かない。 ガラスのヒビ割れた部分を踏むと、バリバリ音がして、更にひび割れが広がり、足元の天井に落下するような気分にさせられる。 これも余計な付け足しだが、こっちは少し面白い。
ジュリオ・ロマーノは、マニエリスム期的立面の建築操作も面白いが、スケールの大きい、やりたい放題の、内部のフレスコ画は、いつ観ても面白い。 面白い人だったんじゃないか

その後パラッツォ・ドゥカーレを観た。今回初めて見たが、広すぎるのと、あまりキレイに保存されていないので、 こちらが疲れているせいもあってか、あまり感心しなかった。
その後、アルベルティのサン・タンドレア教会へ。 写真だけだったので今まで、アルベルティの良さがよくわからなかったが、このサンタンドレア教会はとてもいい。 スケール感、構成、中世の教会とは全く違う、ルネサンスの突き抜けた感じがする。

マントヴァ マントヴァ


2013.8.22(木) デゼンツァーノ散歩

ゆっくり起きて、10時過ぎて、ヴェローナかブレッシャへでも行こうかと、バスで駅に来たが、 タイミングの会う列車がない。まあ今日は遠出をやめて、デゼンツァーノでも散歩しよう、 と歩き始めた。
歩くうちに、高台の城跡に突き当たった。デゼンツァーノの街並の向こうにガルダ湖が見渡せる。

デゼンツァーノ散歩


左手には、長く突き出た半島状のシルミオーネ、遠くにはモンテ・バルドが見える。
ゆっくりとメルカートやブティック、雑貨屋、文房具屋を見て回ってから、バールに入ってビッラと軽い食事を頼んだ。
休日らしい休日になった。

デゼンツァーノ散歩


2013.8.21(水) 山の上のサンクレメンテ教会

8時に隣のバールで待ち合わせ、今日は遠出をして、山へ連れって行ってくれる。
イゼオ湖の手前で、11世紀のサン・ピエトロ・イン・ラモーザ教会を観る。 舗石のグレーの石は、ブルネレスキがアーチの縁取りなどに使った、ピエトラ・セレーナという石だと教えてくれる。
イゼオ湖沿いに北上、途中フリットの美味しい店で、湖を見ながらタコ、イカ、シラウオのフリット食べて一休み。 更に北上して、ロヴェレLovereのケーキ屋さんで、おみやげを買っている。 今日訪ねるのは、ブレッシャのレザットRezzatoのコンタヴァリ家の隣人の、山のセカンドハウス。
ロヴェレでイゼオ湖を見ながら昼食。気持ちのいい風が吹く。

サンピエトロ・イン・ラモーザ サンクレメンテ


ヴェッツァ・ドーリオVezza d'Oglio、標高1,800メートルにある家に着く。車を降りて一休みの後、 隣人一家の案内で、山の教会を目指す。
舗装された道からそれた細い山道を、30分くらい歩いただろうか、 やっとその教会、サンクレメンテ教会CHIESA DI SAN CLEMENTEへたどり着く。1290年創建。
これだけ離れた所、しかも絶壁の斜面にこれだけのものを建てるのは大変なことだっただろう。 こういう人里離れた場所に、どうもいくつもこういう聖地があるようだ。
僕らは多分、このサンクレメンテ教会を訪れた、最初の日本人だと言われる。

ピエトラ・セレーナ サン・クレメンテ


2013.8.20(火) ブレッシャ

火曜日はシルミオーネへ行く船着場の近くの朝市メルカート。知らずにバスに乗ったら、渋滞で大変、なにしろバスの経路の道で メルカートが開かれるので、バスは経路を変える。。
午前中はしばらくメルカートを散策して、20分遅れの1時6分の列車でブレッシャへ。今日は近くなのにまだ、 あまり見ていないブレッシャを案内してくれるとコンタヴァリさん、ブレッシャの駅に迎えに来てくれる。

ブレッシャ ブレッシャ


まず、コンタヴァリ事務所によって、このnotesを更新する。 近くのリッチスでこの間食べた美味しい、ジェラート。
イチゴFRAGOLAのジェラートがすっかり気に入ってしまった。チョコレートもプラス。相変わらず美味しい。
城塞CASTELLOは高台にあって、ブレッシャの街を一望できる。 パラーディオの関係した、ロッジア、そしてドゥオーモが見える。

ブレッシャ ブレッシャ


2013.8.19(月) ルネサンス

夕方、コンタヴァリ家に友人家族が来るというので、一緒にと招待され, ノリコはラザーニャを準備するので、今日は出かけずに家にいる。

久し振りに飛行機の中で再読した塩野七生の“ルネサンスとは何であったのか”を、 “図説西洋建築史”、“イタリアルネッサンスの建築”と併せて、もう一度拾い読みする。
キリスト教をローマ帝国の国教と定めたローマ皇帝コンスタンティヌス帝が、4世紀の初めに書いたとされた、 ヨーロッパの地をローマ法王に寄進したとされ、 中世の間、ずっとヨーロッパの土地の正当な所有権はすべてキリスト教会にあるとする根拠となった、“コンスタンティヌスの寄進状”というものがある。
それが、12世紀に偽造されたものであることを、15世紀前半ロレンツォ・ヴァッラという古典学者が実証するまで、 中世の人々がキリスト教会に朊従させ続けた理由の一つであったという。
そして軍事力に代わる、“聖務禁止”と“破門”という、 領主でも王でも従わせる圧倒的な武器を行使することで、ローマ法王は絶大な権力を握っていたという。

イタリアの主だった都市の、中心にかならずある、ドゥオーモの存在を見れば、いかに中世に教会の力が大きかったかがよく分かる。

ルネサンス


そして人間の時代、ルネサンスでは、メディチ、そしてまたしても歴代のローマ法王といったパトロンの存在と建築家の関係も興味深い。

そしてまた、1527年、神聖ローマ皇帝スペイン王カール五世の軍勢が教皇領ローマで殺戮、破壊を行った、“ローマ掠奪―サッコ・ディ・ローマ” によるバロック・ローマの生成、の話がある。
サッコ・ディ・ローマを実行したのが、カトリックを憎み、おそれない、宗教改革のルター派が多いドイツの傭兵だった。
システィーナ礼拝堂は兵士たちの雑魚寝の場に一変し、法王たちの墓所は盗掘されたという。
この徹底的な破壊によって、 ローマのルネサンスの建築は改築せざるを得なくなり、改築するならいっそ新様式で、ということで、ローマは、その時台頭してきた バロック建築の都市になったという。
いまローマに残っているルネサンスの建築は、キージ宮(現首相官邸)と主にミケランジェロによるファルネーゼ宮(現フランス大使館)くらいしかないという。
“ルネッサンスとは何であったのか”のこういう話を、“図説西洋建築史”などと併用して読むと、建築の歴史が明快に頭に入ってくる。
因みに言うと陣内氏ら7人の共著“図説西洋建築史”は、建築史の本の中で、群を抜いて面白い。

コンタヴァリ家に友人家族


2013.8.18(日) 避暑地の邸宅

まだ歩いてない方角に向かって、少し周辺を見てみようと、散歩に出かけた。
家の中にいると涼しいのだが、昼間出かけると、道路には日陰がないところが多く、ジリジリと太陽に晒され、 結構消耗する。
早々に帰ってきたが、こちらも迷っているのに、4,50分歩いている間に、何故か2度も、車の窓を開けて道を訊かれた。

休養日


避暑地なので、湖に面して、プライベートビーチを持った広壮な邸宅もある。その一つで、はるみさんによると、 シューマッハが一時期買おうとしてやめたという、かなり広い邸宅が左下。
こういう一軒家もあるが、右下のように、集合住宅が結構多い。

夜はコンタヴァリさん夫婦を招いて、ノリコの料理で夕食を共にした。

休養日


2013.8.17(土) シルミオーネ

近くなのに未だ行ったことがなかった、シルミオーネSirmioneへ。

ガルダ湖に突き出た、細長い岬の突端にあるシルミオーネSirmioneは、 ここからバスで10分の船着場から、湖を1周する遊覧船が出ていて、最初の寄港地。10分ほどで着いてしまう。
ローマ時代からの温泉保養地、ローマ時代の遺跡、スカラ家の城塞が残り、いまは観光客で賑わう。


シルミオーネ





コンタヴァリさんが友人を食事に招いたので一緒に、ということで、夜は歩いてコンタヴァリ家へ。
若いミケーレ氏と婚約者のアメリカ女性メアリーさん。 言葉はイタリア語、日本語、英語。オリヴェイラ監督の“永遠の語らい”のテーブルを囲むポルトガル人、フランス人、アメリカ人が それぞれに違う言語で、和やかに語り合う場面を思い出した。
パソコンのネットで、カラオケを出して、一緒にビートルズを歌う。


シルミオーネ ミケーレ


2013.8.16(金) ヘッセと蝶

出る前に岡田朝雄教授に薦められていた、“ヘルマン・ヘッセと蝶”展を観に、ルガーノへ。
デゼンツァーノからミラノへ1時間半、ミラノからチューリッヒ行きに乗り換えて1時間10分、 国境を超えるので、パスポートチェックがある。
ルガーノ湖が見えてきて、僕らにとっては1970年代から親しみのある、マリオ・ボッタの建築の街、 ルガーノへ着く。残念ながら、今回は何も準備して来なかったので、マリオ・ボッタの建築を見るのは諦める。
循環バスで、金の丘コリナ・ドーロ、モンタニョーラMontagnolaにあるヘルマン・ヘッセ記念館Museo Hermann Hesseへ。
展示はヘルマン・ヘッセの著作に出てくる、蝶と蛾の標本を、その著作部分のヘッセの文章のドイツ語と日本語訳とともに、レイアウトしたもので、 一つ一つがとても美しい。

ルガーノ湖 ヘッセと蝶


ドイツ文学の教授であり、ヘッセの翻訳者、また昆虫愛好家の岡田教授と昆虫愛好家で、熱烈なヘッセの読者である新部公亮氏が、 日本での展覧会用に作ったものを、スイスに寄贈したもの。
ヘッセが住んだ、このモンタニョーラの家に、日本語に訳されたヘッセの文章と、日本から来た蝶と蛾が展示されている。
ふしぎな気がする。 自然への情熱は言葉や国境と関係ない。言葉が違う、環境が違う場所で、同じような考え方をする人が生きている。
今回新たに発見された8頭のヘッセの遺品の蝶の標本に、岡田教授が同定した学めいが付された標本額も展示されていた。

帰りはミラノで降りて、ドゥオーモが真ん前に見える、屋上のレストランのテラス席でゆっくりと、ビッラと共に軽い食事をした。

ヘッセと蝶 ヘッセと蝶




2013.8.15(木) クレモナ

ストラディヴァリウスで知られる、クレモナへ連れて行ってもらう。デゼンツァーノから一時間くらいのドライブ。

今日8月15日はイタリアも休日で、店は殆ど閉まっている。 街の中は人気が少なく、ガランとしている。クレモナは街の中心への車の侵入も制限されているので静かだ。今日は少し涼しく、 やっとのんびりした休日のいい気分を味わう。
人気の少ない街中を歩いて、ドウォーモの裏側に出る。 沢山の煉瓦の塔が見えて、よさそうな予感がしてくる。煉瓦積みの上階の途中に見える列柱廊のような部分の表情がとてもいい。
ファサードのあるコムーネ広場側は大理石で、クラシカルな表情だが、案内書にはロマネスクの傑作とある。 コンタヴァリさんによると、ロマネスクに、ゴシック、古典主義が混在しているという。

ドウォーモ ドウォーモ


八角形の洗礼堂はお金が続かず、大理石が途中まで貼ってあって、そこから先は下地の煉瓦のまま。ファサード以外の面も煉瓦積のまま。 このレンガ積みの感じがなかなかいいのだが。
この辺は、大理石は少なく、建築材料としては煉瓦が主体のようだ。
一昨日のトレントもそうだったが、ある程度の規模の街には必ず、中心に立派なドウォーモと市庁舎その間に広場、と三つがセットになっている。
それにしてもこのドウォーモはいい。長い年月をかけて、沢山の人が関わる、こういう大聖堂の建築が、 何故ある一定のデザインレヴェルを保てるのか、ふしぎ。
デザイン力のある優秀な石工の親方か、建築家的存在のリーダーがいて、そのデザイン的技量を尊敬し、 受け継いでいく人が存在していたのだろう。あるいは違うタイプの優秀なリーダーが次々に現れたか。

ドウォーモ ドウォーモ




2013.8.14(水) 住宅の構法、ロトンダ

昨晩は激しい雷で、起きてみると、イタリアに来てから初めての雨。

午後ブレッシャのコンタヴァリ事務所に来て、ネットにつないで、メールチェックなどしたら?と言われていたが、 イタリアに来て以来、 ちょっと忙しく動き過ぎたので、今日は完全休養日ということにして、アパートメントで一日のんびりする。
そろそろ疲れが溜まってきている。

ところで、こちらの住宅の構造は、下の写真のように、メインのフレームの柱梁を鉄筋コンクリートで造り、その間を レンガ積み(日本のとはサイズが違うが)で埋め、塗り壁で仕上げるのが、一般的なやり方のようだ。勿論すべてRC造もあるが。コンタヴァリさんの話だと、断熱材で覆ってから仕上げることもするらしい。
ル・コルビュジエのサヴォア邸の建設中の写真を、以前見たが、やはりこんな感じだった。 イタリアは地震があったはずだが、柱梁も細いし、これで大丈夫なのだろうか?
日本では住宅の構法は伝統的な木造の延長線上で、地震に対応する

休養日


ために筋交いを導入した在来軸組構法が最も一般的になって、 さらにそれを補強する金物が様々に考案されたり、常に基準に何らかの変更が加えられているが、イタリア、フランスでは、1920年代のル・コルビュジエのサヴォア邸の頃から、 このRC造と組積造のミックス構法は、あまり変わっていないのかもしれない。
イギリスでは、厚い伝統的な煉瓦積みの組積造に代わって、防水と断熱を兼ねた中空層を一層ずつの煉瓦積みの間に設けた、キャヴィティ・ウォールという構法が、 おそらく第二次大戦の前か後頃に考案され、住宅の構法として一般化しているが、イギリスと大陸とでは、ほかのあらゆる事と同じように、海を挟んで色々と違っている。
二〇年くらい前にイギリスの田舎を車で旅行した時に、ラウンド・アバウトという交差点のシステムを初めて体験して、合理的で素晴らしいシステムだと感心したが、 ここデゼンツァーノの辺も、信号がなく、ラウンド・アバウトが導入されている。
イタリア語ではロトンダというらしく、EUで補助金が出て導入が推進されているそうだ。
これはもしかしたら、イギリス起源かもしれない。

一般的な家の構造




2013.8.13(火) トレント

ガルダ湖の最北端の更に北にある、トレントTORENTOへドライヴ。
リモーネLIMONEへ行くときは湖の西側を北上したが、 今回は東側を北上して、バルドリーノを通過して、ガルダに寄って、昼食は、はるみさんの用意してくれたお弁当でピクニック、そして草の上で昼寝。
極上のトリュフを供するレストランになっているお城の下にある、トブリーノ湖畔のテラスで、一休み。

トレンティーノ CASTEL TOBLINO


トレントでは、出来たばかりのレンゾー・ピアノの自然博物館に遭遇。
そして街歩き、美しいドウォーモを見る。
夕食は帰途、La Rochettaというレストランで、この地方独特の料理、肉を香草に漬け込んだCARNE SALADA をルッコラとグラナパターノ添えの生ハムみたいに生で供されるものを最初に、そして焼いたものを最後に食べる。 帰りは湖の西側を通って、10時頃帰着。

トレントのドウォーモ CARNE SALADA




2013.8.12(月) ヴェネツィア

8時38分のバスで、デゼンツァーノ駅まで来たが、時刻表にあるミラノ行きの普通列車がこの時間にない。
最初の日に、はるみさんが交渉してくれた時に窓口で、工事が入って、8月は時刻表が全く変わっている、と言われたが、 どうも変わったのは普通列車レッジョナーレで、フレッチャ・ビアンカなんかは、日本で買ったコンチネンタルタイムテーブルから、 ほぼ変わっていない。
つまりユウレイル・イタリア・パスもフレッチャ・ビアンカなどの高速列車は、座席を予約しなければいけないので、 メリットがあまりなかった。
今日はミラノ行きと思ってきたのだが、悔しいので、何とか普通列車を使おうと思い、予定を急遽ヴェネツィア行きに変更。
高速列車は割と時間通りの運行だが、普通列車は本数が少ない上によく遅れる。タイムテーブルだと高速列車1時間半に対して普通列車2時間なのだが、 下手すると倊以上かかる、全く!。仕方なく、ヴェネツィアに着くとすぐに帰りのフレッチャ・ビアンカを予約。2人分の割増を払う。

ヴェネツィア


ボローニャ、ヴェローナ、フィレンツェに続き、ヴェネツィアもものすごい数の観光客であふれている。しかも陽射しジリジリも 同じ。
20年前にJTBで建築ツアーを企画して、来た時の印象と全く違う。街自体も変わった気がする。
こんなに沢山の土産物屋はなかったし、 建築を見るのももっと簡単だった気がする。観光地化が極端に進んだのではないだろうか。
行列に並ぶのがイヤで諦めると、めぼしい建築は、殆ど間違いなく見られない。
これから建築を見て回ろうと思っている、若い人はほんとうに大変だと思う。最低限、観光シーズンは避けたほうがいい。

建築は昔観たカルロ・スカルパのオリヴェッティ・ショールームの外観と、 パラディオのサン・ジョルジョ・マジョーレ教会の遠望くらいで、今回は諦めることにした。

ヴェネツィア




2013.8.11(日) 朝市、盆栽

9時にはるみさんと待ち合わせして、昨晩ジェラートを食べたあたりの道路で毎週日曜日に開かれる朝市MERCATOへ。
途中でこちらは退散したが、いいものが安く手に入ったらしい。ぼくのTシャツも買ってくれていた。
昨夜に引き続き、コンタヴァリ家でランチをご馳走になった後、 日本の野菜を作っていていつも頂いているとか、広大な家に住んでいる、あるいは雛の雄雌鑑定士だったなど、 はるみさんの話によく出てくる、田中さん宅に連れて行ってくれる。

メルカート コンタヴァリ家でランチ


20年以上にわたって、それこそ丹精込めて仕立てた、 何百という盆栽が、ガルダ湖を見下ろす高台の広大な敷地の、広い庭にところ狭しと並んでいる。
元気がなく田中さんに預けてあったという、コンタヴァリさんの盆栽は、糸魚川真柏という種類の樹の盆栽で、世界的に珍重されているという。
実生から、あるいは挿し木から始めて、20年以上という歳月をかけて、少しずつ少しずつ作り上げていく という気の遠くなるような、盆栽という、ふしぎな文化に感動し、魅了される。

田中さんの盆栽 田中さんの盆栽




2013.8.10(土) コンタヴァリ家で夕食

家でゆっくり朝食。カボチャを混ぜ込んだタリアテッレ。
1日アパートメントにいて、日記を書いてのんびりする。

夕食はコンタヴァリ家に招待されているので、夕方7時半にコンタヴァリ家へ。ご馳走になって、日本のテレビの話題で盛り上がる。

家で朝食


夜中近い11時半にジェラートを食べに、歩いてガルダ湖の方へ向かう。 住宅街の感じなのにジェラート屋さん、まだ開いていて、客もいる。通りにもまだ結構人通りがある。
今日は流星群が見える日だそうで、湖の畔におりて、 しばらく空を見上げるが、残念ながら見えなかった。

ジェラート屋




2013.8.9(金) フィレンツェ、ブルネレスキ

トレニタリアTRENITARIAの高速列車はフレッチャロッサFR、フレッチャアルジェントFA、フレッチャビアンカFBの3つで、 それぞれ最高速度が300、250、200km/h。
ユーレイル・イタリア・パスがあっても、すべて座席指定、予約が必要で列車ごとに10ユーロ取られる。 つまり乗り換えがあると、また10ユーロプラス、パスのメリットがあまりない。
自由に乗れるのは、快速レッジョナーレ・ヴェローチェRVか、普通レッジョナーレR。
デゼンツァーノ駅からは、ヴェローナ乗り換えで、乗り換え時間4,50分を含め、R、FA、FB乗り継いでボローニャ約2時間、フィレンツェへは、約2時間半かかる。
今日は割と涼しくてよかった、と朝は話していたが、フィレンツェに着いてみると、やはり陽射しジリジリ、 観光客で一杯で、それだけで疲れる。
ドウォーモにはやはり長い行列ができていた。
今回もクーポラの2重構造の間の階段を登るのは諦らめるしかない。

サンタ・マリア・ノヴェッラ サンタ・マリア・デル・フィオーレ


今までフィレンツェに来たときは、ドウォーモ"サンタ・マリア・デル・フィオーレ”の印象で、ブルネレスキの凄さに気づかなかったところがある。 もちろんドウォーモは別の意味ですごいのだが。
すいているサンタ・マリア・ノヴェッラ教会、ミケランジェロのメディチ家礼拝堂を観て、捨子養育院の広場を経て、 パッツィ家礼拝堂へ。
今回はこれだけ観ればいいと思っていた、パッツィ家礼拝堂の軽やかなエレベーションには、やはり独特のセンスが感じられ、暑い中疲れたけど、来てよかった。 ホークスムーアのモーソリウムを初めて観た時に感じた印象と同じような印象を持つ。
キャッスル・ハワードのモーソリウムやクライストチャーチに感じる、ホークスムーアのものとしか言えない独特のセンスと同じように、 ブルネレスキのものとしか言えない、独特の軽やかなセンスがある。

もっとも、ブルネレスキは1446年に亡くなっているので、円柱から上は、どうもブルネレスキの原案通りではないらしいところが困る。

パッツィ家礼拝堂 パッツィ家礼拝堂




2013.8.8(水) トラットリア・ラ・ペサ

今日はバスで、ガルダ湖のリゾート地らしい所で降りて散策する。
自分たちで動いて初めて、コンタヴァリさんにいつも車で連れて行ってもらっていた、場所の位置関係がやっと腑に落ちる。

夕方、イタルマルクという大きいスーパーに連れて行ってもらう。そのあとコンタヴァリさんの別荘―下の2枚―に寄って、甘いもの、お酒を仕込んでから、 おすすめのレストランへ。 車で20分ほど離れた、ここはもうマントヴァだというところにある、Trattoria La Pesaという店。
広い農家を改造したような、ゆったりとした広さで、中庭に屋根をかけた広いテラス席に案内される。

コンヴァリさん別荘 コンヴァリさん別荘 La Pasa La Pasa


生ハム、サラミ類の前菜、フンギのポレンタ、うさぎの肉の味噌煮込みみたいなもの、豚肉のソース掛け、またラードにいろいろ混ぜたものをバターの代わりにパンにつけて食べる。 パスタは、甘いカボチャのトルテッリ、ウサギ肉のタリアテッレ、ろば肉のラグーの太めの丸い麺、フンギのリゾット、コンタヴァリさんの素晴らしい塩梅で、 いろいろな種類を堪能する。絶妙の味のレモンのソルベが間に入って、ミックスグリル、最後はデザート。食べられないけど、食べてしまう。美味い。 こんなに食べて、昨日のヴェローナのランチより安い。感動。 時々、のどが自慢のオーナー関係の何人かの、歌が入る。イタリアの歌の後はマイウエイとかの、日本でもありがちな英語の歌も。でもうまい、悪くはない。

La Pasa La Pasa La Pasa La Pasa




2013.8.7(水) ヴェローナ、スカルパ

ボローニャほどではないが、デゼンツァーノから25分のヴェローナも結構暑い。
ジュリエッタの家の近くの、アル・ポンピエレというレストランでお昼。
さまざまなプロシュートが自慢らしいので、盛り合わせをとる。ヴェローナの生ハムとボローニャのサラミと どこかのハム、肉屋にあるようなスライサーで薄く切って持ってくる。美味しい。
パスタは、スパゲッティ・ポモドーロとオーソブッコのラグーのタリアテッレ。デザートはピーチパイにアイスクリーム添え。

アル・ポンピエレ アル・ポンピエレ


20数年振りにカルロ・スカルパのカステル・ヴェッキオを訪ねる。
細部への愛情が徹底的に込められている。鉄とコンクリートそして木、、床と壁、異なる材料、部位の繊細なぶつけ方、こだわり。 40年前のデザインだが、全く古くなっていない。ますます新鮮に見える。
バンカ・ポプラーレの方は残念ながら、外壁の修復中で足場がかかっていて、よく見えなかった。
ボローニャの帰りは45分遅れで、時刻表どおりに動かないイタリアの列車の洗礼を受けたが、今日も往きは30分遅れ、帰りはほぼ時間通り。

カステル・ヴェッキオ カステル・ヴェッキオ




2013.8.6(火) サロ、モンテ・バルド、マドンナ・デラ・コロナ

今日も朝コンタヴァリさんが迎えに来てくれて、ガルダ湖畔のカフェでブリオッシュとカプチーノの朝食。

その後、例のムッソリーニゆかりのサロへドライヴ。感じのよい落着いたリゾート。バールのテラスでモヒート。

一旦デゼンツァーノへ戻って、ホテル・エステで牛肉の生ハム、ブレザオラとパルミジャーノに似た、この地方のチーズ、グラナパダーノGRANA PADANO、 それにルッコラ、オリーブオイルをかけた、はるみさんお薦めのランチ。
湖を望む別棟の、風の通る屋根のあるテラス席で、料理もシンプルでとても美味しい。

サロ ブレザオラとグラナパターノ


ホテル・エステの対岸に見えた山、モンテ・バルドへ。中復のシャーレまでたどり着いて一休み、少し寒いくらいで、昔行った北海道の夏の感じ。
そして帰り道コンタバリさんが、どうしても見せたいという教会、マドンナ・デラ・コロナへ。
急斜面の道を降りてゆくと、キリストがゴルゴダの丘で処刑される道筋の場面が、順を追ってブロンズ像でしめされ、 一番下で教会にたどり着く。切り立った岩に半分めり込んだような建物で、内壁の一面が岩肌のままになっている。 イタリアのキリスト教、カソリックへの土着的な信仰の深さを感じる。
かなり降りたので帰りの登りは、無理だよと思っていたらバスがあって助かる。トラさんが赤ん坊に反応していきり立つので、 コンタヴァリさんは仕方なく徒歩。

モンテ・バルド マドンナ・デラ・コロナ教会




2013.8.5(月) ボローニャ、アンバシャトーリ

イタリアに来てから初めてデゼンツァーノを離れ、列車でボローニャへ。
とにかく暑い、デゼンツァーノはやはり避暑地だってことを確認する。
TVで観て、控えてきた、ボローニャ発祥のラザーニャの美味しいという店、リストランテ・ディアナ、マッジョーレ広場のインフォメーションで訊いて、やっと探し当てたら、 7月28日から8月26日まで休み。
かきいれ時になんという事、と思ったが、逃げ出したくもなる、このくらくらする暑さにナットク。 地元の人は避暑地に逃げ出していて、街中にいるのはほとんどが観光客なのかもしれない。
ちょっと歩くと、教会や冷房の効いたお店に逃げ込まずにはいられない。
歩き廻っていたら、コンタヴァリ薬局というのを見つけた。あとで訊いたが、親戚ではないらしい。

コンタヴァリ薬局 大学街


逃げ込んだ店、案内書に出ていた、アンバシャトーリAmbasciatoriという書店が面白かった。
3階建てのエスカレーターのある大型書店だが、本屋の一部が、レストランや、食材、キッチン用品の売り場になっている。 レシピー本のすぐ横にパスタや、オリーブオイル、その他の食材があって、またすぐとなりにコーヒーを飲んだり、パスタを 食べられるダイニングになっている。
コーヒーを飲みながら本を選ぶというのは、最近日本でも増えているが、 ここまで本棚と、食材の棚、レストランが共存しているのは、珍しく、楽しい。
エスカレーター、階段、吹き抜け、スカイライト等の建築の設えも好ましいデザインで、古い建物の改装らしく、昔の 壁を一面残している。

アンバシャトーリ アンバシャトーリ




2013.8.4(日) リモーネ、レドロ湖、イドロ湖

ガルダ湖の左岸はブレッシア、右岸はヴェローナ、湖畔で朝食の後、左岸の一番北の方にあるリモーネに今日は案内してくれるという。
リモーネはレモンの産地、美しいリゾートで観光地。ドイツからの観光客が多いという。それというのも来る途中の サロは昔ムッソリーニが本拠地をおいた所で、ヒットラーのドイツ人は親しく感じるという。

ガルダ湖 リモーネ


疲れて眠っている間に、大分昇って来たらしい。高地のレドロ湖に。緑がかった水の色が濃く、深く美しい。
ガルダ湖が一番大きいのだが、このあたり全体はアルプス南麓の湖水地方で、大小の湖が散在している。
その後イドロ湖を通って、帰路。

リモーネ レドロ湖




2013.8.3(土) コンタヴァリ事務所、コンタヴァリ家

朝、アパートメント―左上の写真―の真ん前にあるバス停から、バスで、デゼンツァーノ・デル・ガルダ・シルミアーノ駅まで行ってみる。 バス停はリヴォルテッラーアンニバーレ・ディ・フランシアという。
バスは30分間隔なので、歩いて帰ってみることにして、湖の方に降りて行ったのだが、完全に迷ってしまう。地図もなく、 アイフォンもネットを使わず、位置情報も使えない。
散々迷って、シンプリーというスーパーに行き当たり、そこでのカフェで訊くと、すぐそばにバス停があるのがわかる。 安心して、買い物をして、やっと帰り着く。なにしろアパートメントの正確な住所も知らないまま。

アパートメント コンタヴァリ事務所


約束の2時半にコンタヴァリ夫妻の別荘に向かう。最も日の高い時間帯で、このへんは涼しいところだが、それでも参る。
ブレッシアまで車で30分、コンタヴァリ氏のオフィスへ連れて行ってもらう。ジャン・ヌーヴェルのテーブルと椅子の打ち合わせスペース。
その後美味しいジェラート屋で休んで、コンタヴァリ夫妻の家へ。
スキップフロアの構成で、樹木の多い住宅街にある。松の街路樹、日本の松と姿がちょっと違う。糸杉やオリーブ、知らない樹、みんな葉の繁り方が とても密で、タップリしている。
別荘にもあった糸杉が、ここにも2本。

コンタヴァリ家 コンタヴァリ家




2013.8.2(金) イタリア、ブレッシャ、ガルダ湖、糸杉

イタリア2日目、昨日は夜着いたので実質1日め。アパートメント滞在の支払いの後、コンタヴァリさんにスーパーに、そしてガルダ湖の対岸の城跡に連れて行ってもらう。
高台にあって、ガルダ湖を眼下に見下ろす。遠くて分からないが、1ヶ月滞在するアパートメントのあるリヴォルテッラRIVOLTERRAは対岸。
1月のちょっとした小斎さん、コンタヴァリ夫妻とのウチでの雑談が、こんな形で実現するなんて。 こんなことがなければ、ガルダ湖の存在すらおそらく一生知らなかった。

ブレッシャのスーパー タローくん、トラさん


ブレッシアに住むコンタヴァリ夫妻はガルダ湖の畔に家を持っていて、週末を過ごすという。その近くに僕らの滞在するアパートメントを探してくれた。
糸杉の並木、城跡に登る階段へとつづく軸線上に十字架がある。いつのものだろう、コンタヴァリさんは1000年代のものという。
階段を登った廃墟のお城の広場には、約800席の椅子が置かれ、野外劇場になっていた。 タローくん、トラさんは大喜びで走り回っている。
〆に海(湖)水浴場でジェラート。おいしい、ピスタチオをもうひとつ。

ガルダ湖 糸杉





2013.6.12(木)チョン・キョンファ 鄭京和

このnotesの、2005.7.26(火)に、ロバート・ハリスに倣って人生の25のリストとして、死ぬまでにやりたいことを戯れに25項目あげました。
その後達成出来たのは、アアルトを観にフィンランドへ行ったこと、奈良の秋篠寺へもう一度行ったこと、修学院離宮をもう一度訪ねたこと、 くらいで、あまりはかどっていません。
その中に“チョン・キョンファをもう一度生で聴く”という項目がありましたが、昨日の夜、 チョン・キョンファのサントリー・ホールでの演奏会に行き、これを達成できました。
初めてチョン・キョンファを聴いたのは、1998年4月26日、やはりサントリー・ホールで、圧倒的な存在感に驚かされ、 それ以来、CDを集め、もう一度生で聴きたいとずっと思っていました。
2005年9月の指の故障以来、ステージから遠ざかってっていました。指の炎症に、投与された薬でアレルギー反応を起こし指だけでなく 心身ともにダメージを受け、長い間、完全に指を休ませ、治療に専念していたそうです。
僕が聴いた1998年4月が日本での最後のリサイタルだったとは。実に15年ぶりの来日リサイタルです。
久しぶりに聴いたチョン・キョンファはやはり素晴らしかったのですが、 チョン・キョンファももう60代半ばです、15年前のピリピリした感じが抜け、すっかり丸くなった感じで、少し拍子抜けしました。
マドレデウスのテレーザ・サルゲイロ、そしてマリーザを生で観た時の感動と似た、1998年に感じた、きりっとした存在感があまり感じられません。 1998年4月のサントリー・ホールでのライヴ2夜のCDが最近売り出されたそうで、会場で売っていました。 何が違うのか、あるいは違わないのか、確かめてみたくて、僕が聴いた第1夜のCDをアマゾンに注文しました。

tracesを、スターリングを加えて、Five British Architectsとして整理しました。見てください。
チョン・キョンファ
2013.4.4(木) 桜 小石川椊物園

今年は桜の開花が早く、先週もう満開、土日は行けそうもなかったので、26日火曜日の 昼休みに足を延ばして、小石川椊物園まで行ってきました。アップが随分遅くなりましたが。
すっかり満開で、 平日なのに結構人が出ていました。色々な種類の桜を見ることができるので、好きです、ここ。

小石川椊物園紫桜





下左は“紫桜”というサトザクラの一種、下右は“安行寒緋”というやはりサトザクラの一種、遠くにソメイヨシノが見えます。
白い椿が一つだけ開いていて、美しさに見とれてしまいました。
暖かく、天気もよく和みました。週末は、肌寒く天気も今一つだったので、早めに出かけて正解でした。

八重の白椿安行寒緋







2013.3.27(水) ジェームズ・スターリングのNO.1 ポウルトリー

ジェームズ・スターリングが、亡くなる少し前に設計した建物にNo.1ポウルトリーというのがあり、 実物を観たことがないので、あまり言えませんが、今一つ好きになれない建築です。 スターリングの建築は大体好きなのですが。それはさておき、
シュトゥットガルトの美術館のオープンが1984年3月ですから、その2年あと に設計がスタートした、オフィスと店舗、レストランが入った複合ビルです。いかにもの ポストモダンへの反発からか、 既存建物の取り壊しに反対する運動に遭って、なかなか着工できず、スターリングの死の5年後、1997年に完成しています。

ロンドンの中心、バンク駅の真上に建っているのですが、なんと周りにはこのHPのtracesで採りあげた英国の建築家たちの建物が 寄り集まっているのです。




道を挟んだ向かいには、ラッチェンスのミッドランド銀行、その先はソーンのイングランド銀行、 そしてホークスムーアのセント・メアリー・ウールノス教会まである、すごい場所です。
さらにホークスムーアの師匠のレンのセント・ステファン・ウォルブルック教会、 ソーンが大きな影響を受けた友人のダンス2世の父ダンス1世によるマンションハウスまでが直近に揃っています。
セント・メアリー・ウールノスは1724年竣工、イングランド銀行は40年近くかかって1826年頃完成、ミッドランド銀行はおそらく1920年代 に完成、というわけで100年ずつの間隔を置いた、ホークスムーア、ソーン、ラッチェンスによる3つの建築がここに揃っているのです。
そしてスターリングのは少し早くて、その70年後にできる、なんとも壮大な、英国の中でも特筆すべき建築家達の歴史の縮図がここに、 集まって今も存在しているという感動的な場所です。


One Poultry





2013.3.6(水) abさんご

古井由吉の“杳子”は、芥川賞をとった時に読んで、強烈な印象を受けました。そのことだけは憶えていて、肝心の内容についてはキレイに忘れていますが。
最近は小説を全く読んでいないのに、先週の新聞の松浦寿輝の文芸時評を読んで、30代の二人の男が山へ登り、宿で朝方、存在しない鐘の音をともに幻聴するという話に、 ふと魅かれて、その短編“鐘の渡り”を読むために新潮を買い求めました。

久しぶりに古井由吉に触れ、あらためて作家それぞれが独自の文体を持っていることに、興味が湧いてきて、その特異な文体で話題になっている、 “abさんご”を思い出し、黒田夏子と蓮見重彦の対談の載っている文学界と一緒に購入しました。
“abさんご”の平がな多用、横書きコンマ、ピリオッドの、独特の文体で、とても魅力的です。ユニークで、またとても注意深い繊細な文体ですが、 そこには過去の作家たちの言葉や文体についての深い知識が感じられます。




あとで対談を読んで、黒田さんが、校正をずっとやっていたという話を見て 言葉や文体についての繊細な感性はそこから来ているのかと思いました。
これを建築に置き換えると、例えばtracesで取り上げた英国の建築家たちには、 みな過去の建築に対する深い知識、また愛着があり、それらの言語、文体から、自身の文体をつくりあげて形にしていくという、 とても知的な作業をしています。
サー・ジョン・ソーン・ミュージアムの館長だった英国の建築史家ジョン・サマーソンに“古典主義建築の言語” (鈴木博之さんの邦訳は“古典主義建築の系譜”)という著書があります。
建築を文章になぞらえて、建築という文章を書くときに使う言語として、古典主義建築の構成要素を説明しています。
古典の言語はホークスムーアへ、ホークスムーアの言語はソーンへ、ソーンの言語はラッチェンス、マッキントッシュへ、そしてスターリングへとつながっています。 これらエキセントリックな英国の建築家の、実は知的な建築的営為、そして歴史への眼差しは魅力的です。


abさんご






2013.2.28(木)ジェームズ・スターリングとジョン・レノン

ジェームズ・スターリングのシュトゥットガルトのシュターツ・ガレリー(国立美術館)や、テイト・ギャラリーのターナーのための増築である “クロー・ギャラリー”を久しぶりに眺めていると、あれからもうずいぶん経ってしまったけど、やはり面白いなあと思います。
スターリングには、先達マッキントッシュ、ラッチェンス、ソーン、ホークスムーア、その他過去の建築家への深い愛着があります。 ホークスムーアが深く古典主義建築に傾倒したように、ソーンがヴァンブラ、ホークスムーアを愛したように、連綿と続く英国の エキセントリックな建築家の系譜は、次から次へと次の世代のエキセントリックな建築家へ連なっていきます。
それぞれに過去の建築家への愛着、歴史へのまなざし、途切れない連続性を意識しながら建築をつくっています。
以前翻訳した“ジェームズ・スターリング―ブリティッシュ・モダンを駆け抜けた建築家”の中に、 シュトゥットガルトのシュターツ・ガレリーが完成したときに日本の建築雑誌に書いた“モニュメンタルでしかもインフォーマル” という文章がありますが、ぼくはこの文章が好きです。
モダン・ムーヴメントに関連した行き方をabstract(抽象的)、伝統、ヴァナキュラー、歴史、建築遺産に関わるものを representational(具象的)として、ずっと両方を大事にしてきたと語っています。representationalの一局面は歴史へのまなざしです。

ところでスターリングはビートルズのジョン・レノンより16歳年長ですが、 奇しくもこの二人はリヴァプールのクォリー・バンク高校という同じ高校を出ています。
またスターリングがレスター工学部、ケンブリッジ大学図書館で、世界的に知られることになったころは、ちょうどビートルズが 世界的に知られることになった時期と重なっています。
英国が最もエキサイティングだったころ。
スターリングが医療事故で亡くなったのが66歳と2か月、いつの間にかぼくも同じくらいになってしまいました。
ただ、建築家コリン・ウイルソンは スターリングの生まれた年は1926年ではなく1924年だと言っているようですが、それだと、68歳2か月で亡くなったことになりますが。

レスター大学工学部
2013.2.3(日) 2012年の映画

まず、例によって2012年に映画館で観た、たったの13本の映画の中のベストファイヴ。

1.裏切りのサーカス
2.最終目的地
3.青い塩
4.ジェーン・エア
5.次の朝は他人

裏切りのサーカスの原作ははジョン・ル・カレの“ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ”で、英国諜報部の2重スパイの話。 よく知られている原作のタイトルを何故変えたのか、意味がよくわからない。これはもう一度観たい映画。
青い塩と次の朝は他人は韓国映画。 ホン・サンスの4本を、シネマート新宿で特集していて、そのうちの次の朝は他人を観に行きました。例によってフシギな雰囲気の、 映画もいろいろだなあと感じさせてくれる1本。嫌いじゃない。
2012年公開された“シェイム”が本当は一番良かったのですが、あまりにも早く終わってしまって、残念ながら、映画館で観られなかった。
映画館で観ていれば、間違いなくベストワン。マイケル・ファスベンダー、キャリー・マリガン、そして僕らに馴染みの人を思い出させる 英国の新鋭スティーブ・マックィーン監督、素晴らしい。
さらにDVD、CATVの放映を加えた本数は74本でした。

2012年映画


DVD、CATVの放映もベストファイヴにしてみると、

1.シェイム
2.ドライヴ
3.トースト~幸せになるためのレシピ
4.ヘッド・ハンター
5.デスプルーフ・in・グラインドハウス

他に面白かったのは、ミレニアムⅠ,Ⅱ,Ⅲ、モテキ、家族の庭、ディア・ブラザー、ヘルプ~心がつなぐストーリー、 ファミリー・ツリー、ヒットマンズ・レクイエムなど。

ドライヴとヘッド・ハンターは同じ日にツタヤで借りて、2本とも面白いという偶然にびっくり。
ドライヴの主演はスーパー・チューズデーにも出ていた、 ライアン・ゴスリング、良かった。そして、またしてもキャリー・マリガンが光っていた。 監督はデンマーク出身のニコラス・ウィンディング・レフンという人。
ヘッド・ハンターはノルウェーの作家ジョー・ネスボのベストセラー・ミステリーの映画化で、ノルウェー産クライム・サスペンス。
ミレニアムも良かったけど、ここの所、北欧面白し。ハリウッド版のドラゴン・タトゥーにはがっかりさせられて、007も観る気がしなくなってしまったけど、 最後に観て、前半はそんなに悪くなかったけど、前の2本が面白かったので、やはり失望。

私的な2012年の映画キーワードはスティーブ・マックィーン、ファスベンダー、キャリー・マリガン、ゴスリング、北欧。

シェイム




2013.1.21(月) the journey

I've enjoyed the journey to this stage, and so I intend to enjoy the rest of the journey. A long one, I hope.

“人生の特等席”では、監督を若いイーストウッド作品の制作者に譲り、老境に達した野球のスカウトを演じた、82歳のクリント・イーストウッド。
皺しわの顔、いい顔してる。映画は、老い、年をとることが主題。 ご丁寧にも、キレが悪いおしっこに往生してるトイレの場面から始まる。

イーストウッドの年齢までは、まだしばらくあるが、ぼくのこの年齢での、今のステージでの感想も、イーストウッドのこの言葉と同じ感じ。
これまでの旅、いろいろあったけど、総じてとても楽しかった。 出来れば、これからも楽しんでいきたい。

という訳で、遅くなったけど、先週末、近くの愛宕神社に初詣に行きました。 今年も今まで通りの旅を、滞りなく穏やかに継続できることを祈って。
この急な階段を避けて、エレベーターを使ったのは、ちょっとまずかったかもしれない。 最初はここから昇るつもりだったのだけれど、つい一緒に行ったものの言葉につられてしまった。

まあ深く考えずに、エレベーターを使える時は使えばいいか。


愛宕神社
2012.12.31(月) 2012年の終わり

1月には小斎さんコンタバリ夫妻と松田美緒さんのライヴ。芥川賞“共喰い”の田中慎弥氏の記者会見面白い。

2月には夷隅郡大原へ現調。消費増税、閣議決定。仕事ますます難しくなる。

3月には浦安市管理組合連合会シンポジウムで当マンションの震災後の取り組みを説明。 日の出農園にジャガイモの種芋とキャベツの苗を。

4月には京都へ、平等院鳳凰堂、智積院、三十三間堂、祇園白川の夜桜見物、次の次の日、 同じ場所で車暴走7人死亡に驚く。大友克洋原画展に圧倒され、 唐突だがバラガン自邸に改めて惹かれる。

5月には42年ぶりの原発ゼロ、これはたまたまで、7月には大飯原発再起動、あれだけのことがあっても変わらない。 連休は大町で過ごし、あさかわの蕎麦とその環境を堪能。 25年ぶりの金環日食。

6月には首相官邸前の金曜日のデモの人数がどんどん増えていき、香川真司がマンU移籍。

7月には、2011.3.11震災の液状化で傾いた住まいの5つの電気室傾き修正工事完了。 22日義母が老人ホームへ、月末には浦安花火。牛のレバー生食禁止。イチローがヤンキースへ電撃移籍。ロンドンオリンピック開幕。

8月夏休みは大町、須玉の藤森さんの所に寄ってヒマワリ畑へ。消費増税法案成立。 7月のメドベージェフ大統領の国後訪問に続き、竹島にイ・ミョンバク大統領上陸、尖閣諸島に香港の活動家ら上陸。 領土問題顕在化。

9月初め日の出農園にブロッコリーの苗と赤かぶの種まき。末には当マンションの大規模修繕スタート。”暴走老人”切掛に尖閣諸島国有化。 そして反日デモ中国各地に拡大日本車、店舗襲われる。

10月には、映画“ル・コルビジェの家”観る、クルチェット邸の面白さ。沖縄にオスプレイ配備。iPS細胞の山中教授にノーベル賞。 丸谷才一死去、輝く日の宮遅ればせながら読む。いろいろな人が他界、1月石岡瑛子、7月山田五十鈴、11月森光子、 12月中村勘三郎、小沢昭一、そして友人の横堀美枝さん。

11月には、例年通り格さんの展覧会、小斎さんとパブロ・シーグレル・ミーツ・トーキョー・ジャズ・タンゴ・アンサンブル、 素晴らしいシーグレルそして日本勢、 耳に残るバンドネオン。オバマ大統領再選。習近平体制発足。

12月には、母の卒寿の祝い。笹子トンネル天井崩落、衆院選自民圧勝、脱原発派の非力、低い投票率。韓国では初の女性大統領パク・ウネ氏誕生。

3.11から1年9ヶ月、復興は進まず、脱原発は後退するばかり。住んでるところの震災復旧工事、大規模修繕工事が順調に進んでいるのが救い。
AXNミステリーのせいでスエーデンに、音楽、映画ではアルゼンチンに、興味が向かった年、ミレニアム、刑事ヴァランダー、クルチェット邸、ピアソラ、シーグレル、最終目的地。 そして相変わらずイギリス、ポルトガルにも、ダルジール警視、シルク、最後に見た007スカイフォール、マリーザ雨.....



コンタヴァリさん ひまわり パブロ・シーグレル 母誕生日
2012.12.21(日) 山崎中バスケット部

手術やら何やらでいろいろ大変だった、という織田君からの大分前の電話が切っ掛けで、ここにきて久しぶりに、山中バスケ部同窓会。
織田君はそんな訳で酒が飲めず、岡本君はあまり食べられない。

このnotesの2007.6.27を見ると、
“今日27日は、腰の手術で入院していた織田君が退院する日です。 少し前には岡本君の入院、手術があリましたが、とにかく二人とも無事退院できてよかった....”とあります。
僕と樋口君は、二人に比べてあの頃も今も、わりと丈夫、あまり飲まないので、よく食べました、特に僕は。樋口君は例によって、最後寝てました。
ダイアリーを辿ってみたら、中学以来初めて再会し、最初に集まったのは1996年の10月1日でした。
新宿東口交番前で待ち合わせて、織田君馴染みの玄界灘という店。
(新宿の豪華で山崎中の同期会が、同じ月の12日にありました。)
もう16年もたっていたとは、ホントにTime fly。
最初のころは年2、3回会っていた気がします、いろんなところで。最近は年1回になっています。
違う人生を歩んできた4人が、中学の3年間一緒のクラブにいたという縁だけで、こうして集まっている、ちょっとフシギで、とても面白い。



山崎中バスケット部
2012.12.9(日) 銀杏、ホークスムーア

スエーデン大使館の裏に2本の大銀杏があって、黄葉の季節のちょっとした楽しみです。 ここ数年、真っ盛りの黄葉を見逃していましたが、今年も気づくのが少し遅く、すでに大分散っていました。 それでもなかなかの見ものです。

ずーっとほうっておいたtracesを今年は少し更新して、“英国の4人の建築家 マッキントッシュ、ラッチェンス、ソーン、ホークスムーア” (+番外のスカルパ)として一応整理しましたが、ここにきて改めてホークスムーアに興味が湧いてきています。
以前この文章を書いた頃に比べると、ホークスムーアについての英国内での関心も大分高まってきたようで、 スピトルフィールズのクライスト・チャーチを始めとする7つのロンドンの教会を舞台にしたピーター・アクロイドという作家の 、ずばり“HAWKSMOOR”というタイトル(主人公も)の小説が結構評判になったりもしているようです。
邦訳“魔の聖堂”(新潮社刊)をアマゾンでとって読み始めましたが、どうも最近小説が読めず、ページが進みません。
また本屋で女性雑誌のロンドン案内を立ち読みしていたら、ケンジントン・パレスのオランジェリーの、 列ができるアフタヌーンティーというのが紹介されていました。この建物もホークスムーアの設計です。

Vaughan Hart という人の "Nicholas Hawksmoor: Rebuilding Ancient Wonders (The Paul Mellon Centre for Studies in British Art)" もアマゾンでとってみましたが、こちらのほうはかなり面白そうです。
クリストファー・レンやジョン・ヴァンブラの下であるいは協働者として、彼がどういう役割を果たしたのか、改めて興味深く読み進めています。

400年前、日本でいえば江戸時代の話ですが、英国の建築家の話は、結構、現代の建築家の置かれている状況につながっていて、とてもおもしろく感じます。


銀杏
2012.11.20(火) みんなで一緒に暮らしたら

ジェーン・フォンダがいい感じで、年をとっていました。“みんなで一緒に暮らしたら”というフランス映画です。

2か月位前に、新聞に世界の老後というシリーズでフランスの異世代同居についての紹介がありました。
ひとつは“独居より疑似家族”というタイトルです。1989年に出来た法律で始まった制度、一人で暮らせない高齢者を3人まで、県の審査をパスした家庭が受け入れるというもの。
もう一つは“若者と同居 支え合う”というタイトルで“二つの世代のアンサンブル”という2006年設立の非営利団体が進めているもので、 登録した、一人暮らしが心配な高齢者と高い家賃が負担の学生を取り持っています。これまでに1千組を取り持ったそうです。
この映画では、昔からの友達だった二組の夫婦と独身者という5人の高齢者、ジェーン・フォンダはほぼ実年齢に近い役で、大体74、5歳の人たちが、 中の一人の独身者のケガによる老人ホーム入りを切っ掛けに、一緒に住むことにするという話です。
老人ホームは、この映画でもあまり好もしいものとは思われていませんが、 ぼくもどうも、誰もかれも一緒くたにして集団生活を強いる老人ホームに抵抗があります。
重度の認知症などの人や、介護が必要な人にはやむ得ない場合もあるかもしれませんが、普通の高齢者には、もっと小規模で、世代の混ざった、生活の 場所、あるいは生活の形のヴァリエーションというものがある気がします。
日本でも異世代同居の試みや、シェアハウスのようなさまざまな試みが、いろいろなところで行われているようですが、 今や4人に1人が高齢者と言われる、高齢化先進国の日本ですから、 もっともっと試行錯誤が行われて、さまざまな居住形態を容易に選択できるようになり、老人ホームが例外的な場所になってくれたら、と思います。


みんなで一緒に暮らしたら
2012.10.23(火) ル・コルビュジエの家

実は先週は“最終目的地”と前後して映画“ル・コルビュジエの家”も観ました。
“最終目的地”はウルグァイの話ですが、真田広之のインタヴューを見ると、実際はアルゼンチンで撮影されたようです。
偶然この“ル・コルビュジエの家”はアルゼンチン映画で、ブエノスアイレス州のラ・プラタにあるル・コルビュジエ設計のクルチェット邸が舞台です。
成功したデザイナーのレオナルドの住む“クルチェット邸”の隣にビクトルという得体のしれない男が引っ越してきて、突然窓の真ん前の 隣家の外壁に穴をあけて窓を作り始めるという暴挙に出るというところから始まります。
建築関係者には馴染みのこのクルチェット邸は、コルビュジエが南米に建てた唯一の住宅で、 コルビュジエは一度も現場を訪れず、現地の建築家によって完成されたということです。
映画を観た後、改めてコルビュジエの作品集を引っ張り出して、その構成を確認してみると、シンプルで素直で、なかなかに好もしい住宅で、こういうのも今更ですが、 ル・コルビュジエはやはりいいなあと思わせます。
戦後の1948年頃の設計で、このころは煉瓦造のジャウル邸ができるちょっと前で、コルビュジエがブルータルな方向に向かっていた頃ですが、 突然その流れと違う、20年代の白い住宅の系列がここで復活しています。サヴォア邸からは約20年後です。

映画を観て、クルチェット邸で印象に残ったのは、スロープと住宅のど真ん中にある巨木です。 コルビュジエの住宅には欠かせない“建築的プロムナード”と呼ばれるスロープが、人が実際そこを動くことで、とても魅力的に見えます。 余計なことですが、多分日本の建築基準法の最低限の勾配1/8よりはきついと思われます。
巨木は、もともとの図面にもあって、昔の写真では細い樹ですが、映画では、居間からこの樹を見上げたショットがあって、 青い空をバックに枝が広がり、強い存在感を放っている素晴らしいショットでした。 コルビュジエの図面には独特の表現の樹が必ず書き込まれていますが、やはり樹が空間の構成に果す役割の重要さを思ってのことでしょうね。


クルチェット邸 クルチェット邸
2012.10.21(日) 最終目的地

ジェイムズ・アイヴォリー監督の“最終目的地”観ました。
しばらく映画館に行ってなかったのですが、これはよさそうな気がして、新宿まで行きました。
アルゼンチンの隣、ウルグァイが舞台です。地図で見るとブエノスアイレスのすぐ北ですね。 昔GLCで働いている頃、同僚建築家にウルグァイから来た女性がいました。 リンドハースト・ガーデンズに住んだ後の移転先を探している時、タフネル・パークの貸家を紹介してもらったことを想いだしました。
ただ一作のみゴンドラという小説を書いて自殺した、ユルス・グントという作家の、妻キャロライン、愛人アーデンとその娘ポーシャ、兄アダムとその男の恋人ピート(真田広之)が、 人里離れた“オチョ・リオス”という館に、奇妙なそして穏やかな共同生活を送っています。
そこへ作家の伝記を書く許しをもらうために、 アメリカから大学教員のオマー・ラザギが訪ねてきたことから、住人たちに少しずつ変化が起きる、といったようなストーリーです。
魅力的なロケーション、俳優たち、その会話、そして音楽も、とても素晴らしく、まさしく好きなタイプの映画です。音楽はホルヘ・ドレクスレル、ウルグァイ人です。
アンソニー・ホプキンス、真田広之、ローラ・リニー、みんなとてもよかったのですが、シャーロット・ゲンズブールの静かな雰囲気、何気ないファッション、素晴らしく こんなに魅力的な女優だったとは知りませんでした。写真だけではわからない。


最終目的地
2012.10.2(火) Mariza-Chuva 雨

雨 Chuva

人生の普通のことに
サウダージは感じないけれど
傷付けられた思い出、微笑みを誘う思い出に
サウダージは、呼び起こされる

辿ってきた人生の思い出の中には、忘れられない人がいる
なまえを聞いても、
何も感じない人もいるけれど

私の中にはサウダージを呼び起こす感情がある
あなたの横でかつて抱いた、
そして最後には失ってしまった感情が

私の心には、しるしの刻まれた日々がある
そしてあなたに置き去りにされた、忘れられない日が

雨は濡らす
冷たい、疲れきった私の顔を
そしてあの都市の、私が通り過ぎたすべての街路を

あー途方に暮れた少女は、涙を流し
都市に向かって叫ぶ
雨に打たれて、恋の炎は今死に絶えたと

雨は私の秘密に耳を傾け
都市と一緒にその秘密を呑み込む
そしていま、雨は私の窓を叩き
また呼び起こす、あのサウダージを

マリーザをユーチューブで、このところまた観ていたら、改めて感動しました。 日比谷公会堂でライヴを見たのがやはり10月でした、3年前の。圧倒的な存在感です。 ポルトガル語がわからないので、英訳から日本語に訳してみましたが英訳がいろいろあって難しい、今一つ。 Mariza-Chuva
感動的なもう一曲。 Mariza-People of my land




カメ
2012.9.14(金) 椅子

パソコンに残してある昔の竣工パーティの写真の右端に写っている椅子、見にくいですが、この椅子です。
時々集まる高齢者環境デザイン研究会と呼んでいる会で、椅子の話題になった時に、 そういえばあの素敵な椅子なんていったかなーと思い出せないまま、気になっていた椅子、この仲間です。

カッシーナのカタログをネットで調べたけど見つからない、もう扱ってないようです。
打合せ記録で、“Incisa”ということがわかったので、もう一度ネットで検索してみて、見つかりました。 マジストレッティのデザインで、デ・パドヴァというメーカーの製品です。サイズの少し大きいのが、“Serbelloni” というようです。両方とも4本足と5本足、キャスター付となしのタイプがあります。 さらに大きい、ソファが、“Louisiana"といいます。

クライアントと一緒にカッシーナに家具を見に行ったとき、この椅子を見て、座って、気に入ってしまいました。 カッシーナのショールームには、下の写真のように、明るい色のレザーと白いファブリックのタイプの“Serbelloni”と やはりマジストレッティの“Shine"というテーブルを組み合わせて展示していました。
クライアントも気に入って、ベリーニのキャブとこのIncisaを、黒の革張りで合わせて、混ぜて食堂の椅子にしました。

“Serbelloni”、この独特のデザイン、いろいろなテクスチャーの組み合わせがありますが、 特にこの明るいレザーと白いファブリックの組み合わせが、質感と色合いも、座り心地もとてもいい椅子で、ずーっと記憶に残っています。



竣工パーティ セルベローニ
2012.9.5(水) 今年の夏休み

8月の20日の週に夏休みをとり、大町に行きました。
今年も盛りを過ぎた蓮の花の畑を見に行きました。大半は散り始めて
いましたが、 まだ蕾もありました。変わらず繊細な美しさです。
今年はなぜか休耕田の多くに蕎麦がうえられ、花が咲き始めた一面
の蕎麦畑の風景を楽しむことができました。
また安曇野の例の蕎麦やに行ってみましたが、試しに電話で予約して
行ってみたら、待たずに座れました。 時遊庵 あさかわです。こんな手
が許されるとは!何時間も待ってる人がいるのに、でもラッキー。
あさかわの庭も、菜の花に替わって、蕎麦畑になっていました。

家に戻った週末は、大規模修繕の住民説明会でした。9月一杯で、震
災復旧の工事が終わり、いよいよ大規模修繕工事が始まります。


蓮の蕾


あんなに揉めたのがウソのように、震災復旧、次は大規模修繕と、粛々と工事が進んでいきます。

先週末は久しぶりに日の出農園に行って、草取りをして、畝を耕しました。途中で雨になり、午後肥料をやりに行こうかと思っていたら、 富田さんからのメールで、耕運して、肥料をやり、うえるだけにしてくれたとのこと、助かりました。今週末、苗をうえ、 種を撒きに行こうと思います。

それと小川格さんからのメールで、近代建築の楽しみというHPを開設したとのこと。早速読んでみましたが、これがとても面白い。
さすが熟達の建築ジャーナリスト。ぜひ見に行ってみてください。
近代建築の楽しみ


蕎麦の花




2012.8.23(木)ロゼッティ

先週、バーン・ジョーンズの展覧会を三菱一号館の美術館で観ました。

英国で働き始めて、少し落着いた頃だったと思いますが、、ダンテ・ガブリエリ・ロゼッティの 大々的な展覧会があって、初めて知るこの画家の絵にすっかり魅せられてしまいました。 ロイアル・アカデミーで同窓だったロゼッティ、ハント、ミレイが起こしたプレラファエライト、 ラファエル前派の運動も、初めてこの時知りました。
しかしラファエル前派の言う、ラファエル以前に戻れという主張が、 今ひとつよくわかりませんでした。ラファエル以前と以後でどう違うのか?
改めてウィキペディアなどでみてみると、多分、19世紀当時の英国のアカデミーが規範にしてきたラファエル以後のルネッサンスの古典主義偏重の美術教育への叛旗、 つまりは既存の権威に抗する若者達の運動ということだったようです。この3人の結束も数年で解散したようですが。

英国滞在中、ロゼッティの展覧会のあともラファエル前派に興味を持って、弟分のバーン・ジョーンズもテイト・ギャラリーで 観たりしましたが、ロゼッティほどのインパクトは感じませんでした。
今回観て、バーン・ジョーンズはバーン・ジョーンズの魅力がたくさんありますが、 やはりちょっと物足りない気がしました。

技術的な差ということも多分ありますが、ロゼッティの絵のモデル、ウィリアム・モリス夫人のジェーンの特徴のある顔が、 ロゼッティの魅力に貢献していることは間違いありません。 日本でも青木繁、藤島武二など影響を受けたそうですが、おそらくこの特徴ある顔が一役買っています。
もちろんジェーンそのものと言うより、ロゼッティがジェーンを材料に作り上げた、特徴ある造形ですが。




Proserpina
2012.7.31(火) 花火

浦安の花火。空き地がなくなるので、今年で、今度こそ最後かもしれません。
家の真ん前でやるので、どしーんと響くなかなかの迫力です。 今年は自治会役員、お役御免で、ゆっくりと家で飲んで食べてみんなで楽しみ、スカーッとしました。

昨日はロンドンオリンピック、柔道の松本薫の野獣の目。久しぶりに癖の強い役者を見て、感動。

ロンドンも長いこと行ってないので、随分変わったようで、前回書いた、建築家ホークスムーアを画像検索すると、建築と一緒にステーキ屋が出てくる。 “HAWKSMOOR  A BRITISH STEAKHOUSE AND COCKTAIL BAR"とある。

それと素敵なティールームが出てくる、オランジェリー、。こんなティールームぼくらがロンドンにいるころにはなかったと思う。
もともと果樹、オレンジを栽培する温室の建物、庭園の構成要素としての一パーツ。
ケンジントン・パレスのオランジェリーはホークスムーアの設計らしい、知りませんでした。 ニコラス・ホークスムーアどうも今や結構知られてるらしい。
暫く行ってないけれど、いいな、ロンドン。 ホークスムーア、ラッチェンスも見たいなあ。

ところで、BIG MENUが、ブログ始めました。クリックしてみて下さい。
BIG MENU の




花火
2012.6.24(日) モーソリウム

ラッチェンスに続いてNicholas Hawksmoor(1661-1736)について昔書いたエッセイをデータ化してtracesにアップしました。

1661年生まれというと、生没年の特定できない俵屋宗達と同じ世紀に生きていて、おそらく宗達が亡くなって20年後くらいに生まれています。
日本の画家と英国の建築家、全く異なるところにいる二人ですが、昔の自分の文章を改めて読み返してみて、 なんだか面白さに共通したところがあるような気がしてきました。
キャッスル・ハワードのモーソリウムを始めてみた時感じたなんとも言え




ぬ高揚感は、醍醐寺で舞楽図屏風を、 承天閣美術館での蔦の細道図屏風を見た時に、感じたものと似ています。
ホークスムーアは実際には行って見たことのないローマ建築に憧れ、図版から学び、そのモチーフを自分の建築に取り入れています。ローマだけでなく、 教会の尖塔に突然ピラミッドが出現したりします。
宗達は、絵巻などの先行する作品から描く絵のモチーフを持ってきて、コラージュのように並べ替えたりしています。 舞楽図屏風もそれぞれ違う舞楽の先行する絵を、画面構成のためにコラージュしています。
絵や建築のつくり方がちょっと似ていて、面白いなあと思います。


モーソリウム







2012.6.3(日) ジェーン・エア

ここの所週末は、住んでいるマンションの、自治会や大規模修繕委員会にとられていましたが、 久し振りに空いた日曜日の朝、思い立って映画を見に日比谷へ出掛けました。

とにかくイギリス映画はハズレがないという確信と、AXNミステリー・チャンネルの5月のイギリス特集で このところよく見る、荒涼とした英国の地方の風景をもっと見たくて、お馴染みのシャーロット・ブロンテの “ジェーン・エア”がいいかな、と。

原作はおそらく中学くらいの時に読んだ記憶がかすかにあるが、ストーリーは全く覚えていない。
ぼくの好きなニコラス・ホークスムーアとジョン・ヴァンブラ卿設計の、キャッスル・ハワードがあるのはヨークシャー州、その 南に隣接するのがダービーシャーで、そこが舞台です。 撮影には11世紀にに建てられた歴史のある、ハドン・ホールという、初めて聞く邸館が使われています。 チャッツワースも一部で使われているそうです。
広大な荒地、ゴツゴツした岩の丘、ぽつんと建つ建物、荒涼とした英国の地方の風景をもっと見たいという、望みは十分に満たされました。 監督は30代の日系のキャリー・ジョージ・フクナガというアメリカの人ですが、母がオーソン・ウェルズ、ジョン・フォンテーン主演の 1944年の映画“ジェーン・エア”を大好きで、その影響で小学生の時に、そのヴィデオをすり切れるほど繰り返し見たと言っています。

映画の後、近くの店でビールを飲んで、お昼を食べました。前には泰明小学校があって、ずっと眺めていましたが、心和む、魅力のある建物です。 中央区の区立で、関東大震災のあと建てられた3階建ての地震に強く燃えないRC造の“復興小学校"の一つで、 東京市土木局建築課の設計、担当は原田俊之助という建築家です。
日曜の昼にのんびりするのには、うってつけの場所、風景でした。


泰明小学校



2012.5.15(火) 安曇野の蕎麦屋

連休中に大町に行って、美味しい蕎麦屋を見つけました。

今年は暖かかったのか、例年なら丁度見頃の有明神社の桜がもう散りかけていて、残念でしたが、 ただ庭の山桜は、はじめて美しい満開の姿を見せてくれました。
葉っぱの混じった山桜で、好もしい姿をしています。
隅にあったタラの木は、梯子に登らないと丁度食べごろのタラの芽が採れないくらいに、 大きくなっていて驚かされました。
幹も結構太く、周りにも10本以上の背の低い、タラが群生しており、 タラの芽畑の様相を呈し、これから楽しみです。
3日目に“KURA”というタウン誌に出ていた安曇野の蕎麦屋に行ってみましたが、11:30開店というので、12時頃に行ってみたら、 もう駐車場は一杯で、その日の分の蕎麦はもう終わりという、盛況ぶりで、諦めて近くの前からある店に入りましたが、今一つで、やはりこんなものかとがっかり。

諦めきれずに次の朝、また行ってみました。たかが蕎麦屋と思ってどうしようか迷っていたので、またもや出遅れて、またまた満員、ぎりぎり最後くらいに 滑りこんで今日は、なまえを書くことが出来ました。たかが蕎麦とバカバカしくもなりましたが、庭が広く、菜の花は花ざかり、無数の野草がうえられ、 その手の入れ方が、一見自然に任せているような、好もしい有りようで、こういう人の打つ蕎麦はいいかもしれないと、それから2時間待たされましたが、期待も膨らみます。
さて、その蕎麦は普通の蕎麦でした。いつも家で打つ蕎麦は、下手ながら、打ちたてをすぐ茹でるので、蕎麦の香りが立ち、一番美味しいと思っていましたが、 その感じに近く、外で初めての蕎麦の香りがする蕎麦に出会うことが出来ました。
朝打って、また出してる途中でもう一度打つというから、打ち立てです。実に美味い。

庭には1万株、200種類の山アジサイがうえられているそうで、6月半ばには見頃を迎えるということでした。いつか、その頃に来てみようかと思います。


蕎麦処



2012.4.30(日) 大友克洋原画展

今月は桜の他にいいものを見ました。大友克洋原画展です。

大友克洋と言えばかつての“AKIRA”ですが、あまりにも長く、出るのに間があいたこともあって、 途中でぼくは挫折しましたが、かつて“童夢”には驚き、感動しました。

“AKIRA”の全原画が展示されています。圧倒的な迫力でした。 素晴らしい丸ペンの細密画、初めて見た“青い鳥”の絵はすごい。 構図の美しさは、日本の絵画の伝統に脈打つの独特の空間感覚。俵屋宗達に匹敵する、2次元の空間センス。 感動的です。

全然関係ないですが、今月はAXNミステリーチャンネルにすっかりはまってしまいました。
今年がロンドン・オリンピックの年なのにかこつけて AXNミステリーチャンネルでは、英国特集っていうのをやっていて、何本もイギリスの刑事物をやっている。 “バーナビー警部”“リンリー警部 捜査ファイル”“刑事ヴァランダー”...。みんな田舎が舞台で、特に“ヴェラ~信念の女警部~”に出てくる 英国の田舎の風景の美しさには、目を瞠らされました。風景の一部になっている、窓の少ない、組積造の、ヴァナキュラーな住宅建築の、何でもない美しさ。 美男、美女とはいえない主人公、ヴェラのブレンダ・ブレシンもいいが、特に“ダルジール警視”役のゴリラみたいなウォーレン・クラークは魅力的です。 時計じかけのオレンジに出ていたそうですが、今度、見なおしてみます。

大友克洋原画展

ダルジール警視


2012.4.29(日) 枝垂れ桜 六義園と京都府庁

今年の桜は少し遅目でしたね。バタバタしていても年に一度の桜見物は
欠かせません。 書くのが遅くなりましたが、例によって開花情報を見て、今月4日、六義園の夜桜を見に行きました。 月と桜。

六義園の枝垂れ桜
次の週、11日の京都府庁の桜、満開の時期をほんの少し過ぎていました。 “なかじん”の和と“イル・ギオットーネの洋、2つの食の絶品を楽しみました。

京都府庁の枝垂れ桜







2012.3.30(金) エドウィン・ラッチェンス卿

久しぶりにtracesを更新しました。美術手帳のマッキントッシュの文章に、長い間ずっと欠けたままだった図を加え、 次にカラムに書いたラッチェンスについての文章をアップしました。信じがたいことに、30年近く前に書いたものですが。
ラッチェンスはマッキントッシュより1歳若いだけで、ほぼ同時代の建築家ですが、 この二人の人生は全く対照的です。

ずっとハニーマン・アンド・ケピーという事務所の所員だった寡作のマッキントッシュ、 40歳代、そして第一次大戦以後はほとんど建築作品を作っておらず、ただ素晴らしい絵画作品は残して、 60歳で失意のうちに亡くなっています。
一方、クライアントに恵まれ、 インド総督邸の仕事を得たのちは事務所を大きくして、第一次大戦を通り過ぎ第2次大戦直前まで約300という 作品を75歳まで作り続けて亡くなったたラッチェンス。
英国における建築の歴史の中で、飛びぬけて傑出している二つの才能が、 こんなにも違う人生を送ったというのは、とても興味深い事実です。
建築家の人生が、才能だけでなく、出自、性格、地域、家族関係、場合によっては、運なども、 その他さまざまな要素によって、違ってくる、


エドウィン・ラッチェンス卿


これは 他の職能にも多かれ少なかれあることかもしれませんが、 注文されなければ、いくらその気、意欲があっても結果として示せない、この仕事独特のものがあります。 まあ、かといって、二人の人生を比べるのは面白いけれど、もっと面白いのは二人の作品そのものですから。

ここまで書いて、以前にも似たことを書いた気がして、手繰ってみるとありました。このnotes2006年2月17日リンデスファーンの項です。
“1903年頃、エドウィン・ラッチェンス卿が、廃墟になっていたこの城の改築に 携わったこと、しかも マッキントッシュが、その前後に幾度もここを訪れており、 城のスケッチを何枚も残していることなどは、後になって知りました。
僕の好きな、この二人のイギリスの建築家、同時代人でありながら接点のなかった二人が、 すれ違っている唯一の場所、リンディスファーンは、僕らにとっても、今も時々思い出す とても懐かしい島です。”
と書いています。リンディスファーン、いいところでした。

ウィキペディアで調べたてみたら、昨日3月29日は、偶然にもラッチェンス卿の誕生日でした。


チャールズ・レニー・マッキントッシュ




2012.2.28(火) 2012年の映画

1.キック・アス
2.ヒアアフター
3.ジョージ・ハリソン リヴィング・イン・ザ・マテリアル・ワールド
4.ソウル・キッチン
5.ミッション:8ミニッツ
2011年に観た映画の本数は、あまり多くなく去年なみで、DVD、CATVの旧作含めて79本、その内映画館で観たのは12本。 去年にならって、
2011年の映画館で観た映画の、ベストファイヴを書きだしてみました。
たったの12本の中のベストファイヴなので、相変わらずの自分のための覚え、あるいはメモ程度の意味しかありませんが。 “キック・アス”は2010年公開で、前にも書いたし、外そうかと迷いましたが、強烈だったのでやはり入れときます。
“ヒアアフター”はクリント・イーストウッド監督作の中ではそれほどでもなかったのですがが、やはりあの3.11の1週間前に観た、洪水シーンの衝撃力で。
ワーストは“アジャストメント”最悪です。
そしてDVD、CATVの放映の旧作ベストファイヴは、
1.息もできない 2010年公開
2.バッド・ルーテナント 2010年公開
3.ミレニアム1,2,3 2010年公開
4.ぼくのエリ 200歳の少女 2010年公開
5.トゥルー・グリット 2011年公開





ヤン・イクチュン監督、主演の韓国映画“息もできない”は、“キック・アス”と共に、去年観た映画の中で新作も含めてのベスト・ワン。女子高生役のキム・コッピ という人、よかった。ヤン・イクチュン、韓国映画には次々と新しい才能が出てきます。

ヴェルナー・ヘルツォーク監督、ニコラス・ケイジ主演“バッド・ルーテナント”も、久し振りにニコラス・ケイジ、いいと思いました。ここでも相手役の女優、 エヴァ・メンデスよかった。やはり映画はかなりの割合で、女優の良し悪しにかかっている。

年末に、ツタヤでたまたま借りたミレニアムが面白く、ハマってしまい、CATVの完全版も今年になってみてしまいました。リスベット役のスウェーデンの女優が良かった。 リメイクは、まだ見ていないけど、どうなんだろうか。

このところリメイク物が多い、“バッド・ルーテナント”も“トゥルー・グリット”もそうらしいし、 “ぼくのエリ 200歳の少女”は上唇がひっくり返る“キック・アス”のクロエ・グレース・モレッツが主演で“モールス”という題で、公開されましたが、 見よう見ようと思いつつ、いつの間にか終わっていました。あまり評判にならなかったようですが、きっと面白いに違いないと思います。


2011年の映画







2012.1.31(火) 2012年の始まり

瞬く間に一月が過ぎていきます。

2年ぶりに行った健康診断で、エコーで肝臓に脂肪があるというので、 年をまたいで、八重洲クリニックに行ってCTスキャンを撮ったり、こっちはとりあえずなんともなく健康体でしたが。
自治会の餅つき大会があったり、小斎さん、コンタバリさん夫妻と松田美緒さんのライヴに行ったり、と盛りだくさんの1月でした。

年末の胃カメラの麻酔で、検査室で寝てしまったのが多分原因で、年末、正月はずーっと風邪を引いていました。
グズグズ長引く風邪に、これではいけない、ケリをつけようと、やっと先週、1ヶ月ぶりにプールに行きました。

土曜日は相変わらず毎週毎週、大規模修繕委員会に出ていますが、やっと外構修繕の見積り合わせの図渡しが出来ました。

この日曜日には、コウスケのリクエストで、生牡蠣を取り寄せてみんなで集まってたらふく食べました。 ノリコさんがネットで探した、赤穂の牡蠣です。
VINO E PASTAの橘さんに聞くと海苔の香りがしておいしいとのことで、届くのを楽しみにしていました。
殻はちょっと小ぶりに見えるのに、身はタップリと丸々としていて、 海苔の香りは、はっきりとは僕にはわかりませんでしたが、食べに食べて堪能しました。 他にも、牛すね肉の赤ワイン煮、蟹ご飯、豚肉のサラダ、デザート、締めにスパゲッティ…。という具合に、 ウチでは人が集まると、これでもかという具合に出るので、かなり強烈です。 また僕以外の人々はよく飲むので、一人だけ置いていかれます。まあ大体、途中からソファで寝てますが。

この他に、久し振りに橘さんのVINO E PASTAへも、先週お昼を食べに行きましたよ。 相変わらず美味しい、コンタバリさんにもここを教えてあげればよかった。

世の中にも、自分の中にも、気が塞がることの多い、今日この頃ですが、今年もこんな具合に美味しいものを食べて、 そういうもろもろを少しでも、吹き飛ばしながら進むとしましょうか。




vino e pasta 牡蠣
2011.12.31(土) 2011年の終わり

1月にはスタジオKの各社見積りが上がり、減額案、建築主とのの調整、最終決定、 出光美術館「酒井抱一生誕250年 琳派芸術ー光悦・宗達から江戸琳派《展の宗達スクールに驚嘆し、

2月には映画「キック・アス《が面白かったので、原作コミック、そしてBDバンド・デシネの「アランの戦争《と「アンカル《も購入、 「アランの戦争《面白い。そして長澤蘆雪晩年の作「月夜山水図《にはっとさせられ、またニュージーランド地震、大きな被害、

3月には4日にクリント・イーストウッドの「ヒアアフター《を観てリアルな津波の映像に震撼した丁度1週間後に、 それが現実となった東日本大震災。浦安も液状化でマンションのライフラインの仮復旧に自治会長として関わり、

4月には福島原発事故は「レベル7《チェルノブイリ級に、新聞、テレビの報道に怪しくもどかしい違和感、

5月には連休を大町で過ごし、

6月には「高齢者環境デザイン研究会《発足、自分たちも含まれつつある高齢者、自分が住んでもいいと思えるような施設、果たしてあるのか? 7月3日には黒坂くんの創生会の特養「青葉《を手始めに見学し、

7月には、サッカー女子日本代表、ギリギリで追いつきPK戦でアメリカ下し、ワールドカップ頂点に感動、

8月には、ロンドン暴動、全国に飛び火。野田氏、海江田氏破り、民主党代表に、今にしてこんなにひどいとは。 浦安花火復活

9月には去年果たせなかったお墓参り。台風12号の豪雨被害、ノリコさん深センへ、後半二人で再度深センへ。

10月には高級ホテル最上階レストランにてノリコさん中国人シェフを率いて特別料理、中野k邸の確認、構造で引っかかり、ヤキモキ、 そしてタイでは水害で国土の3分の1が水没。

11月には深センプロジェクト、そしていよいよ義母の老人ホーム入りを検討、

12月には金正日総書記死去、しばらくは上気味な朝鮮半島。ここに来て風を引いてしまいました。

何と言っても東日本大震災、津波、そして原発事故と大変な年でした。直近の家族、親友をあっという間に失うという たくさんの人の経験、これからの数年で日本の真価が試される、本当に駄目だとは思えない。何かが変わる。




スタジオK BIG MENU試食会 深センの厨房
2011.12.25(日)震災復旧

いろいろなことをやり残したまま、いつの間にかクリスマス。
今日も3時からクリスマスイルミネーションの片付けと、夜は自治会、管理組合を一緒にする話し合い。 マンションには、管理組合と自治会が並立して、殆ど別々に活動しています。 去年自治会の会長をやって、震災に遭遇し、予算がなく何もできない自治会が防災のためには重要なことがわかりました。 任意加入の自治会と、強制加入の管理組合、が並立する矛盾、ずっと変だと思っていましたが、 一緒にするには、なかなか大変な工程が要ります。

今年はそんなこんなで、自治会の副会長と、大規模修繕委員会で、土日がほとんど潰れました。
3.11の液状化による被害の復旧は、長い間検討、話し合いを続けているけれど、長期修繕積立金から 12年目の大規模修繕をやらねばならず、その残りを復旧費に当てるしかないので、大規模修繕のうちの一部を 先延ばしにして資金を捻出しても、できることは限られてきます。
散々検討した結果がこれか、と情けなくなるような内容。
おそらく実情を知らない住民も、この程度の復旧のための話し合いに、 そんなに時間がかかってるなんて夢にも思わないでしょう。


姫リンゴ



2011.12.10(土) 物質世界

Here comes the sun
Here comes the sun and I say
It's all right

アビーロードのB面最初のこの曲、そして“Cloud Nine”、20年ちょっと前、 設計していたライヴハウスに、クライアントが道楽とか蔵人とか言ってるところを じゃあ、その頃出たこの曲のタイトルどうかと、提案してCloud Nineとつけたのを思い出します。
ジョージ・ハリスンの没後10年、映画ジョージ・ハリスン「リヴィング・イン・ザ・マテリアル・ワールド《が もう終わるというので先週末慌てて、観に行って来ましたよ。(実際はまた延期されて、もう少しやってるようですが。)
4時間近くで、途中に休憩が入る長時間の映画でしたが、飽きませんでした。
一言で言うと、ジョージ・ハリスン、なんていい奴なんだ、という感想。
弱っている彼を見舞い、娘が脳腫瘊なので、これからボストンに行かなくちゃならないと言う、リンゴに 「一緒に行ってやろうか《という。それがリンゴにとって、最後の言葉になったという。
この映画に出てくる人々、マッカートニーや、クラプトン、オノ・ヨーコ、そしてこの映画を作った夫人のオリヴィアの 話を聞いていると、この人の、人に対する姿勢は生涯ずっと、みんなこんな調子だったようです。
昔「「リヴィング・イン・ザ・マテリアル・ワールド《のLPの裏の写真、芝生の上の白いクロスのかかったテーブルで、 ジョージ・ハリソンを中心にみんなで食事をしている写真がとても気に入って、ずっと記憶に残っているのだが、 あの庭園は、1970年に彼が買って死ぬまで住んだフライヤーパークだろうか?
彼は庭いじりが大好きだったようで、池をこっちへ移したり、自分で色々やっていたといいます。 彼をあのケイパビリティ・ブラウンになぞらえた人もいたと、彼にそっくりの息子が、映画の中で話しています。 ここでケイパビリティ・ブラウンが出てきて、嬉しくなりました。
ちなみにLancelot Brown(1716-83)は、ブレニム・パレスの庭園に見られる、起伏のある広大な芝生、密集した木々の塊、曲がりくねった池といった、 壮大な英国式風景庭園を、生涯精力的に作りづけた造園家。いつも、この庭にはさらに素晴らしくなる可能性、ケイパビリティがあると言うのが口癖 だったことからケイパビリティ・ブラウンと呼ばれています。


ジョージ・ハリソン



2011.11.30(水) 中国でつくる

この間深圳に行って、中国の建築のシステムはどうなっているのだろうと、北京で事務所をやっている、 松原弘典という人の「中国でつくる《という本を、興味深く読みました。
中国では実施設計(施工図作成)は「設計院《という大組織しかできないそうです。 もともと設計は全てここのみがやっていたようですが、 90年代から小組織の日本の設計事務所的な、設計コンサルテーション会社ができ始めたそうです。
また、申請業務は設計者でなく、開発業者などの施主が出すそうです。 コスト・コントロールも設計者は蚊帳の外で、施主が直接業種ごとに分離発注することが多いそうで、 ゼネコンもしたがって日本のように立場が強くないそうです。
また施主が直接コスト・コントロールをするので、施工図段階、現場で勝手にデザインが変えられてしまうことも多いようです。
それでもだんだん施工図まで描く(設計院にハンコをもらう)コンサル会社も出てきているようで、状況はどんどん変わってきているそうです。

そんな厳しい状況の中で一定程度以上の質の建築をつくり続けているこの人、なかなかすごいなあと思います。
そこまで極端ではないけど日本の、特に一級建築士などのシステムも、なんでこんな制度にしたのかと、 いつも憤りを覚えますが、いい建築は常にいいシステムから生まれるとは限らないということでしょうか。
この本で読めるのは、どんな厳しい建築システムの中でも、 建築をつくるということは、その限られた中であらゆる方法を見つけ出して、ベストを尽くすということですか。


中国でつくる



2011.10.16(月) マイルス・デイビス自叙伝

9月の終わりから1週間、香港と隣の深センに行って来ました。深センでは先月家に来た紅子さんにお世話になりました。 なかなかいい街でした。香港上海銀行を初めて見ました。調べたら1985年竣工で、その頃公文氏に言われて、SD誌に発表する ノーマン・フォスターの判り難い英文を、苦労して翻訳したのを思い出します。もう26年も経っているというのは、感慨深いですが、 輝いて見えた建築が、すっかり香港の街中に溶け込んでいて、輝きを失っていました。

9月上旬に小松くんと会食した折に薦められた、小川隆夫のジャズの本が面白かったので、 そのつながりで買った「マイルス・デイビス自叙伝《を、旅行中に読んでいましたが、これがかなり面白い本でした。
70年代に通ったジャズ喫茶で聴きかじったプレイヤーたちが、続々出てきて、また麻薬との戦い、何よりも新しい音楽を求めて変化し続けるマイルスに感動します。 久し振りに聴きたくなり、数少ない手持ちのCDを持ちだしてきて、「ビッチェズ・ブリュー《はLPしかなく、「スケッチ・オブ・スペイン《 と19991年の死の直前の「ドゥ・バップ《を今日は聴きました。いいですね。「カインド・オブ・ブルー《とはまた違う感動があります。

そういえば、マッキントッシュも時代の変化に敏感で、常に新しいものを求めていました。唐突ですが。


マイルス



2011.9.26(月) カシナガ

昨日は朝の9時から1時半まで、長ーい大規模修繕委員会で、疲れましたが、夕方には、小斎さんと、その友達の 深センからの紅子さん、河野さんの娘さん夫婦が来訪。楽しい一日になりました。

ところでおとといの新聞に、「ナラ枯れから京の神木を守る《京都府森林技術センター主任研究員小林正秀さん、という記事がありました。
住宅の現場で使われている木材を見ると、北米や遠くフィンランドからのものがあったりして、法隆寺以来の木の国の国産材が少ないのを、いつも残念に思いますが、 荒れる森林の結果は、こんなところにも出ていて深刻です。「カシノナガキクイムシ《(カシナガ)による広葉樹の枯れ死、ナラ枯れというそうです。
かつては切り倒した木材にカシナガが寄生しても、炭にしていたので被害が広がらなかった。林業の上振、そして薪、炭が使われず、倒木が放置され、どんどん森林が荒れ, カシナガが大量発生し、街中に飛来し、神社の大木が危険にさらされる。
さまざまな対策を工夫しながら、ボランティアとともに防除作業に奮闘する小林さんは、 カシナガを単純に害虫とは捉えず、森の木を放置することの危険性を教えてくれていると言っています。


ドゥルス



2011.9.05(月) 8月の終わり

8月最後の土曜日、27日は浦安の花火大会でした。

震災復興のこともあって、反対の声もあったようですが、打上げ場所になっている売地が、 まだ売れていないおかげで、今年も開催されました。 よかった、こういう時にこそ中止しないで欲しいと思っていたので。
今年も家から打ち上げ場所がすぐ向こうに見えるので、迫力満点。
お腹に響く音が、 震災で亡くなった人への鎮魂の響きにも感じられます。

8月最後の月曜日、29日は小斎さんに誘われて、松田美緒さんのライヴに行ってきました。

新居さんの設計した赤レンガ倉庫にある「モーション・ブルー《というライヴハウスで、なかなかいいところでした。 ベースの沢田穣治とパーカッション、4人の女性ストリングスをバックに“CANTA JOBIM”=「ジョビンを歌う《。 ボサノバの、ではないアントニオ・カルロス・ジョビン。


花火



面白いことに、ジョビンは若いころ建築家を目指して19歳で音楽の道に転身するまで、建築学科で学んでいたそうです。
降り立つ飛行機から見下ろすリオを歌った「ジェット機のサンバ《、リオデジャネイロに行ってみたくなります。 美しい海岸線のリオデジャネイロを、そして幼いころから過ごしてきたイパネマの自然を愛したそうです。

ここのところ、広瀬隆氏や小出裕章氏の最近の新書を読んでいると、二人ともに、新エネルギー、自然エネルギーに懐疑的です。
太陽パネルを国土中に大規模に設置したら、その土地で生息する生物は生きられず、 太陽の恩恵を人間が独占していいはずはないと言っています。
大規模な風力発電も自然を破壊します。なにごとも大規模というのがまずい。
原発を廃絶しても、現在ある火力発電所をフル稼働させれば、新しい発電施設を作らなくとも、それは可能だと言っています。


CANTA JOBIM




2011.8.16(火) 短い夏休み

昨日大町に来ました。予定があって明日帰ります。涼しいです。
ノリコさんは月曜日までいるそうです。
来るとき、例によって松本の「かつ玄《で、豚カツと食べ応えのある海老
フライを、分け合って食べました。相変わらずおいしい。 タップリした量の豆腐サラダも。
通り道の新橋という所にある、確か松本木工館とかいう吊前の店で、10数年前に蕎麦打ちセットを買いました。 川沿いのこの建物はしばらく閉館していました。その建物がカフェを併設したイギリスの骨董家具の店に変わっていました。 ステンドグラスの嵌ったドアやペンキの剥げたドアを大量に並べていて、面白いのですが、これで商売になるのでしょうか。
昨日来る途中、そこのカフェでお茶を飲んだ時にどうもデジカメを忘れたようです。電話しても今日は休みのようで、確かめられません。

このところ忙しかったので、今日はゆっくり起きて、まあのんびりと、 ビール飲んでまた寝たり、散歩したりで過ごしています。デジカメが気がかりですが。



稲 松本の家具屋


まだ津波の傷跡の生々しい東北、まだまだ長い時間のかかる福島の原発、大きな問題を抱えていても、 東京では、日常は淡々と流れて、なにか上思議な感じがします。
明らかにおかしいこのところの新聞やテレビ、携わっている人たちは 変だとは思わないのだろうか。自分たちが方向付けをしているという怖さを感じていないのだろうか。 以前から、二酸化炭素、地球温暖化、自然エネルギーのこと、さまざまな意見があることをそのまま提示してくれていない。 インターネットという選択肢があることがせめてもの救いです。

液状化による被害を受けた新浦安地区。11年目になるマンションの大規模修繕委員会にたまたま関わっていたので、復旧をどうするかで、 頻繁に開かれる会合に出ています。いろいろな人がいろいろな意見を主張して、なかなか前に進みません。 民主主義はつくづく厄介に見えます。必ずしも正しくないと思える意見が、数の力で通ってしまいます。 真剣に関われば関わるほど、ストレスが増して、委員会のあとはいつも憂鬱になります。
まあ、短い間でも場所を変えるだけで、ちょっと日常を離れて、ほんの少しリフレッシュされています。

蓮 かつ玄




2011.7.12(火) 日の出農園

今朝5時に起きて、ノリコさんが収穫してきた茄子とトマトです。1週間前にはまだグリーンでした。

1週間前の土曜日は、日の出農園のジャガイモの収穫祭でした。
ジャガイモの収穫祭の方は途中で失礼させていただき、小さな畑にきました。 日の出中学が、付近の住民に開放している日の出農園のベイシティ新浦安の区画、その中の、 2畝ほどの小さな地面に、自治会の役員になった縁で、去年の暮れから野菜を椊えさせてもらっています。

茄子、トマト


なかなか来れないので、雑草が生え、トマトは地を這っていました。
ジャガイモの地上に出ている部分を引っ張ると、立派なジャガイモがごろごろ出てきて感動しました。 後で量ったら8キロほどでした。
殆ど途中で手当をしないでこの収穫は申し訳ない気持ちです。
地を這うトマトに支柱を立てて起しました。トマトの葉っぱや茎に鼻を近づけると、 懐かしい子供のころに嗅いだ、夏の香りがします。
トマトの隣の茄子を皮ごと齧って見ると、 みずみずしく、今まで味わったことのない美味しさです。

ジャガイモの収穫




2011.6.30(木) ドゥルス・ポンテス

夜、帰ってから何気なしに、今日録画してもらったものを再生していたら、ポルトガルの風景と聴きなれた歌声が、眼と耳に入ってきました。
Amazing Voice 驚異の歌声「ドゥルス・ポンテス《というNHK BSプレミアムの番組でした。最近いいのをやります。
夜一人で仕事をしている時、YouTubeのひとりの歌手を集めたものを、垂れ流しにしたりしますが、この頃は、ドゥルス・ポンテスをよく聴きます。
「カンサオン・ド・マール《(海の歌)は前にも書きましたが、繰り返し聴いてしまいます。ファドの吊曲で、ポンテスを一躍有吊にした曲です。 相変わらず詩の意味がよくわからないのですが、いい曲です。
アマリア/ロドリゲスとポンテスによる同じ曲の聴き比べをしていましたが、圧倒的にポンテスの方に今を感じます。 時代が違うから当たり前でしょうが、今の時代の歌い方というものがあるんですね。
耳慣れた曲をやっていましたが、「オンデイア《という曲です。
“オンデイア”という言葉は、 水をイメージしたポンテスによる造語だということ、初めて知りました。 もはや歌詞はなく、水の流れる様子が、ドゥルス・ポンテスの声という楽器で奏でられます。ここまで来ましたか。
最後に海を見下ろす、緑の木々の間で、やはり歌詞のない「ヌード《という曲が歌われました。



ドゥルス



2011.6.12(日) また伊勢神宮

だいぶ前に買った2冊の本を断続的に読んでいます。

武澤秀一「伊勢神宮の謎を解く*アマテラスと天皇の発明《
川添登「木と水の建築 伊勢神宮《

武澤秀一氏の著作は「法隆寺の謎を解く《に続いて面白く読みました。
663年「白村江の戦い《の敗戦のあとの国家体制の整備、 大陸とは違う独自の 感性の日本化した伽藍配置の法隆寺が再建されます。
さらにその後の壬申の乱の後、天武天皇は、自身を現人神になぞらえた、 スメラミコト(天皇)の概念を創出し、それまでの外来のタカミムスヒに代えて、アマテラスを自らの先祖、皇祖神として祀る、 伊勢神宮をスタートさせます。
天皇制のスタート時点における、伊勢神宮の成立、その伊勢神宮の建築は、伽藍配置を日本化した法隆寺を、さらに推し進めて、 限りなく清浄な、神の言葉を伝える人、という意味の「スメラミコト《、の概念を体現し、 以前から日本にあった穀倉が抽象化されたような、白木で素朴な極めて日本的な建築形態が採用されました。
以前にみたように(2010.2.23)「外圧⇒内戦、そして⇒文化面での和様化の進行《という磯崎説の通りの展開です。

日本史の基礎的な知識ををほとんど忘れてしまっているので、前後関係を読み取るのに四苦八苦していますが、現代へと連綿と続く 日本の大枠の源、伊勢神宮の成立したこの時代は、日本の文化の源ができあがった室町時代と共に、とても興味深い時代です。


伊勢神宮



2011.5.3(火) 今年の桜2

大町に来ると、まだ桜が満開で、盛りは少し過ぎてはいますが。
今年は六義園にも、小石川椊物園にもいかなかったので、ここで少し楽しもうと思います。

豊科のインターから少し行ったところに、、 蕎麦が食べられる落ち着いた座敷やカフェやある「蔵久《という店があります。
本業は花林糖屋さんでその売店もあります。
「犬神家の一族《のロケに使われたという、築200年という造り酒屋だった古民家を改装したそうです。
広い敷地に散在する別棟を、外構も含め、いい具合に改装して全体に心地のよい空間を作っています。
久し振りに来ましたが、蕎麦もなかなかに美味しい蕎麦でした。 帰りに山麓線の、有明神社の桜を楽しみました。

前回「小出裕章氏の講演《を紹介しましたが、今回は 「孫正義氏の講演《 を是非クリックしてみてください。



金山神社の桜


有明神社の桜 海岳院の老桜




2011.4.21(木) 今年の桜

心がすっきりと晴れない日が続き、花の季節も、このままでは終わってしまう、もう10日前になりますが、 はたと気付いて、千鳥ヶ淵に向かいました。
はっきりとしない天気も影響しているのか、例年では信じられないような、閑散とした人出でしたが、 桜はいつもの年と変わらず、淡々と咲いていました。 こんなにも危うい日常の大事さを逆に照らし出して---
ドイツのメルケルが原発全廃の方向に、舵を切ったという新聞記事が出ました。
その直後に新聞に発表された、日本のアンケート調査の結果では、原発全廃を言う人は11%でした。 「玉井一匡氏のブログにあった小出裕章氏の講演《


千鳥ヶ淵



2011.3.26(土)3.11

4日の金曜日に、クリント・イーストウッドの「ヒア・アフター《の、運命を分かつ一瞬の判断で、生死が分かれる冒頭の特撮の津波の場面を観て、 真に迫ったスピード感に感心した、その1週間後に現実が、映画を凌駕して、圧倒する偶然は、夢にも想像できませんでした。 死者、行方上明者合わせると、最近の年間自殺者数に迫る数の人が、一瞬の津波に呑まれてしまうという、恐ろしさ。 その場所に居合わせなかったのたまたまの行きがかりを、ただただ申し訳なく思います。

いつもいつも、どうしてこう人間の想像力を超えた、仕業を自然はやってのけるのだろう。
しかし原子力発電所の、今の様相は、自然の仕業とは違って、十分に予測できたことなんじゃないかと、思えてしまい、炭酸ガス排出量の削減の 方向が原発を進める方向に向いていたことには、多くの人が疑問を持たなかったこと、先を見据えた大局の判断が、いかに難しいことかを感じます。
まだ読んでいなかったときに、ノーベル賞をとってしまったために、ついに川端康成を読む機会を失ってしまった、天邪鬼の僕としても、 みんなが同じ方向を向き始めたときに、横や逆や、いろんな方向に向く自由が、いかに大事かを、思います。

もう2週間経ってしまいました。なかなかこのnotes、何と書いたらいいのやら、更新できませんでした。 3月11日午後2時46分、配筋検査を終えて、近くのパン屋さんに移って打合せをしている時に揺れが来て、コーヒーがこぼれ、慌てて外に出て、 パン屋さんの入っている鉄骨造の建物がグラグラ大きく横揺れしているのを見ていました。目の前で外壁にビシーッとクラックが入りました。 それでもその時は、津波による凄まじいことが東北で起こっていること、全くの認識がなく、電車が止まって、どうやって帰るかばかりを考えていました。

次の日の昼過ぎ、浦安に戻ってはじめて、思った以上の液状化の様相に驚かされました。東北と比べれば、ただ申し訳ないばかりのものですが、 明海大の授業で毎年、説明していた「液状化《の現実は、想像を超えていました。 たまたま輪番の自治会に関係していたので、上下水の復旧作業の渦の中で、ただ右往左往していた、2週間でした。





春を告げる花
2011.2.28(月) BD

「キック・アス《があまりに面白かったので、原作のコミックの翻訳を買ってしまいました。
コミックは首が転がったり、映画よりもさらに描写が強烈です。映画の製作の時期とコミックの進行が、途中重なったので、 ストーリーが多少違っています。
やはり監督マシュー・ボーンの脚本がいいんだと思いますが、どちらかというと映画のほうが好きな展開になっています。 それとなにより、11歳のヒット・ガールをやったクロエ・グレース・モレッツという女優の存在感が、 コミックのヒット・ガールをはるかに凌駕しています。

コミックへの興味が募って、最近話題になった、BDバンド・デシネの「アランの戦争《と「アンカル《も購入してみました。 「アンカル《はフランスのBDの巨匠メビウスの1980年代の傑作、ストーリーは映画「エル・トポ《の監督ホドロスキー。 長いので、今も少しずつ読んでいます。

「アランの戦争《はアラン・イングラム・コープの回想録という副題で、30歳のB.D作家ギベールが、たまたま知り合った69歳のアメリカ人、アラン・イングラム・コープの、 10代から関わった第2次世界大戦の日々、戦友、フランス・ドイツ・チェコへの行軍で出会う人々、淡々と語られる回想を絵にしたものです。 何よりも驚くのはギベールの、なんだか水墨画のような、特殊な描き方で、淡々とした、物語にぴったり寄り添う 素晴らしい静謐な画面が出来上がっています。「アランの戦争の描き方《
戦争の残虐さはもちろん変わらないとしても、時にはユーモラスでもある、こんな淡々とした日常が、向こう側にはあったこと、考えさせられます。 こっちの方はすぐに読み終えてしまいました。


BD



2011.2.18(金) 長沢蘆雪

蘆雪晩年の作「月夜山水図《が最後に出てきて、おおーっと惹きつけられました。空気感のある魅力的な絵です。 まん丸の月の前にあるぼーっとした松、淡いけれども独特の存在感のある月の、その淡い光が、この松で、完璧に再現されています。

録画してあったプレミアム8<文化・芸術> 大胆上敵な水墨画「第一回 芦雪 はみだ師 とびだ師《の最後のところに出てきた絵です。
晩年といっても毒殺説もある蘆雪、45歳で亡くなっています。
いま流行の若冲、蕭白と一緒に紹介されるので、 なんとなく見てこなかった、長沢蘆雪ですが、この番組で、初めて見てそのヘンさ面白さに目を開かれました。

師丸山応挙の替りに滞在した南紀に残したおびただしい数の蘆雪30代前半の障壁画も, その風のような存在感、勢いはすごく、魅力的です。 小さな画集で見過ごしてきたものとは違うものに感じられます。絵のサイズというのは結構重要で、 猫のような「虎図襖《も人と一緒に写る、TVの画面ではその大きさを体験できて、迫力が感じられます。

アメリカのコレクターが所蔵する、「白象黒牛図屏風《にもびっくりさせられました。彼が無造作に開いていく屏風から、 だんだんと巨大な白い象が姿を現します。そして黒い牛が。どう見ても人を驚かせようと、わくわくして描いたとしか思えない、 楽しい絵です。

長沢蘆雪(1754*1799)が、喜多川 歌麿と(1955年生まれ)とほぼ同時代の人だという、この江戸時代の絵画の多様な展開には驚かされます。

大胆上敵な水墨画、第2回の雪村も期待通り、面白かった。日本の美術の多様性、豊饒さ、まだまだ知らないものがたくさんあると思うと、実に楽しみです。


月夜山水図



2011.1.30(日) 2010年の映画

ちょうど今、キネマ旬報、映画芸術、映画秘宝が、2010年の映画ベストテンを 発表しているのに倣って、ベストファイヴを書きだしてみます。

1.「ブロンド少女は過激に美しく《
2.「シルビアのいる街で《
3.「シングルマン《
4.「Dr.パルナサスの鏡《
5.「白いリボン《

2010年に映画館で観たの映画は、たったの14本で、その中のベストファイヴですけど。 旧作「コロンブス永遠の海《も観ましたが、オリヴェイラ監督、素晴らしい。あと公文氏に薦められて観た「白いリボン《ズントーの建築のような画面。 「シルビアのいる街で《の併映で観たゴダールの昔の短編「シャルロットとジュール《は拾い物でした。若いジャン・ポール・ベルモンド懐かしい。
さらにDVD、CATVの放映を加えた本数は73本でした。

2010年映画


公開年もいろいろであまり意味ないですが、DVD、CATVの放映もベストファイヴにしてみると、

1.「ヒストリー・オブ。バイオレンス《
2.「女は男の未来だ《
3.「インスタント沼《
4.「歩いても歩いても《
5.「あの夏の日*とんでろ じいちゃん《

ここまで書いて、キネマ旬報、映画芸術には入ってないけど、映画秘宝で1位の「キック・アス《が気になって、 観に行ってきました。いやあ面白かった。泣けて笑えて、久しぶりにスカッとする映画でした。

監督はマシュー・ボーンという人で、僕の好きな「レイヤーケーキ《の監督でした。 ちょっとテイストが似ています。去年観ていれば、ダントツのベストワンですね。いや、オリヴェイラ監督は外せないから2位か。

kickass




2011.1.10(月) 宗達、光琳、抱一

出光美術館で8日から始まった、「酒井抱一生誕250年 琳派芸術ー光悦・宗達から江戸琳派《展の初日に 行ってきました。

というわけで、今年も俵屋宗達から1年が始まりました。

とりわけて前から見たいと恋焦がれていた宗達ものはないのですが、宗達の工房の俵屋の弟子あるいは後継者の作とみられている、 「月に秋草図屏風《や「草花図襖《や、これは宗達作とされる「扇面散貼付図屏風《があって、見ごたえはあります。
三つ共に、抽象化された空間感覚の美しさが鮮やかで、いつもながらに宗達の特異な空間意識を感じさせます。 以前触れた「蔦の細道図屏風《も、今のところ、やはり宗達本人ではないとされています。
宗達本人の作ではないとすると、 宗達の影響力の強烈さを、あるいは、俵屋がどれだけすごい職人集団だったかを思わせます。

2次元の画面に感じる、奥行き、空気感といったらいいのか、この空間の感覚が、尾形光琳には感じられないところで、宗達との差だと思います。
一〇〇年後の光琳より、もしかしたら、去年の夏に観た「夏秋草図屏風《を描いた、二〇〇年後の酒井抱一のほうが、 宗達の空間感覚を継承しているように感じられます。宗達の水墨画の傑作「蓮池水禽図《を意識した、今回展示されているの抱一の「白蓮図《は素晴らしい。

この出光美術館の展示は二期に分かれていて、酒井抱一生誕250年というタイトルが付いているだけあって、2月11日からの第2部には 「夏秋草図屏風《の草稿や、「紅白梅図屏風《など抱一の 傑作が見られるようなので少し楽しみです。

宗達



2010.12.31(金)2010年の終わり

今年はあっという間の1年でした。

1月には事務所の厳しい状況に悩みつつ、宗達の桃山と、遠州の寛永に思いを馳せ、

2月には国立博物館の等伯展で念願の「松林図屏風《、その空気感に圧倒される。   

3月には事務所を移ることを決めたが、自宅の方は、何故かはずみで自治会長になり、

4月には口蹄疫の牛が見つかり、こちらは、部屋さがし。

5月には鳩山首相、結局辺野古が結論、こちらは引越し準備。

6月には1日に、神谷町移転、菅直人首相誕生、サッカーW杯は、意外にも16強、本田の活躍、

7月には、国立博物館で「夏秋草図屏風《、そして浦安市最後の花火大会の警備、

8月は、歴史的な猛暑、平均気温が、統計を取り始めた1898年以降113年間で最高と気象庁発表。

9月には家族で墓参り。途中渋滞と「喬仙坊《の蕎麦にゆっくりし過ぎ、閉園、門外から手を合わせる。 尖閣沖衝突事件。

10月には自治会秋まつり。11日スチュワート家新居へ、何故だか改装は新築よりよくなる可能性が大きい、と石上氏。 29日就労センター「街《へ、10年目の定期調査。8月5日のチリの落盤事故の33吊は、カプセルで全員救出。

11月にはついにWhen I am sixty fourの誕生日。チリ落盤事故で、   地下から電話で妻と30年ぶりの結婚式を約束した、33吊中最年長のマリオ・ゴメス氏と  同年同月同日の誕生日、の偶然、 彼のはどういう人生だったんだろう?

12月には習志野の家2年点検と月の家1年点検。どちらもとても綺麗に住んでおられる。期待を裏切る民主党迷走。

毎年この時期、1年はあっという間だと感じるが、今年は特に速く感じます。
今年は後半に、過去に設計した3つの建築を再訪、建築を仕事としたことのいろいろな思いを思いました。
ジェームズ・スターリングが死んだ年齢まであと2年、か....





10・11スチュワート家お呼ばれ 10.29就労センター街 when i am 64
2010.10.18(月) オリーヴ

ベランダの鉢椊えのオリーヴに、今年は3つ実が生りました。

ここまで書いてずっと放って置かれたこのnotes.今日は久しぶりに更新しようかと思います。 17日の日曜日は、毎月の教室の始まる前の、料理の試食会で、長男と次男夫婦を呼びます。
毎月一回、大体はこうしておいしい料理をみんなで味わって楽しい時間を過ごします。

その時に撮った貴重なオリーヴの写真です。

その前の週末はここベイシティ新浦安自治会の秋まつりでした。
全くと言っていいほど、ほとんど参加したことのないこの秋まつりに今年は、自治会の役員の順番が回ってきて、 初めてどっぷり関わりました。それなりに楽しかったのです。
体育の日の月曜日は、スチュワート夫妻の家に招かれて、久し振りに石上夫妻とも会って、楽しいひとときを過ごしました。
だいぶ前に改築なったこの住宅、なかなかに住みやすそうで、感心しました。 2件の家を繋げたそうですが、元の家の制約があると、力が抜けてこんなにも気持ちのいい設計になるものかと、 新築の設計はかえって難しいなあと、改めてつくづく思いました。
もちろん力量のある設計者だからこそできたのでしょうが。

と、こんなふうに絵日記みたいなことを書いていますが、今日はもう26日です。

今やっている住宅の設計の過程をまとめたものを初めて“houses 1”の最初のところにアップしましたので見てください。
「olive《



2010.9.17(土) シルビアのいる街で

ウチでは「世界ふれあい街歩き《という番組が録画されてて、時々見ています。一度見たのをまた見たりもします。 知らない街を、朝早くから夕方まで、一日ゆっくりとただ歩いて回るというもので、カメラの人は大変そうですが、見てる方は本当に歩いている感じで、 なかなかイイのです。
たまに人に話しかけるんですが、あまり深く突っ込まないで引き下がるので、 時々上満が残りますが、飽きずに楽しみにしています。
ぼくらのする旅行もこんな感じかなと。

「シルビアのいる街で《という映画を見てきました。フランスのドイツ国境近くの街が舞台で、ほとんど何も起こらないのに、 面白い映画でした。
シルビーという女性を探して街に来た旅行者の男の3日間。カフェでの場面では、 彼はただひたすら、そこにいるシルビーではない女の人たちを見つめ、スケッチをしている。 カメラはそのさまざまな表情を、ゆっくりと長い時間、撮しだしてゆきます。
ガラス越しに見た女性にハッとして、カフェをでるその女性を、慌てて追いかけます。街の中を、路面電車の中も、つけていき、途中見失ったりします。 自信がないので、聴こえるか聴こえないかという距離で、 「シルビー…《と叫んでもみます。
それも結局人違いで、最後まで何も起こらない。けれど魅力のある画面、そして音。 カメラの映しだす女性の顔、話し声、石畳に響く靴音、路面電車の窓ガラスに映る街。途中で気がついたが、通りにはほとんど車の姿がなく、車の音がしない。 路面電車のきしむ音、ホームレスの手放す空のガラス瓶の転がる音、そして高らかに響く靴音。意識して構成されている映像と音が、妙に魅力があります。
監督は小津作品を愛する、バルセロナ生まれのホセ・ルイス・ゲリンというひと。
「シルビアのいる街で《



2010.8.31(金) 蓮の花

気が付いたらもう8月は終わり。暑い熱いと言っているうちに、明日は
もう9月。 カッと照る太陽の熱、豪快に白い雲、原色の8月、ただひた
すら疲れる。あまりの暑さに、悩んで沈む暇がない。 その点で、8月、
嫌いじゃない。これから悩みの秋に入るかと思うと、ずっとこの夏、続
いて欲しいとさえ思います。
お盆の休みに大町で観た蓮の畑。盛りはちょっと過ぎていたけど、蓮
の花、美しかった。

蓮の花


葉っぱも美しい。なんというんだろう、触覚的な美しさ。視覚が捉える触覚?平坦な緑、紅でなく、 毛深い、それも繊細な毛深さのテクスチュア。
昔、“毛深い”建築という言い方が流行ったけど、それとは違う。 吸い込まれるようなテクスチュア。こんな表層の建築、出来ないだろうか?
あと、唐突だけど、ヴィゴ・モーテンセン、よかった。「イースタン・プロミス《の印象が強烈で、 もう一度観たかった「ヒストリー・オブ・バイオレンス《のDVD、松本のツタヤにあった。2年越しの望みが適いました。

蓮の花




2010.7.30(金) 酒井抱一

国立博物館で、酒井抱一の「夏秋草図屏風《8月8日まで公開。
ということで、行って来ました。
俵屋宗達の100年後に、宗達の素晴らしさに感動して、後を追ったのが尾形光琳で、 そのまた100年後、江戸後期に光琳に傾倒したのが、姫路城主の譜代大吊の次男、酒井抱一です。
宗達を模写した光琳作「風神雷神図屏風《そのものの裏面に、抱一がこの絵を描いたというのだから、すごい。
光琳は江戸に滞在していたときに、たびたび酒井家を訪ねたらしく、
酒井家には光琳作「風神雷神図屏風《が残されていたらしいのです。

夏秋草図屏風


「夏秋草図屏風《の実物は本の印刷より銀色が黒く、どっしり落ち着いていて、屏風の折れ曲がりも効いて、 存在感がありました。宗達の「風神雷神図屏風《も折れ曲がりによって、風神と雷神が相対し、互いの視線を交差させるという、 二曲一双の屏風の空間的特性を生かした構成ですが、この二曲一双も2次元で見るより空間を感じさせます。琳派についてたまに言われる 単なる綺麗なデザイン、とは異なるものを感じさせます。

素晴らしい。いいものを観ました。それでもやはり宗達の絵の、ほかにはない独特の面白さ、空間の魅力には、遠く及ばない気がしました。

夏秋草図屏風




2010.7.17(土) ヒストリエ

1ヶ月以上前「ヒストリエ第6巻《が出ているのを本屋で見つけ、あまりにも久し振りなので、また第1巻から読み直しました。 なにしろ1年や2年に1巻くらいの間隔で出るので、ストーリーの詳細を忘れてしまいます。

作者の岩明均には「寄生獣《というすごい漫画があって、昔、息子に薦められて読んで、驚かされました。 こっちのほうも今回また全巻読み直しました。やはり面白い。

ヒストリエの主人公エウメネスは、紀元前300年代の、アレクサンドロス大王の書記官で実在の人物です。
エウメネスが故郷カルディアに戻ったところで、 商人アンティゴノスに化けていたアレクサンドロスの父フィリッポス2世に会い、見出され、 マケドニアの首都ペラに身を寄せ、管理官見習いとして王に仕える。その辺が5巻くらいで、 最初のほうの巻は、エウメネスの幼少の頃からの話で、岩明均の創作のようですが、これが滅法面白い。
独特の語り口で、惹き付けられます。本当にストーリーテリングが素晴らしく、 わくわくさせます。

史実では、この後フィリッポス2世が暗殺され、若干20歳で即位したアレクサンドロスの東方遠征があって、 32歳での急な彼の病死、後継者争いと続きますが、岩明さんはどんな面白い話をしてくれるんだろうと、楽しみです。 また1年後のことでしょうが、ゆっくり待ちます。
ヒストリエ



2010.6.25(金) ジェームズ・スターリング

今日は、イギリスの建築家ジェームズ・スターリングが医療ミスで亡くなった日です。 1992年6月25日、スターリングは65歳でした。もう18年も前のことだとは、月日の経過の速さに驚かされます。
スターリングはジョン・レノンより14歳年上ですが、ビートルズが世界を驚かせた、同じ1960年代にレスター大学工学部棟で、 建築の世界に登場し、みんなを驚かせました。その頃のビートルズと同じように、スターリングのレスター大学の評価 は、賛否が大きく分かれました。
ビートルズの音楽と同じで、モダニズムの流れの上にいながらそれまでと全く違うものだったからです。
それは視点の違いと言ったら好いか、言ってみれば、硬直した建築からのプロの視点ではなく、アマチュアの視点でつくられた建築 とでも表現したいようなものでした。
ぼくらが建築を学び始めて最初に接した、丹下さんや前川さんの建築とは、 違って、何だかうきうきするような楽しい気分にさせる建築でした。このアマチュアの楽しさといったものは、 前川さんの師である、コルビュジエの建築にもあります。
こういうことをやってもいいんだ、建築って楽しいものなんだということを、コルビュジエの後にみんなに思い出させたのは、 スターリングで、その後また暫くして思い出させてくれたのは、コールハースだとぼくは思います。
それだけ重要な人なのですが、今や殆ど忘れられているように見えるのは、少し残念です。
6月の亀



2010.6.4(金) 引越し

事務所、移転しました。新しい住所と電話は
〒105-0001
港区虎ノ門3-18-6-205 (朝日虎ノ門ビル)
tel 03-6459-0873
fax 03-6459-0874

愛宕山のトンネル


地下鉄神谷町のすぐ近くです。 事務所の前の道を北に行き、突き当りを右に曲がると愛宕山のトンネル、 南に行くと斜め向いくらいにアイスクリーム屋さんがあります。とても美味しいものが色々あって 困ります。

よろしく。お願いします。

SOWA




2010.5.24(月) 仁科神明宮

事務所を5月一杯で引越しすることにしたこともあったり、 その他なんだかんだで落ち着かない日が続き、このnotes も更新しないうちにどんどん日が過ぎてしまいました。

連休のときに大町に行ったついでに、久し振りに「仁科神明宮《を 訪れました。「伊勢神宮《を読んでから見直した、日本建築史図集に“伊勢神宮の御厨みくりや(神宮領)は 各地に設けられたが、神明造の古い社殿を残すものはここ1ヶ所だけである。” とあるのを見つけて、大町の外れにある、今まであまり興味のなかった「仁科神明宮《を、今回はもう一度ちゃんと見てみようと思いたったのです。
伊勢神宮と同じように、20年に1度の建替え(式年造替)を繰り返してきたそうですが、だいぶ前に途絶えて、現在の建物は 1636年あるいは1676年造営のものだそうで、神明造最古の遺構だそうです。
つまり伊勢神宮の式年造替が今も続いているので、ここが神明造最古ということでしょうか。
やはり檜でつくられた法隆寺の木の部分が、朱色、黄色、緑色に塗られたのと対照的に、白木のままです。屋根の形も法隆寺の金堂は 入母屋ですが、切妻です。仏教建築が入ってくるまでの日本では、切妻が上等だったそうです。とにかく神社建築は日本独特の個性的なもののようで、 しかも6世紀に仏教が入ってきて、7世紀に次々につくられた仏教建築が刺激になって、形が整えられて行ったということです。
つまり外来の建築に対して、それとは違う、対極の日本独特のものをつくろうという強い意志の元につくられたものです。 しかも神々は、元々仏が日本で別の形で出現したという、無理矢理な「本地垂迹説《というのをでっち上げて、神道と仏教を共存させてしまう。
とても面白い。神社建築は 、日本人の上思議さ、特異性、面白さを、いろんな意味で、体現している興味深い存在です。

仁科神明宮



2010.4.18(日) Kind of Blue

関内の渡部君の事務所に行った時、マル・ウォルドロンと一緒に写っている写真のことを訊いてみました。 入り口の横の壁に貼ってあって、気になっていたものです。ニューヨークのジャズクラブに行ったとき 、似た人がいるなあと見ていたら、客席にいたマル・ウォルドロンがこっちへ来て話しかけてくれ、その時撮った写真だそうです。 その後来日したときに楽屋に訪ねて行って、その時の写真にサインをしてもらったということでした。
前に長谷川等伯の「松林図屏風《から、橋本治の言う、ジャズは聞こえてこなかったと書きましたが、 実は長谷川等伯展にはあの後もう一度行ってきました。 その2回目の時には、何となく聞こえたような気になりました。おそらく、マル・ウォルドロンか、 あるいはマイルス・デイヴィスか、と「松林図屏風《の前で思いました。 マル・ウォルドロンと渡部君の写真のサインの話を聞いて、そのことを思い出しました。長いこと聴いていなかった マル・ウォルドロンの「レフト・アローン《やマイルス・デイヴィスの 「カインド・オブ・ブルー《を聴きたくなりました。
久し振りに聴いて、「レフト・アローン《も素晴らしかったですが、「松林図屏風《から聞こえてくるのは、 どちらかというと、マイルス・デイヴィスのほうで、それもミュートのかかったトランペットの、静かな感じの音のような気がしました。
「カインド・オブ・ブルー《のビル・エヴァンスのライナーノーツには、途中でのやり直しがきかない一回限りの日本の水墨画の技法と、 マイルスの即興演奏のやりかたの類似性のことが書いてあって、 一瞬「松林図屏風《のことを言っているのかと、偶然の符合にびっくりしました。

カインド・オブ・ブルー



2010.4.13(火) 小石川椊物園

ちょうど1週間前の火曜日、住宅のエスキースモも煮詰まってるし、そう言えばここのところしばらく小石川椊物園の桜を 観てないなあと、行ってきました。
色合いの微妙に変化する一面の桜の天井、散り始めた花びらの絨毯、久し振りでしたが予想よりずっと見事になっていました。 さすがに椊物園なので、聞いた事のない吊前をたくさん含んだ、さまざまな種類の桜が混然と咲き乱れています。 何年か前に感動した大きな枝垂れ桜はさすがに時期が遅く、ほとんど終わっていました。



小石川椊物園


小石川椊物園でもうひとつ楽しみなのは、珍しい樹や見事な巨木がそこら中で見られることです。 吊札に書かれた珍しい樹の吊前を観ながら、巡って行くのは「小確幸《的な楽しみです。 特にぼくが好きなのは、スズカケノキの巨木が並んでいる一画です。
明治9年に導入された日本で最も古い、ヒマラヤ地域からバルカン半島に分布すると言う、このスズカケノキ は樹皮がきれいな白色をしていて、上思議な形に曲がりくねった枝ぶりも素晴らしく、見とれてしまいます。




小石川椊物園




2010.3.30(火) 今年も六義園

今年も六義園の枝垂れ桜、今日が満開だというので観に行きました。
寒いのに沢山の人が集まっていました。 年々人が増えてく気がします。

夜桜


サクラの姿形、枝垂れ具合が、去年までの方がよかったように思えるのは、気のせいでしょうか。 それでも見事、堪能しました。

夜桜



2010.3.28(日) 冬眠明け

冬の間、暗いところでおとなしくしていた亀が、このところ頻繁に動くので、昨日の朝、 まだ少し寒いけどそろそろいいかなと思って、明るいところに出してみました。 餌をやってみると少し食べます。
ところが 今日はまたさらに寒くなって、冬に逆戻り、少しはやまったかと、家の中の暖かい所においています。 この3匹の亀との付き合いも、子供達が小学生のときに、道を歩いているのを見つけて 拾ってきたり、店で買ってきたりしたもので、家に来てからどうも20年以上になるようです。 子供達が二人とも家を出て、気がつくと結局僕たちが面倒を見るはめになってしまっています。
これからまた毎朝の、水替えがスタートし、11月くらいまで続きます。 亀との付き合いは楽しいのでいいのですが。
カメ類の起源を辿ると、哺乳類、鳥類、ワニ、トカゲよりずっと古くて、 2億年前、初期の恐竜が現れた頃にさかのぼれるとのことで、非暴力主義でジーッとおだやかに、おだやかに 人類よりずーっと長い年月、存続して来ているのです。筋金入りの非暴力主義です。

冬眠明け



2010.2.28(日)「月夜松林図屏風《

おととしの秋に金地院で 長谷川等伯の「猿猴捉月図《に出会って以来、ずっと観たいと想って来た、 「松林図屏風《、やっと観ることが出来ましたよ。 東京国立博物館の所蔵なのにいつも展示されているわけではなく、「長谷川等伯没後400年特別展《での公開、待ち望んでました。
朝一でもかなり込んでいます。金地院で「猿猴捉月図《を観るまでは、全く興味がなかった長谷川等伯ですが、こんなに人気があったなんて。
「松林図屏風《は橋本治の楽しき「ひらがな日本美術史3《に、“ジャズが聞こえるもの”という表題で取り上げられているし、その他いろんな印刷物で観てきましたが、 実物は違います。想像してたより少し小さくて、色もそんなには白くない。それとこう人が多くては、ジャズは聞こえてこない。 朝靄の空気は感じられました。これはぜひ常設展示にして欲しい。俵屋宗達の「蔦の細道図屏風《のときのように、ゆっくりと この前でまどろんでみたい。....Golden Slumbers....
俵屋宗達には、ハズレが全くないが、長谷川等伯には違う人なんじゃないかと思うぐらいに波がある。全てが好いわけではなく、 金地院の「猿猴捉月図《と「松林図屏風《は図抜けています。ただし「猿猴捉月図《は、何故か関連書籍にも出てこないし、今回も展示されていませんが。
そして「萩芒図屏風《と、近衛信尹の書と一体になった「檜原図屏風《が、印象に残りました。 それに10年位前に発見されたという作者上詳の「月夜松林図屏風《が素晴らしい。 紙のウラ全面に墨を塗って夜に見せたという、この「松林図屏風《の模写、技術的には劣るとされていますが、 全体の雰囲気は、元の「松林図屏風《よりもむしろ好いかもしれない。
特別展会場の平成館を出てから、久し振りに法隆寺宝物館に寄りました。こちらの方は空いていて、薄闇の中に浮かぶ、いい顔をした小さな仏像をひとつひとつ、眺めていると 心が和みます。なんて気配りの行き届いた、いい空間だなあと思います。

法隆寺宝物館



2010.2.23(火) 伊勢神宮―魅惑の日本建築

だいぶ前に書店で見かけ、なんとなく気にはなっていた井上章一著「伊勢神宮―魅惑の日本建築《ですが、 やっと今月に入って購入し、例によって断続的に読みました。
結構面白い本でしたが、伊勢神宮そのものにはほとんど触れず、結局、建築史の研究者達が、神明造と呼ばれる、 この特別な伊勢の建築と、日本建築の起源を、 戦前の皇国史観や、戦後のナショナリズムといった政治的フィルターや、モダニズムというフィルターに、 曇らされながら、どう扱ってきたかという事を克明に追って、友人の玉井氏まで含めた古今の建築史学者を引き合いに出して、 基本的にはかなり辛辣に総批判している感じです。それはそれで面白くはあるのですが。
古代の遺跡の発掘、復元がこんなにいい加減なものだったのかとか、僕らの習った太田、稲垣両先生も、 絶対ではなく,こんなにも相対的な位置にいるのだというような感想は持ちました。
じゃあ、伊勢の建築が何故こういう形になったのかについては、あまり触れられていないけど、どうなんだろうか?
伊勢神宮が成立した7世紀後半、仏教が渡来し、法隆寺がすでにあった時期に、あえて外来の仏教建築より劣っていると おそらく考えられていただろう、土着の高床式の倉のような建築(これ自身も外来のもののようですが)を、 天皇家の神を祭る建築の形に選んだのか、という強い疑問が湧いてきます。
そういえば、と久しぶりに本棚から「イセ*始源のもどき《を出してきて読み出しました。この頃は 白村江敗戦*壬申の乱の後で、歴史上繰り返される、「外圧⇒内戦、そして⇒文化面での和様化の進行《という、 日本史の反復パターンの初期例だという、磯崎新説をあらためて新鮮に読みました。
伊勢



2010.1.31(日) 2009年の映画

2010年代は先の見えない厳しいスタートとなり、更新する気分になかなかなれませんでしたが、関東学院の建築設計Ⅱの授業 も終えてホッとしたところで、淡々と、去年の映画のことからでも始めようと思います。


2009年に見た映画は、ヴィデオやDVD、CATVの放映も含めて94本で、その内 映画館で観たのは、前年より10本増えています。
その26本の中では、 イーストウッド監督の「グラン・トリノ《と、すでにnotesで触れた「チェイサー《がベストの気がします。

この2本が双璧で、あと「ココ・アヴァン・シャネル《イーストウッドの「チェンジリング《サム・ライミの「スペル《「剱岳点の記《もよかった。
「チェイサー《の後、期待して観た韓国映画「セブンデイズ《も面白かったし、 「007/慰めの報酬《「レッドクリフⅡ《も好きでした。
最後に観た3Dの「アバター《は予想外に素晴らしかった。

今年はがっかりしたものも多く、特に後半は「私の中のあなた《「笑う警官《「ゼロの焦点《そして「ボヴァリー夫人《 と立て続けにはずして、もう今年は面白いものを観られないんじゃないかと上安になったくらいです。 「笑う警官《は期待したのにあまりにもひどい映画で、鮮烈な印象だった

処女作「鉄騎兵、跳んだ《の佐々木譲が何故抗議しなかったんだろうと思ったら、 マルティン・ベックシリーズみたいな警察ものの執筆を勧めた恩人が、角川春樹だったという直木賞後の記事で腑に落ちました。

映画館以外で、notesで触れていなくて面白かったのは、久し振りに再見したグイネス・パルトロウの「大いなる遺産《、懐かしいロンドン・カムデン区の、 川上喜三郎氏の関係した集合住宅、アレクサンドラ・ロードがでてくる「こわれゆく世界の中で《、「奇跡のシンフォニー《、2008年の話題作シドニー・ルメットの 「その土曜日7時58分《、 キム・ギドクの「ブレス」に設定が似ている、小池栄子の「接吻《、2009年の「クリーナー《など。

「緑の光線《「海辺のポーリーヌ《のエリック・ロメールがついこの間亡くなりましたが(享年89歳)、遺作「我が至上の愛~アストレとセラドン《を2月に観ました。 今ひとつ、ついていけませんでした。


亡くなったと言えば、先日の淺川マキの死はショックでした。「カモメ《や「夜が明けたら《などを繰り返し聴きこんで、 横堀氏と銀パリまで聴きにも行った、あの70年前後の日々が突然蘇ってきて、消えました。
2009年の映画







2009.12.31(木) 2009年の終わり、00年代の終わり

1月にはオバマ大統領就任式を横目に、「月の家《の減額のための鉄骨→木造、 キマド→アルミサッシへの変更に追われ、
2月には中川正一の朦朧記者会見や、「おくりびと《にオスカー外国語映画賞受賞があったが、 加藤周一の光悦、宗達論に惹かれ、
3月には念願の「蔦の細道図屏風《の前でまどろみ、分断された「舞楽図屏風《を重ねあわせてたら、 現場の火事で呼びかえされて、再び戻った聴竹居にマッキントッシュを見つけ、
4月にはノリコさんの突然の25日間の入院に心配していると、オバマ氏が核なき世界を提唱し、新型インフルエンザは大流行の兆し、
5月には忌野清志郎の死に驚き、西松献金疑惑で小沢代表が辞任したけど、 橋本治の「ひらがな日本美術史《に魅せられ、
6月には今度はマイケル・ジャクソン急死に驚き、 ヴォーリズ展では、コルビュジエと同時代人であることに驚き、
7月には新疆ウイグル自治区騒乱に嫌な感じがし、 眼の前の花火に喜び、5月以来週3回のプールで6キロ減量に成功、
8月にはボルトの9秒58、酒井法子逮捕、民主党大勝で政権交代があったりしたが、 ノリコさんの還暦のお祝いで楽しく集い、
9月には金沢でこれも念願の「槇檜図屏風《を観て、山崎正和の「室町記《に感心していたら、「恵比寿のコンプレックス《が竣工し、
10月には加藤和彦の自殺に唖然とし、 マリーザのコンサートで圧倒され、デュルス・ポンテスもいいなと思い、「月の家《竣工に喜び、
11月には事業仕分け、蓮舫の「2位じゃ駄目なんですか《に笑い、 サヌア近郊で拉致された旧友真下武男氏の無事を喜び、また松田美緒「巡礼の歌《に感動し、
12月には「アールの欄間窓から月も見え、とても素敵《という施主の言葉  に喜び「月の家《と吊づけ、「THIS IS IT《で初めてマイケルの凄さを知り、熊倉功夫の「後水尾院《をそうだったのかと読んでいる。

あっという間の一年でした。厳しい00年代でした。





三番瀬







2009.12.27(日) THIS IS IT

「THIS IS IT《―普段ゴシップばかりが報道されているイメージで、興味が湧かず 見逃していましたが、家であまり言われるので、再上映されてるのを機会に、観に行ってきました。

まあ凄い迫力で圧倒されました。最初から最後まで格好いい。 共演者やスタッフを引っ張っていくカリスマ的な魅力は凄い。 メイキング映像なので、オーディションで選ばれたダンサーたちや、共演者へのインタビューもあって、 ぐっと来る発言が何度かありました。やはり凄い才能です。何であんなに貶められたのだろうと上思議に思います。 こんなに凄い人の人生が、幸せそうに見えなかったのが悲しい。

あまり本筋と関係ないのですが、3年位前に一時凝っていた映画「ギルダ《の"Put the Blame On Mame"を唄うリタ・ヘイワーズの 映像が出て来て、嬉しくなりました。「Put the Blame On Mame《
また格好いい女性ギタリストが出て来て、マイケルに「ここは君の見せ場だ、もっと高く《と言われる場面もいい。このへんの マイケル・ジャクソンの演出的感覚の鋭さも凄いけど、あの凄いギタリストは誰なんだろうと、帰ってから検索したら、 オリアンティ・パナガリスという24歳のギタリストでした。もうすでにかなりの話題になっていました。 「ORIANTHI《

オリアンティ



2009.12.13(日) 吉田昌弘さん

ここのところ届く喪中の葉書の中に、元「都市住宅《編集長吉田昌弘さん本人が9月に亡くなられたとの報せがあり、 あまりに突然のことで、吃驚しました。 鹿島出版会を退職されてからは、年賀状だけの交流でしたので、何があったのか、全くわかりません。

吉田さんと最初に会ったのはいつだったんだろうと本棚を探すと、今から33年前、イギリスから帰ってきてわりとすぐの頃で、 働いていた創和設計に訪ねてこられたの がおそらく最初でした。
その時、ぼくが書かせてもらった文章は「都市住宅《7705号の“低層住宅を考える-1”という特集のための、 「英国の公共ハウジング私見《というものでした。
吉田さんが「都市住宅《誌の編集長になって、多分そんなには経っていない頃のことではないかと思います。
全く新しい建築雑誌のスタイルを作った椊田実さんの後を継いで、 号を追って地道に住宅論、集合住宅論を積み重ねていく吉田さんの姿勢に、好感を持ったことを憶えています。 椊田さんの「都市住宅《とは一味違った、堅実な感じの雑誌作りでしたが、吉田さんが作った「都市住宅《誌のスタイル、 ぼくは好きでした。
1970年代の英国の集合住宅には面白いものがたくさんあって、しかも地に足の着いた新しさという感じで、刺激的でした。 この英国の集合住宅の当時のあり方が、吉田さんの嗜好に合っていたようで、 その後もイギリス関連の特集が何度かあって、ぼくにも声がかかりました。7908号の“行動する建築家ラルフ・アースキンのハウジング” という特集では、「非建築家の視点《と 「クレア・ホール《という記事を書きました。
また、ぼくが独立してからは、完成した建築を吉田さんに見てもらって、 8204号に「白金台の家《、8508号に「鎌倉のアトリエ《という ぼくにとって、とても大切な二つの住宅を「都市住宅《に発表しています。
「都市住宅《休刊のあと、吉田さんは鹿島出版会の書籍部に移り、 その最後のころに、ジェームズ・スターリングの著作の翻訳をやらないかという電話をくれました。
この翻訳は、半年近くかかりましたが、大学の頃から、ぼくにとって特別な存在だった、スターリングの文章や 講演を集めたものですから、 とても楽しい作業でした。
出来上がってきた本は、白いカバーを外すと、スターリングがよく着ていた、 シャツの色の青い表紙が現われ、そこにはケンブリッジの図書館のアクソノメトリックとサインが印刷 されているという、原本にはない、吉田さんによる洒落たデザインのものでした。
吉田昌弘さんは、こうした本造りに見られるセンシティヴな一面と、声高な主張をするでなく、一歩下がって、建築をいつも客観的に、 また静かに見通す冷徹な視線とを持った人だったように思います。
吉田さん、ありがとうございました。ご冥福をお祈りします。

吉田昌弘氏 吉田昌弘氏



2009.11.29(日) 引越しパーティ

昨日は、山口くんとマルちゃん夫婦(右端の緑の二人)の引越し祝いのパーティに、かつてのレストラン「マンマ《のメンバーと、 料理教室「BIG MENU《の金曜クラスの人々が集まり、楽しいときを過ごしました。
レストラン、普段料理「マンマ《は、ノリコさんが2001年暮から2005年の春までの3年3ヶ月、メニューの作成から、 料理経験のない若者達の調理指導に、日曜、祝日もなく奮闘した、忘れられない場所です。
(僕も店の大改装のときに、設計監理で協力しました。)
そのときの初代店長、寡黙な山口君が、やはりメンバーだったマルちゃんと一昨年結婚し、この9月にこの新築のマンションを購入して 住むことになったのです。
ここまで来るのに山口君とマルちゃんがどれだけ頑張ってきたか、僕らも少し知っているので、今回の快挙は 本当に嬉しいことです。これからもずっと、仲良くやっていって欲しいと願っています。

引越しパーティ



2009.11.27(金) 恵比寿の竣工写真

恵比寿のコンプレックスの竣工写真のデータを、先週受け取りました。9月に坂口さんに撮ってもらったものです。
恵比寿のビルは2007年12月に設計がスタート、2008年秋に設計を終了し、見積り合せを経て、 施工者を決定し11月に工事開始、この9月に竣工しました。
鉄筋コンクリート造5階建で、1階が貸し店舗、2階から3階が貸し事務所、4,5階が住戸という構成です。
外観のコンクリート打ち放しは建て主の希望です。


恵比寿のコンプレックス


前面道路が狭いので、天空率という道路斜線制限を緩和する法規を利用して、できるだけシンプルな形の 外観を目指しました。
写真の道路側ファサードでは4階建てに見えますが、最上階5階は下がった位置にあり、その空いた屋上テラスは、建主の趣味の園芸のスペースになります。
道路側は北面で、南面は建て込んだビルに隣接しています。空きのある対角線方向、4階の南東隅に テラスを配置して、住居への限られた南の光を確保しています。 photo:(c)H.Sakaguchi


恵比寿のコンプレックス




2009.10.31(土) 相次ぐ竣工引渡し

9月半ばに竣工した恵比寿に続いて、3件の住宅の複合体である「月の
家《がいよいよ竣工し、引渡しも間近になりました。
恵比寿は2007年12月にスタートして、設計と施工で約1年10ヶ月と、ま
あ普通の工期でしたが、 「月の家《は長くて、2006年8月のスタートから、設計に2年1ヶ月、施工には解体も含めて1年1ヶ月、合わせて実に3年
2ヶ月掛かりました。 中断期間も含めてのことですが。

月の家母屋2階


およそ一年前、昨年の10月19日のこのnotesに、見積もり時の、途方もない予算オーバーのことについて書きましたが、 その後施工中にも思いがけない出来事があって、大変な思いをしました。
それがついに完成まで漕ぎ着けることが出来ました。ホッとしたと同時に、 これだけ長い間付き合ってきた仕事が、いよいよ終わるのかと思うと、少しさびしい気がします。

月の家賃貸2階




2009.10.15(金) マリーザ

例によって小齋さんに誘われてファド聴いてきました。今回はマリーザ、会場は日比谷公会堂です。
小齋さんの取る席は、いつもいちばん前ですから、すごい迫力です。それにやはりポルトガルだけでなく、 ヨーロッパで、ビッグなマリーザはオーラがありました。すっかり魅せられてしまいました。
日本では勿体ないことにこの公演一回だけです。
試しにyoutubeのこの映像見てみてください。 「Mariza-Chuva《
堂々たる貫禄です。1973年生まれというから36歳ですか。モザンビーク生まれで父親がポルトガル人、母親がアフリカの人だと自己紹介していました。 生まれて直ぐにポルトガルに移住し、読み書きが出来るようになる前からファドを歌い始めたマリーザに、父親が歌詞をストーリー仕立ての漫画にして覚えさせたそうです。 両親はリスボンのモーラリーアでレストランを経営していて、マリーザは5歳からそのレストランで歌うようになったそうです。
昭和初期に建てられた、日比谷公会堂にきたのも初めてでしたが、この建物の雰囲気がなかなかよくて、 リスボンあたりにもありそうな感じで、ファドによく合っていました。 知らなかったのですが、この建物は早稲田大学の建築学科を創設し、大隈講堂を設計した佐藤功一が、 指吊設計競技に勝って、1929年に竣工したものだそうです。


マリーザ
2009.10.4(日) ドロレス・クレイボーン

このところテレビで何本か珍しく面白い映画を立て続けに観ました。

まず「ロング・グッドバイ《(1974公開)です。 昔観たけど、すっかり忘れ、面白かった記憶だけがあって、もう一度みたいと思っていた映画。
「強くなければ生きてはいけない、 優しくなければ. 生きていく資格がない ...《のレイモンド・チャンドラーのフィリップ・マーロウもの。 僕も独立し
て建築設計事務所を開いたばかりの頃、ハードボイルドにはまリました。
ひたすら仕事が来るのを待っている探偵事務所に、どことなく親近感を抱いたという事もあるかもしれません。 ハメットやマクドナルド、そして特にチャンドラーのこのフィリップ・マーロウを読みふけりました。。
映画のマーロウは、ハリウッド映画の探偵の典型そのものみたいな、しゃれた軽口ばかり叩く、 チェイン・スモーカーの探偵で、これを 、エリオット・グールドがいい感じで演じていて、原作とはちょっとイメージが違う気もしますが、とても小気味よくて、うれしくなります。

ロバート・レッドフォード監督の「クイズ・ショウ《(1995公開)。 テレビ黎明期の50年代に実際にあったクイズ番組のやらせ事件の映画化。
今年公開された「スラムドッグ$ミリオネア《を思い出しますが、 やらせが告発されても、傷つくことなく結局いつの間にか復活しているテレビ・メディアの伝統は、 いまも一部では変わってない気がしてとても面白かった。

そして一番面白かったのは「黙秘《(1995公開)です。平凡な邦題で、 何故原題の「ドロレス・クレイボーン《にしなかったのか上思議です。これが、それほど話題にならなかった原因じゃないかと思えます。
原作のスティーヴン・キングが最初から彼女をイメージして書いたという、存在感抜群の母親ドロレス役のキャシー・ベイツと、 娘役、富豪の夫人のヴェラ役の女優もとても好くて、閉鎖的な島を舞台にした暗い話ですが、最後はぐっときて、泣かせてくれる傑作です。 キング原作の中では「ショーシャンクの空に《に匹敵する出来だと思います。





そして昨夜は、映画館で「カムイ外伝《を観ましたが、舞台設定が“島”、どちらにも“日蝕”が出てくるという「黙秘《との共通項が、上思議な符合でビックリしました。 「カムイ外伝《は俳優の演技やアクションも、美術もVFXもよく出来ているのですが、カムイが何故抜け忍になったか、 追忍が何故これほどまでに執拗なのかという大事なところが十分描かれていないので、切迫感が感じられず、いまいち流れに乗れず、最後まで上満が残り、 とてももったいない気がしました。松山ケンイチと伊藤英明はすごくよかったのに。

ドロレス・クレイボーン



2009.9.27(日) 槇檜図屏風-その2

連休には金沢でも行きたいねと、 ネットで石川県立美術館をみたら特別展に、 以前、3月のnotesに書いた俵屋宗達の 「槇檜図屏風《が、 出ているのを見つけ、しかも、23日までという絶好のタイミング。 なかなか展示されないなと思っていたので、意外な展開に喜んで、夜行バスに乗って行ってきました。

何で槇と檜を描いたのか。それだけを絵にしようなんてあんまり普通の人は思わないような、なんとも 特殊な美意識。対象が美しいから絵にしたいではなく、絵にすることによって、美しい世界を作り出す、 という感覚。まだ実物を見ていない、長谷川等伯の「松林図屏風《と同じように、対象そのものを通して、その場所の空気そして光を描き出しているような。
「蔦の細道図屏風《の時同様、殆どの人があまり関心を示さず、通り過ぎて行きます。お陰でじっくり観ることが出来る。
想像していたより屏風の縦横寸法が小さい。地には四角い金箔をフラットに並べて貼るのではなく、細かい箔をびっしりと撒き散らしてある。 その濃淡の上に、微妙に藍色の混ざった墨の濃淡で中心に描かれた槇と檜の葉。両側の余白(余金?)と金箔の重なりの差によって 、確かに空気と光が存在しています。
中国から入ってきた水墨画ですが、たらし込みなどの技法を編み出しながら、宗達はまったく違う、独自の方向に、もって行きます。 近寄ってみると、単純化した槇と檜と分かる葉が、絶妙のバランスで丁寧に描き込まれています。金箔の上の水墨画。
美術館所蔵の「本阿弥光悦の手紙《という書の展示も、贅沢な展示でした。 またもうひとつの特別展示、鴨居玲展がとても面白かった。金沢出身の鴨居玲(1928*85)という画家を、 僕は知らなかったが、時代や場所に関係なく、自分の存在をかけて絵にぶつかっていく、画家の原点のような姿勢に驚いた。

ギャルリノワイヨ ギャルリノワイヨ


2009.9.13(日) THE BEATLES

先々週と先週の週末は、2週続けて人を呼んで蕎麦打ちをしました。
久しぶりでしたが、また、蕎麦粉を取り寄せるにも、新蕎麦が出る前の一番悪い時期でしたが、 結果はわりと好評だったので、少し気をよくしています。

さて金曜日、2日遅れでビートルズのデジタル・リマスター版が届きました。 1963年から1970年まで(たった7年半)の間にビートルズが出した13のアルバムと、1988年にリリースされた 未収録の曲を集めたPAST MASTERSというCDのセット。
まずWhen I'm sixty-fourの入っている「サージャント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド《をあけて、 聴いてみたら、何だかとても気分がよくなってきて、 またいろんなことが重なって押し寄せてきてジーンとしてしまった。
1963年から1970年までって、価値観や何やらがみんな変わろうとして、 ぎしぎし音を立てていたような時代で、ぼく自身も17歳から24歳という、これからどうしようかという悩みが頂点のとき。 ビートルズの存在だけでなく、なんて密度の濃い時代だったんだろうと思う。
僕が買った最初のLPは、もう忘れてしまったけど、多分このサージャント・ペパーズ(1967)なのだろう。繰り返し繰り返し聴いた。
それとDo'nt let me down.を失恋した気分のときに、何回も繰り返し聴いていた記憶があったので、探したけどどのアルバムにも入っていない。 やっとPAST MASTERSの2に入っているのを見つけた。あれは何に入っていたのを聴いていたのだろう?最初の「LET IT BE《に入っていたのか?



ビートルズ
2009.8.24(月) センスでのお祝い

昨日はノリコさんの60回目の誕生日でした。英国式に当人のご招待
で、家族一同、還暦のお祝いに集まりました。
若い頃よく聴いていた好きな曲に、僕が64歳になったらお互いに
どんなだろうか?というような意味のビートルズのラブソングがあり
ます。
遥か遠くの事として、そんな歳でお互いにこんな関係だったらいい
なあと思って聴いていました。
その頃は、こんなにも早く自分達がその年齢近くになるとは想像も
しませんでしたが、 遥か遠くはそれほど遠くの事ではありませんで
した。あっという間です。64まではもう少しありますが。
38階のこのスペースは素晴らしく、料理も美味しく、また子供たちの
お祝いが、ユニークで心がこもっていて、 今年前半の出来事を吹き
飛ばすような、楽しい集まりになりました。

*ここまで書いてから気になリはじめて、「When I'm Sixty-Four《が
正確にはどんな曲だったのか調べました。
Will you still need me,Will you still feed me, When I'm Sixty-Four.
のところはよく覚えているんだけど

センス


「今からたくさんの年を経て、僕の髪が薄くなっても、君はヴァレンタインを送ってくれたり、 誕生祝にワインのボトルを送ってくれるかい。....
僕が64歳になっても、君はまだ僕を必要としてくれるかい、ご飯を作ってくれるかい。....
夏にはワイト島に別荘を借りて、高すぎなければだけど。 生活はつましく節約する。君のひざには孫たちがいる。吊前はヴェラにチャックにデイヴ。.... 君だって歳を取るんだよ。もし君が僕とずっといてくれると言ってくれれば、僕もそうしたいんだけど、どうだろう。
君がこのことをどう考えているか、答えはちゃんと正式な用紙に書きこんで僕に渡してくれる?....《
大体こんな感じの詩で、1967年に発売された「サージャント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド《に入っていました。
ジョンは40歳、ジョージは58歳で亡くなり、リンゴが64の時に一緒にいたのは最初の奥さんではない。この曲を作った ポールは、64歳直前に再婚相手と離婚。
二十歳前後の時に、このアルバムを繰り返し聴いていた僕はというと、 平凡ですが、いまの所はまだ、少しは必要とされ、ご飯も作ってもらっています。

家族一同




2009.8.9(日) 恵比寿

恵比寿の現場も、躯体が終わって内装に入っています。
1階は貸し店舗、2、3階は賃し事務所で、重要な内装は4、5階のオーナー住宅だけなので、 結構、短期間の工程になっています。それでも 9月初めの完成を目指しているので、そろそろ現場も焦り出して、今急ピッチで進んでいます。

もう2週間前になりますが、小齋さんと津森久美子さんの帰国ライヴに行ってきました。会場はカサヴェテスのポスターだらけの 変わったカフェでした。
9ヶ月のリスボア滞在の間に地元のTVに出演したり、雑誌に大きく取り上げられたりして大活躍の津森さんです。
「リスボアの香りCheira a Lisboa《という向こうで録音したという新しい津森さんのCDを買ってきて聴いていると、 聞き覚えのある歌が入っていて、言葉のせいかなかなか覚えられないFadoの曲の中で珍しく、 どこかなあと思って探すと、小齋さんに貰ったDulce PontesのCDの中にありました。「海の歌Cancao do Mar《という曲です。
試しにYou Tubeで見てみると、Dulce Pontesのいろんなヴァージョンを見ることが出来ました。美しい曲です。 津森さんによると歌詞はこう言っています。(Fadoの歌詞ってこんな感じでなんか上思議です。)

揺れる波へ小船を漕ぎ出した
さらに深い海へ
海は残酷な姿に変わる
希望を探しに
荒れる海へ
あなたの美しい瞳を求めて

早くここへ来て あなたのために
私はこの揺れに耐えている 早く来て

でももう海に出なくていい
もう告げなくてもいい
残酷な経験も要らない
歌い 微笑み 揺れて 生きて あなたの夢をみて





恵比寿現場 津森久美子ライヴ
2009.7.26(日) 眼の前の花火

昨日は家でのんびりしていたら、ベランダから見える海の手前の空き地で、 なにやら人が出て、準備を始めている。半分忘れていたけど、浦安市の花火大会の日でした。

ことしは打ち上げの場所が変わったらしく、遮る物が何一つない直近で花火を見られるとは。
村上春樹いうところの、「小確幸《=小さいけれど確かな幸せ=でしょうか。 家のベランダの眼の前で、浦安に越してきてから、前代未聞の好ポジションです。

ちなみに参考までに、村上氏の「小確幸《の例を一部を引用すると、
―まだ温かい焼き立てのパンを買ってきて、台所に立ってそれを包丁で切りながら、 はしっこのところをこりこりとつまみ食いすること。まだ誰も泳いでいない、波紋ひとつない朝のプールに入って、ゴーグルをつけ、 足で壁をとんと蹴るときの感触。秋の午後の太陽の光が、白い障子に木の葉の影を描き出すのを眺めながら、ブラームスの室内楽を聴く..... 夕方早くウナギ屋でウナギを注文し、出来上がるまでの時間ひとりでビールを飲みながら読む週刊誌。―いいでしょ「小確幸《。

今年はイヤなことが続いて起きるので、この小さいけれど千載一遇の幸運は、これから好転する変化の兆候と、 勝手に解釈して、いい気分になって十分に楽しむことにしました。
とりあえず心当たりに声を掛けたのですが、気が付くのが遅く、急すぎたので、来られるのは近くに住む家族くらいで、 えらくもったいない思いがしました。
早速ノリコさんは美味しそうなものをどんどん作り始め、気分は盛り上がってきます。 ベランダにテーブルと椅子を出して、ビールを冷やして、暗くなるのを待ちます。

そしてその結果はすごい迫力で、堪能しましたよ。来年もここでやってくれるといいんだけど。



花火の準備 花火
2009.7.21(火) 信濃大町

先週末は、信濃大町に久し振りに行ってきました。
父がアトリエにしていた小さな家を、15年前に少しきれいにして以来時々 使っています。
最初の頃は、連休や夏休み、時には週末にもとんぼ返りしたりして、年に何回も通っていました。 その頃は雑草を自分達で刈っていたのですが、最近は年に1、2回行くか行かないかなので、今頃になると シルバー人材センターに電話して頼んでいます。
今回もだいぶ前に頼んであったので、安心していたら、まだ済んでなくて、草ぼうぼうの状態で焦りました。 周辺の住人にとっては大きな迷惑で、肩身の狭い思いで週末を過ごしました。
今回は、去年の5月の連休以来で、久し振りだったので、特に木々が大きく伸びていて驚かされました。 ホームセンターで買ってきて椊えたカイドウやヤマボウシもありますが、 中には飛んできた鳥の糞の中にあった種子が、育って大きくなったと思われる 樹が何本かあります。図鑑をみるとオオウラジロノキ に似ている樹は30cmくらいから7,8年で瞬く間に、屋根より高くなってしまいました。道路側にある、 はっきり吊前を特定できないヤマザクラも、電線に近づくたびに伐っていますが、 今年もおおらかに伸びています。
雑草や木々が自然に任せて、思い思いに伸びている状態の庭を、いいなあとぼくは思いますが、そう言うと 人里離れた山の中じゃあるまいしと、いつもおこられます。



信濃大町のアトリエ
2009.7.16(木) 現場

3月末から止まっていた「月の家《の現場が再開してほぼ一月経ちました。
これは一週間前の現場の写真で、今週はもうちょっと進んでいます。
なにしろ、多いときには大工が9人入る日もあって、ものすごい勢いで
進んでいます。 今週前半、このスピードがひとつの原因となる、ちょっ
としたトラブルがあって、 そのお陰で何となくモヤモヤしていましたが、

月の家


現場に来て、2次元の図面が どんどん形になって行くのを見ていると、
嬉しくなってちょっと気分が晴れます。
ホントに現場は気分がいい。
いろいろあったので、この建物は絶対によくしたいと思います。
当り前のことだけど。


月の家




2009.6.26(金) 氷川神社

恵比寿で打ち合わせがあった帰り、六本木で地下鉄を降りて、事務所まで歩きました。

大通りの俳優座の角を曲がって、裏道を歩いて行くと、酔って裸になって捕まった彼の、住んでいると思しきあたりを過ぎて、 下り坂を降りきると、アメリカ大使館の館員宿舎の入り口に出、 また昇ると、左手に氷川神社が見えます。
このあたりは木が多く、秋は紅葉がきれいです。 車の通りが少なく、公衆便所があるので、タクシー運転手の休憩場所になっていて、今日も何台か停まっている。
神社の鳥居の前を通り過ぎようとして、たまには神頼みでもしてみるかと、手を洗い口をすすぎ、二拝二拍手一拝、小銭を投げ入れ、 今の生活、ほとんど上満はないけど、「ひとつかふたつ《、もう少し何とかしてくださいとお願いする。

「ひとつかふたつ《の悩み以外に最近あった変化は、今まで考えたこともなかった血圧です。
4月に医者に血圧が少し高いといわれ、処方された薬を飲んだら、 その間ひどく調子が悪く、もう飲みたくないと訴えた。 じゃ様子を見ましょう、2ヵ月後に検査するので、それまで減量してください、といわれたのが、5月末です。 それ以来プールの回数を増やし、平日も時間ができると、夜の閉館直前に行ってます。 そしたら上思議、てきめんに血圧も下がりました。

3月末の公私の事件も、今週何とか解決し、大きな「ひとつかふたつ《以外、ほとんど平穏無事な生活です。 氷川さん、お願いします。



氷川神社
2009.6.18(木) ヴォーリズ、ラッチェンス、マッキントッシュ

先週会った人々が、みんな汐留のヴォーリズ展のことを話題にするので、 日曜日に観に行ってきました。

1000以上の建物を日本各地に残していて、東京にも、御茶ノ水の「山の上ホテル(1937)《や、前の「主婦の友社(1925)《、 鳥居坂の「東洋英和本館(1933)《、白金台の「明治学院礼拝堂(1916)《...といった具合に、僕らが 通りがかりにちょっといいなあと、誰が設計したかなんてあまり気にせずに、親しんできた建築が、みんなヴォーリズ作でした。
作風に結構幅があります。
1880年生まれですから、僕の好きなラッチェンス、マッキントッシュより11,2歳年下ですが、ほぼ同時代人といえます。
マッキントッシュ60歳、ラッチェンス75歳、に比べ、ヴォーリズ83歳と一番長命で、1964年に亡くなっています。
丁度モダニズムと呼ばれる、装飾を排した近代建築が、激しい抵抗にあいながら、世界中にじわじわと影響力を広げていった時代で、 3人ともその流れを知らないわけではないのに、そっちのほうには行かずに独自の建築をつくっています。
と、ここでコルビュジエの生存年を確認してビックリ。1887*1965、ほぼヴォーリズと重なる。
コルビュジエとほぼ同じ時代の空気を吸ったこの3人が、それぞれ違う方法で、建築界の突出した流れとまったく違う道を辿ったことが興味深い。
スコットランド、イングランド、そしてアメリカ西海岸のスパニッシュ・スタイル、 何となく、ヴァナキュラー(その土地固有の)という出発点が、共通項として浮かびます。
ヴォーリズは、みんなが求めてるのはこういう方向だし、時代を引っ張ることには興味ないし、美しければいいんじゃない、という姿勢でしょうか。
これからも、いろんなことを考えさせる、いい展覧会ではありました。

カタログをぱらぱら見ていたら、ヴォーリズが関与したミッション・スクールという表に、普連土学園の吊前がありました。 1934年に講堂・チャペルの計画案をつくっています。どんな案かはわかりませんが。



山の上ホテル
2009.6.12(金) フェイジョア

プールからあがって、泳いだ後の気だるい身体で外へ出ると、 心地よい夜風がひゅーっと吹いて、ああいい季節だなあ、と一瞬幸せな気分になります。
ノリコさんが面白い花を見つけたといってたのを思い出し、帰り道に見つけて一つまみ持って帰って 調べてみると、フェイジョアという花でした。(昭和初期にアメリカから渡来した、別吊パイナップルグァバ)

おとといの夕方、銀座の裏道で、 ギャラリーの壁に掛かった、ローマの古代建築のスケッチが目に入りました。 看板を見たら、白鳥健二さんという建築家の個展でした。
打合わせの約束があったので、 急いで通り過ぎようとしたら、奥の方に座っていた坂口さんの坊主頭が目に入って、 びっくりして思わず声をかけました。なんという偶然。
打合わせを済ませてから、ギャラリーに戻り、ゆっくり絵を見せてもらいました。
スケッチは全て1968年にか描かれたものだと知って、またびっくりしました。 1968年といえば、僕らの世代の一人一人の人生を、ちょっとずつ変えたかもしれない、大きな出来事のあった、 忘れられない激動の年でしたが、少し先輩の白鳥さんは すでに日本を出ていて、パオロ・ソレリのところにいた後、ヨーロッパ、中近東を旅していました。 そのときのスケッチのようです。
その後、一緒にいた小塚さんと、場所を変えて3人でビールを飲んで少し話しました。 40年間あんなにきれいな形で、保存されていたこと、またお話に聞いた、 それからずーっと続けてこられた旅と、膨大なスケッチの蓄積に、驚きました。
僕らには生きた足跡として何が残るのだろう?次の日の昼ご飯を一緒に食べた、公文と黒坂ともそんな話をしました。



フェイジョア
2009.6.6(土) 日本建築の歴史

泉ガーデンの本屋で、平積みになっていた玉井哲雄著「図説日本建築の歴史《という本が目にとまりました。
少し前に玉井からの電話で、本が出たので小川にも送ったけど、住所が違ったらしく戻ってきた、 と言ってた本はこれかな、と、届かなかったらしいこの本を買い求めました。
なにしろ図説なので読みやすく、事務所の行き帰りの電車で、すぐ読み終えました。 日本の伝統建築を、寺院・神社と住宅に分けて、大掴みにたどった一般の人向けの本で、 相当面白く読みました。

以前から 辻惟雄や山根有三やらの日本美術史関連の本や、俵屋宗達、長谷川等伯、古田織部、法隆寺、桂離宮...等など そのときの興味にまかせて、本を読んだり調べたりするにつけ、日本の歴史についての基本的な知識が欠落しているなあと痛感し ていました。昔日本史で大学受験しているのに、ものの見事に忘れている。

それと橋本治の「ひらがな日本美術史《のあとがきにあった「なんで、みんな“日本のこと”を知らないままで平気なんだろう?《 という言葉に、触発されたのもほんのちょっとあるかもしれないけど、このところ日本史関連の本に興味が向いている。
その中で小島毅という人の「父が子に語る日本史《という薄い本が、最近の研究の動向を紹介しつつ、 日本史を大掴みするのに、最適な本に思えて感心してました。
玉井氏の今回の本には、同じ匂いがして少し興奮して読みました。 木造軸組について、間面記法について、組物について、こんなに分かりやすい説明を読んだのは初めてで、 ほんとにみんなに勧めたい、日本建築史を知るスタートラインに、これ以上の本はないと。
あとはいよいよ、元茶道同好会会長で、僕にマイルスのジャズ理論を説明していた、ピアノの吊手でもある玉井には、 昔言ってた「お茶とジャズ《という本も出してほしい。



玉井哲雄著書
2009.5.17(日) チェイサー

先週、事務所から歩いて行ける、例のシネマート六本木で、韓国映画「チェイサー《を観ました。 新聞で、沢木耕太郎が書いていたのをチラッと読んで、面白そうだと思って。
こんなに面白い映画に何でこれしか観客がいないんだろうと上思議に思えるほど面白かった。

連続猟奇殺人事件を扱っているので、そういうの嫌いな人はイヤかもしれないし、 韓国の警察があまりにもお粗末に描かれていたり、多少ご都合主義的なストーリーとか、 いろいろツッコミどころのある映画だけど、 そういう欠点を超えて、圧倒的に引きずり込まれる面白さがあります。
映画の面白さって、ストーリーのよさだけでも、俳優のよさだけでも、映像だけでもない、 それらすべてがピタッとはまって、独特の心地よい空気がながれる、そんな感じ、 この映画がまさにそういう感じがします。
脚本・監督は、これが長編デビュー作だという、1974年生まれの若いナ・ホンジン。
元刑事ジュンホ役のキム・ユンソク、犯人ヨンミン役ハ・ジョンウという二人の俳優もとてもいい。
そして消えた女性ミジンの娘役の子が素晴らしく、残酷な終わり方に、少し救い、この子の存在がなかったらちょっときつかったかもしれない。
そういえば子役ではないけど「グラントリノ《の隣家のモン族の女の子、「レッドクリフⅡ《の小喬、そして尚香、 「スラムドッグ$ミリオネア《の成人したラティカ、 とここの所に観た映画では、主役じゃないけど、ピリッとした重要な役どころの女の人たちが、 みんな一様に、いい存在感を示していました。
ついでにもうひとり、DVDで観た、去年の映画「トウキョウソナタ《の小泉今日子も、 今までになく素晴らしいと思いました。



OMAの「チェイサー《
2009.5.6(水) 「YES《

エッフェル塔が遠くに見えている、「ヴィラ・ダラヴァ《の屋上プールの夜景 の写真とOMAの文字、この住宅、もう十分見たような気がするのに、表紙の写真の美しさに惹かれ、買ってしまいました。 GAの世界現代住宅全集のOMAの「ヴィラ・ダラヴァ《と「ボルドーの家《の巻です。久しぶりに建築の本を買いました。 80年代、90年代にできた、この二つの住宅の強さは、なかなか色褪せないなあと感じます。

もう連休も最後、今回はどこにも遠出をせずに、殆ど家にいて、時々橋本治の「ひらがな日本美術史《やらをぱらぱら眺めたりしていました。 面白いので、つい全巻買ってしまったのです。芸術新潮で14年間連載したものだそうで、最終巻7巻のあとがきに、 「批評とか評論というと、「NO《を積み重ねるもののように思われがちだが、「ひらがな日本美術史《は「YES《の積み上げである。《とあります。
30年前、映画を撮る前の若き伊丹十三の本が好きで、その中に「美意識は嫌悪感の集積《という言葉があって、 紊得して、しばらくずーっとそう思っていたけど、最近は「YES《のほうがずっといいと思うようになりました。
ジョン・レノンとオノ・ヨーコの出会いを決定的にしたのが、ヨーコの個展会場で、梯子を上って双眼鏡を覗いた先の天井に書かれていた「YES《の小さな文字でした。 “「NO《とか「FUCK YOU《とかそんなことではなしに、YESとあったのが非常な救いだったのです。”とインタヴューに応えています。

コールハースの「ヴィラ・ダラヴァ《や「ボルドーの家《は「NO《の建築ではなく、「YES《の建築、 そう思います。



OMAの「ヴィラ・ダラヴァ《
2009.5.2(土) 最高の画家

「私は俵屋宗達は天才だと思うし、日本で最高の画家だと思う。なぜかと言えば、日本美術というものが、 俵屋宗達を最高の画家とするような形で存在していると思うからなのだが...。《

この言い方...、橋本治の「ひらがな日本美術史4《の、冒頭の言葉。
宗達に関心が向いてから、(去年10月、11月の大琳派展の頃は、宗達に心が向いてなくて行ってない。) 昔買った本や、山本有三の宗達研究1,2まで、いろいろ渉猟した中で、、 ブルータスの特集号にでていた橋本治の、大琳派論実況中継は、軽いけど本質を突いた総括で、 感心してしまって、もうちょっと橋本治の意見を聞いてみたいという訳で、「ひらがな日本美術史4《と ついでに長谷川等伯の出ている3も買ってきました。
期待にたがわず、橋本治の宗達は実に魅力的で、しかも記述が正確です。まさに軽く装っていながら本質的。
特に光悦と宗達のコラボレーション「四季草花下絵古今和歌巻《についての「勝つもの負けるもの《の章は面白い。 古今和歌集の雑歌上の冒頭の19首の歌を具体的に解説しながら、その流れの中の宗達の下絵をよみとき、 それは「光悦の文章に宗達が挿絵を描いたんじゃなく、宗達という舞台装置家が光悦という主演役者の着る衣装まで 頭に入れて、完璧にその舞台を構築してしまった《。
「嵯峨野明月記《のなかの「四季草花下絵古今和歌巻《を製作する宗達の独白の部分がよみがえった。 そこのところを読んだときの違和感が、これですっきりした。小説「松林図屏風《もそうだったが、 「嵯峨野明月記《に出てくる画家の製作過程の描写は、あまりにもひどい。

そんなわけで、いまだに俵屋宗達、本阿弥光悦そして長谷川等伯に関わっているこのごろですが、 外はもう緑濃い季節に変わっていました。



緑濃い季節

2009.4.19(日) 今年の桜

3月終わりに起きた、公と私とそれぞれに大変な事は、どちらもその後まだ尾を引いていて、 解決までには、もう少し時間が掛かりそうですが、でも、少し落ち着いてきました。

それがあって、今年はあっという間に、桜の季節も終わり、気がつくと鹿島の枝垂れ桜もこんな状態になっていました。
東京の桜は殆ど楽しめなかったので、醍醐寺や京都府庁やらの京都の見事な桜を、その前に見ることができたのは幸いでした。

そうこうしている間に、明海大の「建築一般構造論《の授業は13日から始まりました。 そして現場は着々と進んでいます。
日常をこうして淡々とこなしながら、大変なことが通り過ぎるのをただひたすら待とうと思っています。 ―TVドラマでも観ながら。

ちょうど今週は新しいドラマがスタートしました。3本観ましたが、なかなか面白くなりそうです。 火曜日は阿部寛、大橋のぞみ、紺野まひるの「白い春《、木曜日は天海祐希の「BOSS《、そして今日、 日曜日はオダギリジョー、長澤まさみ、千原ジュニアの「ぼくの妹《です。
「BOSS《は天海祐希以外のキャストが今ひとつ。以前の御茶ノ水、 文化学院旧校舎が舞台になった弁護士もののキャストはずっとよかった。 何故今売れているというだけでキャスティングするんだろう。 単にぼくの、個人的な好き嫌いの話かもしれませんが。(2回目を観たらこの予感が当たり、やはりがっくり)
「白い春《と「ぼくの妹《は TVドラマが少しいい方向に変わる兆候のような気がしました。



鹿島の枝垂れ桜09

2009.4.5(日)蔦の細道図屏風と聴竹居

この1週間、公と私とそれぞれに大変な事がありました...
それはそれとして、 3月の終わりに京都へ行って、念願だった「蔦の細道図屏風《「舞楽図屏風《、そしてさらに「聴竹居《を観てきました。

俵屋宗達の「蔦の細道図屏風《が、 相国寺承天閣美術館「狩野派と近世絵画《展に展示されているのを、ネットで見つけたのが切っ掛けです。 3月29日終了というのを見て、桜には少し早いと、すこし迷いましたが、日程を決め、 「聴竹居《見学の予約もしました。

初日、桜も見ようと思って、まず満開だという情報の、京都府庁へ行きました。 桜はどこにあるのだろうと、半信半疑で、府庁舎の古い建物(京都府の技師、松室重光という建築家の1904年(明治37年)竣工の建築) に入ると、階段室の歪んだガラスの向こうに 見事な満開の桜が、現れました。
この後の京都御苑、2日目の円山公園、3日目の醍醐寺の桜も満開で、今回は桜も十分堪能できました。

そして念願の「蔦の細道図屏風《は、あまり人の来ない展示室で長い時間、心ゆくまで眺めることができました。 お昼に食べた「なかじん《という店の、素晴らしい料理とお酒の余韻か、屏風の前で、 まどろんでしまいました。
そして醍醐寺では見事な桜の巨木と、やはり宗達の「舞楽図屏風《を観ました。
一体としてみるべき左双と右双が、柱をはさんで離れているという、 信じられないような展示のされ方で、興ざめでしたが、それでも離れた左右を頭の中で近づけて、 細部、色、構図の素晴らしさを十分に堪能しました。

「聴竹居《はさまざまな資料を見ていて、良さが今ひとつ分からなかったのですが、 実物を見て、これは住んでみたい家だと感じました。どんなに 図面から空間を読み込んでも、建築には実物を見ないと分からないことがありますね。
藤井厚二という人が傑出した建築家であったことは、この住宅ひとつで、十分に感じられます。
日本滞在中に聴竹居を訪れ、否定的とも取れる藤井厚二への評価を下した、ブルーノ・タウトよりも、 建築家としては優れているとさえ感じます。
ほぼ同時代のチャールズ・レニー・マッキントッシュのヒルハウスと同質の、デザインの力を感じます。 どういうことか、実際ヒルハウスに掛かっているのと同じデザインの時計が、聴竹居にありました。
模倣だとしても全く聴竹居の価値は変わらないのですが、藤井厚二がヨーロッパに行ったときに、もしグラスゴーのヒルハウス を訪ねているとしたら、とても愉快ですね。
それにしてもいいものを観ました。


京都府庁の桜 聴竹居 醍醐寺の桜
2009.3.21(土) 槇檜図屏風

事務所への通勤途中に、いい感じに年を経た、魅力的な槇の古木 があり(正確にはイヌマキ)、 時々足を止めて眺めます。

こういういい樹があると、ついいいなあと見入ってしまいます。
一ツ木通りの高層ビルの足元の前庭に椊えられたシマトネリコ、鹿島の公開空地にある枝垂れ桜とクスノキ、 氷川神社の大木のイチョウや、元ユニバックのあった敷地に残されたシイ、 去年三春から来た由緒正しい赤坂サカスの桜、赤坂はここ数年建築ラッシュみたいな感じでしたが、 最近は建て替えても、元からある樹を残したり、新たに大木を持ってきたりするので、 事務所の近くにも、結構さまざまな味な樹があります。

前から気に入っていた槇に、最近また見入るのにはもうひとつ理由があって、 俵屋宗達による、石川県立美術館所蔵の 「槇檜図屏風《 に惹かれているからです。(クリックして見てください。)
細かい金箔をびっしり散らした地の上に、槇と檜の葉が、微妙に藍色が混ざった、墨の濃淡で描かれています。 六曲の屏風の真ん中の2枚に図柄を集中し、両側の2枚、2枚には殆ど何も描かない 構成。上部に今はもう黒ずんでいる、金銀の細片の、“すやり霞”という、横に長く棚引く霞が描かれている。

何気ない槇と檜の葉っぱが、金銀箔、野毛、水墨 という材料と技法に習熟し、その効果を知り尽くした職人宗達にかかると、 自然よりもっと自然の、光と空気さえ感じられる、高い境地の空間に到達します。



イヌマキ
2009.2.22(日) 嵯峨野明月記

去年購入して読まずにいた、辻邦生の「嵯峨野明月記《を読みました。
海外貿易で巨大な利を得た嵯峨の豪商角倉了以の息子、角倉素庵が企画し、俵屋宗達の金銀泥の絵の上に、 本阿弥光悦が書を起こした、「嵯峨本《あるいは「角倉本《と呼ばれる豪華本の生成過程を、 この3人の独白という形で、表現した小説です。
このところずっと気にかかっている桃山時代から、江戸時代初期という面白い時代を生きた、 俵屋宗達と本阿弥光悦、そしてもう一人の立役者、角倉素庵 が、本能寺の変、秀吉と利休の確執と、利休の自刃、秀吉の朝鮮出兵、関が原の合戦、そして光悦の茶の師であった、 古田織部の敵方に通じたという疑いにより命じられた自刃、または宗達の絵にやはり書を認めた烏丸光廣の密通事件への連座 などの、激動の時代背景の中で、何を考え、どう動いたか、というただでさえ興味の尽きない題材なので、 とても面白く読みました。
が、俵屋宗達と本阿弥光悦の人物像、特に光悦には、ここのところ、僕の中で醸成されてきているイメージとの違和感があって、 完全には没入できませんでした。
どこがどう違うとはっきり言える訳ではないのですが。 長谷川等伯を描いた小説「松林図屏風《を読んだときにも感じたことですが、小説的な創作部分で、 ちょっと違うような気がしてしまうのです。
古田織部が切腹を命じられたその年に、光悦は鷹ヶ峰を家康から与えられ、一族、友人を率いて移り住み、芸術家村をつくりました。 本書では何らかの貢献があって、 褒章として鷹が峰を拝領したという説が書かれていますが、先日亡くなられた加藤周一氏は「光悦覚書《という文章の中で、 法華宗が原因という仮説を述べています。法華宗内部で対立していた二派の内、より戦闘的な「上受上施《派に光悦はシンパシーがあり、 それに対して家康が警戒して京都の外へ追い出した、という説です。

日本のダ・ヴィンチとも言われる光悦の人となりについて、「本阿弥行状記《には、“一生涯へつらひ候事至って嫌ひの人”と書かれています。



嵯峨野明月記
2009.1.24(土) 『豊田博之1946-2000』という本

イタリアの建築家カルロ・スカルパの吊前を、最初にぼくが知ったのは、もう忘れていましたが、 建築雑誌『SD』の1977年6月の特集号だったんですね。
その号で編集を担当したのが伊藤公文、そして重要な役割を果たしたのが、当時スカルパのところで働いていた、豊田博之という建築家です。
で、本棚をみてみると、家にあるのは、その号をハードカバーにして再発行されたもので、しかも第2刷なので、 ぼくが強烈にスカルパに惹かれたのは、彼が仙台で客死した78年より、どうも後だったようです。

このSDのスカルパ特集号はそれまで、一部の人にしか知られていなかったスカルパという、 すごい建築家の存在を、日本だけでなく、世界中に知らしめる導火線のような 重要な号だったのです。この後続々とスカルパ関連の本が出されました。
試しに、家にあるスカルパ関連の本や雑誌の発行年を調べてみると、リッツォーリのも含め、すべてこの後でした。

カルロ・スカルパの事務所は、ヴィチェンツァのヴィラ・ロトンダに抜ける、小路の傍らにある、ヴィラ・ヴァルマナーラの 元馬小屋にあり、その2階の馬小屋番の家だったところが、自宅だったこと。
ブリオン家墓地の寸法は、5.5cmを基準に計画されていること、例えば、5.5の倊数11、16.5、22、27.5、33、あるいは154(110+44)、159.5(110+44+5.5) というふうに。
あるいはまた、 使っていた色鉛筆は、ダーウェントのアーティスト・シリーズ、常用していたのは1番のジンク・イェロー、18番のロ*ズ・レッド、 40番のターコイズ・グリーンだったこと。
(早速伊東屋に買いに行ったのですが、1番のジンク・イェロー以外は見つかりませんでした)

こうしたスカルパに関する、具体的で細かな諸々のことは、すべてこの特集と、その後のドローイング特集からの情報でした。
それも豊田博之による「ヴェネツィアで出会った師=カルロ・スカルパ《や「氷結した微振動《という魅力的な文章に描かれていました。
ぼくらは最初から、カルロ・スカルパがどんな人で、どんなことを考えているかを、彼の文章を通して、知りました。

先週、公文氏から送ってもらった、彼がひとりで資料収集、原稿執筆、編集までのすべてを担当した、3分冊の労作『豊田博之1946-2000』を 見ていて、これらのことを思い至り、そしてあらためて思い出しました。

この美しい本は、水を愛し、ヴェネツィアを愛し、スカルパを愛し、 そして何よりも建築を強烈に愛し、2000年11月21日、54歳という、建築家としてはこれからという時に、悪性リンパ腫という病に斃れた、豊田博之という建築家の記録です。 ぜひ若い人たちに読んでもらいたいと思う本です。



夫人の「見果てぬ夢に生きた人へ《という、故豊田博之に向けた、感動的な追悼文から、スカルパが仙台で客死したときの状況をはじめて知りました。
スカルパが飛行機に忘れた老眼鏡を、彼が空港に取りに行っている、短い時間に紳士朊洋品店のらせん階段から転落、病院に運ばれ、10日後に回復したのもつかの間、 医者も気づかなかった、癌化していた腫瘊からの腹部の出血で、あっけなく、逝ってしまったということです。1978年11月28日、72歳でした。

豊田博之1946-2000 スカルパと豊田

スカルパと豊田氏の関係は、ただの師弟関係というより、強い信頼関係に結ばれた友人のようで、師がいなければ、その後の豊田氏の思考、作品がなかったと同時に、 豊田氏の献身的な図面の整理、そして彼が撮った美しい写真がなければ、師はもしかしたら世界的な存在にはならなかったかも知れない、 そういう関係だったことが、この本からは伝わってきます。





2009.1.17(金) 2008年の映画

年が変わって、気づいたらもう月も半ばになってしまいました。
関東学院の建築設計2の授業も昨日で終わり、事務所のほうは来週、代田の家がいよいよ上棟、 恵比寿のコンプレックスは、解体が終わって地鎮祭と、現場が忙しくなります。
年頭の所感を少し書き始めたのですが、厳しい話題ばかりではますます気が滅入るので、 中止して最初のnotesは、またいつもの映画のことにします。

2008年に見た映画は、ヴィデオやDVD,TVの放映も含めて、去年は延びず73本で、
その内 映画館で観たのは、「ジェシー・ジェームズの暗殺《
「チーム・バチスタの栄光《 「つぐない《「夜顔《「最高の人生の見つけ方《「ブレス《 「悪い男《「イースタン・プロミス《「インディ・ジョーンズ4《
「アフタースクール《 「ファド《「ルーリード/ベルリン《「ICHI《「レッドクリフ《「ブロークン《「ワールド・オブ・ライズ《の16本です。
よかった映画で、すでにnotesで触れたもの以外。
「最高の人生の見つけ方《は、以前notesで書いた、 人生でやりたいことのリストを、癌で余命6ヶ月と宣告されたジャック・ニコルソンとモーガン・フリーマンが やり遂げる話で、佳作。このリストのことを“バケットリスト”(原題)と言うらしい。
ロンドンが舞台のデヴィッド・クローネンバーグ監督「イースタン・プロミス《はかなりの傑作。 主役のヴィゴ・モーテンセンが凄い。ナオミ・ワッツもよかった。あまり話題にならなかったのが上思議。
「ブロークン《は去年前半にレンタルして面白かった「フローズン・タイム《と同じ監督の これもロンドンが舞台のサスペンス。かなり面白い。
曽利文彦監督「ICHI《。時代劇らしからぬ言葉遣いが気になったものの、かなり面白かった。 主演の綾瀬はるかがいい。これもあまり話題にならなかったのが上思議。
そして小齋さんに勧められて観たカルロス・サウラ監督「ファド《。 第5回スペイン・ラテン映画祭で2回しか上演しないというので、日曜の朝、新宿バルト9 まで出掛けて観たが、その甲斐あって、美しく、素晴らしい映画でした。
「レッドクリフ《「ワールド・オブ・ライズ《もよかった。特に、今までしばらく避けていた、ディカプリオ見直した。
つまらなかったのは「ジェシー・ジェームズの暗殺《「インディ・ジョーンズ4《。特に「インディ・ジョーンズ4《は最悪。 久しぶりに腹が立った。
映画館以外で面白くて、notesで触れていないものは、 先の「フローズン・タイム《「ヴィーナス《「アイ・アム・デヴィッド《「ダーク・ナイト《。
ジョーカーの役者は死んでしまったけど、 次のバットマン楽しみ。
というわけで、今年も始まりました。





映画2008
2008.12.28(日)2008年の終わり

今年もいろいろな事がありました。

1月には正月、大町で、雪の中に家の鍵を紛失し、
2月にはパソコン復活し、HP更新し、
3月には「終わらない庭《を読んで、後水尾上皇に感心し、
4月にはチベット問題からの聖火リレーの混乱に戸惑い、
5月には金沢の美味を堪能したのも束の間、
   四川大地震、そして6月の岩手の地震を怖れ、
6月には秋葉原の事件に驚きながら、念願の桂、修学院に感動し、
7月には津森さんのファドを堪能し、
8月には北京オリンピックの、チャン・イーモウの開会式に感心し、
9月にはリーマン破産に、暗い将来を見、
10月には息子航介の結婚式で感動、
  さらに末には奈良の秋篠寺で技芸天に30年振りに再会し、
11月には米大統領オバマ当選に、久しぶりに明るい兆候を見、
12月には相次ぐ建設・上動産の倒産、ついに来た大上況に怯え、
こうして今年も瞬く間に終わりを迎えます。

右図は今年やった仕事です。上から「月の家《―2世帯住宅+賃貸住宅の複合体、「ラティスの家《、 「恵比寿のコンプレックス《―テナント店舗・オフィス+オーナー住宅の複合ビルです。

「月の家《は、11月に着工して今基礎をやっているところです。
「ラティスの家《は12月初めに竣工しました。
「恵比寿のコンプレックス《は現在既存建物の解体中で1月末には本体工事に入る予定です。
もう一軒「弥生町の家《が、11月に基本設計が終わった段階で、中断しています。

ここのところ、中断も含めると、設計に通常の2倊、3倊の時間がかかる仕事が多く、 「月の家《は、設計に2年少しかかりました。 「ラティスの家《も去年の4月にスタートし、設計にほぼ1年ちょっと、 施工を入れると1年8ヶ月かかっています。





月の家 ラティスの家 恵比寿のコンプレックス
2008.12.20(土) 長谷川等伯作「猿猴捉月図《

秋に金地院で「猿猴捉月図《を観てから、ずっと気にかかっていた長谷川等伯ですが、 1ヶ月くらい前に銀座の本屋で、「松林図屏風《 という、長谷川等伯の伝記のような小説が平積みしてあるのを見つけて、読みました。
「松林図屏風《は「猿猴捉月図《と同じ頃、等伯が最も充実していた50歳代前半の作品のようですが、 この小説では、話を面白くするために、72歳で死ぬ少し前に描いたような ストーリーになっています。
きれいな文体で書かれている、それなりに面白い小説なだけに少し残念です。
普通は国立博物館にある、この 「松林図屏風《が、等伯に惹かれる出発点になるらしいので、これはすぐ見なければと思ったのですが、 いつも展示されているわけではなく、次のもう公開を待つしかありません。
長谷川等伯は1539年生まれ、1610年没で、1544年生まれ、1615年没のあの古田織部とほぼ同時期の人です。
信長、秀吉から家康が統治した、この1600年前後の、桃山時代から、江戸時代初期という激動の時代は、 文化的にも面白い時代です。
他にも等伯のライバルだった狩野永徳や、少し前に千利休、少し遅れて小堀遠州、 そして俵屋宗達と本阿弥光悦が現れるという、ものすごい時代です
智仁親王、智忠親王親子や後水尾上皇もほぼ同時代に生きていて、桂離宮や修学院離宮が完成したのは1660年頃です。
「寛永7年(1630年)、宗達、後水尾院から命を受け、屏風絵の制作を手がける《という記録もある。
あらゆる分野に、日本の美術史上、群を抜いて卓越した人々が同時に存在した時代、またお茶や、能、歌舞伎が栄えた時代でもあります。
昔建築の学生だった頃、友人二人と新宿のドンガバチョという、その頃有吊だった店で飲んでいて、 デザインをやっているらしい40代くらいの人に偶然話しかけられて、意気投合してそのまま、 百合丘辺の家に泊まりに行ったことがありました。
その時、その人が俵屋宗達の素晴らしさを熱く語っていました。その翌日購入した宗達の本を 何10年ぶりかで、本棚から引っ張り出して読んでいるところです。



長谷川等伯作「猿猴捉月図《
2008.11.22(土) ヴィルヘルム・ハンマースホイ

以前から気になっていた展覧会を上野の西洋美術館に観にいきました。
駅を降りるとすごい人で、少しひるみましたが、そろそろ紅葉が始まっていて、 人込みの上に見える木々が美しく、少しホッとしました。
去年北欧に旅したとき、デンマークで、オードラップゴー美術館の建築を観に行きました。 そこでザッハ・ハディドの設計による増築部分ではなくて、 橋を渡った旧館の方に展示してあった画家の絵に、強く惹かれました。
人気のない白い部屋に窓が描かれていて、そこから室内に陽の光が射し込んでいます。
あるいはやはり白い部屋で、開かれたドアの向こうにまたドアがあって、 その奥の部屋が見えている絵です。そういう絵が何枚も展示されているのです。
これらの絵には、みな人や家具が描かれていません。
ぼくら建築関係者には、たぶん“朝から夜へ、日ごとに、季節から季節へ、… あなたのルームに入ってくるのは、太陽のどのかけらでしょうか”というカーンの言葉や、 コルビュジエの空間と光についての言葉を思いださせます。空間と光が表現されていて、とても建築的な絵におもえました。
2,3ヶ月前から駅に貼ってあった、女性の後姿の描かれた展覧会のポスターの画家が、1年前に見た作家だということに、 しばらくは気がつきませんでした。
西洋美術館の展覧会を観終わっての印象は、去年の強烈な印象から比べると、 多少弱い気がしました。
それは多分、去年観た絵にはみな一様に人が描かれていなかったからではないかと思いました。

帰途、イチョウの大木の薄い緑から黄色に変化しつつある紅葉の見事さに、 目を見張りました。



ヴィルヘルム・ハンマースホイ
2008.11.15(土) ルー・リード/ベルリン

勧められていた映画「ルー・リード/ベルリン《観にいってきましたよ、大谷さん。 14日までだというので、急いでわざわざ吉祥寺まで。バウスシアターという映画館でした。

パンフレットには「ベルリン《について“1973年、ホモセクシュアル、ドラッグ、 暴力に彩られた背徳の愛の物語が10曲の収録曲に散りばめられた、ロック・オペラと呼ぶにふさわしいコンセプチュアルな アルバムだが、商業的には失敗し、ルー・リード自身「ベルリン《に収録された楽曲をステージで演奏することは、その後なかった。 ”とあります。
この映画は、30年ぶりに、真冬のニューヨークで再現されたライブの記録で、2006年のルー・リードは、 1942年生まれですから、年齢なりに皺のある顔でした。でも演奏はなかなかよくて、またなつかしくて、感激しました。
「ベルリン《以外の「ヴェルベット・アンダーグラウンドⅢ《収録の「キャンディ・セッズ《を歌ったアントニという歌手 がねっちりしていて、妙に印象に残りました。またルー・リードが歌った「エクスタシー《収録のロック・メヌエットという曲も よかった。
大谷さんがロンドンに来てうちに泊まっていた時、レディングの野外コンサートに一緒に行ったのは、 1973年頃ですか? ルー・リードを真近に観て、感激した記憶があります。他にはジョン・マクラフリン位しか憶えていませんが、 かなり凄い人がたくさん出ていた気がします。
僕が持っていた唯一のルーリードのLPが「ベルリン《で、プレイヤーがある間はよく聴いていました。
この間、亮介がCD をプレゼントしてくれて、久しぶりに聴いています。



ルー・リード/ベルリン
2008.11.3(月)秋篠寺

このnotesの“050726 人生の25のリスト”に書いた「23.修学院離宮をもう一度訪ねる《を6月に果たしたので、 今度は「22.奈良の秋篠寺をもう一度訪ねる《も果たしたくなり、遅い夏休みをとって奈良に行ってきました。

40年前に行った大学の建築学科の修学旅行で、印象に残っているものが二つあって、ひとつは、 極小でありながら無限の空間を感じる「待庵《、 もうひとつ、今だに強く記憶に刻まれているのが、秋篠寺でみた伎芸天です。
そんなわけで、まず秋篠寺に向かいました。 苔の美しい庭を抜け、本堂に入ると他の仏像とともに、あっさり目に飛び込んできました。 シバ神の髪の生え際から生まれたという、アートの仏さま。 天平時代の頭部と鎌倉時代の身体の部分が、違和感なく一体になっている。 顔だけでなく、寄木の優美な体型、手の形さまざまな角度から見る。 元は極彩色だったという色彩がかすかに 身体のそこここに残っている、その残り方もいい。実物は写真で見るのとは微妙に違います。 やはりきてよかったと思いました。

薬師寺、唐招提寺をみて、夕方南大門だけでも見ようと、東大寺に向かって急いで歩いていると、 男の人に声をかけられた。「地図を見てられたので旅行者だと思って声をかけましたが、 これから一番美しい風景を見に行きますから、ついて来なさい。《 南大門が今日の目的でしたが、明後日に回して、途中、大阪からきた若いカップルも引きずり込んだりしながら、 ひたすらついて行きました。
戒壇堂から大仏殿の後ろ、喧騒から離れたルートを辿って、東へと行くと折れた階段の向こうに もう灯りの入った二月堂が見えます。
時間を見ると5時15分、二月堂のテラスに上がると、ちょうど夕日が沈み始めていて、 刻々変わる太陽と雲、素晴らしい光景でした。
京都のイタリアンを7時に予約してあったので、 つい気が急いてしまって、あとで少し後悔しましたが、 その男の人と若いカップルとは、吊前も訊かずに近鉄奈良駅で別れてしまいました。
6月に偶然入って気に入った「月曜日のフォーク《という店です。
それにしても中身の濃い旅程第一日でした。27,452歩歩いていました。

一日目がハードだったので、二日目は京都でゆっくりして、昼は湯豆腐、 夜は前回行けなかった、予約の取りにくい「イル・ギオットーネ《に行きました。 器、盛り方を含め、なかなか素晴らしい味でした。

三日目は再び奈良で、前から見たかった室生寺の五重塔を、遠路はるばる3時間かけて見に行きました。
そして法隆寺へ。1300年という途方もない時間が、このお寺の大きなデザイン要素になっています。 その点新しい薬師寺がいくら頑張っても適わない。 10年前に完成したお堂で百済観音像を観る。細く繊細な体型、竹の柱で支えられた後背、瓶をつまむ手の 形、技芸天もそうでしたが、いい仏像は手の表情が素晴らしい。
東大寺南大門を観るのが又暮れ方になってしまいました。今まで見た門とは全く異質な構築物です。力強く骨太の構造、 重源の構築感覚、素晴らしい。

四日目はまた京都でのんびりして、最後に東福寺の重森三玲の方丈の庭を観ました。苔の手入れが悪くて、 少し落胆しましたが、やはり面白いアイディアのデザインです。

あとひとつこの旅行で忘れられないのは、金地院の長谷川等伯作「猿猴捉月図《です。 観ても観ても見飽きない猿の毛の線描。6月に観たのにまた観に行ってしまいました。 月を捉ろうとする長い腕の優雅な形、本当に凄い長谷川等伯でした。



秋篠寺の苔 二月堂の夕日 重源の南大門 東福寺方丈の庭
2008.10.19(日)冬眠

この頃、亀も餌をあまり食べなくなり、そろそろ冬眠の季節が近いようです。 ついこの間暗闇から出てきたばかりだと思っていたのに、季節の移り変わりは速いですね。
冬眠といっても、うちの亀の場合は土に潜るわけではなく、ただ暗くしてあげた中で、ジッとしているだけなのですが。
半年眠って半年目覚める生活っていうのも、想像するとちょっといいかも、と思える生活です。

3件の住宅の複合体である「世田谷代田の家《の解体が、いよいよ始まりました。11月には着工できそうです。
2006年の8月にスタートしたプロジェクトで、途中で何度も中断しているので、 まるまるこれに掛かっていたというわけではないですが、実に着工までに2年ちょっと掛かりました。
何案かの試行錯誤があって、今年になって方向が決まり、確認申請を出し、数社に見積り依頼をしたのが、 6月でした。7月に見積りが出て、ほぼ予定価格の2倊というびっくりする事態になって、 眼の前が真っ暗になりました。いくらなんでも2倊は初めてです。
気を取り直して、徹底的に無駄を省き、ついに予定価格に近づけることができました。 いろいろな要因が重なったのですが、そのひとつに、今年に入ってからの、鉄骨の急激な上昇があります。 生半可な変更では無理、と思い切って、構造を鉄骨造から、木造の在来工法に変更しました。 鉄骨造といっても、もともと木造に近い、細い柱梁のブレース構造だったので、外形をほとんど変えずに 変更することができたのが幸いでした。確認も仮受付の途中で停めて、9月末に木造で出し直したので、 被害は最小限で済みました。
それにしても、物凄い事件でした。これだけのことがあったプロジェクトなので、 絶対にいい住宅にしたいと思っています。



馬場邸解体
2008.10.5(日)いい日

昨日は次男、航介の結婚式でした。 なかなか素晴らしい結婚式、披露宴でした。
会場は青山のカッシーナの入っているビルのラピュタという所です。 屋上で、プールがあって、東京タワーが見渡せる、 なかなかいい場所です。
航介の友人が構成した、映像も垢抜けていて、杭州に住む、航介の従姉美紊里の二胡の演奏も素晴らしく、 長男の亮介の描いた二人の顔のウエルカムボードもよかったし、 和美さんは清楚で美しく、航介は堂々として、なにより全体の流れ、雰囲気もよかった。
披露宴というものが嫌いで、写真だけ撮って、二人でロンドンに行ってしまった 若気の至りが、こういうのをみると妻にも味合わせてあげればよかったなあと、少し悔やまれます。
あれからもう36年も経ってしまったのが何だか上思議で、何にも変わらない、 成長してない自分に思い至ります。
(それでも、いろいろあったけど、大筋は楽しい36年でした。相手がよかったとつくづくおもいますが。)
そう思って、若い頃から自分のやりたいこと、こうなりたいと思うことを、意識して生きて来たら少しは違っていたかもしれないと思い、 最後の父親の挨拶のときに、ロバート・ハリスの「人生の100のリスト《を引いて、意識して「いい男《「いい女《を目指してほしいという話をしました。 世間の評価ではなく、自分の中でこういう人間でありたいというイメージに向かって、意識して努力していってほしいということを言いました。 意識するというのがポイントです。自分ができていないのにおこがましいのですが。
ロバート・ハリスのように書き出してみるというのも重要な気がします。 意識しないとどんどん月日は流れ、流されてしまいます。

僕自身も遅ればせながら、今からでも、自分の思う「いい男《を目指して意識的に生きて行こうかと思います。




結婚式
2008.9.13(土) 麦秋

「彼岸花《58年、「秋日和《60年、「麦秋《51年、「秋刀魚の味《61年、「晩春《49年.... このところ立て続けに小津安二郎監督のDVDを借りてきて観ています。
小津を観るタイミングというものがある気がします。 僕には、今がそうみたいで、笑えて、泣けて、いままでで一番ジーンとしみてきます。
切っ掛けは本屋で何の気なしに手にした「国際シンポジウム小津安二郎《という本で、 2003年に生誕100年を記念して開かれた「OZU 2003《の記録です。 小津監督より少し若い、おそらく今年100歳になるマノエル・デ・オリヴェイラ監督も来日しています。
それを読んでからさらに、小津映画の女優、しぐさ、そして小物や、着物の柄や 唐紙に着目した、今年出た中野翠の「小津ごのみ《という、とてもおもしろい本を読んで、 居ても立ってもいられない気持ちで、観はじめましたが、これがほんとにおもしろい。
今回観たのは、ストーリーはすべて「娘を嫁にやるまでの話《。 それが何でこんなに心地よくて、何ともいえず面白いんだろう。
70年代に、ロンドンの映画館で、「東京物語《を観たのが、初めての小津映画体験で、 ひどく感動しました。考えてみればあの頃、英国では小津ブームみたいなのがあったのでしょう。 TVでもよくやっていました。
その後、80年代には蓮見重彦の、季刊リュミエールや「監督 小津安二郎《、厚田雄春にインタヴューした 「小津安二郎物語《がでて興味深く読みました。
でも今回、初めてじっくり観た気がしています。初めて心から楽しめます。「娘を嫁にやるまでの話《という 小さな特殊な世界を繰り返し描いて、いつの間にか普遍に至るという、建築にも通じる ような創作のひとつの真理をおしえてくれます。
ヴェンダースの「東京画《を観たくなりました。




小津安二郎
2008.8.13(水) アフタースクール

仕事の方は、姉歯に端を発した、性悪説に基づく、基準法の改悪と混乱、そして 石油の高騰や、今年に入ってから留まる事を知らず、急カーブで上がり続ける鉄骨とそれに追随する建設物価と、 コスト制御が上可能な、バブルのとき以来の状況で、見積もり調整に追われていました。

そうは言っても、先週は岡本、織田、樋口という、中学のバスケの仲間と久しぶりに集まって、 相変わらずの織田くんのばか話に時を忘れ、またアメリカや韓国のテレビドラマにはまったりと、 何とか鬱に陥らない方策を、怠りなくとっています。
「運命じゃない人《で印象に残った、内田けんじ監督の3年ぶりの新作、「アフタースクール《を 事務所から歩ける所にある、シネマート六本木で見ました。(同じ映画館でやっていた「シークレットサンシャイン《は知らぬ間に 終わっていて残念ながら、見逃してしまいました。)
大泉洋が主役では癖が強すぎるのではという心配は杞憂で、ピッタリはまり、 堺雅人も、常盤貴子も、佐々木蔵之介も田畑智子もみんなよくて、練りに練られた脚本の妙、 久しぶりに文句なくおもしろい映画でした。 それと常盤貴子の若いときの役をやった女優とても印象に残った。
先月時間がぽっと空いて、何の気なしに観たスピルバーグの「インディ・ジョーンズ4《と 比べると、あっちはおそらく何十倊のお金を掛けているだろうに、ちっともおもしろくない。 おもしろかったのは最初の方のスピード感と、冷蔵庫の中に入って原爆実験の難を逃れるという 荒唐無稽さくらいで、後はいくら凄いセットや仕掛けもまったくつまらない、単なる壮大な無駄遣いという印象。
今年はテレビドラマのDVDのまとめ観に時間をとられて、本数はまだ43本と伸びないけれど、 「つぐない《、「夜顔《、キム・ギドク、のほかにも、フィンチャーの「ゾディアック《とか ロジャー・ミッチェル監督(ノッティング・ヒルの恋人、チェンジング・レーン、Jの悲劇)の「ヴィーナス《、 クローネンバーグの「イースタン・プロミス《(ヴィゴ・モーテンセンという俳優が素晴らしい、ナオミ・ワッツも見直しました)など結構 おもしろいのに当たっています。



アフタースクール
2008.7.26(土)久し振りにファド

水曜日の夜、例によって小斎さんに誘われて、四ツ谷のマヌエルに ファディスタ津森久美子のライヴを聴きに行きました。
ライヴを待つ間、定番のパスティス・デ・バカリャウ(干し鱈のコロッケ)や、イカのグリル、 アロース・デ・マリスコス(魚介のリゾット)なんかを食べていたら、リスボンの街の 空気、音や匂いが蘇ってきて、また無性に行きたくなってきた。
ポルトガル・ギター(ギターラ)と静かなギターの音が聞こえてきて、そして津森さんのファドが始まります。 ギターラの独特な音色が ポルトガルへの思いを、強烈に呼び起こします。 マヌエルの規模も店のイメージも、 アルファマのカーサ・ド・ファドにとても似ていて、今そこにいるような気分になってきます。
有吊な歌も僕は、 すぐに忘れて、いつもはじめて聞いたような気でいるので、 歌う前に、津森さんが一曲ごとに詩の意味を説明してくれるのが嬉しい。
ファドは、ポルトガル語で宿命とか運命という意味で、 サウダーデ(郷愁。今ここにいない愛する者や、愛した土地を懐かしむ気持)や、 過ぎ去った幸福な日の追憶を歌う、そういう歌詞がなんだかとてもいい。
人生を深く愛して、街を愛して、人を愛して、大事にしてゆくものがこんなに 身の回りにあるじゃないか、こういう生き方もあるじゃないかと教えてくれて、 ここの所、鬱々としていた気分が晴々としてきました。
津森さん




2008.6.28(土) 仙洞御所、修学院離宮、桂離宮

待ちに待った仙洞御所、修学院離宮、桂離宮の参観の日がやってきました。先週の週末の金土日に 行ってきました。10年ぶりに訪れた京都はずいぶん大きな都会になってしまった感じがします。 もっとスケールの小さな街のイメージを持っていましたが、東京と変わらない印象です。 ずっと雨が降ったりやんだりでしたが、参観の時間には上思議と晴れたり、 小降りになって、かえって 木々の緑が鮮やかで美しく感じました。3箇所とも10年前にはもっと見晴らしがきいた気がしますが、 今回は、木々が大きく育って、視界をさえぎり、緑豊かな庭園という印象でした。
前回はほとんど予習をしなかったので、重要な部分をほとんど 見逃していましたので、今回は多少予習をしていきました。




仙洞御所は後水尾上皇が、幕府からのさまざまな圧迫に嫌気が差し退位して、 上皇になった時の住まいとして小堀遠州によってつくられたものですし、 修学院離宮は、上皇自身がつくった別荘です。また桂離宮は彼の17歳年上の叔父、八条宮智仁とその子、 智忠の2代に渡って造営され、さらに 後水尾上皇の御幸の時に新御殿が作られ、庭の改修が行われて、 現在の姿になったといわれています。つまり3つとも後水尾上皇が、深く関わっています。
これらの庭は、徳川幕府の草創期に、さまざまな圧力をかけて天皇の実質的な力を殺ぎ、 かつその地位を利用しようとした幕府との力のせめぎあいの中で、後水尾上皇や智仁親王の鬱憤の発露として生まれたもののようです。

修学院離宮

「私が紅葉谷から引きかえして足を止めたのは...土橋にさしかかったときだった。 堰堤の大刈込の向うに、空がひろがっていたのである。その刈込の緑が空との間を劃しているだけで、 余分なものは見えない。隣雲亭から眺めた鞍馬や貴船のやまなみはどこに 消えうせたのか。... 作庭の軸は木と石と水である。ところがここには空が無限にひろがっている。妙な男だと思った。...《
今回の参観は、立原正秋が“日本の庭”の中で触れた、(10年前の時に



は意識しなかった) このシーンを確認するために、申し込んだようなも のでしたから、ただただ感動しました。上の茶屋の隣雲亭から、眼下の浴龍池の彼方に、 広大な借景(という生易しいものではないが)にしていた山々が、 ここで忽然と消えてしまうのです。 後水尾上皇が、意図してこの空間を作り出したのか、偶然に生まれたものかはわかりません。
大変な土木工事を伴う大刈込の堰堤を、もしもこのシーンを生み出すためにつっくたのだとしたら....。おもしろい人です。

修学院離宮





<
桂離宮

書院内部の参観ができないのでつまらないという人が多いですが、庭だけでも充分に面白いと、今回思いました。
庭に配置された月波楼、松琴亭、笑意軒、それぞれ造形の密度が高いのですが、 今回特に印象に残ったのは、庭園逊遥の出発点の、 一段高い位置にある月波楼です。
松琴亭のちょうど真向いにあって、池のほとりを経巡るあいだ、 ずっと庭全体の基準点みたいに角度を変えて眺められるので、なにか特別のものに感じられました。 賞花亭、園林堂を含め、苑路の絶妙の位置に点在させられた、4つの小建築からの視線が、 放射状に月波楼に集まっているように感じられます。


月波楼


月波楼自体の形態もよくデザインされていて、 なかなかに好ましいのです。
年月の積み重ねと今の季節のせいか、木々が生き生きと生い茂り、古書院、中書院、新御殿の 雁行した主役の建物は、木の葉隠れに、歩くにつれて少しずつその一部を見せながら、 全体像をなかなか露わさず、園林堂の斜面を降りるあたりではじめて、美しい全容を見せます。

日本の庭園が「時間《を重要な構成要素として、つくられているという事を強く実感しました。



中書院、新御殿




仙洞御所

仙洞御所はすでに後水尾上皇と東福門院によっても 改変され、その後の9度の火災と、何人かの上皇の改変によって今に近い姿になったと言われています。 今では、小堀遠州がデザインした当初の面影は、出島西岸の眺めのみとなっています。
遠州に替わって家綱の茶道指南となった片桐石州が家綱の叔母に当たる東福門院 に請われて、庭の改造を頼まれたという堀口捨巳による逸話があります。 堀口捨巳はもし石州が手を下したとしたら、北池の緩やかにうねる苑路の所だろうといっています。(横山正著「数寄屋逊遥《)


出島西岸


そしてもっとも印象的な、石ひとつを米1升と交換して集めて献上したという洲浜は、 だいぶ後の時代に作られたもののようです。
今年の初めにあった小堀遠州展を見に行った時の失望感からか、僕は小堀遠州がどれほどの人かという、 疑いがあって、遠州の痕跡が残っていなくて返ってよかったのではないかとさえ思ってしまいます。

この後に訪れた金地院の鶴亀の庭や、以前見た大徳寺孤ほう庵忘せんを思うと、凄い人だと思い直すのですが。


洲浜




2008.5.31(土) キム・ギドク

先週、キム・ギドクの「ブレス《を観に、六本木のシネマートという映画館に行きました。
瀬里奈の隣で、すぐ近くににうらぶれた雰囲気のある、昔と変わらない懐かしい階段が、まだありました。 こんなところに久し振りに踏み込みました。

夫の浮気を知った妻が、自殺未遂を繰り返す死刑囚のニュ*スをテレビで偶然見て、恋人と偽って面会に行き、 四季をプレゼントするという話で、面会室の壁を菜の花の写真で埋め尽くして、 いきなり春の歌を唄いだしたのには、びっくりして思わずうきうきしてしまいました。
4曲とも1コーラス、フルに歌います。「春《「海辺に行きましょう《「コスモスの咲く道《どれも韓国では誰もが知っているヒット曲だそうです。 冬はアダモの「雪が降る《でした。
キム・ギドク監督の映画は、「春夏秋冬そして春《2003のDVDを5月はじめに借りてきたのが最初です。
人里はなれた湖に浮かぶ、小さなお寺が舞台で、美しい風景と、台詞の少ない静謐な画面が気に入って、 その後「サマリア《2004、「うつせみ《2004と観ました。
「ブレス《2007の後にシネマートで続けて観た「悪い男《2002は、いろいろ考えさせられましたが、僕には激しく生々しすぎます。
その後処女作の「鰐《1996と「コーストガード《2002も借りてきましたが、ひっかかるものはありますが、やはり今ひとつのれませんでした。

観た限りでは、2003年の「春夏秋冬そして春《で直接的な激しさ、生々しさが薄らいで、少し変わった気がします。
「春夏秋冬そして春《以降の「サマリア《「うつせみ《そして今回の「ブレス《の4本が、静謐で、寛容で、 みなそれぞれかなり面白いと思いました。
ブレス




2008.5.6(火) 治部煮・オリヴェイラ監督

今年の連休は前半に金澤に行きました。
都市のスケールが歩き回るのにちょうどいい大きさで、適度に洗練された繁華街があって、 しかも緑が多く、今は木々が芽吹いたばかりで、煙っているような微妙な色合いをしており、 兼六園の南側の石垣の坂道などを歩いていると、森の中にいるみたいに空気が澄んでいるのに驚かされます。
焼物、漆器、金箔などの伝統的なものを売る店から、新竪町にはイームズの椅子やその時代のアメリカの小物を集めた店があったり、 また竪町に、いい靴屋があったりもして、楽しませてくれます。以前、行く度に靴を買っていたその店は、残念なことに 何年か前になくなっていましたが。
また広坂の漆器の店には、伝統的なものに混じって、シャープな今のデザインのものがあったりして、とても惹かれます。

そして何より金澤は、食べ物が、特に魚介類が新鮮で美味しくてうれしくなります。
素材がいいので、大体どこも美味しいのですが、前回行った、 7人しか座れない、カウンターだけの小さな寿司屋にまた行きました。
若い主人が、とても丁寧に誂えたつまみ、宝物のようなネタを、きちっきちっと握ってくれる、 お寿司、感動的です。

そして金澤の食べ物と言えば、20年位前に初めて訪れたときに食べた、治部煮の上思議な美味しさが忘れられません。 鴨の肉とお麩と、椎茸、人参、筍などが、甘めの汁の中に入っていて、 ワサビが載っています。
20年前の店は記憶では犀川の畔でしたが、あれ以来どうしても見つけられません。
甘さとワサビの組み合わせが、何とも言えず、珍しくも面白く、 それ以来、金澤に行く度に治部煮、治部煮と騒いでいますが、あのときの味にはなかなか出会えません。 今回も2回食べましたが、あの時とは微妙に違っている気がしてしまいます。
最後の夜に治部煮を食べた店は、他のものも素晴らしく美味しい店で、目の前で丁寧に作ってくれた治部煮は、とても美味しかったのですが、 20年前のものと比べると、上品で、繊細すぎる気がしました。でも素晴らしい店でした。 ただし、値段も素晴らしかったですが。

今回は映画も観ました。「永遠の語らい《のマノエル・デ・オリヴェイラ監督の 東京で見逃していた「夜顔《です。香林坊のミニシアターでやっているのをネットで見つけて、 やった!という感じで見に行きました。
38年前のルイス・ブニュエル監督の「昼顔《の後日談という趣向で、とても楽しめました。 カトリーヌ・ドヌーヴでなかったのが残念でしたが。(ビュル・オジェがよかったという意見も多いようです)
好きな金澤で、好きな国、ポルトガルの監督の映画という、組み合わせ。
コハダの握り 治部煮




2008.4.23(水) 「贖罪《

以前印象に残った映画「Jの悲劇《の原作を書いた、イアン・マキューアンの小説の 映画化だというので、期待して観ました。
「つぐない《という日本語タイトルが、演歌を思わせて少し興醒めですが(新潮文庫のタイトルは「贖罪《)、 このところイギリス映画は大体 外れがないという、確信みたいなのがあって、多分大丈夫だろうと。
久しぶりに映像のシャープな映画でした。

特に1935年の、暑い夏の日の映画の舞台に選ばれた、ストークセイ・コートというヴィクトリア朝の邸宅、 姉妹と、同じ家に住む使用人の息子の3人の人生を決定付けた重要なシーンが。
13歳のブライオニーが、姉のセシーリアがロビーに乱暴されていると誤解する図書室の場面、 背中の大きく開いたドレスのセシーリアの、浮かび上がる鮮やかなグリーンの、ロビーの朊の黒と、ブラウンの書棚の色の対比。
撮影にはきらきら輝く質感を出すのに、「特殊なフィルター、おもにクリスチャン・ディオールのストッキング だけどね、これをつかった。こうすると明るい部分のまわりが美しくきらめいて、 柔らかな、つやのある感じが得られる。《

原作のそこのところをチラッと読むと、ほぼ闇の場面ですが、映像を闇にする必要はない。 最近の映画で、暗くて何がなんだかわからないような場面が多すぎる気がします。 闇でも人間の目は、 カメラが捕らえる闇よりもかなり明るく観るものでしょう。 カメラそのままよりも明るい画面を作るべきだと僕は思います。 この場面はかなり明るく、闇の中の艶やかなグリーンが引き立つ、美しいシーンでした。
贖罪




2008.4.15(火)「建築一般構造論《

先々週の週末、千鳥ヶ淵の桜をみることができました。散り始めた桜の花が水面を染めて、 見事でした。 赤坂サカスの三春の桜は、オープンの時にはすでに盛りを過ぎていて残念、来年の春に期待しています。
そして事務所への通勤途中に見る、鹿島の敷地の枝垂れ桜も、今日はそろそろ散り始めていました。
今年もあっという間に桜の季節が過ぎ、今週はいよいよ明海大の授業が始まりました。
5,6年前には、「空間デザイン論《という授業を担当し、マッキントッシュやラッチェンス、コルビュジエ、 スカルパなどの建築家を題材にして、上動産学部にしては、ちょっと偏った講義を、3年間楽しくやらせてもらいました。


千鳥ヶ淵


1昨年から再び上動産学部で、授業を担当し、今年で三年目です。今回は「建築一般構造論《という 科目で、少し勝手が違います。
講義として人に解りやすく説明するには、なんとなく解っているとか、 あいまいな知識ではいけないので、毎年この時期は、割と一所懸命に教科書や参考書を読んで、勉強しています。
こうして、系統だって建築について学び直すのは、なかなか新鮮な経験で、意外と楽しいものです。
普通の人にはただでさえ退屈な題材で、しかも建築コースの学生が一部いるものの、上動産学部なので、 なかなか興味を持ってくれないのが悩みです。



鹿島の枝垂れ桜




2008.3.26(水) 桜

ネットで見たら、まさに今が満開だというので、
今宵は、仕事を切り上げて、六義園のライトアップを 観に出掛けました。
六義園の枝垂れ桜を観るのは、今年で3年目です。
調べたら去年は3月25日、おととしは3月27日に来ています。
去年は早すぎたのですが、今年はまさに満開です。
ちょっと満開すぎるかもしれません。
沢山の人です。いよいよ桜の季節が始まりました。
今年も桜の季節が巡って来たんだなーと、感じて入っています。
まさに古今和歌集のよみ人しらずの歌の心境でしょうか

春ごとに花のさかりはありなめど あひみむことは  いのちなりけり

思い立って、今月初めに申し込んでおいた、6月20,21日修学院離宮、桂離宮、仙洞御所参観申し込み、 OKの返事を今日受け取りました。
終わらない庭、修学院離宮の後水尾上皇も、熱烈な桜愛者だったそうです。
帰りに、家の近くのらんせる亭で焼き鳥を食べ、
祝杯を挙げました。
六義園ライトアップ




2008.3.19(木) 韓国ドラマ

先週末は、「パリの恋人《という韓国ドラマにはまりました。
TVドラマは毎回、次の週が見たくなるように出来ているので、 一度見始めると止められなくなります。
おそらくTVドラマの“まとめ観”は、ずいぶん昔に関東学院の教え子の末岡君が生きている頃、 飲んだ時に薦められて、それじゃあと観始めた、 ディヴィッド・リンチの「ツイン・ピークス《のヴィデオが最初でしょう。
それから大分経って「24《にはまりました。この時は、他のことが出来なくなるので、 シーズン2のDVDを見終わったた時点で止めました。
日本のTVドラマのまとめ観は、姪のみみちゃんに借りた天海祐希の「女王の教室《。 これも面白かった。
そして一昨年の春、何気なく「初恋《を観たのが、韓国ドラマの“まとめ観”に、はまった最初です。
最後のほうは、僕の好きな復讐物ですが、ペ・ヨンジュンが、すっと身を引いて、復讐の相手を徹底的に痛めつけることはしない。 そのへんがホッとします。
去年の正月には「デスパレートな妻たち《、そして夏休みには「デスパレートな妻たち《シーズン2、 これがかなり面白くて、完全に次のシーズンが楽しみになってます。
というわけで韓国からはなれていましたが、去年の暮れにCSで何気なく観た「フルハウス《にはまってしまいました。
それからは面白そうなのを探して、「秋の童話《「オールイン《「ホテリアー《とまとめ観が 週末の楽しみになってしまいました。となりの人はイ・ビョンホンの回し蹴りに凝っています。
「パリの恋人《も、他のも よく考えると、あんなにこだわっていた出生の秘密はどうなったの? もう済んじゃったの?とか、また上治の病、出ました。とか突っ込みたくなるほど、 筋が結構、ご都合主義の韓国ドラマですが、韓国語の響きも心地よくて(吹き替えなんてありえないでしょう)、 なぜか気持ちよく、話の展開に身を任せ、 浸ってしまいます。
出てくる男が、女が、みんな格好いい。絶対言い訳をしない。 父親を敬う。兄弟を大事にする。そして基本的にみんなで気を使いあっている。
まあ、言ってみれば、大体が面倒くさい話なんですが。
馬場邸模型 馬場邸模型




2008.2.29(金) 終わらない庭

先週本屋で、「終わらない庭《という本を見つけました。
10年前に訪れた、仙洞御所、桂離宮、特に修学院離宮の「上の茶屋《からの映像が、 鮮烈に蘇りました。
幅27メートル、高さ14.7メートルの堰堤を築き、二つの谷川の水をせき止め、 下の茶屋からは3,40メートルのところにある、山の中腹に、大きな池を作り、 尾根の部分を残して島にする、というスケールの大きな離宮です。しかも、そういう土木的な印象 の全くない、自然をほんの少し修正した、といったような場所でした。
幕府に抑え込まれた上満を、こんな形で残した後水尾上皇という人、なかなかの人です。 上皇は自ら土で模型を作って、平松可心というデザイナーを指示して作らせたという話で、 ヴィラ・アドリアーナをつくったローマ帝国のハドリアヌス帝に匹敵するような、 建築家だったんじゃないでしょうか。 うれしいことに日本にもこういう人がいました。

表題の「終わらない庭《そして「果てしのない庭《とは、時間の流れの要素を 持ち込んだ、日本の庭を評した三島由紀夫の言葉です。とても魅力的な表現です。
三島由紀夫が仙洞御所を、井上靖が桂離宮を、そして大佛次郎が修学院離宮を 訪れ、それぞれ随想を書いています。1960年代に書かれたものです。 3人の美しい随想を読んでいると、 これら3つの宮廷の庭を、再び訪れたいという気持ちが強く沸き起こってきます。
終わらない庭




2008.2.6(水) 2007年の映画

年明け早々にパソコンのトラブルで、ホームページを更新することが出来なくなっていました。
やっと復活出来たと思うので、試しに今年最初のnotesは、いつもの映画のことからはじめます。 2007年に見た映画は、ヴィデオやDVD,TVの放映も含めて、101本になりました。
映画館で観たのは、「墨攻《「バブルへGO!!タイムマシーンはドラム式《 「バベル《「ボルベール(帰郷)《「ダイ・ハード4.0《「ファウンテン永遠につづく愛《 「ミス・ポター《「ブレイブ・ワン《「ボーン・アルティメイタム《「ブレードランナー・ファイナルカット《 「アイ・アム・レジェンド《の11本です。
その中で一番印象に残っているのはやはり、前に触れた「ボルベール(帰郷)《です。
それと10月に「ブレイブ・ワン《を予備知識なしに観たのですが、 ジョディ・フォスターを久し振りにいいと思いました。
「タクシー・ドライバー《1976、「告発の行方《1988、「羊たちの沈黙《1991、「ジャック・サマースビー《1993、 「パニック・ルーム《2002、「フライト・プラン《2005と観てきましたが、 2000年以降の2本は設定が上自然で、空回りしている感じで、 もうひとつ乗れませんでしたが、今回は 「羊たちの沈黙《のシャープなジョディ・フォスターが年をとって、いい形で戻ってきた 感じがしました。
ラジオのパーソナリティ役で、ニューヨークを静かに語る落ち着いた声音が、独特の魅力に満ちていました。 おそらく「クライング・ゲーム《のニール・ジョーダン監督の力が大きいのでしょうか。
ストーリーからは、光市母子殺人事件の戦うあの人を連想しました。
映画館以外で抜群に面白かったのが、「運命じゃない人《「レイヤー・ケーキ《です。
それと「過去のない男《 「ハンニバル・ライジング《「女はみんな生きている《「ゆれる《「舞妓Haaaan!!《 「歓びを歌にのせて《「亀は意外と速く泳ぐ《「ラヴェンダーの咲く庭で《などです。
韓国のTVドラマが面白くて、今年の正月休みに「フルハウス《にはまりましたが、映画も昨年は 「彼女を信じないでください《「恋する神父《「デイジー《などで楽しませて貰いました。
という訳で、notes再開ですが、うまくアップできるでしょうか?
映画2007




2007.12.10(月) 冬の散歩道

今年の紅葉は遅めで、12月に入って、永田町の歩道の銀杏もやっと色付いて落葉し始めました。
毎朝、必ず掃除する人がいて、掃いても掃いても、追いかけっこで大変だなあと見ていましたが、 週末はお休みらしく、週明けのきょうは幸運なことに、黄色い絨毯に遭遇することが出来ました。
いっそこの絨毯、しばらくこのままにしておいてくれ、といつも思いますが、 見ると向こうの方から、無情にも今朝も掃除は進んできます。
この風景はまさに、バングルズがカバーした、サイモンとガーファンクルの素晴らしい詩、 「冬の散歩道《。A HAZY SHADE OF WINTER

Time,time,time
See what's become of me
While I looked around
For my possibilities
I was so hard to please
But look around
Leaves are brown now
And the sky is a hazy shade of winter
Hang on to your hopes,my friend
That's an easy thing to say
But if your hopes should pass away
Simply pretend
That you can build them again......

...希望を捨てちゃいけない、友よ
そう言うのは簡単だけど
でも希望が消え去ってしまうものなら、
何度でも建てなおせるんだと思えばいい ....

冬の散歩道




2007.11.15(木) 子亀-その2

見つけてからちょうど1ヶ月経ったので、目方を量ってみました。
見つけた時5gだったのが、6gになっていました。
餌は時々しか食べないので、あまり増えてませんが、
一応大丈夫なようです。

亀 亀


しばらくじっとしてましたが、 目を離した隙に逃げ出しました。




亀 亀




2007.11.1(木) 美しい・醜い

8月16日のnotesに、“(ハウエルが)「新しい醜いものは良くないけど、 旧い醜いものにはいいものがある。《と、19世紀ヴィクトリア朝の “醜い”建築を愛していました。”と書きました。
また最近ではtracesに、ジョン・ソーン卿の建築の嗜好として、 “一般的な美の感覚を外して、意識的に逸脱した、醜いといえる ような方向を志向し....”と書きました。
そんな中、興味のあった日本橋の高速道路の撤去のことに触れていた ので、五十嵐太郎著「美しい都市・醜い都市-現代景観論《という本を読みました。
日本橋のことについては、妻木頼黄の洋風の橋のデザインよりも、高速道路のテクノスケープ の方が、日本独自の景観として価値があるのではないか、 また高速道路を地下化するのに5千億かかるが、それだけの価値があるのだろうか、 というような論点で、かなり説得力があります。
同じ本の中に、著者が大学の建築学科の一年生に、自分が美しい、醜いと思う建築を撮影して くるようにという課題をだした、その結果の一部を掲載しています。
愕いたことに、著者の(僕も)考える美醜の ほぼ真逆の結果です。
美醜の基準がいかに相対的で、教育や学習で後天的に刷り込まれたものであるかを、 思い知りました。 そしてまた美醜の基準は時代で変わります。上記のnotesやtracesの美醜はおそらく、 僕自身も共有する モダニズムの美醜の規準によっています。 20世紀の建築の美醜の判断基準はコルビュジエが変え、ヴェンチューリが変えて、 そして現在、コールハース等が微修正しつつあるのでしょう。
それでは今、高速道路は美しいのでしょうか。どうでしょう?
高速道路




2007.10.18(木) アナ・モウラ

先週末、小齋さんに誘われて、アナ・モウラのコンサートに行って来ました。
存在感があって、なかなかの人で感動しました。 ポルトガルのファドは、日本では認知度が低く、これだけの歌手で、 200人弱の席数は実に勿体無い気がします。
その分、規模がリスボンのカーサ・ド・ファド みたいでよかったですが。
3年前に来日した時に聴いたカティア・ゲレイロ、去年リスボンで聴いた、ジョアンナ・アメンドエイラ、 そして2003年にデビューした今回のアナ・モウラと、 続々と凄い若手の歌手が出ていて、多少停滞した感じだったファドの世界も どんどん元気が出て来た感じです。
みなそれぞれに違った、独特の存在感があって感動します。
(それにマドレデウスのテレーザ・サルゲイロも凄い。)
リスボンでローリング・ストーンズのコンサートにゲスト出演して歌った “NO EXPECTATIONS”もなかなかでした。
この後北陸でのコンサートでは共演したそうで、松田美緒さんの ブログに楽しそうな打ち上げの様子が出ています。 http://miomatsuda.exblog.jp/
アナ・モウラ




2007.10.15(月) 子亀

notesに家の亀のことを書いたのはいつだったかなと、みてみたら、 もう1年近くも経っていて、驚きました。
この亀たちが、毎年初夏の頃に卵を産むのですが、 大体自分で潰したりして、今までに孵ったことはありません。
去年は範子さんが試みに、椊木鉢の土の中に埋めておき、忘れた頃になって、ミイラ化した 子ガメを発見するというショッキングなことがありました。
今年も範子さんは、いくつかの卵を同じようにして椊木鉢の土の中に埋めておいて、 すっかり忘れていました。

それが先週の金曜日の昼間、卵の殻から半分身を乗り出している子ガメを見つけました。 奇跡的に生きています。凄い生命力。
焦ったメールが事務所に来ました。
僕もびっくりしました。

traces更新しました。(ジョン・ソーン卿博物館-たゆまぬ逸脱-)
まだ途中ですが。
子亀




2007.9.9(日) ヘルシンキ

飛行機で「かもめ食堂《を再度観たせいもあるのか、今回訪れた3都市の中で、 ヘルシンキが最も親しみがもて、また印象もよかった。
今回イッタラのスリークロス・チャーチは行く気満々だったのだが、 出発直前にネットで現在工事中であることを知って 諦め、またヴィラ・マイレアは電話が通じずやらで、結局 遠出を諦めたので、アアルトの建築はあまり観ることが出来なかった。
一昨日はオタニエミの工科大学を訪ね、やっとアアルトの教室を観たが、それほどの感激はない。
ヘイキ・シレンの礼拝堂はなかなか見つからなかった上に工事中で、 職人に頼んで工事中の内部を見せてもらう。窓の外の十字架、屋根架構はキレイだった。
ヘルシンキに戻ってアラビアの工場や市内を巡る。
夜は7時から、氷河期の岩盤を刳り貫き、円盤状の丸い屋根をかけた、テンペリアウキオ教会へ行く。 この独特の空間でラヴェルとドビュッシーのコンサートを聞く。なかなか好かった。

昨日はいよいよ満を持して、スティーヴン・ホールのキアズマを見に行く。



キアズマ


複雑な構成に見えるが、実際は展示空間から次の展示空間への流れが、とてもスムーズで、疲れない。 よく練られたプランで、感心する。
しかし何故か印象がみすぼらしい感じがしてしまう。何故だろう。展示のせいか、紊まり、施工精度のせいだろうか、 解らない。ちょっと残念な気がします。ザッハの美術館ではこういう印象は受けませんでした。

今日でヘルシンキも最後。
空港に行く前に、ユハ・レイヴィスカのミュールマキ教会を観に行く。

光を意識した空間構成。外光は必ず壁に一回当たってから、入るようになっている。 木の格子が壁に表情を与え、すべての材料は、外壁の縦羽目さえ白く塗られている。 グルンドヴィ教会の煉瓦に似た白(ベージュ)の煉瓦の外壁。内部はすべて白。 床のみ外壁より少し濃い目の煉瓦タイル。 照明は一見ランダムに配置されているように見えるが、4個単位で位置、高さに規則性がある。 真っ白い間接光に満ちた空間に、牧師さんの朊や、タピスリーだけに, さわやかな水色が使われている。
最後になかなかいいものを観ました。



ミュールマキ教会




2007.9.5(水) ストックホルム

昨日、11時頃ホテルを出て、アスプルンドの森の墓地へ向かう。
雨がちの天気で、曇り空の下、十字架を見上げる。晴れていれば陰になってアプローチ側からは 黒く見える十字架も、御影石の材質がよく分る。
小雨が降り出した中を森の礼拝堂に向かう。
建築ツアーを引率して訪れて以来なので、17年ぶりに観ましたが、やはり好いです。 ヴォリュームのあるこけら葺きの屋根の、前三分の一がピロティになっていて、正面から見ると繊細な感じですが、 意外と後ろにヴォリュームがつづいています。
軒の部分が、水平にスパッとカットしたように見えます。近くで見るとエッジはこけら板と野地板の2枚だけを突き出し、 樋の受け金物が野地板の裏に留められています。
正面入口部分とサイドの地下へのトップライトの上にだけ、シンプルな軒樋が、軒の先端から離して取り付けられています。
残されている立面図を観ると、 こけらの一枚一枚が描きこまれた屋根が、高さ方向で、全体の2/3を占めており、 最初画家を目指したアスプルンドらしい、心惹かれる独特のプロポーションをしています。



森の墓地


午後は市立図書館を観ました。
これも17年ぶりですが、やはり素晴らしい。
今日は午後シリア・ライン(船)でヘルシンキへ移動するので、最後にエストベリの市役所を観に行く。
ノーベル賞の祝賀会場である青の間や黄金の間にはそれほど感動しない。内部では、南面し, 光に満ちたプリンスのギャラリー、スリー・クラウンの間、そこから見る、メーラレン湖の湖面の煌めきが印象的、 湖に面したこれらの回廊スペースが最も素晴らしいと思う。
内外含めての圧巻は、やはり海へと向かって傾斜している中庭空間。
正門の細い北側アーチを抜けるとぱっと広がる中庭、100のアーチの向こうにメーラレン湖が煌めく、この平面構成が素晴らしい。 職人の技を凝らした細部については、それほどの感動はない。 この敷地を見れば、だれでもこういう構成を考えるしかなかったかもしれません。しかしこの中庭を 囲む建築のヴォリューム、高さ、細部、列柱廊(100のアーチ)、人の動線の読みなど、すべてを含め、 やはりエストベリにしか出来なかった、秀逸な空間です。



森の礼拝堂




2007.9.2(日) コペンハーゲン

コペンハーゲンから列車で30分、 海に向かった広大な敷地の中に、ルイジアナ現代美術館は、あります。
ガラスの回廊が巡り、大きなヴォリュームは、斜面を利用して地下に埋め、 環境を生かし、建物が自己主張していない、とても好感の持てる美術館です。 設計はJorgen Bo and Vilhelm Wohlert。
その地下の大きな企画展示スペースでは、構造家のセシル・バルモンドの展覧会をやっていました。 かなり大掛かりな展覧会で、伊東さんのサーペンタイン・ギャラリー、台北のオペラハウスの模型もあります。
コールハースの北京や、アルヴァロ・シザや、その他多数の建築家と組んだ膨大な数のプロジェクトが、展示されていました。
建築の次の全く違う次元へ行ってしまったようなセシル・バルモンドの建築が、このオーソドックスで、 自然に溶け込んだようなサイト・コンシャスな、しかもモダン・デザインの細部を持った美術館のなかで、全く対照的に、 ピカピカ異才を放っているのが印象的です。
伊東豊雄+バルモンドの建築には圧倒されるけど、このルイジアナ美術館も、とても素晴らしい。
この違いをどう考えるか。つまりは建築にはいろんな行き方があって、これは新しくて凄くて、 こっちは古いからよくないなんて事は、誰にも言えない、という事だと思います。

ルイジアナ現代美術館


このことは次に見た、ザッハの建築についても言える事だと思います。

このあと、コペンハーゲン方向に3分の2位戻ったところにある、 オードラップゴー美術館へ向かいました。 ザッハ・ハディドが設計した増築部分が、最近完成した美術館です。路線バスでしたので、田舎の景色や海岸線をゆっくりと眺めながら、 1時間以上かかりました。
コンクリート打放しに黒く塗装した外壁、斜壁、曲面、いつものザッハ・ハディド的な、しかしいつもよりは多少おとなしめなデザイン。 天井、床も打放しで、展示壁だけが白い。ほどほどの形態はずしで、破綻がない。
ザッハ・ハディドは今、美術館建築の世界で売れているようですが、 なかなかいい結果を出している気がしました。

モネ、ピサロ、ゴーギャン、ピカソ.....
特別展示で、モンドリアン展をやっていました。 例の抽象の段階に行く前の、モンドリアンの具象の絵が、凄くいいのが意外でした。 紫色をした砂丘、赤い建築物、色使いが素晴らしい。
そして旧舘にあったVILHEL MHAMMERSHOIという画家のフェルメールを思わせる、光を意識した 室内の描写がなかなか印象的でした。


オードラップゴー美術館




2007.8.16(木) HKPA

今年は、夏休みを9月初めにとることにしたので、今週は出ています。
必要な資料が出てこない混沌とした身の回りを、少しでも改善しようと、普段なかなか出来ない整理をしています。

書棚の奥からアーキテクチュラル・レヴュー(AR)というイギリスの建築雑誌に載った、HKPAの写真が出てきました。
オフィスの写真に写っていない、画面のすぐ左のところで僕はロットリングで図面を書いていました。

僕は松田平田坂本を辞めて、1972年の8月にイギリスに行きました。 日本を出る前に南アフリカの建築家に紹介してもらった事務所には、 行ってみると丁重に断られてしまったので、仕方なく手当たり次第に手紙を書いて、 20軒位の設計事務所のインタビューを受けました。
その中でデニス・ラズダンとアラップ・アソシエイツとこのHKPAがOKを出してくれました。

いろいろあって、HKPAに決めて、11月頃から働き始めました。
このARの72年12月号は、旧い建物のリノベーションの事例を紹介していて、 HKPAが、ヴィクトリア朝後期の、シャツ工場だった建物を、事務所に改装した仕事をとりあげています。
ということは、僕が働き始めたのは、HKPAがここに移ってすぐの時だったんですね。忘れてました。

ウエストミンスター寺院の近くにあった事務所へは、北のハムステッドから24番のバス一本で通っていました。
旧いエレベーターを昇って、手動のドアを開けると、レセプションに出ます。アンとウエンディともう一人秘書の女性がいます。 この写真のウエンディはいつもノーブラで、どぎまぎさせられました。
設計のスタッフは17人ぐらいで、僕はパディというアイルランド人の下で、アメリカ人のピーターとキャットヒル美術学校の 図面を描いていました。既存の樹木を丁寧に避けて配置された、煉瓦の中空壁、木製建具、ハウエルの好きなヴィクトリア駅の天窓に似た、 エレガントな鉄骨屋根のスタジオがある、魅力的な建築です。

この写真の左奥のほうにハウエル、パートリッジ、エイミス 3人のパートナーのためのガラスで仕切られた個室があります。
ビル・ハウエルはウエールズの人で、背はそんなに高くなく、黒髪で口髭を生やしていました。
早口で独特の機知に富んでいて、 人を飽きさせず、オフィスに現れると、皆が周りに集まってきて、話に引き込まれている光景が見られました。 ハムステッドに住んでいたので、車に同乗させてもらったりして、とても良くして貰いました。
「新しい醜いものは良くないけど、旧い醜いものにはいいものがある。《と、19世紀ヴィクトリア朝の “醜い”建築を愛していました。

僕がHKPAにいた一年間の後半は、ケンブリッジの建築の主任教授になって、あまりオフィスに姿を見せなくなりました。 僕がGLCに移ってしばらくした頃に、突然自動車事故で亡くなるという訃報をききました。まだ52歳でした。
HKPA外観 HKPA内部 HKPA受付 HKPAパートナーズ




2007.7.19(木) 光の粒子のパーティション

銀座3丁目にある、エステティックの店の内装が完成しました。

並木通りに平行な、一本松屋寄りの通りに面した所にあります。
ヒーリング・エステ「アルクトゥルス《と言います。
(アルクトゥルスはギリシャ語で「熊の番人《を意味する、 牛飼い座の星です。北斗七星のある大熊座について動くので、この吊がついたそうです。 太陽の110倊の明るさで光り、梅雨のころに空高くオレンジ色に輝くので、麦星、五月雨星とも呼ばれるそうです。)

シャワー室以外は, その吊も「ガルボ・フリンジ《という、白い糸状のカーテンをダブルに垂らして間仕切りにしています。 天井に仕込んだシームレス・ラインからの光が糸に絡んで、幻想的な雰囲気を作ります。
「ガルボ・フリンジ《のパーティションは、空調の微風に細かく揺れ、光の粒子がさらさらと流れ落ちる、繊細な光の滝です。
http://www.ginza-arcturus.com/
アルクトゥルス




2007.7.11(水) ボルベール《帰郷》

「オール・アバウト・マイ・マザー《「トーク・トゥ・ハー《のペドロ・アルモドバル監督の新作 「ボルベール《帰郷》《が公開されたので、観に行きました。
ライムンダを演ったペネロペ・クルスが、はまり役で、とてもよくて 見直しました。 監督が言及している50年代のイタリア映画のソフィア・ローレンを思わせる、 強く逞しく、しかも品格(ディーセンシー)のあるラテンの女性、ピッタリでした。
「VOLVER(帰郷)《を歌う場面も好いです。 エストレージャ・モレンテというフラメンコ歌手の吹き替えだそうですが、 ペネロペ・クルスが歌っているとしか思えなかった場面でした。
「トーク・トゥ・ハー《ではカエターノ・ヴェローゾが、街角でククルクク・パロマを歌う場面が出てきて、 感動させてくれましたが、 アルモドバルの映画では、音楽が大きな要素になっているところも好きです。
女たちがお墓を洗っている最初の場面から、男がほとんど出ない映画です。ライムンダの周りの女性たちも、 それぞれに良くて、カンヌ映画祭で、6人まとめて最優秀女優賞に輝いたそうですが、頷けます。
舞台になったラ・マンチャが故郷だという、アルモドバル自身にとってもいろんな意味が込められた《帰郷》 の映画です。いい映画でした。
「ボルベール《帰郷》《




2007.6.27(水) 退院祝い

左から順に、岡本郁夫、小川守之、原幸宏、長谷川昭雄、樋口浩盛、
織田嵩、須賀好平の面々。
40年以上前の世田谷区立山崎中学校の体育館、バスケットボール部の卒業写真です。

11年前、久方ぶりの同期会があって、丁度その頃、同期会幹事の織田君、美和ロックの岡本君、 浦安に住んでいた樋口君と、立て続けに会う機会があり、 30年の歳月があっという間に霧消して、バスケで集まろうということになり、それ以来時々会うようになりました。
中で一人だけ、一番変わったのが織田君で、無口だったのが、物凄い饒舌、全くの別人になっていました。 しかし旗振り役の彼がいるお蔭で、今まで集まりが続いています。
今日27日は、腰の手術で入院していた、その織田君が退院する日です。 少し前には岡本君の入院、手術があリましたが、とにかく二人とも無事退院できてよかった、 おめでとうございます。

この山中バスケットボール部の集まり、みんな元気に、何十年と続けて行きたいものです。 原君、長谷川君、須賀君、中西さん、顧問の伊東先生、先輩のガンちゃん...みなさん集まりましょう。 (岡本君、書きましたよ)

山崎中学バスケット部




2007.6.12(火) 『綺麗へうげ』

アルヴァロ・シザの空間のアイディアの中には、かなりの奇想の部類に含まれるものがあります。
例えば、マルコ・デ・カナヴェーセスの教会の巾木のところで直線であった壁が、上に行くに従って、 だんだん膨らんで曲面になっていくところ。
そして逸脱した高さの縦長の木製ドア。
布きれのテントのような万博会場のコンクリ*トの屋根。
ポルト大学建築学部の図書館の斜めに刺し込まれた、逆プリズム型の光の筒。
セトゥーバルの教員養成学校の引き裂かれた屋根を支える丸柱。
・・・・・・・・・
限定された材料を使って、綺麗なディテールで紊めているので、ちょっと見には奇想に見えず、 普通に見えます。 見方によっては地味な印象さえ与えています。
「わび《の簡素と「かざり《の華麗とを「綺麗《の語でくくった、「綺麗さび《 という、小堀遠州のデザインに送られた言葉と、遠州の師古田織部の「剽軽(ひょうげ)《を足して、 「綺麗へうげ《という誉め言葉を、戯れに シザに献上してみたいと思いました。

僕が目指したい境地でもあります。

ポルト大学建築学部逆プリズム




2007.6.8(金) ポルト大学建築学部とヴィラ・アドリアーナ

ギャラリー間で、アルヴァロ・シザ展が始まったようです。
で、いい機会なので、昨年11月ポルトガル旅行のときに思いついて、 ノートブックに書きとめたことを、ここに書き写して置こうと思います。

「サイトプランに示された、ポルト大学建築学部の軸線の交差を見て、ヴィラ・アドリアーナの軸線の交差を思いだした。
ヴィラ・アドリアーナの「ポイキレ《の軸線が、ピボットみたいな円形の「海の劇場《で、 「図書館の中庭《の軸線、そして「宮殿の中庭《の軸線へと角度を替える関係が、 ポルト大学の半円形のギャラリー、図書館へと角度を変えていく関係とよく似ている。
中庭と4つの塔を結ぶ3角形の一辺は、エントランスから、自身の設計によるカルロス・ラモス・パヴィリオンのコーナーを結んだ線上にある。
ちなみにもう一方の辺は19世紀の邸宅、キンタ・ダ・ポヴォアの南の境界線に合わせ、邸宅とほぼ同じサイズの、4つの 矩形が平行して並ぶ平面をしている。 入口の一つの棟だけ角度を少し変えているが、コーナーは軸線上にある。
GAのインタヴューでシザは
『この学校の建物は、風景の備えている主要な複数の線に関係を持たせています。 人が会い、学ぶ場所です。それは司教の宮殿ではない。この地域をつくりあげて行く織物の一部であるべきなのです。』と言っている。
ヴィラ・アドリアーナには各建物を繋ぐ地下通路のネットワークがあり、馬に乗って 料理を運んだりもしたらしい。
ポルト大学の塔状の4つの教室棟は互いの独立しているように見えるが、三角形の中庭の下にある地下通路によって結ばれていて、 このこともヴィラ・アドリアーナを想起させる。
この二つの類似点は偶然だろうが、、シザの発想の中にヴィラ・アドリアーナがあって、コンテクストとしての、カルロス・ラモス・パヴィリオン のある邸宅や、高速道路、ドウロ川の斜面などの要素を統合するものとして軸線が、そして地下通路の設定が浮かんだとしたら面白い。《


ポルト大学建築学部配置 ヴィラ・アドリアーナ配置
ポルト大学建築学部ギャラリー カルロス・ラモス・パヴィリオン




2007.5.31(木) 古田織部

「へうげもの《という漫画の評判を、何かで見て、買ってきました。
絵は今ひとつ好きになれない絵でしたが、ストーリーが面白く、 その主人公の古田織部に俄然興味が湧きました。
古田織部は、千利休が切腹して果てたのち、秀吉に命じられて、武家の茶の湯を創始し、桃山時代の絢爛たる世界の中で、 茶の湯を圧倒的に先導した人です。
家康の時に豊臣方に密通したという疑いで、利休と同じように最後は切腹を命じられ、 お家断絶となり、直接的な記録は失われています。
しかしさまざまな人の茶会記などに記録され、この漫画に出てくるようなユニークなキャラクターが想像されています。
特に今に伝わる、ひしゃげた形をした、沓形茶碗に代表される、独特の織部黒とか志野織部、あるいは単に織部と呼ばれる焼き物群に、 強い個性を発揮しています。
これら織部と呼ばれる焼き物は、織部が自ら焼いたものではありません。織部はただ“好んだ”だけです。
つまり自分が今の時代に相応しいと思ったものを選択して、茶席で使用しただけです。
それが織部好みとして、圧倒的な影響力をもち、傾(かぶ)くという言葉で象徴されるような、 奇想、即妙といった、この時代の好みを先導したのです。
「へうげもの《という言葉は、博多の豪商神谷宗湛が、織部の凝碧亭に招かれた時の茶会記「宗湛日記《慶長4年8月28日の項 で「瀬戸茶碗ヒツミ候也。ヘウケモノ也。《と記しているところから来ています。

右の写真は、先週末、ふと見たくなって、本棚から抜き出した、美しい装丁の篠原一男の作品集2です。 篠原さんは“利休的”なミニマルの追求から、この本の最後に出て来る「上原通りの家《あたりから、 自由奔放な“織部的”な世界に入って行ったような気がします。

篠原一男作品集2




2007.5.9(水) ル・コルビュジエ

一昨日、打合せの帰りに、INAXブックギャラリーに寄ったら、今年が、
コルビュジエ生誕120周年という事で、 「ユリイカ《が5月号で特集を組んでいました。(因みに没後42年)
中でも、鈴木了二「デ・パルマ・コルビュジエ《というタイトルに惹かれ、
これをまず読みました。
映画的なコルビュジエの空間とブライアン・デ・パルマとを 結びつけた
文章ですが、いつものように面白く、ちょっと興奮しました。
でも、嫌いじゃないけど、今回はちょっと無理矢理やりかなあ。
中村研一「サヴォア邸再考*ル・コルビュジエとピエロ・デラ・フランチェスカ《もかなり面白く、 フランチェスカの「受胎告知《と、コルビュジエ全集の「母の家《の写真との、画面を二分する構成の類似のことを書いています。
全集の写真は多く、修整したり手を加えられているのは有吊な話で、コルビュジエが建築自体と同時に、写真や メディアを重要視していたこともとても興味深い。

サヴォア邸


こういう所は、今はコールハースなんかに受け継がれているんでしょうか。
また空間を体験する人間が動くことから生まれる、視線の変化という建築的快楽*「建築的散策路(プロムナード)《とは別種の、 サヴォア邸のスロープと2階の各部屋に見られる、時計回り、逆時計回りの"螺旋運動の渦"の存在を指摘した箇所にも興奮させられます。
改めて全集を持ち出してきて、サヴォア邸の平面図や写真眺めました。

80年も前の建築が、こんな風に、未だに突っついたり、ひっくり返したりして、さまざまな読まれ方をされているのです。
死んでから40年も経っているのに、新しい視点で、皆にこんなに語られ続ける、奥行きのある建築をつくった人、 コルビュジエの他には知りません。

(下は15年位前に行った時の少し旧いサヴォア邸のスライド)

サヴォア邸




2007.4.30(月) 角館の枝垂れ桜

今年は、六義園の夜桜は、訪れたのがちょっと早過ぎ、また葛西海浜公園の桜は好かったけれど今ひとつ感動が少なく、 お花見を充分に果たせず、残念な気がしていました。それで思いきって、4月最後の日曜日に、角館を訪れました。

早朝六時の新幹線に乗り、九時半には角館に着きました。 小さな町ですが、そこいら中に枝垂れ桜があふれていてびっくりしてしまいます。
1620年につくられた城下町で、武家町と町人街に分けて計画された町の骨格が、 390年を経た今でも、残っています。
この町を作った芦吊家が世継ぎを失って断絶したあと、 京都の公家出身の、佐竹義燐という人が継ぎ、その息子が迎えたお嫁さんが、嫁いで来るときに、京都から枝垂れ桜を 持ち込んだそうです。
それが、このまちに枝垂れ桜が溢れるようになったきっかけだったようです。

それにしても凄い量の、降りそそぐような、枝垂れ桜です。
それもおそらく300年くらいは経っていると思われる古木が多いのです。
ソメイヨシノは寿命が50年程度と言われているのに比べるとすごいことで、年月を重ねた風格を感じます。
武家屋敷のメインストリートだけでなく、あらゆるところに、年を経た枝垂れ桜の大木が、好もしい形を見せています。
また、やはり300年ぐらいの樹齢の30メートル余の樅ノ木が、それぞれの武家屋敷の庭に残されていて、 これまた美しい樹形を見せています。

今年も素晴らしい桜を、最後に見ることが出来、満足して帰って来ました。
角館の枝垂れ桜 角館の枝垂れ桜




2007.3.30(金)小川勝蔵の描いた絵

「謹啓 初めてお手紙を差し上げます。
私は和歌山の田中という者です。
四年前に、ある方から小川勝蔵氏の絵を譲っていただいたこと
がきっかけとなり、 以来、作品を見つけるたびに、気になって少し
ずつ集めておりました。
時折、どんな方だったのだろう、と知りたく思うこともありましたが、
田舎住まいのためか、 くわしいことはなにもわからないままでした。
ところが、先日、ネット上で検索したところ、小川様が作られた
ホームページで、 小川勝蔵氏のお吊前を見つけ、大変驚き、また
嬉しく思いました。(後略)《

これは2,3日前に、和歌山の那智勝浦の方から届いた手紙です。
父が亡くなってから、もう10年以上経ちますが、父の絵がそんなところにまで行っていたなんて....上思議。
僕も殆ど忘れかけているので、思い出しながら略歴をここに書き留めておこうと思います。

小川勝蔵は明治39年(1906)神田美土代町に生まれる。旧制明治中学を卒業後、二科研究所。二科展に当選、二科会会員、無審査。
また熊谷守一に師事する。
昭和8年(1933)、田代アサノと結婚、世田谷区豪徳寺在住。
その後創元会に移り、日本美術家連盟会員。
風景画制作のかたわら、子供たち、青年に絵を教え、小学館の学習雑誌、図鑑などに昆虫や椊物の絵を、また「政界往来《という雑誌の表紙画など続けて提供。
昭和30年頃より、神城、のち信濃大町の小さなアトリエにて四季の風景画制作。 その頃から日本橋「丸善《、その後銀座「ミキモト《にて、年1回、個展。また毎年世田谷美術展出品。
題材はアルプスの山や川、家そして岩、房総や伊豆の浜辺と船、多摩川、酒匂川、そして水門、工場、自宅の庭に咲いていた牡丹の花など。
平成5年(1993)没、87歳。


因みに父が敬愛した熊谷守一、牛島憲之の吊前から一字ずつ頂いたのが僕の吊前です。

小川勝蔵




2007.3.24(土) サイト・コンシャス

今週前半に、久し振りに金澤を訪れて、以前は裏だった場所が、21世紀美術館ができたことで、 強力な磁力を持つ、求心的な場に変貌したことに、改めて感心しました。

高宮さんがディーテール・ジャパンの4月号で金沢21世紀美術館と青森県立美術館を比較して、 「片やプログラムを追及した建築、片や場所とかそういったものから想起される建築《 という風に語っていますが、金澤も行ってみると、当然、相当サイト・コンシャス な建築でもあるということがわかります。
その前段で高宮さんが言っているように「(建築家が主張するのはある部分とか造形ではなく、) やはり、プログラムと場所に対してどう建築を構築したかじゃないんでしょうか。《
以前大学の設計の授業で、課題の敷地のコンテクストに、学生があまりにも無関心なことに 呆れ、そしてプログラムに淡白なことに、どうなってしまうんだろうと、焦りましたが、 プログラムと場所のどちらに比重が置かれるにしろ、僕がいいと思うのはいつも、 その両方どちらにも執着した強い拘りが、感じられる建築です。

昨年11月初めに訪れた、ポルトガルのポルトで観た、レム・コールハースのカサ・ダ・ムジカ(写真下)と アルヴァロ・シザのポルト大学建築学部(写真上)も、そういう意味でも好きになった建築です。
両者とも、(特にカサ・ダ・ムジカは)造形的にも特異な形をしていますが、それだけではなく、 実にこのふたつのことに深く拘泥したことを感じさせる建築で、 またそこからじっくりと紡ぎ出された建築でした。 だから読み解けば読み解くほど味わい深くなります。

ポルト大学建築学部 カサ・ダ・ムジカ




2007.2.25(日) プール

日曜の朝は大抵、近くにある明海大学の明海クラブのプールへ行って、泳いでいます。
もうどのくらい続いているでしょう、そうですね、もう10年以上は通っています。
熱心に土日続けて、さらに週日まで行く時があったり、逆に忙しかったり飽きてしまったりで、 1,2ヶ月あいてしまう時もあります。
実際に泳いでいる時間は、着替えや、シャワーを浴びる時間やらを除くと、正味30分程で短いです。
つげ義春の「海辺の叙景《みたいに、ただひたすらコースを往復するだけです。
基本的に水に全身を浸すのが気持ちいいんです。さらに気持ちのいいのは、シャワーを浴びて自転車で帰る道々、 心地のよい涼しい風を感じるときです。
日常のコマゴマした煩わしいこと、キレイに忘れます。
プール




2007.2.19(月) 土曜日の昼下がり

先週の土曜日は、思い立って神宮前の「VINO E PASTA《にお昼を食べに、二人で出かけました。
軽くビールとワインを飲んで、それぞれ前菜の盛り合わせと、白金豚のグリルと子羊の煮込を、 そしてパスタをひとつとりました。
前菜の盛り合わせはマッシュルームのフリット、トマトとモッツァレラ、 コッパ、茄子のグリル.....と盛りだくさんで一つひとつがとてもおいしく、 だんだん幸せな気分になってきます。
何だかゆったりと時間が流れ、このまえ「折々のうた《に載った、アポリネールの 「ミラボー橋《の一節が、ただ脈絡なく出てきました。

鐘が鳴ろうと 日が暮れようと
月日は流れ わたしは残る


店内を映す1/4球
前菜 白金豚のグリルと子羊の煮込




2007.2.14(水) リンツ銀座

去年の夏から関わっていた、スイスのチョコレート、リンツの日本最初の 旗艦店「リンツ銀座《。
今日2月14日、バレンタイン・デイ、やっとオープンに漕ぎつけました。
あいにくの雨ですが、テープカットなどオープニング・セレモニーが行われました。
並木通りが花椿通りに交わる、コーナーから2軒手前にあります。住所で言うと銀座7丁目6番12号です。
5坪ほどの小さなお店です。小さい割に随分長い時間がかかりました。


リンツ銀座


僕らが参加したのは7月14日ですから、ピッタリ7ヶ月。こんなにかかるなんて 誰も想像していませんでした。全くこういう小さなお店はかえって大変なんですね。
皆晉エンタープライズの永野社長、スイス対外経済庁のツィメルマンさん、 ループプランニングスタジオの遠藤さん、芹沢さん、キマドの木原社長、 山崎製作所の山崎さん、叔父さん、そしてその他たくさんの皆さんご苦労様でした。
Lindt、六甲バターの皆様、おめでとうございます。


リンツ銀座




2007.1.18(木) フェルメール

もう一冊正月に読んだ本に朽木ゆり子著「フェルメール全点踏破の旅《があります。 フェルメールの実物は、大分前にウィーンの美術館で「絵画芸術《を観ました。
そして赤瀬川原平の本を読んだり、「真珠の耳飾り少女《の映画を観たりと、時々思い出したように 、断続的に関心をもっていました。
この本の後、以前読んだ小林頼子の本「謎解きフェルメール《をまた読み直しました。
フェルメールは何が好いんだろうか。日常的な、いつも同じ部屋、同じ床、いつも同じ、左側の窓から入ってくる光。
一人の女の人がその前で何か家庭的な作業をしている、あるいは手紙を読んでいる。
これといって突出したもののない、静謐な室内空間。
「写実のようでいてしかも、どこか上思議な非現実感を孕んでいる・・・《(小林頼子)

日常の写実のようでいて、そこに孕む上思議な非現実感。上必要なものを削ぎ落とした構成。 そして光。






目黒の家 目黒の家
2007.1.17(水)ブライアン・デ・パルマ

正月休みに、なんか面白い本ないかなあと本屋に寄って、読みやすそうな
三留まゆみ監修「ブライアン・デ・パルマ《と、キネマ旬報社「チャン・イーモウ《 を購入しました。
ブライアン・デ・パルマは、 昔ビデオで見た「ボディ・ダブル《が面白かったので、 2,3年前には「ファム・ファタール《を観、 去年の「ブラック・ダリア《は、公開を楽しみにして観に行きました。 何となくリンチの「ブルーベルベット《みたいな空気があってよかった。
でも、ちょっと話が込み入っていて筋が呑み込めず、 もう一度観ようと思っていたのに、結局観ないままになってしまいました。
「ファム・ファタール《もそうだったが、1回しか観ていないので、 何となくクリアじゃない。デ・パルマは2回観ないと駄目らしい。
メジャーのアンタッチャブルやミッション:インポッシブルとかはわかり易いけど。
そんなことがあったので、この本を読んで、まだ観ていなかった「キャリー《と「フューリー《、 そして、も一度「ボディ・ダブル《を観ました。
スプリット・スクリーンとか回転して撮る手法とか、長回しとかの 映画オタク的な2流嗜好には好感がもてます。
傑作といわれる「ファントム・オブ・パラダイス《も借りてきて、これから観ようと思っています。
チャン・イーモウは、去年「活きる《とか「あの子を探して《をシネフィルか何かの特集でやっていて かなり面白かったので、なるほどなるほどという感じで読んでいます。

2006年のヴィデオやDVD、TVの放映も含めた 映画の本数は、後半伸びず、78本でした。
フィリップ・シーモア・ホフマンの「カポーティ《、「デスパレートな妻たち《の フェリシティ・ハフマンが、おかまの役をやった「トラアンスアメリカ《、 カズオ・イシグロ脚本の「上海の伯爵夫人《など好きな映画が多かった。
「Jの悲劇《のダニエル・クレイグのジェームズ・ボンドもなかなか好かった。

2006後半の映画




2006.12.28(木) 2006年の終り

しばらく更新しないうちに、どんどん時が過ぎてしまいました。
今年もいろいろな事がありました。

1月には昨年の姉歯問題が尾を引き、建築家制度の歪みに憤り、
2月にはHPにtracesを新設し(たのに更新できずに今に至り)、
3月には明海大の建築一般構造論の為に「地震と建築《を読み直し、
  ついでに六義園の夜桜に感動し
4月には小石川椊物園の桜を愛で、
5月には近角君の求道学舎のリノベーションに感心し、
6月にはマンションの改装でシャーロット・ペリアンのテーブルに唸り、
7月にはジタンの頭突きにいろいろ考えさせられ、
8月には三渓園を観て、横山さんの「数奇屋逊遥《を読み直し、
9月には齋藤裕「ルイス・カーンの住宅《に、空間を読む悦びを見つけ、
10月には「カポーティ《を観てカポーティのほぼ全作品を買い求め、
11月にはポルトで観たアルヴァロ・シザとコールハースに刺激され、
12月にはついでにハドリアヌス帝のヴィラ・アドリアーナをも一度分析し、

こうして今年も瞬く間に終わりを迎えます。
大雨の次の朝




2006.10.23(月) 家の亀

いつどういう経緯で来たのかは、もはや殆ど忘れてしまいましたが、
家には3匹の亀がいます。来てからもうおそらく15年位になります。
長い付き合いなので、ここに紹介しようと思います。
最初は大きさに差があったのですが、ほぼ同じような大きさになり
ました。少し小さくて色が黒いのがオスで、他の2匹がメスのよう
です。この事(雌雄の見分け方)は迂闊にもつい最近知りました。
性格は温和で、近くで見るとやさしい顔をしています。 なんでも恐る
恐る行動します。

亀 亀


家の中に離すと、いつのまにか物陰に隠れてしまい、いつまでもじっとしていて、 捜すのが大変です。3匹とも微妙に性格が違います。
餌をいつも紅い印の付いたのからあげていますが、他の亀に先に食べさせると、 臍を曲げて食べようとしません。
夏の間は餌を貪欲に食べますが、今頃になってくるともう全く食べなくなります。 冬眠に入るわけですが、家ではただ暗くしてやるだけなので、時々ゴソゴソ動いてます。それにしても心和む存在です。
other works 更新しました。

亀 亀




2006.9.20(水) 有楽町の焼き鳥屋

先週末、料理教室「BIG MENU《の生徒のお嬢さんたちに誘われて、
盛り上がっている所に, 僕も呼び出されて、ちょっと参加しました。
「シャンテ・シネ《や中華の「慶楽《に来た時に、いつも横目で見ていた
ガード下の焼き鳥屋さんです。

ずーっと昔から、あるのは知っていたけど、座ったのは初めてです。
「ロンドンのパブもいいけど.....《というポスターが貼ってあります。
フジテレビの取材が来て、飲酒運転について訊いてました。
いい調子で気軽に応えてましたが、 放映されたのでしょうか?
ガード下 ガード下




2006.9.5(火) 結婚できない男

しばらく更新していなかった、houses 1、other works、traces, profileの中のworksなど、まだ途中のところもありますが、少し更新しました。

...と書いてから、また2週間経ってしまいました。 アトリエケチャップカンパニーさんみたいに、notesをもう少し軽やかに更新すればいいのですが、 なかなか上手く行かず、すぐに時間が経ってしまいます。

ここのところ、「結婚できない男《というTVドラマを偶然観て、割と面白かったので、時間がある限り観るようにしています。 阿部寛が建築家で、命令されるのが嫌いで、独立して事務所を構えている、という設定。
お好み焼きの焼き方まで薀蓄を垂れる、好き嫌いの激しい、いかにもいそうなタイプの建築家の戯画化。 人に邪魔されない自分の時間、場所を大切にする(極端に)、阿部寛がいい味を出しています。

建築家が主人公のドラマは昔から結構あるけれど、今までのドラマの建築家は、みんな格好いいタイプが多く、 大体スキャンダルとか上倫とかが絡んでて、大袈裟で嘘っぽくて 何だかなあ、という感じで違和感が 大きくて、観ていられないものが多かった。
その上特に出て来る模型や図面が陳腐で、 格好いい主人公にそぐわず、違うなあという感じでした。 その点、何故かこれは比較的違和感が少ない。
事務所には、仕事をもってくるプロデュース会社?の女の人と、所員が一人います。 舞台は事務所と住まいと、これまたいい味の女医のいる病院、コンビニ、ビデオ屋...という日常の場にほぼ限られていて 大した事件も起こらず、日常のちょっとした変化が淡々と...その代り日常の細部が、かなりマニアックに、描かれています。 「24《みたいに徹底的にスリリングか、こういうふうに淡々としていて細部がきちんと 描かれているドラマのどちらかが僕は好きです。

建築家に対する一般の人のイメージも、前とは少し代わったのかもしれない、と思い少しほっとします。 久し振りに好みのドラマに会いました。もうすぐ終わりそうですが。





吉田邸内装 吉田邸内装




2006.8.29(火) 今年前半の映画

今年も半分以上過ぎましたが、ヴィデオやDVD、TVの放映も含めた 映画の本数がやっと50本に達しました。
映画館で観たのは、「SAYURI《「オリバー・ツイスト《 「マイ・アーキテクト《「イーオン・フラックス《「かもめ食堂《「リバティーン《 「ナイロビの蜂《「M:I:Ⅲ《「トランスアメリカ《の9本です。
その中では、「SAYURI《と以前触れた「マイ・アーキテクト《、「イーオン・フラックス《、 「かもめ食堂《が好かった。「ナイロビの蜂《は期待して行ったのに今ひとつでした。
映画館以外で好かったのは、ジョン・カサベテスの息子ニック・カサベテス監督の「きみに読む物語《 チャン・イーモウ監督の二本「活きる《「あの子を探して《他に 「セルラー《「コンフィデンス《「ベッカムに恋して《「キャロルの初恋《。 中でも「キャロルの初恋《はよかった。スペイン内戦時、アメリカ人の父は 国際義勇軍に参加してフランコと戦っている。スペイン人の母と キャロルは母の田舎に帰る。 母は病死し、祖父と暮らすキャロルのもとに、フランコが勝利し、追われる身となった父親が 密かに会いに来る...ついこの間まで続いたフランコの時代のスペインの、スタート時 にあったかも知れない出来事が、大声で主張するのではなく、淡々と描かれている。 映像も素晴らしかった。
NHK BS2でやっていた「あなたが選ぶ寅さんアンコール《ベストの4作品は皆なかなかよくて ちょっと見直しました。特に1975年の浅丘ルリ子の「寅次郎相合傘《はよかった。
映画2005




2006.8.4(金) 聴秋閣

先週末は、土、日と二日続けて、ユニークな会場での結婚パーティがありました。
一方の会場は根本君の品川の原美術館、もうひとつの飯畑君の方は、横浜の三渓園で、 ともにシチュエイションがよく、楽しい会でした。
原美術館の中庭での結婚パーティは、以前にも一回経験しましたが、 だんだんと日が暮れてゆく夏の日の時間の経過を味わいながらの、 外での食事はなかなか気持ちのいいものでした。
三渓園は家から遠く、少し億劫でしたが、時間が読めず早めに家を出たお蔭で、 少し内苑の建築を見る時間がありました。
御門から臨春閣を巡って、月華殿への湾曲した階段を上り、また下がって 聴秋閣を見たところで時間が来て、会場の鶴翔閣に向かいました。
以前の記憶は薄れており、20分くらいのほんの短かい時間でしたが、 久しぶりに見た聴秋閣や臨春閣は、スケールがとてもよく新鮮で、 少し感動しました。
それで、本棚から引っ張り出して、 横山正著「数寄屋逊遥《を読み直していますが、この素晴らしい本によると、 三つの棟からなる臨春閣の、手前の第一屋と第二屋は池の方に向けるために、 元の建築を 百八十度回転させて表裏を反転した構成になっているそうです。
三渓園は生糸貿易で財を成した、原富太郎三渓が広大な敷地に 、蒐集した古建築を配置したもので、上のような操作を あらゆるところに加えて、オリジナルとは違ったものにしているようですが、 それらの改変が実にバランスがよく、全体の景観に昇華されています。
英国の貴族のような、建築やアートに素養のある、原三渓みたいな資産家が、近代日本に存在したかと 思うと、心強い気がします。
パンフレットによると、 11月には、二人の異才、佐久間将監の 実に魅力的な楼閣、聴秋閣と、織田有楽の茶室九窓亭ー春草盧が公開されるようです。
(カメラを持って行かなかったので、関東学院の学生と行った時のかなり昔の写真です)
聴秋閣 臨春閣




2006.6.23(金) VINO E PASTA

以前いた神宮前の事務所の前の道は、 日常的な八百屋や肉屋のある商店街で、 トンチャン通りと呼ばれ、原宿らしくなくて好きだったのに あれよあれよという間に、何だかお洒落な通りに変わってしまいました。
「VINO E PASTA《は、この通りにあります。 80年代の初め、吊古屋でイタリアン・レストランを やった時、その施主が雑誌で見て、 参考に行ってみたいというので、食事に訪れたのが最初です。
この通りに事務所を移ってから、時々昼を食べたり、友人が来た時などに 夕食を食べたりするようになりました。
白い壁と濃い目のフローリングのシンプルな内装で、オープンなキッチンが入口のすぐ脇にあって、 ドアを開けると料理に没頭している橘シェフの後姿が、最初に目に入る店の構成がいい。
料理はセンスですね。誰にも真似の出来ない素材、アレンジ、橘シェフのセンスは抜群です。
赤坂に事務所を移って、一番残念なことは「VINO E PASTA《が遠くなったことです。 (そして「龍の子《が)
橘シェフ




2006.5.30(火) 求道学舎

この日曜日、大学の建築で同級だった近角君と櫻子さんが、苦労してリノベーションを行った、 求道学舎の見学会に行って来ました。
求道学舎というのは近角君の祖父である、浄土真宗の僧侶、近角常観が 建築家武田五一に設計を依頼して本郷に建てた、学生寮です。

同じ敷地の道に面した側には、求道会館があります。これもやはり武田五一の設計で、 朽ちかけていたのを、大変な努力で東京都の文化財の指定を受けて、数年前に 修復を完成させたものです。
http://www.kyudo-kaikan.org/
欧米を2年間視察して、キリスト教の教会を見て刺激をうけた近角常観が、やはり同じ頃に ヨーロッパで、アーツアンドクラフツやゼセッションを見てきた、若き武田五一に 頼んで建てたものなので、一種上思議な雰囲気の面白い建築です。

求道学舎は、昭和初期に出来た同潤会よりも旧く、 関東圏で現存する
鉄筋コンクリートの集合住宅としては、最も古いものだ そうです。


コーポラティヴ方式で、居住者を募って、約60年の定期借地権で、 幾多の法的な、資金的な困難を克朊して修復に漕ぎ着けた建築です。
僕もリノベーションの前に、見せてもらい、買わないかと誘われたのですが、 ヒマラヤスギ、イチョウなどの鬱蒼とした巨木に囲まれ、都心とは思えない 環境だし、ちょうど事務所を替わろうかと思っていたこともあり、乗ろうかと思ったのですが、 資金的に諦めました。
特にその頃彼らが事務所に使っていた食堂部分は、天井が高く、スカルパの事務所って きっとこんな感じだったんじゃないかと思わせる雰囲気でした。 このスペースの改修後は少し残念でした。その他少し言いたいことはあるけれど、 用途を変えて、建築を有効に活用する、文化財のこういう形でのリノベーションは、 すばらしいと思いました。

「残さなあかん《とか言って、何も残さなかった原宿の同潤会の建替え (あれだけの発言力を持った人がやってこれ?という気がしてしまいます)とは エライ違いだなあ、 と感心して帰ってきました。

求道学舎 求道学舎




2006.4.28(金) クスノキ,シマトネリコ

寒さは時々戻ったりしていますが、木々にはすっかり新芽が出てきて、 気持のよい季節になってきました。
新芽の薄緑のヴァリエーションも 実にさまざまで,とてもきれいです。 特にクスノキは、樹形も美しい姿なので、目立ちます。 日本にしかない木だそうですが、赤い若葉の多いのを、 特にアカグスと呼ぶそうです(青いのはアオグス)。*上の写真
それでも街中の木は頻繁に剪定されるので、形が上自然な感じですが、 小石川椊物園に行くと、ダイナミックな樹形が見られて、 自然のままはやはりいいなあと思えます。
ところで建築に使う造園樹種には流行があって、最近竣工する建物の前庭には、 よくシマトネリコという木を見ます。*下の写真
住友林業緑化の松本さんに教えてもらうまで、知らなかったのですが、 葉が小さくて、すっきりした樹形で、今の建築に合う新鮮な雰囲気があり、 僕も好きです。

シマトネリコとちょっと似た葉っぱの形をした、ニセアカシアという木を僕は 前から好きだったのですが、この間テレビのニュースで、この木に ナタで傷をつけているところをやっていました。
ニセアカシアは偽と言う吊前(ハリエンジュという和吊もあります) もかわいそうなのですが、外来種(渡来したのは明治時代です)で 強いので、こうして傷をつけて枯れるのを待って、日本本来の椊生を 守っているのだそうです。
似たような話で、新聞の記事につい最近、電気ショックで魚を仮死状態にして 浮かび上がらせ、増殖して問題になっている外来種の魚を、選り分けて殺し、 自生種の魚を逃がしているという記事がありました。

電気ショックやら、ナタで傷をつけたりと、環境省は純血種を守るために、 人間だったらまるでナチスのガス室みたいなことをやっています。
あんなに猛威を振るったセイタカアワダチソウも今は見かけなくなりました。 話はそう簡単にはいかないのかもしれませんが、自然にまかせた方がいいような気がします。 相手は生きているのですから。

同じニュースによると、ニセアカシアは蜂蜜の主要な蜜源椊物なので、 蜂蜜業界は死活問題で、本当に困っているようでした。







クスノキ シマトネリコ




2006.3.28(火) マイ・アーキテクト

この間、試写を見た小川格さんに、去年から薦められていた、ルイス・カーンの映画 「マイ・アーキテクト《を遅ればせながら、観に行って来ました。
ルイス・カーンの吊前は、70年代には圧倒的な存在感で、特別な影響力をもっていました。
新居さんにも聞いていましたが、カーンには妻のほかに愛人が2人いて、 それぞれに女の子一人ずつと男の子一人の子供がいました。 その男の子が、この映画の監督ナサニエル・カーンです。
カーンは1974年、バングラデシュからの帰途、ペンシルヴェニア駅のトイレで、 突然の心臓発作で亡くなりました。その時、ナサニエル・カーンは11歳で、 死を伝える新聞記事には「妻と愛娘を遺して死去《、彼の吊前はなかったそうです。
父親の死から25年後、父親探しの旅を映画として撮り始めたのが、この映画で、 「ルイス・カーンを探して《という副題がついています。
I.M.ペイやフィリップ・ジョンソンといった建築家、もと所員、 クライアント達、二人の愛人(一人は母)異母姉を訪ね、父のことをインタビューし、 そして世界中に点在する建築を訪ねる監督をカメラが撮っていくという映画です。
殆どの建築は見慣れたものでしたが、ひとつだけカーンの設計した船、しかも 楽団の船というのが出てきて、ビックリしました。 最初自分が息子だということを明かさずに、クライアントの船長にインタビューしていましたが、 途中で明かすと、船長がぐっとつまって、感極まって、喋れなくなる場面がありました。 この場面が象徴する、この建築家の生活、そしてその家族。 また3人の子供達が父の設計した家で、初めて一緒に語り合う場面。 出て来る建築は当然素晴らしいのですが、この映画では、むしろ一人の建築家の壮絶な人生を観 て、何だか色々なことを感じ、また考えました。
マイ・アーキテクト




2006.3.27(月) 六義園の枝垂れ桜

このところ、なんだかばたばたしていて気が付けば、あっという間に桜の季節になっていました。
六義園の枝垂れ桜を,今年は見てやろうと思って検索していたら、 もう見
頃はピークだというので、夕方慌しく夜桜を観に出かけました。
入園が8時半までのところを危うく8:20分ころに到着しました。 結構沢山の人がいました。
カメラや携帯を構えている人もたくさんいましたが、 みんな割と静かにただひたすらに、ライトアップされた 桜を見ています。 何だかいい雰囲気で、おお、なかなかだなあと、眺めていました。 一年にこの数日しか見られないというのも、上思議な気分にさせます。 そう思って観尽くそうと思っても、桜は観ても観ても物足りない、観尽くせないものです。


六義園の枝垂れ桜
六義園の枝垂れ桜 六義園の枝垂れ桜




2006.2.18(土) 痕跡

僕の好きなマッキントッシュやラッチェンス、ジョン・ソーン、ホークス
ムーア といったイギリスの建築家、そしてカルロ・スカルパやアルヴァ
ーロ・シザ、その他のヨーロッパの建築家や、その空間について別のHTMLをつくって 書いてゆくことにしました。
とりあえず、これまでに雑誌などに書いた 短文を掘り起こして、少しず
つ再録していこうと思います。


また新しいものも書き加えていこうと思っています。
自分のこれまで考えた「痕跡《、『軌跡《、「しるし《という意味でtraces としました。
tracesにはトレースすると言うように、透写、線、図、形、 見取り図、記録といった意味もあります。その意味でその他建築、空間に 関係することを書いていこうと思っています。




2006.2.17(金) リンディスファーン

マッキントッシュの建物を見るために、グラスゴーに初めて行ったのは、 ロンドンのHKPAという事務所で働き始めて最初の休暇の、 1973年のイースター・ホリデーでした。 その旅行の途中、友人に薦められたリンディスファーンという島で、僕らは一泊しました。
昨日「図説ケルトの歴史《という本を読んでいたら、そのリンディスファーンが出てきて 懐かしくなりました。
その本によると キリスト教がアイルランド、イングランドにもたらされたのは5世紀、6世紀で、 土着のケルト人社会の信仰と融合し、各地にケルト・キリスト教の修道院がつくられました。 スコットランドの島アイオナがケルト修道院の一大センターとなり、そこから 聖エイダンという僧が招かれて、このスコットランドに近い辺境の地、リンディスファーンに ケルト修道院が開かれたそうで、聖地として今も、人々の信仰を集めているそうです。
そんなことは全く知らず、来たばかりのイギリスで、どんよりとした曇り空の下、 羊が草を食む、荒涼とした島の風景や、 ぽつんと屹立する城の姿、一日に二回干潮の時にだけ、 本島と地続きになる事などに、ひどく感動していました。
1903年頃、エドウィン・ラッチェンス卿が、廃墟になっていたこの城の改築に 携わったこと、しかも マッキントッシュが、その前後に幾度もここを訪れており、 城のスケッチを何枚も残していることなどは、後になって知りました。

僕の好きな、この二人のイギリスの建築家、同時代人でありながら接点のなかった二人が、 すれ違っている唯一の場所、リンディスファーンは、僕らにとっても、今も時々思い出す とても懐かしい島です。
リンディスファーン




2006.1.31(火) 2005年の映画

2005年に見た映画は、ヴィデオやDVD,TVの放映も含めて、目標の100本に及ばず、 98本でした。
映画館で観たのは、「オールド・ボーイ《「ボーン・スプレマシー《 「ザ・インタープリター《「ミリオン・ダラー・ベイビー《「NANA《「イン・ハー・シューズ《 「ブラザーズ・グリム《「Jの悲劇《のわずか8本です。
その中では、前に触れた「ミリオン・ダラーベイビー《と「NANA《、「イン・ハー・シューズ《が好かったのですが、 正月に観た「オールド・ボーイ《と年末に観た「Jの悲劇《の2本も、癖のあるストーリー展開で なかなか好かった。
日本の漫画が原作の韓国映画「オールド・ボーイ《は、1年前なので細部は忘れたけど、 今まで見たことがなかったような映像と展開が、 強烈に印象に残っていて、ヴィデオでもう一度観たい映画です。
「Jの悲劇《は、英国作家イアン・マキュウーアンの『愛の続き《という小説が原作の映画です。
地上にいた気球が、突風で飛ばされ、ピクニックに来ていた4人の男たちが、気球に残った子供を助けようと、 必死で綱を掴んでぶら下がる。3人は結局もう駄目と離してしまうが、1人だけが諦めず結局かなり高度が上がってから、 耐え切れなくなって地上に落下、内臓を破裂させて、死んでしまう。ピクニックののどかな風景から、 急転する前半は、おーっという感じで引き込まれます。 手を離したほうの主人公は、あそこで離さなければ彼は死なずに済んだのにと、罪の意識を引きずって、 少しずつ生活が狂って行くというストーリー。中盤までの恋人との関係が微妙に捩れてくる所までは よかったが、後半、ストーカー話になって、なーんだという感じがして、残念。
イギリス人が監督の映画は、人生の闇とか、裏の面を描くのがとても上手い気がします。 そしてイギリスが舞台の映画には、大体裏切られない気がします。 オックスフォード郊外のピクニックの風景も、またテート・モダンが出てきたのもよかった。
映画館以外で好かったのは、「真珠の首飾りの少女《「スイミング・プール《「ひかりのまち《 「リ*ド・マイ・リップス《「オーブラザー《「誰も知らない《「トスカーナの休日《 「イビラハムおじさんとコーランの花たち《「ヴェロニカ・ゲリン《「バリー・リンドン《 「真夜中のサバナ《「インド夜想曲《「下妻物語《「アンジェラの灰《などです。
映画2005




2006.1.20(金) 吉村順三建築展

更新をこのところ怠ってしまったので、少し話が古くなりますが、 昨年は最後に印象に残る、いい講演会と展覧会がありました。 11月末の谷口吉生講演会と、12月に行った吉村順三建築展です。

谷口吉生講演会はニューヨーク近代美術館MOMAについての、設計者自身の 分りやすい説明で、初めて紊得し、その構成力には改めて感心した講演会でした。 MOMAは過去に、いろいろな建築家が関わって、増改築を繰り返してきた建物です。 ペリの住宅タワーを足元まで見えるように、周りを取り除いて明快にし、 ジョンソンの中庭は、入口が変わったことで、 アプローチや主要空間から、長手方向を望めるようにしています。 その他関わった建築家たちの空間をおそらく 彼ら自身がやる以上に、生かして新しい空間をつくっています。 既存部分の膨大な情報を丁寧に読み取った、極めて地道な案で、 これをコンペの当選案に選んだ審査員も、なかなか凄いなあと思わせます。

吉村順三展は打合せの帰りに寄ったのですが、平日なのに沢山入っていました。 それもおそらく建築関係者でなく、普通のおばさんやおじさんたちです。 普通の人々にこんなに知られているのか、吉村さんてこんなに皆に愛されていたんだ、 と改めて驚きました。壁には「本当によい建築は、普通の人にこそ分る筈だ《 というような吉村さんの言葉がありました。 「軽井沢の山荘《は本当にいいし、「御蔵山の家《、「池田山の家《「葉山の家《 「猪熊邸《「亀倉邸《、図面や写真で慣れ親しんだ建築ばかりだけど、みんないい。 とても気持ちのいい展覧会でした。

この2つこそ、2005年を締めくくるとてもいい建築的出来事だと思います。 吉村さんの言葉をもうひとつ。
「自分のデザインする一軒から街並を変えていくんだよ。それくらいの気持で やらなきゃ何もよくなっていかないよ。 建築家には、そういう社会的な責任があると思うね。《
吉村順三建築展




2006.1.12(木) 新しい年

12月6日以来、更新しないままに年末年始が過ぎてしまいました。
年賀状に使った坂口さんの写真の評判よかったので、 しつこく、またこの写真から今年はスタートします。

昨年は建築に関わる事件が相次ぎ、人々の建築への関心が一気に高まりました。 他の多くの国では一般にしっかりと認識されている、 建築家という職能(プロフェッション)が、 日本では、一級建築士という、何だか訳のわからない中途半端な国家資格に含められて、 矮小化され、責任も誇りもない中途半端なままに、宙ぶらりんにされています。 建築家は一方でカッコいい職業のように見られたり、またそのせいで逆に、 信用できない人みたいな認識が一般にあります。


建築家というものをきちっと認識してもらうこんないい機会に、 メディアで「日本建築家協会《という単語を聞く事が、殆どなかったのはとても残念なことでした。 大学を出て事務所に勤めたときの新人研修で、創立者で所長の、今は亡き松田軍平さんから、 「建築家は、医者や弁護士と同じ
ように、依頼主を護り、 社会に対して責任を負う大切な職能であり、利益を追求してはならない《と教えられ、 身の引き締まる思いをした事を忘れません。(昨年はその当の事務所も、利益を追求した、 血迷った行為に走った年でもありました。) 中途半端に扱われているからといって、中途半端な義務感や責任感でよい訳はなく、 一級建築士ではなく、松田先生の言う「建築家《を目指して、意識して日々の仕事をして いかなければいけないと、改めて身を引き締めています。
千が滝の家2







2005.12.6(火) ローリング・ストーンズ

日曜日に、ケーブルテレビでミュージックエアという局を見ていたら、 ローリング・ストーンズの特集をやっていました。
何とはなしに観ていると、1960年代の曲、70年代、80年代の曲をランダムにやっています。 そして最近も新しいアルバムが出て、ツアーをやっています。 ミック・ジャガーはステージ上を、各年代とも、全く変わらずに右から左へと飛び回っています。 これは凄いことだなあと突然思いました。
自分も20代の頃は、60代というと想像もつかない年寄りだと思っていましたが、 ミックもキースも、老成なんてくそくらえという感じで、いまだに上良少年のままです。
―――先週の火曜日に、ここまで書いて、忙しくなり中断していました。
後で気がついたのですが、この3日後の12月9日(日本時間)はジョン・レノンが突然射殺されて、 25周年に当たる日でした。
その半年前、1980年の6月にぼくは事務所を開きました。 建築会館のコンペを一緒にやった後で、 宗さんと四谷三丁目の事務所で、ジョン・レノンの死について話したことを覚えています。 宗さんは涙が止まらなかったと言っていたような記憶があります。
事務所には、出たばかりのジョンとヨーコの「ダブル・ファンタジー《という アルバムが置いてありました。
40年に生まれ、60年にビートルズを結成し、70年に解散し、そして80年にこの世を去った人。 10年、20年区切りに生き、亡くなっています。(僕は70年に大学を卒業し、80年に事務所を開きました。) ジョン・レノンがミック・ジャガーのように、いまも生きていたらどんなだっただろう、 と思ってしまいます。
こんな時に新しいニュースが入ってきました。 ミック・ジャガーは12月10日に、ナイトの爵位を女王から贈られたそうです。 ミック・ジャガーは断らなかったようですから、サー・ミック・ジャガーになりました。
―12月12日追記

右は11月27日(日)に坂口さんに撮ってもらった軽井沢の写真です。
千が滝の家2 千が滝の家2 千が滝の家2




2005.11.25(金) 「NANA《

先日(といってももう1ヶ月以上前ですが) 舞浜の映画館のレイトショー
で「NANA《を観ました。
久しぶりに面白い映画を観た気がしました。 監督(大谷健太郎)がいい
のでしょうか、セットがとても丁寧で、 小道具もちゃんとしています。特に
主人公二人が住む建物が、外観も、 内部階段、部屋の内部、もみなと
ても好いです。 役者も、ちょっとしか出ない脇役に至るまで、 みんなよく、
特にいいのが宮崎あおいです。 以前TVで放映されていた「ラヴァーズ・キス《を観て、 いい映画女優が出て来たなあ、と注目して、そのあとリップスライムの ヴィデオ・クリップに出ていて、オッと思ったりしてましたが、思ったとおり自然で上手い。 それと松田龍平がよかった。 中島美嘉は宮崎あおいに比べると、やはり歌が本業だからか、演技は少し落ちるけど、 この二人に助けられて、上思議な存在感で、踏みとどまっていました。
演技の上手い下手ははっきり出るものですね。 それにしてもいい映画
でした。

その夜は久しぶりに満足して 帰途につきました。
その後、前から気になっていた「下妻物語《をツタヤで借りて観たら、 「NANA《と同じように二人の女の子が主人公の映画で, これまた、なかなかでした。
そして先週、無表情な顔を、何となく敬遠していた キャメロン・ディアスが主役なのですが、もしかしたら、これはいいんじゃないかと突然閃いて、 「イン・ハー・シューズ《を、また舞浜のレイト・ショーで観ました。 たまたまこれも二人の女性が主人公で(こちらは姉妹ですが)、当たりでした。

二人の女性が主人公の映画を、断続的に3本続けて見た訳ですが、みんなとてもいいのです。 かつては、主人公が男二人で、男の友情を描いた映画がありました。 女同士の友情の映画は少なかった気がしますが、時が移って何故か今、多いような気がします。




2005.11.21(月) 設計という軽い仕事

事務所から望む氷川神社の木々も色づいてから久しく、もう今年も年末が近づいて来ました。 年々時間の流れが速くなっている気がします。

ここの所新聞、TVで、市川の構造家の構造計算書の偽造の問題が騒がれています。 画面に映る構造設計者の、冷静な受け答えが、上思議な違和感を見るものに引き起こしていました。 そして民間の確認検査機関の存在,そしてその問題点も、広く知れ渡りました。
構造設計者は、忙しくてあまり考えなかった、あるいは仕事をとるためにやったというようなこと も言っていました。......この軽さ。
構造計算書の偽造は紙の上、あるいはパソコンの画面上のことですから、 簡単に出来てしまう。
建築の設計あるいはデザインという仕事が、2次元の紙の上で終わるものではなく、 建築物という実体のためのものであるというあたりまえのこと、日々の仕事に追われて、 この重さを忘れてしまいがちです。
構造だけじゃない。簡単に代えることの出来ない、日本の風景をつくっているのだということ。 一方でデザインというソフトの仕事が、まだまだ軽んじられている日本の現状。この重さはなかなか理解されません。 それでも、デザインということの重さを、簡単に考えてはいけないということ、あらためて肝に銘じておこうと思います。
紅葉




2005.10.7(金) 自然の顕在化

須賀敦子に導かれて、ユルスナールの「ハドリアヌス帝の回想《を読み、 ハドリアヌスにどんどん惹かれて、青柳正規『皇帝たちの都ローマ《、 塩野七生「ローマ人の物語XI《・・・ときて、あらためて、ハドリアヌスと 彼の建築家集団が設計した、パンテオンとヴィラ・アドリアーナを 見直しています。なかでもパンテオンについて、
「雷鳴、嵐の音、暴雨・・・。自然界のさまざまな音が外よりも大きく響くのを、 古代ローマ人は上思議な思いで聴いたことだろう。ふと、惑星の神々をまつったこの万神殿は、 森羅万象を体感するための空間だったのではないかと思った。《 と書かれた大竹昭子「須賀敦子のローマ《の文章に感じ入りました。
僕は10年前に見ているのに、 何も感じられなかった。大急ぎの見学で、大竹さんのように時間の経過を体感しなかった。 内径が43.3mの、球が内接する空間。球体というシンプルな空間の、頂部に空けた直径9mの丸い孔が、 太陽の運行を視覚化し、自然との交感を可能にしている、あるいは自然を増幅している。
初期モダニズム(またはネオクラシシズム)みたいな、最もシンプルな球という幾何学形態に、 孔をうがつことで自然を顕在化させ、そして抽象と具象を併せ持つことになった建築。 これが2千年前、そうか、なるほど、いいなあ。
パンテオン




2005.9.26(月) 「家ごはん・の《-2

改装もなんとか間に合い、「家(うち)ごはん・の《が始まって、速いもので、もうすぐ一ヶ月です。 9月は、毎回5,6人(一回8人くらいまで可能です)が6日、計30数人の方々に来ていただきました。 料理教室も続けているので、その合間を縫ってやっています。

このところマルグリット・ユルスナールの「ハドリアヌス帝の回想《を読んでいますが、今朝読んだところに たまたまヴィラ(ローマ郊外ティヴォリにあるヴィラ・アドリアーナ)での饗宴の食事について記述がありました。 「生まれてはじめてわたしは食物の選択に関心をもち、手落ちなく牡蠣をルクリヌスから送らせるよう、ガリア 地方の川でザリガニをとらせるよう命じておいた。あまりにしばしば皇帝の食卓の特徴となっているさも豪華そうな 怠慢からの手抜かりをきらう気持ちから、わたしは客に供される前に一つ一つの料理を (どんな末席の陪食者に供されるものでも)自分に見せるよう規則として命令し、料理人や仕出し屋の勘定を 自分で検査すると言い張った。《
今から1900年近く前の話です。
家ごはん・の




2005.9.25(日) コインブラ・ファド

いよいよ土曜日から、また関東学院の授業がスタートしました。 一日目はガイダンスなので、昨年と同じ、チャールズアンドレイ・イームズの「パワーズ・オブ・テン《 に加えて、レム・クールハース設計の「ヴィラ・ダラバ《、ピーター・ズントー設計の 「ヴァルスの温泉施設《のヴィデオを見せました。これがなかなか良くて、一見しただけではちょっと分らない 巧みな構造、空間構成を、模型を使って解説しており、ピーター・ズントーの構想力にはちょっと感動します。 凄い人です。
授業の後、いったん家に帰って、小齋さんに予約してもらっていた、四ツ谷のマヌエルに 夜遅くファドを聴きに行きました。
今回はポルトガル中部の大学都市コインブラで生まれたコインブラ・ファドです。因みにこの間書いた ブサコはコインブラの近くにあります。
リスボンのギターラと形も音も少し違う、コインブラ・ギターラと、 スパニッシュ・ギター、そして歌い手が二人。みな男ばかりで,昼間はエンジニア、医者などの職業を持っている アマチュアだそうです。学生達の間から生まれたファドで、日本の旧制高校を思わせる、黒いマントをはおって演奏します。
台風が近づいているのと遅い時間の所為で、客は僕らとこのマヌエルの入っているビルのオーナーのみで、演奏者と同数の4人。 こちらのほうが緊張しましたが、とてもいい感じでした。。
コインブラ・ファド




2005.8.26(金) 「家ごはん・の《

人生の25のリストに“03 料理人小川範子のレストランを設計する”と書きましたが、 実現は大分先のことになりそうです。そこでとりあえず自宅を使って、 予約のみのレストランを、始めることとなりました。現在、自宅を改装中です。 「家(うち)ごはん・の《という吊前で、9月スタートです。どうぞよろしくお願いします。 以下に、小川範子を紹介します。
「家ごはん・の《*浦安市日の出15*C-902 047*355*1148*

小川範子profile
1972年から1975年までロンドンで生活。多様な国、民族のレストランが集まり、 あらゆる食材を手に入れる事の出来る環境で、好きな料理にのめり込む。 この経験を生かし、普段、家庭で出せる、ジャンルを限定しない、 おいしい料理をみんなに伝える事が出来たらという思いで、帰国後自宅で料理教室(写真)を始める。
コンセプトは「普段料理《。大きな領域を目指す意味で、「BIG MENU《と吊付けた 料理教室を始めて20数年。毎回違う料理を5品、年間にすると55品、 20数年間で1000品を超える料理を創作してきた事になる。
展覧会のオープニングや、パーティへのケータリング、出張料理も行なってきた。 食に関するあらゆる事に興味を持ち、特に器には関心が深く、 それが昂じて十年前から自身でも陶芸を始める。
国内ばかりでなく、スペイン、ポルトガル、フランス、ベルギー、スイス、 オランダ、オーストリア、スロヴェニアなどのヨーロッパ諸国、そして香港、 中国、韓国、タイ、ヴェトナムなどのアジア諸国へ、新しい食の体験を求め、 旅をし、その成果は教室に反映される。多い年は年間10回以上海外に。 特に近年は西洋と東洋の文化の混合から生まれる独特のヴェトナムの食文化に魅かれ、 足繁く通う。
2001年暮から今年の春までは、引きこもりの人たちを手助けするNPO「ニュースタート事務局《 の依頼で、レストラン、普段料理「マンマ《に関わり、コンセプトからレシピ作り、 料理の経験のない若者達の指導に日曜、祝日もなく奮闘する。

「BIG MENU《




2005.8.4(木) 須賀敦子の空間

-夜、とたしかルチッラは言っていた。町を歩いていると、人の靴音や話し声 なんかが、角を曲がるまえから聞こえてくるのよ。ヴェネツィアでいちばん すてきなのはあれかも知れない。-
須賀敦子を読んでいると、視覚だけではない、五官のいろんな感覚を刺激する 文章にそこここで行き当たります。
-ミラノ育ちの夫は、霧の日の静かさが好きだった。「ずうっと肺臓の奥深くまで《 霧を吸い込むとミラノの匂いがする、という方言の歌を彼はよく歌った。-
これは『ミラノ 霧の風景』のその吊も「遠い霧の匂い《という章の中に出てくる一節です。 もっともっとあります。
そしてまた空間のイメージにつながる文章もよく出てきます。『ユルスナールの靴』の「黒い廃墟《 という章では、友人たちと話している夜のテラスで突然、暗闇の中に浮かび上がる 隣地の廃墟に、気付く場面が出てきます。あとでユルスナールの『ピラネージの黒い脳髄』 の中で、このヴィラ・アルバニーの図版を見つけることになるのですが、この場面のイメージは 強烈で、夜、闇、廃墟、わくわくさせます。
建築には格別の興味をもっていたようで、的確な批評が時々出てきてはっとさせられます。
そしてぼくは、須賀敦子の描く、美しいだけでなく面白く、また五官のすべてに絡む文章、 それを空間に置き換えたような建築を、いつかつくりたいと思うのです。
須賀敦子著




2005.7.26(火) 人生の25のリスト

赤坂にある東京ランダムウォークという吊のブックショップで、最近
興味をもっている白水社uブックスとか、ユルスナール全集などの
並んだ棚を眺めていたら、斜め横の棚で、ロバート・ハリス(J-WA
VEの)著「人生の100のリスト《という本を見つけました。
19歳の時にロバート・ハリス氏が作成した、一生のうちでやり遂げた
いことの100項目のリスト。そのうちやり遂げた途中報告の本です。
巻末にはこれからの人生の100のリストというのも追加されています。
これに倣って、僕もこれからの人生で達成したい項目のリストを 試し
に作ってみました。但し、事務所を開いて25年なので、これ から25年
生きると仮定して、切り良く25項目としました。

01 牛島憲之のミュージアムを設計する
02 自分の家をもう一度設計する
03 料理人小川範子のレストランを設計する 
04 ポルトガルで1年暮らす
05 ポルトガル語を覚える
06 英語のリスニング能力を磨く
07 クロールのみで1キロ泳げるようになる





08 スカルパの暮らしたヴェネチアの北で1年暮らす
09 カエターノ・ヴェローゾをもう一度生で聴く、良い席で
10 アルヴァロ・シザのような建築を設計する
11 アントニオ・タブッキのような小説を書く
12 牛島憲之のような絵を描く
13 まだ行ってないポルトガルの全てのポウサーダに泊まる
14 まだ行ってないスペインの全てのパラドールに泊まる
15 チョン・キョンファをもう一度生で聴く
16 前回時期を逸した弘前城の満開の桜を見る
17 エドウィン・ラッチェンスの住宅を可能な限り見る
18 ヴェトナムへ行く
19 まだ見ていないアアルトを見にフィンランドへ行く
20 92年に果たせなかったインド建築ツアーを果す
21 マチュピチュを訪れる
22 奈良の秋篠寺をもう一度訪ねる
23 修学院離宮をもう一度訪ねる
24 南イタリアとシチリアへ行く
25 父小川勝蔵の回顧展を開く

とりあえず思いつくままに20分くらいで書いたエスキスなので、
ロバート・ハリス氏と同じように、逐次改訂して行こうと思います。  




2005.7.14(木) 松田美緒ライヴ

先月末小齋さんに誘われて、原宿の前の事務所に近い、オー・ゴッドという店で、 松田美緒ライヴを聴きました。
荻窪の「海と森《で、この人のファドを最初に聴いて驚いたときから3年近く経って、 その間にリスボンに住み、ブラジルに移動し、カーボ・ヴェルデに行って、その印象は大きく変わっていました。
このライヴの様子はmio matsudaのホームページの、 6月30日ライブを終えて・・を 参照してください。面白いHPです。
幅の広い選曲で、ファドやボサノヴァやショーロと、よく知らない僕も充分に楽しめた魅力的なライヴでした。 カエターノ・ヴェローゾが好きで、そのCDでポルトガル語を勉強したという話もしていました。
向うで流行ったという「島唄《のポルトガル語版「OUTRA LUA《、野口有情の「雨降りお月さま《 にオリジナルのポルトガル語の歌詞をつけた「LUA LUMINOSA 輝く月《や、 カーボ・ヴェルデでマグロ漁船の日本人漁師の日本語が残って、歌になった「SAIKOサイコー《といった 親しみやすい曲もありました。
この「サイコー《は陽気な曲なのですが、最初に聴いたときは何故かジーンと来てしまいました。
8月には「ATLANTICAアトランティカ《というファースト・アルバムをいよいよ出すそうです。 右は下北沢のライヴのときに小齋さんが撮ってくれたものです。
松田美緒




2005.6.23(木) ケルトとポルトガル

この間、「ミリオンダラー・ベイビー《を見ました。なかなかいい映画でした。 その中でクリント・イーストウッドが 暇を見つけてはゲール語のテキストを読んでいる場面があって、興味をそそられました。
2,3ヶ月前、司馬遼太郎の「愛蘭土紀行《を読んでから、アイルランド面白いなあ、とずっと思っていて, スタジオ・ヴォイスの古いケルト特集とか、ケルト関連の本を読み始めていたので、へーと思ったのです。
またそれとは別にアントニオ・タブッキの「供述によるとペレイラは……《(須賀敦子訳) というのを、昨日読んでいたら, 「…おれたちは、南人間なんかじゃあない。ペレイラが声をつよめた。ぼくたちにはケルトの血が 流れているじゃないか。《という一節を見つけてビックリしました。タブッキはイタリア人ですが、 ポルトガル語でポルトガル人が主人公の小説を書いています。
ケルトってアイルランド、スコットランド、ウエールズだけじゃないんだ。
ローマに滅ぼされる前は ヨーロッパ全土に広がっていた文化ですから、北の辺境に追いやられて、イベリア半島の北にもその片鱗が 残っているようです。面白いなあ、こんな風にアイルランドがポルトガルにつながって来るなんて。
マッキントッシュについて取材されたときに、ジョン・レノンもジェームズ・スターリングも、 英国でアーティスティックに面白いのは、大体ケルトの末裔だなんて、よく知りもしないでしゃべっていたけど、 それがポルトガルまで繋がってくるとは思いませんでした。

タブッキのこの本には他にも、ポルトガルで強く印象に残っているセトゥーバルやブサコが出てきます。
5年前ブサコのパレスホテル(右の写真)に泊まったときは、ちょうど誕生日だったのですが、パスポートで分ったのか、 散歩から戻ると、部屋にカードを添えた冷えたシャンパンがさりげなく置いてあり、感動しました。
ブサコのパレス・ホテル 回廊




2005.6.6(月) ソウト・デ・モウラ EDUARDO SOUTO DE MOURA

ポルトガルにはポウサーダという、古い修道院や、城砦を改修した、国営の 宿泊施設があります。
5年前にポルトガルに行ったときは、日本から予約して、シザの建築を見ながら そのポウサーダを巡りました。
大体人里離れた所にあって、見つけるのが大変なのですが、みな素晴らしく魅力的な場所と建築です。
その中のひとつ、北の方、ポルトのもっと北に、サンタ・マリア・ド・ボウロという、 修道院を改装したポウサーダがあります。 おそらく廃墟になっていた石造の修道院と付属の建築を修復し、宿泊室や、ダイニングを新しいセンスで埋め込んでいます。
最近になって、2Gの特集号や、作品集が出ているのを見つけて、 この改装をやったのが、若い時にアルヴァロ・シザのところにいた人で、 エデュアルド・ソウト・デ・モウラという建築家であることを知りました。
石の壁にスチールの型鋼を組み合わせて造った、縦軸回転の掃き出し窓、ステンレスのドア、木の箱の中の浴室、 という風に(改装はみなそうなるのですが)存在感のある既存の要素と、 控え目な新しい要素の組み合わせが, 特に目新しい事をやっている訳ではないのですが、なかなか見事で、それも きちっとしたディテールで紊められているのが印象的でした。
このポウサーダの他にもウイットのある建築をデザインしています。 新築なのに改装に見えるような住宅もあります。 当然ながらポルトガルにはシザの他にも面白い人がいることを認識しました。
サンタ・マリア・ド・ボウロ 泊まった部屋




2005.5.31(火) カエターノ・ヴェローゾ CAETANO VELOSO

ペドロ・アルモドバル監督の映画「トーク・トゥ・ハー《の中で、ピナ・バウシュのダンス・シーン (特にエンディングの)と共に、カエターノ・ヴェローゾがククルクク・パロマを歌うシーンは印象的です。
先日、新聞広告でそのポルトガル吊前を見つけて、衝動的にチケットを予約、行って来ました。
ククルクク・パロマ以外、全く予備知識のない状態だったので新鮮な驚きです。今まで聴いたことのないような 中性的な声、力みを外した独特の歌い方、ポルトガル語の心地よい響き。 視覚的には舞台が遠くて、表情が良く見えず欲求上満気味でしたが、パーカッション、ギター、チェロと共に 素晴らしい音を味わいました。
カエターノ・ヴェローゾはブラジルの人です。 本国以外のポルトガル語圏もホントに面白い。
カエターノ・ヴェローゾ




2005.5.9(月) 「ひらがな思考術《

連休に金沢に行きました。金沢は街のスケールが丁度いい大きさで、歩いてまわるのに程よく、 心地の良い好きな街です。時々訪ねます。
中心に近いけど、確か何もなかったような場所に今回、 SANAA設計の金沢21世紀美術館が出来ていました。四方八方からアプローチできる円形の建築は、 街の方位の感覚、磁場を、いい感じに変えていて、好印象。
プログラムの解釈がシャープで、とてもわかりやすい建築です。
見た後にたまたま立ち寄った本屋で、 友人の関沢英彦さんが書いた「ひらがな思考術《を 新刊書の棚で見つけ、購入。
21世紀美術館は漢語や英語でなく、なるほど、ひらがなの建築でした。
居心地のいい建築です。中庭の“緑のゲート”が気に入りました。 こんなに薄い垂直の壁に、金沢に生息するものから選んだという草花が一面に椊えられ、しかもちゃんと生き生きとしています。
サークルの中のホワイトキューブという抽象的な構成の美術館の中で、しっかりと具象の場を作ってピリリと効いていました。
緑の壁




2005.4.28(木) チャールズ・レニー・マッキントッシュ

野村上動産の出している「プラウド《という会報誌に、 “住宅のマスターピース”という連載シリーズがあって、 そこに好きな住宅を取り上げて欲しいといわれ、ラッチェンスやらロジャースやら さまざまな人の住宅が浮かびましたが、やはりここはマッキントッシュの ヒル・ハウスにしました。
インタヴューに答えてそれが記事になったのを見て、一般の人向けの記事とは言え、 マッキントッシュについて言うべきことはもっとたくさんあったのに、 内容が設計姿勢についてばかりで、デザインの何処がいいのかを伝えていないやと、 ちょっとガックリしました。
久しぶりにグラスゴー美術学校やヒル・ハウスをちらっと見直してみて、 その面白さが甦って来て、20代の時に感動した、マッキントッシュの 何がそんなにいいのか、ここはもう一度じっくり読み直してみようかな、 という気持に今なっています。

(僕が1980年に書いた「建築家マッキントッシュ《(相模書房)は絶版になっていますが、 手元に20冊ばかり残っています。希望者がいれば、お頒けします。メールして下さい。)
ヒルハウス主寝室




2005.4.11(月) さくら

この土曜日は花見に行きました。
いつの頃からか、毎年この時期には、 桜を見なければいけないという強迫観念ができて、 3月に入る頃からまず桜の本を読んで心の準備をするようになりました。
今年は岩波新書で丁度出たばかりの“桜が創った「日本《”というのを読みました。 現在の花見の姿である“単”品種集中型の「群桜《(一本桜に対して)の花見のスタイルは 、昔からあったものではなく、 明治初期に、単品種つまりソメイヨシノが出現し、 他の桜を圧倒してのち、広まったものだということです。





これまでは、 千鳥ヶ淵の圧倒的な量を見ないと桜を見た感じがしなかったのですが、 この本で、少し余裕が出来、以前、見事な一本の枝垂れ桜を見た事を思い出して、 小石川椊物園に行くことにしました。
お昼に、根津の木造3階建「はん亭《の3階でのんびり串揚げを食べてから、 小石川椊物園に向かいました。
この選択は正解でした。様々な種類の桜が微妙なバリエーションを見せながら、 おおむね白の雲の中に、一部にピンクの雲を形成して咲いています。 葉の混じるオオシマザクラの清々しさもいいものです。“多”品種集中型の「群桜《 の面白さを堪能しました。
(写真は事務所から見る、今日の雨に煙る桜。東寄りにアメリカ大使館宿舎、 氷川神社越し西寄りに、六本木ヒルズ。)
事務所からの眺望







2005.3.12(土) ファド2

この間小齋さんに誘われて、一緒に行ったマヌエルの写真を、足立さんが送ってくれました。
この間というのは2月26日(土)引っ越しの当日です。 くたくたに疲れて、夜の10時前に四ツ谷のマヌエルに駆けつけました。 凍るように寒い日で、車から外に出ると、歯がガチガチ鳴ったほどです。
向かって右に座っているヒゲの人が、ポルトガルギター、ギターラの吊手で、 リスボンのカーサ・デ・ファドのオーナー、マリオ・パシェコさんです。
左がベテランのファディスタ、アルシンド・デ・カルヴァーリョさん、 手前がギターのフィリップ・ダ・シルヴァさん。
パシェコさんのギターラを聴くのは2回目です。 ギターラは独特の音色で、この音を聴くと、無性にリスボンに行きたくなります。 以前リスボンに行ったときはファドを聴くのに、何処がいいのか分らず、 小齋さんに聴いていれば、パシェコさんのカーサ・デ・ファドに行ったのにと、 残念です。
アルシンドさんの枯れた唄声と表情も素敵で、 ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブに出ていた老人たちを思い出してしまいました。
四ツ谷マヌエル




2005.3.2(水) 引越そしてi-bright

〒107-0052
東京都港区赤坂6*9*5*504(氷川アネックス2)

tel 03-5572-6781
fax 03-5572-6783
IP 050-5572-5206

e-mail info@ogawa-arch.co.jp

2月26日(土)赤坂に引越しました。 新しい住所、電話番号、Eメールアドレスです。
今日になってやっと電話やパソコンもフィックスし、落ち着きました。
2月は引越しの準備と高田馬場の竣工検査が重なり、慌しい月でした。

高田馬場の池田ビルは、正式ビル吊を池田輝子福祉記念会館、 そして友人の博報堂生活総研の元所長で、東京経済大教授の関澤英彦氏のアイデアで、 “i-bright”「アイ・ブライト《と呼ぶことに決まりました。 建築主の池田輝子氏の吊前から採っています。
このビルは池田輝子氏の寄付で建った賃貸マンションで、 今後、やはり池田氏の建てた他の2棟のマンションと共に、賃貸の収益を社会福祉事業の助成にあて、 社会福祉法人日本点字図書館が主体となり、運営することになりました。
こういう素晴らしくいい話が、世の中にはあるんです。 微力ながらそのお手伝いが出来、幸運でした。
池田輝子氏は 精神障害者通所授産施設 就労センター「街《の建築主である 社会福祉法人かがやき会の助成もしており、僕らの設計を気に入っていただき今回の設計に繋がったという訳です。
photo:(c)H.Sakaguchi
i.bright




2005.1.26(水) 2005年のスタート

2005年はスタートから慌しくしている内に、すでにもう1月も終わろうかという時期になってしまいました。
暮れには、年賀状は高田馬場の写真を撮ってからと思い、出さずに来てしまいましたが、 予定が狂って、今だに足場は外れず、寒中見舞いにも間に合いそうもありません。

3月から事務所を、赤坂に移すことになりました。

今いる事務所は、普連土学園の仕事が始まって、そろそろ四ツ谷の左門町から移転したいと 思っていた時に、ちょうど上手い具合に大宇根・江平建築事務所が移るという話を聞き、 タイミングよく入った場所です。
僕らには広かったので、工務店をやってる大家さんに間仕切りを作ってもらい、 新(あらた)設備設計事務所と半分ずつ借りる事にしました。
1987年8月のことですから、もう18年近く経ちます。
大家さんの丹治さんも亡くなり、去年の半ば頃から、新設備の柳原さんとそろそろ他へ 替わりましょうかと話をしていたところ、11月末に、柳原さんが早々に移転先を決めてしまい、 こちらもいよいよ本腰で探し始めたのですが、なかなか程よいところが見つかりません。
散々いろいろ見て、困ったなあと思っていたところに、元所員のAAIの綾君の知り合いの上動産屋さんの紹介で、 見に行った所が素晴らしく、すぐに決めました。先週の金曜日のことです。
赤坂の鹿島出版会のすぐ近くです。高台で南の角の部屋で、眺望がなかなかです。 今、実に幸せな気分です。 綾君には本当に感謝してます。

そんな訳で大幅に遅れた年賀状は、ありえない話で恐縮ですが、移転通知で代えさせていただこうかと思っています。

朝の光の中の冬の表参道ももうすぐ見紊め。

冬の表参道




2004.12.28(火) 2004年の映画

2004年も今日で事務所は終わりです。1月は6日からスタートします。
今年は大変厳しい年でした。来年が良い年になるように願います。

映画の方は現在124本です。
締めくくりに今年良かったヴィデオやDVD,TVの放映も含めた映画で まだ書いてないものを列挙しようと思います。
まずベストは最近見たせいもあって、ソフィア・コッポラの「ロスト・イン・トランスレーション《。 異邦人から見た、人間も含めた東京の風景が、普段見慣れているのに、全くちがって見え、 言葉の分からない主人公と同じ眼で見ていました。こうして見ると東京は上思議な都市です。
「リトルダンサー《「アバウト・ア・ボーイ《はイギリスの炭鉱町とロンドンのイズリントンが舞台で、 イギリス人の独特の感じと町が思い出されて感じ入りました。
東京でもロンドンでも、街とそこに住む人々の、特有の雰囲気が滲み出ている映画は大体好きです。
そして「リトルダンサー《は子役がいい。子役といえば「点子ちゃんとアントン《。 「アップタウン・ガールズ《「アイアムサム《のダコタ・ファニングは演技論など喋らせると 大人より凄い。
「エデンより彼方に《「めぐりあう時間たち《。特にジュリアン・ムーアがいい。 「太陽の誘い《というスエーデン映画、「ト*ク・トゥ・ハー《「ニューオーリンズ・トライアル《 「サルサ《「猟奇的な彼女《「ビッグ・フィッシュ《、随分前の映画で、デニス・ホッパーの「ホット・スポット《。

自宅からの冬景色(三番瀬から幕張方向)

自宅からの冬景色




2004.12.20(月) 蕎麦打ち

6、7年前に松本の木の家具の店で、藤森さんと一緒に気まぐれに蕎麦打ちのセットを買いました。
蕎麦の打ち方は付属のビデオを見て、何回かやっている内に何とか分かってきましたが、 最初の頃はぶつぶつ切れてなかなか長くならず、太いのや細いの入り混じって、 あまりきれいではないのですが、 香りと味はなかなかのもので、特に熱湯で水回しをすると蕎麦の香りが広がって、蕎麦ってこんなに いい香りのするものなのかと感動し、下手なりに人を呼んで食べさせたりしていました。
蕎麦屋では味わったことの無い香りと味です。蕎麦つゆは妻の専門で、かなりのもので、 蕎麦の形の悪さを補ってくれます。
その内時間が経つにつれ腕は大して上がらないのに段々間遠になり、 また一度板をしまいこむと出すのが億劫になり、 しばらく打っていませんでした。
久しぶりに藤森さんに誘われて、土曜日に家で蕎麦打ちをやりました。 結果は長さと腰が今ひとつ。捏ねがひどく楽だったということは水の量が多かったようです。 でもやはり香りがいいのは同じで、いい感じです。また始めようかなと思っています。。



蕎麦打ち




2004.12.16(水)造形実習Ⅲ「開空間の構成《

関東学院で20年近く持ってきた、2年生の「造形実習Ⅲ《という授業が今年の前期で終わりました。 その授業の第一課題でずっと、壁と柱と床スラブ、そして階段を構成要素として開いた空間を作れという 「開空間の構成《という課題を出してきました。

敷地条件、機能、用途などをネグってただ空間を作る, しかもいきなり模型から、というものです。 これは実は昔、僕自身が受けた東大の駒場での、建築設計のスタート時の最初の課題を少しアレンジしたものです。

広部達也、横山正という当時若かった二人の先生の出題で、 腰、目、背の位置などの異なった高さの「壁《が与えられ、 それを使って開空間を作れというもので、イメージとしてミースのバルセロナ・パヴィリオンの図面のコピーが 参考資料に渡されました。

建築の事をほとんど知らない僕らは、癖のある強烈な二人の先生に、皆ものすごい影響を受けました。 始めて習う建築というものが面白く、課題を考えるのが楽しくて、徹夜徹夜も苦にならない、 実に密度の濃い4、5ヶ月でした。
この開空間の課題の講評で、僕の案が「秀逸《という言葉で誉められたので、余計印象に残っているのです。

関東学院の20年近くの期間で,おそらく600人くらいの学生に同じ課題を出してきましたが、 一人として同じ模型を作ったものがいません。似かよった案もあまり記憶にありません。 当然のことのようですが、この多様性は凄いことのように思えます。いくつかの「秀逸《な作品がありました。 それらは学生の顔と一緒に思い出すことが出来ます。

今年の後期からは、増田奏先生と一緒の「モデリングワークショップ《という1年生の新しい授業が始まりました。
またしてもこの「開空間の構成《を第一課題にしていますが、第二課題には今回始めて「閉空間の構成《という のをスタートしました。これも駒場の頃の課題をアレンジしたものです。当時は油粘土で模型を作りましたが, 今回ダンボールを材料に選びました。なかなか扱いにくく、みな苦戦しているようですが、 とりあえず面白い作品も少し出てきています。
右の写真はその第一と第二課題の作品例です。

以前は必死で面白いのを作ろう、驚かせてやろうとしている感じ、熱気が伝わってきた学生が結構いましたが、 最近はノルマとして早く済ませようという感じの人が多くなっていて少し残念です。
開空間 開空間 閉空間




2004.11.25(木) 「コラテラル《と「血と骨《

映画の本数はここの所伸びて、昨日で116本,10、11月は劇場へも4回足を運びました。
どうしても行き易さから家の近くのシネマ・コンプレックスに行ってしまうので、観たのは 「コラテラル《「シークレット・ウィンドウ《「砂と霧の家《「血と骨《の4本。
「コラテラル《「血と骨《はかなり良かった。「コラテラル《はタクシーの運転手のジェイミー・フォックス が良くて、最初の方の乗客である女性検事との会話のシーンでぐっときて引き込まれました。
「ナイト・オン・ザ・プラネット《のタクシー運転手のウイノナ・ライダーと 映画のキャスティングをしている女性客との会話を思い出させる、生き方の姿勢みたいな会話で、 ちょっと雰囲気が似ている気がしました。
なぜか映画のタクシーの中では、そういう会話が交わされます。
最初のうち主役はこの運転手みたいでしたが、やはり殺し屋役のトム・クルーズは凄い。
今まで見たトム・クルーズの中で一番存在感があり格好いい。最後のシーンは燃え尽きた矢吹丈みたいでした。
やはりタクシーの運転手の映画「月はどっちにでている《のさい洋一監督が撮った「血と骨《の ビートたけしの存在感も凄く、トム・クルーズと同じに、やはり今まで観たビートたけしの中 で一番いい気がしました。

ところで今日は昼食の時事務所の小川光広が、最近見た「海猫《がいかに酷かったかを怒り心頭で話していました。
「家族ゲーム《が良かったので、最近の森田芳光はどうなっちゃっているんだということです。
どこかの雑誌に伊東美咲の演技が酷かったと書いてあったけど(観ていないで言うのは問題だけど、 伊東美咲にはもっと違う輝き方があるのでは)、監督だけの問題ではないのかもしれない。 ミスキャストは俳優にも気の毒。
「コラテラル《「血と骨《はトム・クルーズとビートたけしの映画で、ほかのキャスティングはありえない。 キャスティングは重要です。建築でも。

写真はトリュフォーが好きな小川君。
小川君と佐々木君の手




2004.11.9(水) 千ヶ滝の別荘増築

軽井沢の、夏の工事自粛期間にかかって中断していた増築の現場が, 9月に再開して、やっと10月5日に引渡しすることが出来ました。

右の写真は11月1日に残工事のチェックに行ったときのものです。

去年完成した千ヶ滝の別荘にすぐ増築の話が持ち上がり、どういう形の増築にしようか考えました。
既存部分は十字形に交差したコンクリートのプラットフォームに鉄骨の壁・屋根がのった、完結した形 をしています。増築となると、異なる系の形態を付加するしかないと考えました。、 結果は自立した曲面の壁がテラスを抱き込んだ、三日月のようなものが既存の階段室に 突き刺さった形をしています。
平面は漫画の吹き出しのようなものが跳びだしたようにも見えます。

千ヶ滝の別荘増築

既存を踏襲して、アプローチ側は黒い表情で、曲面が斜面に飛び出し、南東の斜面側は 一面のガラスで、遠くに山々を見渡せます。(下の2004.9.30(木) アルヴァーロ・シザの写真)

この時期、ちょうどカラマツや、カエデの紅葉の盛りでした。
高台にあるので、この一面のガラス窓からの眺めは錦繍の世界です。
葉が緑のときにも、緑といってもこんなにも違った種類の緑があるのかと思って 感嘆して見ていましたが、 さらにこの紅葉の色合いのヴァリエーションには驚かされます。
千ヶ滝の別荘増築 千ヶ滝の別荘増築 千ヶ滝の別荘増築




2004.10.13(水) オリヴェイラ監督

ヴィデオやDVD,TVの放映も含めて、年間100本映画を見ようと、少し前から 意識して本数をカウントし始めたのだけれど、2002年72本、2003年69本と なかなか100本には到達しません。ところが今年は早々と、この10日の日曜日に100本に達しました。
これには麻薬的なTVドラマ「24《のシーズンⅡまでのDVD23本が含まれているので、ちょっとずるいけど まあいいことにします。
映画館には8月までは平均月一回のペースで足を運んでいます。今年映画館で見たのは、 「ミスティック・リバー《「シービスケット《「ペイチェック《「コールド・マウンテン《「キルビル2《 「永遠の語らい《「スパイダーマン2《「ドリーマーズ《の8本です。
中では「永遠の語らいA Talking Picture《がベスト。 西洋文明をテーマに、母と娘がインドのボンベイにいるパイロットの父親に会うために、ポルトからマルセイユ、ポンペイの遺跡、 アテネのアクロポリス、イスタンブール、エジプトのピラミッドと地中海文明を辿る船旅をするストーリー。 9.11をきっかけに、ポルトガルのマノエル・ド・オリヴェイラ監督は西洋文明というテーマに向かったということです。
印象的なシーンは、国の違う3人の女性の乗客たちが船長をホストに、同じテーブルで人生や愛について語り合う場面。 母娘も加わって、それぞれの国の言葉、英語、フランス語、イタリア語、ギリシャ語、ポルトガル語を使っているのに、お互いに 自然に理解し合っている場面です。
ワーストはベルナルド・ベルトルッチの「ドリーマーズ《。「ラストエンペラー《や「シェルタリングスカイ《が好きだったので、 落胆は大きかった。63歳のベルトルッチがとても老いて見え、95歳のオリヴェイラ監督が若く思えました。

右の写真は高田馬場で現場が進行中の集合住宅、オフィス、店舗が入る13階建のコンプレックスです。来年の春に竣工します。
池田ビル




2004.9.30(木) アルヴァーロ・シザ

カティア・ゲレイロのコンサートに行きました。とてもいいコンサートでした。 ポルトガル・ギター、ギターラの独特な音を聴くだけでわくわくします。 カティア・ゲレイロは、手を背中で結んで歌います。 マドレデウスのテレーザ・サルゲイロにも、ステージで歌う時、静かに すっと前に出る動きにはっとさせられましたが、この独特のポーズは魅力的です。

ここの所、アルヴァーロ・シザはどうして好いんだろうかと、時々プランと写真を眺めて考えています。 使う材料の新奇さで勝負しない所や、中間領域の作り方の上手さや、独特のスケール感覚、白い空間の良さ、 魅力はいろいろあります。 コルビュジエが初期にやっていたようなことをやっている感じもします。 そしてシザの空間には必ず少しだけ、ズラシと言うか、変形があります。非常にオーディナリーなデザインの中に、 この変形があるために、空間が一躍シャープなものになります。ほんのちょっとしたズラシで、時には 気付くか気付かないかという程度のものですが、それがあるために空間が、突然シザ独特のものになります。

カティア・ゲレイロの歌うときのポーズもほんのちょっとしたズラシだけど、とても気になります。 個性とかそういう言い方で割り切れない、そうしか出来ない本質的なものがある気がします。

「千ヶ滝の別荘増築《は完成間近です。
少しレイアウトなど更新しました。
千ヶ滝の別荘増築




2004.9.14(火) ファド

意外に早く登録でき、9月9日遂に公開することが出来ました。

小齋さんに誘われて土曜の夜、ファドを聴きに行きました。四ツ谷のマヌエルというレストランです。 ポルトガル・ギター、マリオ・パシェーコ、歌、シーラ・ギマラエンス。 一昨年やはり小斎さんに誘われて、荻窪の店で 松田美緒のライヴ(素晴らしかった)を聴いて以来で、 久しぶりにファドを聴きました。
最初はアルヴァロ・シザの建築に惹かれて1997年、 コルドバからグラナダのアルハンブラを経てリスボアまで、旅をしました。2回目は2000年です。 リスボアから出発して、東へ、北へ、ポウサーダに泊まりながらポルトの北まで行きました。ポウサーダは 修道院やお城を改装した国営のホテルで、全く素晴らしいところなのです。 アルヴァロ・シザの建築だけでなく人や風景、すっかりポルトガルが好きになりました。 その翌年、スナックでポスターを見て、何となく勘が働いて、そのときは吊前も知らず、ポルトガルというだけで、 マドレデウスのコンサートに行き、そこで足立さん、小齋さんと会いました。
土曜日は時間が短くて、あまり堪能できなかったので、小齋さんに教えてもらった、カティア・ゲレイロの コンサートに行こうかと思いました。でも25日は関東学院の授業が始まるので、どうしようか迷っているところです。
カティア・ゲレイロ




2004.9.3(金) ドメイン登録

ドメインの取得に2週間くらいということで、公開するには今しばらく猶予が出来てしまいました。

今回、昔を振り返って資料を見ていたら、ロンドンに居る頃、故巴辰一君と一緒に出して、2等に入った 新建築の住宅設計コンペの発表時の文章に目が止まりました。引用してみます。

「一般解を、あるいは普遍的な住居を追求しようという設計態度は嫌いです。ぼくら自身がそこで生活したいか、 その中で楽しいか、そういう場所が果たして好きかどうか、そういった問いを常に発して、矮小ではあっても 自分自身から出発したいと思います。 借り物ではない、ぼくらの「形《というものを、ヘタクソでも出して行くことからやって行きたい。(中略) それはぼくら自身の、日常の一瞬一瞬を大事にしてゆくことだと思います。ここでいっている日常性は 、生活中心の便宜的機能主義を求める、という意味ではもちろんありません。できることならぼくらはジョン・ソーン の自邸のパラノイアにまで到達したいと思っているのです。この計画でぼくらが基本においたコンセプトは 次の6点です。
1.奥行きをもった棲み家をつくりたい。
2.個人の創造の場としての、ワークショップを持ちたい。
3.細い通路、小路を大切にしたい。
4.主婦の一日で、一番長く滞在する場所、キッチンの雰囲気、 他の部分との関係を大切にしたい。
5.性格の異なった外部空間をたくさんもちたい。
6.増殖する建築ではなく、内部のフレキシビリティ を可能にする「殻《*たとえばロンドンの街の テラスハウス群にみるような「殻《的な性格をもちたい。すなわちワークショップ上部のガラス屋根は 取り払われて、庭になりうるし、2軒分を一家族が所有するかもしれない、あるいは、隣の小家族の ベッドルームに大家族が侵食するといった、または住み換えの可能性をもったそういう殻をつくりたい。《

30年前の文章です。人間はつくづく変わらないなあと思いました。

GLCのハウジング部で故巴辰一君と二人で発表したときの写真が出てきたので差し替えました。(20041109)
新建築住宅設計競技19742等案




2004.8.31(火) 第一日

遅ればせながら、ホームページを作りました。
事務所を立ち上げてから、速いもので、もう24年です。 今までにやってきた仕事を振り返って、1つずつコメントを付けていきました。 写真がないものなどあって、全てではありません。仕事全体からすれば半分程でしょうか。

いろんな仕事がありました。いろいろな出会いがありました。いろいろな細かい出来事がありました。 一つ一つの仕事に強い思い入れがあります。
やっている内に当然ながら、それぞれに共通点や、流れが、少し見えてきました。それらを分類整理して、 何かメッセージを導き出そうかとも思いましたが、それはこれからの事にして、今回はとりあえず、 そのままを提示することにしました。

5月19日に南風舎で、小川格さんとホームページの話をしてから 3ヶ月以上経ってしまいました。最初はプロにカッコいいのを 作って貰おうと思って、格さんにその話をすると、自分で作らなきゃ、 と言われ、こういう形になりました。もっと癖を出さないと、と言われそうですが、 それはおいおいという事で、とりあえず公開することにしました。

右の写真は今進行中の「千ヶ滝の別荘増築《の現場です。
千ヶ滝の別荘増築現場